「人魚王子」−3
「さあ…その少女を渡して貰おうか?」 「シュトッフェル…貴様、一体何の真似だ!?」 憤激したコンラートが怒声を上げると、シュトッフェルはクックックッ…と、《ザ★悪!》を体現するように嘲笑しておりました。何とも憎々しげな様子に、コンラート達の表情には怒りが込みあげてきます。 「ふふふ…貴様が何かを企んでいると知って、こうして張っておったのだが…思わぬ収穫があったものよ」 おそらく、シュトッフェルは漁夫の利をせしめようと思っていたに違いありません。 噂通りにコンラートはグウェンダルを憎んでいるものと決めつけ、病床の兄にとどめを刺すべくやってきたコンラートを泳がせ、本懐を遂げさせた後に《兄殺しの卑劣漢》として殺すつもりでいたに違いありません。 ところが思いがけずグウェンダルの命は救われてしまったものの、そこには涎が出るほど魅力的な存在…重病を瞬く間に治せる妙薬があったのです。 「あの重病を、少量の血であっというまに治すのだぞ?これは素晴らしい妙薬だ。是非我が元で飼って、血を絞り出すたびに高値で売りさばいてやろう…」 「貴様…っ」 コンラートは強すぎる怒りによって逆に表情を無くすと、シャリン…っと抜刀した剣を、無駄のない動作で伯父に向けて突き出しました。 「そのような愚劣な行為…決して許すわけにはいかない」 「馬鹿め、この人数に勝てると思うてか?さあ…皆の者、掛かれ…っ!」 しかし、コンラートは《ルッテンベルクの獅子》と謳われる英雄なのでした。その剣技は若くして剣聖と呼ばれる領域にまで達し、室内に溢れる烏合の衆などものともしない技量でありました。 しかもこの時には心強い味方もおりました。すっかりコンラートを信頼するようになったマグドガルも素晴らしい技能の持ち主でしたし、病床にあっても決して剣を手放すことの無かった兄グウェンダルもまた、寝間着であることをものともせぬ剣裁きを見せて、ばったばったとシュトッフェルの部下達を打ち倒していきました。 「まだ掛かってくる度胸のある者は、前に出よ!」 兄弟が同時に放った咆吼は、まるで獅子吼のようでありました。 禽獣の群れのような兵達は恐れをなしてぶるぶると震え、口々に《か…考えても見れば、次代の王となられる方に剣を向けるなど、不敬の極みではないか?》等と、今更のように囁き交わしたのでした。 * * * 『凄い…っ!』 グウェンダルの代わりに寝台へと横たえられた有利は、はらはらしながら様子を伺っておりましたが、いつしか見事な戦いぶりを見せるコンラートにうっとり見惚れておりました。 『コンラッド、コンラッド…ああ、なんて格好良いんだろう!?』 隔絶した技量差もあるのでしょうが、コンラートは無駄な殺生を嫌う性質のようでした。襲いかかってくる敵をするりと紙一重で交わすと、素早い動作で急所を峰打ちして気絶させたり、戦力を失わせたりするのです。 その動作はまるで舞踏のように美しく、《闘い》というものへの認識を変えさせるような力がありました。 これまでのコンラートはどちらかというと《護ってあげたい》という印象でした。何しろ、初対面の時には海に大切な石を落っことしてしまうし、さっきだってお兄さんが好きすぎてわんわん泣いてしまっていたんですもんね。 けれど…今はどうでしょう?こんなにも強くて立派な人だったなんて、惚れ直してしまうではありませんか! 「コンラッド、頑張れー!」 手を振り上げて応援をしておりますと…不意にシュトッフェルが血走った目で有利を見ました。 「おのれ…こうなれば…っ!」 「わ…っ!」 自ら抜刀して襲いかかってくるシュトッフェルにびくりと震えました。その目は、敵を前にした兵達とは違った色があります。この目は…《餌》を見る獣のそれです。この男は一太刀でも有利に食らわせて、不老不死をもたらす妙薬を口に入れようと思っているに違いありません。 その浅ましさと獣性に、有利は怯えるよりも腹が立ちました。 「ユーリ…っ!」 勿論、コンラートがそんなことを許すはずはありません。素早く伯父の前に飛び出すと、怒りを込めて左の拳を鳩尾に叩き込みます。剣に掛ける程の値打ちもないと思ったのでしょうが…みしりと鈍い音がしましたから、胸骨の下端か肋骨が折れたに違いありません。 有利はそれを大人しく見守っていれば良かったのですが、ついつい怒りのあまり寝台から飛び上がると、《食らえ…!》とばかりに強烈な鰭撃ちを仕掛けてしまったのでした。 ビチーン…っ!と鋭い打撃音が響き、シュトッフェルの顔が歪みます。きっと、鼻の軟骨が折れてしまったのでしょうね。 すると、下半身に巻き付けていたスカートがはらりと脱げて、蒼い鱗に覆われた尾が衆目に晒されてしまいました。 「あ…っ!」 慌ててももう遅いです。 兵達は初めて目にする人魚の裸身に驚き慌て、ざわざわと騒ぎ始めました。 しかし…その時です、またしても新たな面子が駆けつけてきたのでした。 「お前達、下がれ…っ!女王陛下のおなりである…っ!」 大音声を上げたのは、まだ年若い少年でした。 透明度の高い金の髪を揺らした凛々しい少年は、きっちりとした蒼い軍服に身を固め、よく似た面差しの女性の手を引いております。 その女性こそは眞魔国第26代目の王、ツェツィーリエ。少年はその第三子にあたるヴォルフラムでありました。 更に姿を現したのは逞しい体躯をした蜜柑色髪の青年と、彼にお姫様抱っこされている村田でした。 「お兄様…一体これはどういうことですの?」 「ツ…ツェリ、こ…これはだな。そ…そうだ、私はお前を思って…」 「私を思ってですって?」 怪訝そうにツェツィーリエの声が跳ねます。その声には明らかな疑惑の色があり、酷く不愉快そうでした。 「そうだ!こ…この人魚を見るが良いっ!こいつはグウェンダルの重病をあっという間に治したのだ。お前が将来病を得たときのためにも、是非城の中で飼って…」 膏で顔をてかてかと光らせながら、シュトッフェルは阿(おもね)るような媚びを振りまきましたが、ツェツィーリエの眉は弾かれたように釣り上がります。 「グウェンを治して下さった恩人に対して、《飼う》ですって…?」 「ツェリ…」 「私、この者に話を聞いたときには半信半疑でしたけれど…本当なのですね?お兄様…あなたが、こんなにも非道な方だったなんて…!」 衝撃を隠せないように眉根を寄せたツェツィーリエでしたが、想いを振り切るように昂然と顔を上げると、きりりとした面差しで告げました。 「お兄様…いいえ、この逆賊を捕らえなさい…!」 「ツェリ…っ!」 「私の息子…第1、ならびに第2王位継承者に剣を向けた罪、正しき法の場にて裁かれるべきです!」 シュトッフェルは膝から力が抜けてしまったようにがくりと脱力すると、そのままツェツィーリエの護衛兵に引っ立てられてすごすごと立ち去りました。 「グウェン…良かった。本当に元気になって…」 「母上…ご心配をおかけしました」 グウェンダルが騎士の礼をとって跪くと、ツェツィーリエは涙ぐみながら息子を立たせました。傍らに佇むヴォルフラムも涙目です。 「コンラート、ユーリちゃん…全てあなた方のおかげですわ」 「お母さん、俺の名前…」 「ええ、この方…猊下が全て教えて下さったのです」 猊下という呼び名は、《大賢者》としての村田の敬称です。 「村田…」 「僕もね、無謀だと思ったんだけどさ…つい出しゃばっちゃった」 村田はばつが悪そうにぺろりと舌先を出して見せました。 * * * 村田としても、最初はこんなつもりではなかったのです。 ただ…薬を持っていった有利が本当に無事でいるのか知りたくて岩場を彷徨っていたら、服の裾が岩に引っかかって焦っていたところを、コンラートの旧友であるグリエ・ヨザックに救われたのでした。 気の良い彼は村田を安全な小屋に匿ってくれたばかりか、すぐにコンラート達の行動を追跡してくれ、その中でシュトッフェルの不穏な動きに気付いたのです。 『こりゃあ、御大にご登場して頂くのが一番ですね』 ヨザックはそう言うと、ついでとばかりに第三王子のヴォルフラムも同行させたのでした。コンラートに対して想いはあっても、素直になれないこの王子を蚊帳の外にしたくなかったのでしょう。 しっくり来ない時間が長くても互いを思い合っている家族なら、大きなイベント事で再び繋がったりするものですからね。 案の定、素直ではない三男は仏頂面を浮かべつつも、ぼそぼそっと聞き取りにくい声でこういったのでした。 『コンラート…グウェンダル兄上の病を治すために、ユーリ殿を説得してくれて…ありがとう』 コンラートは驚いたように目を見開いた後、花が咲くような微笑みを見せて弟の華奢な身体を抱きしめました。 《子ども扱いするな!》と言いながらも、ヴォルフラムもどこか嬉しそうです。 * * * さて、村田はツェツィーリエやグウェンダルに対してきっちりと恩を売っておくことも忘れませんでした。 人魚がグウェンダルの恩人であることを国家的規模で認めさせると、《海底国家》の住人として対等な扱いが法律的に認められました。 人魚の血が病を治すことは極秘事項とされましたが、それでも人魚を捕まえようとする者が出ることを懸念して、人魚達の住処である領域には侵犯を防ぐ装置が仕掛けられました。これは、グウェンダルの幼馴染みである《紅い悪魔》と呼ばれる女性の発明品が使われているのです。 さて、そんな中コンラートと有利はどうしていたかと言いますと…。 「コンラッド、気持ちいいねぇ!」 「そうだね、ユーリ」 にこにこ顔の二人は、ぴちんぴちんと跳ねながら珊瑚礁の広がる海を泳いでおります。その速度は帆に風を浴びた大型帆船よりも速く、生来の人魚である有利に負けず劣らずの速度でコンラートも泳いでおりました。 コンラートは泳ぎが達者な人でしたが、それは人間が出せる速度ではありませんでした。 ええ…そうなんですよ。 実は、村田の元に伝えられている薬には人魚を人間にするだけではなく、人間を人魚にする薬もあったのです! 「いやぁ…下半身がお魚の隊長を見る日が来るとはもねぇ…。なんつーか、結構目に毒っていうか…」 グリエ・ヨザックは少々照れたような表情でしたが、かなりのガン見状態で美麗な二人の人魚を眺めております。 コンラートは金を帯びた茶色の鱗を持っており、太陽の光を受けるとそれが琥珀色に輝いて何とも綺麗です。その横でしなやかに尾を振る有利も艶やかで、以前お城の水路を泳いだときには、見守る衛兵達も時折水路に落っこちたほどです。 ちなみに、それは単に近くで泳ぎたくてわざとやっているような気もしましたので、今ではこうしてお城近くの海で泳ぐようにしているのです。 「ところで…猊下は泳がれないんで?」 海辺の邸宅は貴賓室もある立派なもので、木製の広々としたバルコニーに天蓋付きの卓を用意した村田は、ヨザックにメイドをさせながら悠々とお茶を飲んでおります。薄水色の尾っぽは尾ひれの部分だけがちょこんと布から覗いておりますが、それ以外はきっちりと隠してカウチに横たわっております。 「僕は人前で肌をさらすのは嫌いだよ」 「そりゃあまた、ありがたいような勿体ないような…。是非、俺も人魚にして頂いて一緒に泳ぎたいんですけどねえ…。その為に俺、素敵な貝殻の胸当ても買ったんですよ?隊長にも買ってやったのに、凄い嫌そうな顔で拒否られるし…」 ヨザックの口調は少々複雑です。 村田がお城近くに来るたびに甲斐甲斐しくお世話をするヨザックは、事あるごとにこんなことを聞いてくるのですが、村田は何となく恥ずかしくて断固拒否しておりました。 村田としては、《人魚はマッパが一番》と言って憚らず、伸びやかな裸身を衆目に晒して泳ぎ回れるあの二人の方がどうかしていると思うのです。勿論、ヨザックが用意した貝殻の胸当ても嫌ですよ?あれは女の子の人魚がするものですからね。 「あとですねぇ…猊下?あいつらは時々、人間の姿になって…よろしくやっているんでしょう?猊下はそうされないんで?」 「あの不味そうな薬、絶対に飲みたくない」 憮然として村田が言うと、新しい紅茶を注ぎながらヨザックは《ふぅう〜…》と深い溜息をつき、羨ましそうに二人の人魚を眺めるのでした。 「いいなぁ〜…」 「だったら、君を人魚にするのは構わないから泳いできなよ」 このやりとりもいつも通りです。 勿論…ヨザックの返事もね? 「いいえぇ〜、俺は猊下と一緒にいたいんで、俺だけ泳げてもしょうがないんですよ」 「じゃあ勝手にしなよ」 呆れたように言うくせに、村田は凄く嬉しくて…ふくふくと胸が弾むのを感じるのでした。 そして、そっとちいさな声で囁いてみます。 《夜に…あまり人が見ていないトコだったら、泳いでも良い》と言うと、ヨザックは顔中を口みたいにさせて笑いました。言ってやったことはありませんが、お日様みたいに陽気なその顔は村田の大のお気に入りです。 「そりゃあ楽しみだ!」 にこにこ顔で給仕してくれたお茶は、砂糖も入れていないのに何だか甘く感じました。 * * * ぷか… ぷかぷか…… 泳ぎ疲れたコンラート達は、ゆらゆらと揺れる波間で太陽にお腹を向けて漂っておりました。時折悪戯めいた仕草でぱしゃんと尾ひれを振りますと、飛沫が散って有利が笑い声を上げます。 なんてゆったりとした気分でしょうか? こんなに穏やかな気持ちでいられるのは、全て有利のおかげでしょう。 『本当に…色んな事が夢のように感じられる』 あの事件の後、グウェンダルはツェツィーリエの跡を継いで王となり、華やかな戴冠式が行われました。コンラートとヴォルフラムはこの式典でグウェンダルの左右に堂々と席を連ね、兄弟の結束が硬いことを国の内外に知らしめたのでした。 グウェンダルの回復に大きな功績を挙げた有利は国賓として招かれました。珊瑚や真珠、沙羅布で飾られた特別席では流石に有利もすっぽんぽんと言うわけには行かず、この日のために縫われた優雅な衣装を纏っておりました。ただ、本人は薄布が絡むのがどうにも不満だったみたいですけどね。 コンラートの旗下にあるルッテンベルク師団も、もうじき軍団に格上げされますから忙しい毎日を送っているのですけど、極力休暇を捻出しては、こうして人魚の姿で有利と泳ぐのが一番の楽しみでした。 そして、夜にはまた薬を飲んで元の姿に戻り…人間でしか味わえない幸せも満喫しております(日中は魚同士でも良いのですが、夜はイロイロとナニがアレソレなのです。お互いに精子だけ噴出しても、あまり《愛を確かめ合う》という交接にはなり得ない感じですからね)。 「コンラッド…えいっ!」 「お…っと」 有利が脇に提げていた袋の中からボールを取り出すと、尾ひれで上手に放ります。コンラートも尾ひれで受け止めると、ぽぅんと上手い具合に打ち返しました。 「薬を飲んだら、地上でもやろうね!」 「うん、そうだね…」 有利がコンラートと一緒にいたいと思ったきっかけは、このボールを投げ合いたいという欲求だったそうです。もしかすると…コンラートが激しく楽しみにしている《夜のお楽しみ》よりも、有利にとってはこちらの方に期待値が高いのではないでしょうか? 少し心配になったコンラートは優雅に海中を旋回すると、有利の傍らに寄り添ってかしりと耳朶を噛みます。 「ユーリ…こういうことをするより、夜通しボールを投げ合う方が良い?」 「えー?」 有利はきょとんとして小首を傾げておりましたが、コンラートの気持ちを汲み取ったのかどうなのだか、ちゅ…っと啄むようなキスを寄越しました。 「こーいうのも好きだし、野球も好きだよ?俺は…」 もにもにと口の中で言葉を咀嚼した有利は、ばしゃあん…っ!と大きな飛沫を上げて海中に没していきました。でも…沈み際に唇がかたどった言葉はしっかりと伝わっておりましたので、コンラートは急いで海底深く深く泳いでいく有利を追いかけて、肩を捕まえると細腰を抱き取り、やっぱり深く深くキスをしたのでした。 有利が口にした言葉はこうでした。 『俺はね?コンラッドとすることなら、何だって大好き…』 いやはや…初夏の海は、二人の愛で沸騰しそうです。 おしまい あとがき ほのぼのとした絵本調の話を書こうとしたんですよ。ええ。 でも、結果的に絵図らを考えるとイロイロと問題のある話になってしまいました。 ダブル人魚王子…絵的にどうなんでしょう? 私はゲームの次男が女装ネタの時にあんまりな扱いを受けるのにガッカリしている口なので、「ちゃんとした衣装を着たら、次男は絶対美女ですから…っ!」という主張の持ち主なんですが、「物事には限界がある」とも思っております。 上半身が裸体、下半身がお魚…までは何とかなるのですが、問題は脇毛です。 うちの有利は「虹を越えていこう」で「恥毛はあるけど脇毛が生えていなくて、本人は結構気にしている」という設定を作って以降、これが公式見解となっているのですが、次男の脇毛には言及しておりません。 ぼうぼうというタイプではないと思うのですが、無いのも流石に変ですよね…。 凄い良い笑顔で腕を上げる次男人魚の腋窩に、ダークブラウンの毛があるのは…如何なものでしょう?アポクリン腺ブラボー…。 ちなみにヨザックはその辺の処理はばっちりだと思うのですが、こちらは貝殻乳バンドをする気満々です。 さあ、皆さんの脳裏にも素敵な男達の人魚姿が描かれましたでしょうか?想像力があればあるほど暴力的な絵図らになりますね! 素直に鑑賞するには些か問題のあるお話でしたが、多少なりと楽しんで頂ければ幸いです。 あ、ちなみに本筋に関係のあるシーンではなかったのでどうかなー…と思っておりましたイメージイラストもこちらにアップしておきます。スクロールしてご覧下さい。 更に打たれ強い…というか、「何を見ても結構平気」という方はダブル人魚王子のイラストも見てみて下さい。 こちらは念のため、 別のとこ に収めております。 |