「おにぎり陛下」







 
 ほっかほかの御飯にお塩をつけて、ぽふぽふぽふっと握ったおにぎりって、どうしてあんなに美味しいんだろう?ことに、異国の地で《食べられない》と分かっていると無性に食べたくてしょうがなくなる。しかも、《食べたいよね〜!》と頷き合う人がいないと、今度は如何に旨いかを口では説明しきれなくて、何としても食べさせたくなってしまう。

「すっごい旨いんだって!」
「はん。そんな筈があるか。炊いた穀類を塩を付けて握っただけの物が美味であるはずがない。どんな貧乏舌だ貴様」

 魔王陛下は言わずと知れた眞魔国の長であるはずだが、特にどうといった肩書きもないのに血盟城に居座っているフォンビーレフェルト卿ヴォルフラムには、相変わらずぞんざいな口の利き方をされている。
 改まって《ユーリ陛下》等と呼ばれたらそれはそれで居たたまれないが、たまにはユーリの主張も聞いて欲しいものだ。

「コンラッドは食べたことあるだろ?な?旨かったろ!?」

 こういった話題でグウェンダルやギュンターは頼りに出来ないので、地球生活を送ったことのあるウェラー卿コンラートにしがみついていくが、彼は申し訳なさそうに頭を掻いている。

「いやぁ…。地球では色々と食べましたけど、そういえばおにぎりは食べていませんでしたね」
「えーっ!?炊きたての御飯を火傷覚悟で《うぉりゃあ〜っ!》と握って、速攻海苔で巻いて喰ったらマジ旨いんだよ!?こういう寒い季節だと、特に旨いよー?」

 季節的には春に近いのだが、血盟城の外は雪に包まれており、窓の傍に寄ると少し息が白くなる。こんな季節には、ほこほこほと湯気をあげるご飯は格別に美味しいのだ。そこに香ばしい海苔がひっつけば、これはもう最高の美味だ。

「ユーリが言うんだから、きっとそうなんでしょうね」

 コンラートはにこにこ顔でそう言ってくれるが、やっぱり食べていないとなると本当の美味しさは分かるまい。

『ああ〜。食べさせたいなぁ!』



*  *  *




 そんな会話をした時、強く思っていたせいだろうか?ユーリは地球に戻ってくると、半分無意識のうちにお釜一杯のご飯を炊いて、全部おにぎりにしてしまった。形はおにぎりというより大玉という感じではあるのだが、それでも両手いっぱいのご飯からは何とも良い匂いがする。

「今すぐスタツア出来ないかなー」

 流しを見つめながら願う。スタツア出来ない場合、このおにぎりは今日の夕食のみならず、朝食まで占めることになるだろう。

「ん?なんだ、ユーリ。そんなに握り飯作って」
「えと…いっぱい食べたかったんだ」

 エプロン姿で唇を尖らせていると、何故だか勝利はへにゃんと眦を下げて嬉しそうな顔をする。

「ふむふむ。お兄ちゃんに食べて欲しかったんだな?ゆーちゃんの手料理か〜。うふふ」
「んー…まあ、食べても良いんだけどさ」
「なんだユーリ。《お前に食べさせるために作ったんじゃないんだかな!》というやつか?うふふ。にーちゃんは確かにツンデレも嫌いではない」
「いや、そんなキャラ設定おれにはないですから」

 ぶんぶんと顔を振っているが、マイペースな兄は聞いちゃあいなかった。

「ふふん。照れる姿も可愛いぞゆーちゃん。どれ、お兄ちゃんが食べてあげよう」

 ユーリが掴んでいる特大のおにぎりに勝利が口を寄せてくる。これは特に形良くできたから、コンラートに食べさせてあげたいと思っていたものだった。彼がぱくりと口にして、《美味しい!》と笑ってくれたらどんなに嬉しいことだろう?

 柔らかい琥珀色の瞳がきらきらとひかる様子を想像していたせいか、ユーリは無意識のうちに兄の口を避けようとして、つるりと足ふきマットに脚を取られてしまう。

「あ…っ!」

 おにぎりころころすっこんこん…もとい、ユーリころころすっこんこん。
 おにぎりは落とさなかったが、ユーリはころろんと転げて流しから眞魔国へとスタツアしてしまった。



*  *  *


 

「…で、お前はたった一つだけおにぎりとやらを持って、血盟城にやってきたと?」
「ははは…」

 ヴォルフラムが腕組みをして難しい顔をしている。

 そう。あんなにいっぱい作ったのに、持ってこられたのは手にしていたたった一個だけだった。残ったおにぎりは、細身の割りに意外とよく食べる勝利がかなりの量を平らげてしまうことだろう。

 だが、こちらでも少量の水を介しての移動だったから、濡れなかったのがせめてもの幸いだ。

「さあ、ではお前の手料理を僕に食べさせてみろ!」
「どんな俺様だよお前」

 ぶつぶつ言いながらも手にしたおにぎりを渡すと、ヴォルフラムは意外と気に入ったらしい。最初は《蒸した穀類を直接手で固めるなんて野蛮だ》とか言っていたのに、ほふほふと頬を膨らませて頬張る顔は、ハムスターみたいでちょっと可愛い。

 それに、ヴォルフラムは出会った頃に比べると随分と成長しているらしく、傍らで指を銜えて眺めていたギュンターや、顔には出さないが、結構興味がありそうだったグウェンダルにも自然な動作で分けていた。

 そして、最後に残ったわりと大きな塊は、それこそ勝利からツンデレ呼ばわりされそうな口調で、コンラートに渡してくれた。

「ユーリは別に、お前の為に作った訳じゃないからな!」
「うん。みんなの為に作ってくれたんだよね。ありがとう、ユーリ」
「いえいえ」

 みんなに食べて欲しかったのは確かだが、握っているあいだ思い浮かべていたのはコンラートだったなんて、口にしては拙いだろうか?自分の発想に頬を染めながら眺めていると、コンラートは想像を上回る笑顔を浮かべて絶賛してくれた。

「本当に美味しいね。ユーリは料理上手だ」
「いや、あんたどんだけ親馬鹿なの。握り飯で料理上手とかさー」

 そんなことを言いながらも、自然と口元に笑みが涌いてきてしまう。コンラートがユーリを褒めるのはいつものことなのだが、こんな簡単なものであっても、自分が作ったものを《美味しい》と言って喜んで貰えるのは、凄く嬉しいことらしい。

 照れてもじもじしていたユーリは、ふと手が粘つくのを感じた。何粒かお米がついたままになっていたらしい。一粒に八十八も神様が宿る粒だから、流してしまうのは勿体なくて口元に寄せていったら、コンラートの手が伸びて、ぱくりと薄い唇が触れてくる。

 少しだけ濡れた感触に、手の血管がきゅうっと締まって、ついで、ぱぁあっと開いて熱くなる。

「…っ!?」
「ご馳走様」

 にっこりと微笑むコンラートは計算なのか天然なのか、衝撃のあまり口をぱくぱくさせているヴォルフラムを気にすることなく、満足そうに口に含んだ米粒を味わっている。

「ユーリの手料理、また食べさせて下さいね?そうだ、今度はお味噌汁も頂きたいな」
「う…うん!」

 こくこくと頷いていたら、やっと我に返ったヴォルフラムがコンラートの襟首を締めあげながら叫んだ。

「こここ…コンラート!貴様、僕の婚約者に対して馴れ馴れしいぞ!」
「婚約なら自分から解消したじゃないか」
「そ…それは…っ!」

 ぎゃあぎゃあと言い立てるヴォルフラムは知らない。ユーリがそっと、あることを思い出していることなど。

 《君の作った味噌汁が食べたい》

 それが二昔前にはプロポーズの常套句だったのだと、勝馬が事ある毎に言っていたことなど知るよしもないヴォルフラムは、コンラートが確信犯的な笑顔をユーリに向けている意味も分かってはいないのだった。








* コンユが夫婦になったとして、ご飯を作ってくれるのは殆どコンラッドだとは思うのですが、たまにユーリもおにぎりを作って欲しいものです。 *