「ゆーちゃんのお気に入り」 「あう…」 ウェラー卿コンラートのお膝に載り、手ずから与えられる白桃のコンポートをまむまむと咀嚼していた有利は、きゃっきゃっと楽しそうに声を上げてお歌を謡ったりしていた。
コンラートはコンラートで琥珀色の瞳を蜂蜜のようにとろとろに蕩けさせて、それでなくとも甘い声に極上の響きを持たせて一緒にお歌を謡っていた。 * * * 珍しく、主犯は紅い悪魔ではなかった。 ある意味では《犯人》と呼べる者は存在しないのである。 それでは一体何故有利がお子ちゃま化してしまったかと言えば、不幸な巡り合わせと言うほかない。 実は、有利の元には新たな同盟国のうち二カ国から、それぞれ《是非とも魔王陛下に》と特産物である果物を贈られていたのである。 カララナ公国からは葡萄に似た房状の果実。 ヤナイマーレ皇国からは林檎に似たまん丸な果実。 勿論、いつも通りコンラートが毒見をしていたのだが、その時には異常はなかった。 しかし…有利がその二つの果物を食べて《美味し〜いっ!》とほっぺたを上気させた途端…ふしゅうぅぅ〜!っと空気が抜けるようにして有利は小さくなってしまったのである。 幸い、いつもの晩餐メンバーのみが控えているときだったので有利が幼児化したことは血盟城の一部の者しか知らない。 グウェンダルは自室の引き出しに繋がれた恐怖の《筒路》を抜けると、大変珍しいことにアニシナに泣きついたのであった。 『これは、食べ合わせが拙かったのですね。陛下は地球産魔族ですから、多少ウェラー卿とは異なる変化を起こしたのでしょう。全ての成分が身体から出れば戻ります』 さらりとした見立てがアニシナの口から出たのは、散々回りくどい実験をグウェンダルの身体で一通り実施した後であった。 有利は地球での記憶はすっかりぽんと抜けていたのだが、幸いなことに眞魔国語による日常会話は成り立ったので、どうにかこうにかコミュニケーションを取ることは出来ている。 ちなみに、小さくなってしまった瞬間に目の前にいたせいだろうか?その存在を刷り込んでしまったらしいコンラートは今まで以上に魔王陛下の寵愛を独り占めすることになってしまい、兄弟や元師匠に白いハンカチを噛みしめさせているのだった。 * * * 「くくぅ〜…どうしてコンラートばかりコンラートばかりコンラートばかり…っ!」 既に5枚目のハンカチを破損しつつあるギュンターは、かつては眞魔国髄一と謡われた美貌を歪めて嫉妬に狂っていた。 「ぼ…僕の婚約者なのにぃぃ…っ!!」 ヴォルフラムは憤りの割に、ちょっと小声だ。 普段から友達以上でも以下でもない扱いを受けており、それがとっても不満足であったわけだが…今となっては仔犬のようにじゃれ合ったりも出来ない分、更に切ないことになっている。 何しろ、件の台詞を絶叫しながら掴みかかったら有利に大泣きされてしまい、長兄からは容赦ない拳骨を脳天に喰らうわ、次兄には人が殺せそうな眼差しで睨まれるわ…えらい目に遭ってしまったのである。 『でも…でも……僕だってユーリの事が大好きなのにっ!』 いつもだってキャッチボールだランニングだとコンラートとばかり遊んでいる上に、こんな時にまで独占されては腹立たしいより先に、哀しくなってしまう。 しょんぼりと俯いてソファに身を埋めていたら…不意に有利がその様子に気付いたのか、ぽてぽてと覚束ない足取りで歩いてくると、ぺとりとヴォルフラムのお腹にもみじのようなお手々を当てると、さすさすと撫で始めたのだった。 しかも、座ったヴォルフラムのお腹に手を伸ばすのさえいっぱいいっぱいの背丈のため、つぃん…とつま先立っている様が何とも愛らしい。 「ぼるふ、ぽんぽんいたいの?」 「…まあ、そんなところだ」 ぶすくれて肯定すれば、有利は慰めるように微笑んで、更にさすさすとお腹をさすり続けた。 「ゆーちゃん、おなかげんきなるまでナデナデしたげるね。ぽーんぽん、げーんき〜」 「……っ!」 何という愛くるしさか…っ! ヴォルフラムは自分がギュンターでないことに心の底から感謝しつつ、天使のような微笑みを浮かべて有利を抱き上げた。 「ユーリ…僕のお腹が治るまで、こうしていてくれるかい?」 「いいよぅ〜」 「では、僕の部屋に行こうか?」 「うん、こんあっども行くなら行くぅ〜」 「……………コンラートは扉の前に立たせておく」 そう言われた途端…又しても、ふぇあ…っと有利の瞳が潤んだ。 「やだぁ〜っ!こんあっどといっしょでなきゃ行かないーっ!!」 「くーっ!この浮気者ーっっ!!どうしてそうコンラートコンラートと…っ!このコンラート馬鹿がっ!!」 ふぇ…と息を呑んだかと思うと、爆発するような勢いであぅあぅと泣き始める有利…。 「ぼるふがバカってゆったぁ〜っ!ゆ、ゆーちゃ、ば…バカちがうもん…っ!」 「そうですよ、ユーリ…。ユーリはとっても賢い子ですよ?馬鹿って言う方が馬鹿なんですよ」 「こんあっど、おれのこと…バカっておもわない?」 「思うものですか!こんなに可愛くて賢い子を、馬鹿なんて言うのは何処の馬鹿でしょうね?」 賢いことと可愛いことは関係ないが、この際コンラートにはどうでも良かった。 「こんあっど、えらい子スキ?」 「ユーリならなんでも好きです」 無差別的な犯行…いや、愛情である。 「えへへぇ〜」 だが、有利にとっては十分であったらしい。 にこにこ顔になると、むきゅ…っと大好きなコンラートに抱きついて、すりすりと涙に濡れた頬を軍服に擦りつけるのだった。 「ああ…ユーリ。硬い生地にそんなにお顔を擦りつけては、疵がついてしまいますよ?」 「いいもーん。こんあっどもケガいっぱいしてるもん!ゆーちゃんもお揃いがいいのぉ〜!」 「ユーリ…」 「こんあっど…」 「貴様ら…いい加減にしろーっっ!!!」 ヴォルフラムの絶叫が轟いてしまうのも致し方ない展開であった…。 * * * ちいさな有利を巡る騒ぎは、その後も賑やかに展開された。 「こんあっど…おれ、このぴーまんやだ……」 「これはピーマンじゃないですよ?」 「でも、かたちいっしょだもん。それに、へんなむらさきいろなんだもん…。それにそれに…っ!ちょっとうごいてるんだよ?」 その日の夕刻…やはりコンラートのお膝の上でまむまむと食事を取っていた有利は、大きくなった有利も腰が引け気味だった動野菜(葉緑体で作り出したエネルギーで、自発的に動く植物)に困惑していた。 「でも、とっても栄養があるんですよ?大きくなったユーリも嫌いでしたけど、背がのびますよって言ったら、ちゃんと食べられましたよ?」 「………おっきくなれる?」 「ええ!」 コンラートに請け負われて、小さな先割れスプーンでぷすりと紫色の塊を刺すと、《きゅーっ!》と悲鳴を上げるものだから有利はまたしても涙目になってしまう。 「うーぅー…」 「さ、頑張ってユーリ!」 「ぁうっ!」 思い切ってぱくりと一口囓ったものの、なかなか咀嚼出来なくて…うむうむと顎を動かしながら涙をぽろぽろ零してしまう。 「ああ…ユーリ、大丈夫ですか?」 すると、有利はコンラートに向かって予想外のお願いをしたのだった。 「こんあっど…ちゅーして?」 「……………え?」 ぴく……っ。 おやつ時に有利を泣かせてしまったせいで、何とか我慢を続けていたヴォルフラム達が口角を引きつらせる。 「こんあっどがちゅーしてくれたら、ごっくんする」 「そそそ…そーーーー………です…か?」 コンラートに異論はない。 ただ…出来れば人目がないときにおねだりしてくれたら良かったなー…今すると、周りから《このロリコンっ!》という目で見られるなー…とか、かなり今更な事を考えながら躊躇していたコンラートだったが、有利がうるうると口の下に梅干しをつくりながら苦みを堪えているのをみると、どうにも堪らなくなって…ちゅう…っと甘いキスを唇に落としたのだった。 「こんの…変態ーーっっっっっ!!!」 ヴォルフラムの絶叫が、再び血盟城に鳴り響いたのは言うまでもない。 * * * 「ぼるふ…おこってたね」 「大丈夫ですよ、ユーリ。ああ見えてあの子はユーリのことが大好きなんですから。きっと、自分に懐いてくれないから寂しかっただけなんですよ」 「………でも、おれ…こんあっどがいちばんスキなのはしょうがないもん」 きゅうぅぅん…… 普段の恥ずかしがり屋さんなユーリから考えれば、あり得ないくらいの素直さにコンラートはくらくらと目眩を感じた。 魔王陛下の居室は、メイド達の手によりほんの数時間のうちに模様替えがなされ、ファンシーな雰囲気の縫いぐるみがベッド脇にもぽんわかと積まれている。 そのうちのひとつ、大きな茶色いうさぎの縫いぐるみに抱きついたまま、有利はうきゅ…っとコンラートを見上げているのだった。 「そうですね。しょうがないですよね。俺だってユーリが一番好きなのはどうしようもないですもんね」 「ねー」 互い違いに頷き合う二人は、二人きりだからこそ許されるピンク色の大気に包まれていた。 「でもさ、おれ…ぼるふとあそんだりするのはスキなんだよ?ぐえんやぎんたーも、あんなにおっきな声でぎゃーっといわなけりゃ、スキなんだよ?」 「そうでしょうね。みんな、ユーリのことが好きですからね」 「うん」 にぱりと笑ってお布団の上でころころしていた有利だったが、子どもの機嫌とは変わりやすいもの…。急に唇を尖らせると、不安げにコンラートの腕にしがみついた。 「あのね、こんあっど。おれ、早くおっきくなんないとダメ?」 「ユーリが焦ることはありませんよ。いつか、自然に戻るとアニシナも言っていたでしょう?」 「うん…うん。でもね、おれ…まおーさまなんだもん。ちゃんとおシゴトできないと、ぐえんにぺしってされるかな?…ううん、ぺしってされなくても…まおーさまなのに、くにのことちゃんとできなかったらみんなにワルイよね?」 「ユーリ…」 幼いなりに、自分が何者なのか教えられたことを咀嚼してそのような結論を導き出したのだろう…。 コンラートも、これにはただ甘いだけの言葉を掛けることは出来なかった。 「そうですね…あなたはこの国を統べる魔王陛下だ。みんながあなたの進む道についていきます」 「そうだよね…」 「でもね、ユーリ。忘れないで?あなたは一人きりではないんですよ」 「ひとりぼっち…ちがう?」 「ええ!確かに王は一人…最後に決めるのはあなたです。ですが、俺達はあなたが決め事をするとき、その為に必要な情報を集め、そして、あなたに寄り添って考え…働くことが出来ます。だから、一人きりでなにもかもしなくちゃいけないんだって、頭をぱんぱんにして悩む必要はないのです」 「ほんと?こんあっどもゆーちゃんといっしょに、うーんうーんっとかんがえてくれる?」 「ええ…俺も、みんなも一生懸命考えますよ。もしもこのまま普通の子どもみたいにゆっくりとしか大きくなれかったとしても、その時にはあなたが成長するまで、俺達がこの国を支えます。だから、あなたはゆっくりと大きくなって良いんですよ」 「そっかぁ…」 ほっと安堵したせいだろうか。有利の瞳はとろとろと潤み、こて…と頭がシーツに埋められる。 「眠いですか?ユーリ…」 「ん…ねんねする…」 「ゆっくり眠って下さいね」 有利の柔らかな黒髪を撫でつけながら、コンラートはそっと思うのだった。 若木のように瑞々しく伸びやかな有利もいいけれど…こんな風に全てをコンラートに委ねきって、ぷくぷくと柔らかい香りを漂わせている有利もまた、堪らなく愛おしいと…。 『結局…俺はユーリならどんなユーリでも可愛いんだろうな…』 急に自分よりも年よりの中年や老人になられたら流石に驚くだろうけれど、その時にはその時の可愛らしさを見いだしそうな自分が軽く気恥ずかしい。 「ね…ユーリ。何時だって、どんなあなただって好きですよ。だから…ずっとずっと…あなたも俺のことを好きでいて下さいね」 甘い声で桜貝のような耳に囁けば、ちいさな有利は《くふふ…》っと擽ったそうに笑うのだった。 空に浮かぶ満月はとろりと蜂蜜色の光を湛えて、そんな二人を見守っていた…。 さてさて…代謝の良い有利が捧げられた果物を排泄して元通りになり、小さい間にしでかしてしまったことに転げ回って羞恥にまみれるのは翌日のことであった……。 おしまい
あとがき 太陽様のリクエストで、 「眞魔国で事件に巻き込まれて幼児化した、ちびっこゆりたん。地球の記憶もなくしたゆりたんはどうなってしまうのか!?眞魔国の面々の理性はもつのか!?」…というお話でした。 ぷくぷくしてて、素直にコンラッドスキスキーなゆーちゃんも書いてて楽しいです〜。 コンラッドも蕩けちゃうでしょうね。ただ、周りの人達が数日で胃壁から出血しそうですけどね…。 |