「とろける肉汁」
『日本の冬って素晴らしい』
ウェラー卿コンラートは、しみじみとその感慨を噛みしめた。
眞王陛下の気まぐれで、唐突に地球へと召還された彼は、ここ数日というもの至福の日々を過ごしている。主は丁度高校2年生の冬休みという、《青春の中で最も気儘に過ごしても良い(渋谷有利談)》シーズンに突入しており、毎日朝早くから夜遅くまで、ついでにお布団の中でも一緒に過ごしてくれている。要するに、24時間営業でコンラートを接待してくれているのだ。
こちらではお目付役(?)のヴォルフラムやギュンターがいない気安さもあってか、心なしかユーリがコンラートに向ける眼差しも、いつも以上にやわらかい。
だから、コンラート的には《日本って素晴らしい》という表現でも全く差し支えないのだが、敢えて《冬》を推したのは、その距離感であった。ふとした仕草の中でも、息が掛かるほど接近していることが多いように思う。
今も、ユーリは散歩道の露店で買った肉マンへと美味しそうにかぶりつくと、笑顔を浮かべながら差し出してくれる。
「コンラッドも食べなよ」
ユーリの口元に滲んだ脂が艶を帯びて、そちらにこそむしゃぶりつきたくなるが、すんでの所で堪えた。
「ええ」
コンラートが迷いなくかぶりついたのは、向けられていた白い皮の部分ではない。わざわざ回り込み、ユーリの歯形がくっきりとついた食いさし部分を囓り取ると、幸せそうにもぐもぐと咀嚼する。
「遠慮しないで、新しいトコいっぱい食べて良いのに」
「いえいえ」
曖昧な返事が出来る日本語って素晴らしい。何に対しての《いえいえ》なのか説明せずに済む。《あなたの唇が触れたところだからこそ、是非とも食べたいのです》なんて、面と向かっては言いにくいものだ。(←確実にどん引き)
これが眞魔国であれば、必ず毒味役であるコンラートが先に囓ったり舐めたりして、確認した後でユーリに食べさせる。それはそれで《間接キス》のときめきは味わえるが、たまにはコンラートだってユーリからのキスを貰いたい。
『ユーリ味の肉マン…』
直接触れることの出来ない唇を夢想しながら、名残惜しげに欠片を嚥下すると(←変態でも、イケメンなら《一途な人》と称されるマジック)、臣下の想いを知るよしもない主は更に肉マンを勧めてくれる。
「お腹空いてるの?遠慮しないでもっと食べてよ」
嬉しいお誘いだ。これで《遠慮しないで》と《もっと》の間に《俺を》という言葉が入れば更に最高なのだが、無茶ぶりはよくない。分を弁えぬ者は全てを失うと言うではないか。だから、間違っても《俺を》部分を更に、《俺のおち○ちんを…》に変えるなんてことも絶対にしない。
とってもしたいが、しない。(←せめてもの良心)
「嬉しいな…頂いてもよろしいですか?ですが、その前にユーリも一口食べて下さいね」
「もー、あんたってば地球でまでおれに遠慮とかするなよ」
してない。
遠慮なんか、実は全く、欠片も、これっぽっちもしていない。
《欲望のままに要求しています》…なんて、おくびにも出さずに、コンラートは爽やかに微笑んだ。勿論、ユーリがぱくりと銜えた肉マンに、《待ち切れませんでした》という顔をして、横合いから齧り付いたのは言うまでもない。一瞬、すべらかなユーリの頬に自分のそれが触れて、更なる至福の鐘が脳内に打ち鳴らされた。
琥珀色の瞳の中でさぞかし銀の光彩が跳ねたのだろう、ユーリは目をぱちくりと見開く。
「そんなに肉マン好きなら、もう一個買おうか?」
「いえいえ、お気遣い無く。おかげさまで胸がいっぱいですから」
「あはは、この場合はお腹がいっぱいだよ」
コンラートの意図としては《胸》で合っているのだが、鈍い主はとんと気付いてくれない。弾けるように笑って、屈託無くコンラートの胸を叩く。
「じゃあ、また少しお腹が空くまで散歩しよう?寒い日に外で食べる肉マンは最高だもんね!」
「ええ、本当に…」
寒風に向かってぴょんっと歩を進めると、身軽なユーリは強い風に煽られて飛んでいきそうに見えるから、殆ど無意識のうちに腰へと手を回して引き寄せていた。
「どうしたの?」
「ええと…」
「道路に飛び出したりなんかしないぜ?そこまで小さい子どもみたいに扱うなよ!」
ぷくりと頬を膨らませて怒られると、はにかむように苦笑した。
「そういうわけではないんです。ただ…ちょっと、肌寒くて」
「ああ、そういえばコンラッドのセーターって、襟元がちょっと寒そうだよね?風も強くなってきたし…。でも、それでおれのことカイロ代わりに使おうとしたわけ?」
「すみません…」
「も〜…しょーがないなあ」
そうは言いつつも、ユーリの機嫌は悪くはない。少し照れくさそうではあったけれど、首に巻いていたマフラーを外すと、くるりとコンラートに巻き付けてくれる。
ああ…ユーリの温もりが伝わっている。(←変態でも、イケメンなら以下略)
だが、それがユーリに寒さを強いることになるとすれば、まったりと愉しんでいる場合ではない。
「ユーリが寒いじゃないですか!お借り出来ませんよっ!」
「でも、寒いんだろ?その服選んだの俺だもん、責任取らせてよ」
地球に来てから、ボブが送ってくれたカードで日用品の買い物をしたのだが、その際、《あんたは首筋きれいだし、折角地球にいるんだからちょっとくらいはっちゃけても良いんじゃない?》と言って、この服を選んでくれたのはたしかにユーリだ。しかし、だからといってユーリに寒い思いなどさせられない。
「しっかり巻いてろよ?帰るまで返品不可だからな!」
そう言うと、ユーリは勢いよく駆けだした。どうやら、突っ返されるのを回避するためらしい。
「ユーリ、ちょ…っ!」
なんともおかしな逃走劇が始まった。
《あまり追いつめてもいけないし》という遠慮と、ユーリの予想外のすばしっこさに翻弄されて、数分に渡って子どものように散歩道を疾走してしまった。
端から見ると憧れの《うふふ、捕まえてご覧なさい》的バカップル風景なのだが、妄想に耽溺している余裕はない。ユーリは運動神経が良いはずなのだが、たまにとんでもないところに引っかかって、あり得ないような転び方をするからだ。案の定、この時も後を振り返った途端、木の根っこに爪先を引っかけて躓いてしまった。
「ユーリ!」
結構な真剣さで数メートルを瞬時に飛ぶと、どうにか有利の転倒は免れたものの、代わりにコンラートともつれ合うような体勢になってしまう。
「ああ、すみません…!」
慌てて身体を起こそうとするが、ほんの一瞬、首筋に息が掛かるような距離で有利の温もりを感じたことで、うっとりと目を細めてしまう。有利の方もコンラートをはね除けたりはしなくて、力を抜いて腕の中にすっぽりと収まっている。
暫くの間、世界に二人だけしかいないような大気が流れた。
濃密で、息をするのも勿体ないような、充実しきった大気に唇が震える。
叶うはずが無いのに、ほんの少し顔を近寄せれば《キスが出来る》なんて考える愚か者を、どうかつけ上がらせないで欲しい。
『ああ…ああ…っ!』
この胸に迫り上がってくる感情の全てを、そのままこの人に与えられたら良いのに。
幸せなのに苦しくて、切なくて逃げ出したいのと同時に、永遠にこうしていたいとも思う。
初な少年じみた恋を、この年になってやらかすなんて思わなかった。
不意に街路から人の声が響いてくると、途端にぴくんっとユーリの肩が震える。魔法にでも掛かったみたいに静止していた時間がやっと動き出したみたいだった。
『ああ…』
泣きたいような心地で、《怪我はありませんか?》なんて無難な言葉を掛けながらユーリの身体を離していく。
離したくない。
でも、離さなければならない。
警戒されない、名付け親に戻らなくてはならない。(←今でも十分に不審者だが)
「…」
どうしたものか、ユーリは珍しく目線を所在なげに彷徨わせ、仄かに染まった頬に自分の両手を沿わせている。その様はあまりにも清楚で、可憐で、貪り尽くすように唇を寄せていきたくなってしまう。
『ああぁああ…っ!このさくらんぼのような唇を、花弁のような舌を味わい尽くすことが出来たら…っ!!』
名付け親の切ない欲望を見透かすみたいに、真っ直ぐな視線が上向いてきて、胸の中でどくんっと!心臓が跳ね上がる。そんなに澄み切った眼差しで見ないで欲しい。こっそり隠し持っている欲望を、モロ出しにさせないで…。
そう祈りながら視線を外し掛けたその時、掠めるように唇へと何かが触れた。
「…っ!?」
「…っ!!」
だ…っ!と凄まじいダッシュを見せて駆け出したユーリを、コンラートが逃がすはずがない。
「ごめん…っ!今の…出来心だから…っ!!」
「許しません」
「…っ!ごめ……」
泣き出しそうなユーリを荒々しくお姫様抱っこすると、コンラートは疾風のように駆けて人目に付かない薄暗がりへと連れ込んでいく。
そして…有無を言わさず焦がれ続けた唇に自分のそれを押し当て、吐息まで貪り尽くすような勢いで舌を絡めていく。
はふる…と、ようよう息をついた頃にはすっかりユーリの胸は上下し、眦は薄紅色に染まっていた。
「許しませんよ、俺の我慢を決壊させておいて、今更無かったことにするなんて」
「コンラッド…?」
「愛しています…愛していますユーリっ!どうか、俺だけのものになってください…っ!!」
事ここに至って、鈍いこの人に誤了などされては敵わない。コンラートはあらんかぎりの青臭さを発揮して、どストレートな愛の文句を叩きつけた。
一年で最も寒いこの季節の中、ここだけがまるで真夏のような灼熱に包まれているようだ。全身がぽっぽこと熱を持って、コートなど着こんでいるのが邪魔になる。(←今すぐストリーキングしたいとかいうわけではない)
「俺…も、好き…。ずっと…好き。でも……あんた、大人だし…俺のこと、子どもだと思って相手にしてくれたりしないって…思ってて……」
掠れる声で呟き続けるユーリに、鼻の頭を擦りつけていって切なく請うた。
「もっと言ってください。俺を好きだと」
「………すき…」
消え入りそうな声で囁くユーリに、もう一度口づけていった。
肉まんの味など消え失せてしまうくらい、愛の味を確かめながら。
おしまい
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