「蒼いきりん」40万打記念作品として、仔上 圭様の了承を得て掲載させて頂きました。
一部18禁の部分がありますので苦手な方はご注意下さい。
ですが、苦手な方もその前後の素晴らしい文章を読み逃す手はないと思いますので、
上手にそのエリアだけ抜かすか何かしてお読み下さい。

当然…狸山はそのシーンも熟読させて頂いているわけですが…。




もう恋なんてしない









眞魔国も秋の気配が濃厚になってきた。



自然豊かな王都も広葉樹が色づき、北の山脈から吹き降りてくる風は冬の支度を急がせるように冷たい。



例年緩やかに移行する季節の変わり目は、今年は随分と足が速いようだ。



自然の猛威に対して人智のみでしか対処する術がないこの世界では、気候の急激な変動に多少なりとも災害が起こる。



早すぎる冬の到来に備えて血盟城から各地へ伝令が飛び、対策として見識者や兵士らが王都のみならず各貴族が治める領土へも早々と派遣されていった。







――当代魔王陛下は稀にみる名君で、民の下々に至るまで真心を尽くしてくれる。







そんな面映い噂をある者は信じ、ある者は半信半疑で見守っていたが、城の中枢にいる重鎮たちにとっては格別に憂慮すべき事態であった。







――第27代魔王渋谷有利陛下は、なんびとに対しても甘すぎる。







特に執政官のトップであるフォンヴォルテール卿などは眉間の皺を更に深くして諌めるが、当の魔王陛下は国民あっての国であり王である、という持論を曲げずに、日々慣れぬ王様業を民草の安寧の為に頑張っている。



それがまた傍に控える王佐の感動を一々煽り、執務室は様々な熱気で溢れかえっていた。











そんなある日、続々と届く各地の様子に我慢が出来なくなった王様は「自分もこの目で見てみたい」と主張し、着々と準備して、咎める側近らを出し抜いた形で血盟城を出奔した。専属護衛一人を引き連れて。



所謂、恒例となった「お忍び旅行」であり、こうなったら城の者達も若干名のみが承知してあとは国王不在の件に関して緘口令を引く。







高貴な黒い髪と瞳を変装し類い稀な美貌(あくまでも眞魔国基準)を隠して市井を訪ね歩くのは、庶民階級出身である彼なりの政治の基礎であった。



荘厳な城の執務室で国政の是非を唱えるには、実際に国の状態を見据えるのが先決である。



その崇高なる理念は歴代の魔王の中で秀逸であるが、その実、お忍び好きでなんでも自分の首を突っ込まないと気が済まない好奇心旺盛なお子様の理論が混じっていることが執政の頭を悩ませる理由の一つだった。



その証拠に、今回の視察も「各地の皆さんの冬支度をこの目で確かめる」が名目であったが、まだ本格的な冬の到来は遠く、災害への備えも杞憂に終われば幸いという程度である。







主不在の血盟城だが有能な重鎮達の層は厚く、数日ならば政治も機能する。



それを見越して突発的に失踪する陛下に幾許かの微笑ましさを以っているとは口が裂けても言わない彼らなので、恐らく帰城した後のカミナリは壮絶だろう。











そんな情景を思い浮かべながら、ただ一人同行を許された専属護衛であるコンラートは、先を進む馬上の主の背を見守った。



まだ幼いともいえる年齢のかの王は、その小さな肩に国という大きな荷物を背負っている。



だが重圧に押し潰されやしないかという心配を余所に、彼はしっかりと日々成長していく。



早くも名君と讃えられながらも気負いのない性格は天性の賜物だろうと思い、心配性の兄や過保護の王佐を慮った。



彼らは認めたくないだろうが、王に甘すぎる。傍に仕える自分よりも。



一度彼に従って旅でもしてみれば、いかに彼が「王」であるかわかるのに。・・・・グウェンダルは既に知っているだろうけれども。



お忍びにおける数々の武勇伝を思い出し、コンラートは微笑んだ。







――いや、そんな特等席、頼まれても誰が譲るものか。







そして即座に却下する。陛下に対する忠誠心は誰にも負けないと自負しているし、独占欲はそれを上回るのを自覚しているコンラートだった。







「なに笑ってんだよ、コンラッド」



背後の緩い気配に気付いたのか、ユーリが振り返った。



何か面白いものでもあった?と周囲に視線を巡らして期待する主には悪いが「あなたが面白くて」とは勿論言えずに、



「いいえ別に。そろそろ陛下のお腹の虫が目を覚ます頃なんじゃないかなと思って」



と笑ってお茶を濁した丁度その時に、午砲が鳴った。



「あ!もう昼メシの時間じゃん!コンラッド、どっか店入ろうぜ!ここらへんの名物って何だろう?」



キラキラと目を輝かせて街並みを伺う有利は、髪や瞳をありきたりの色で染めていても尚、人の目を引くほどの美少年だった。案の定、通行人の誰もが彼の声と姿に魅入られたように足を止める。



「・・・・・・名物の店なら知ってますよ。陛下が御所望だろうと思ってリサーチしておきましたから。あんまりきょろきょろしないでくださいね」



目立ってしょうがない、と笑って諌めれば、



「そんなら『陛下』って言うのやめろよなコンラッド。名付け親だろ?」



可愛い唇にしぃっと指を当てる彼が愛しい。



名前を呼んでほしいと言わせたくて繰り返すのだと、いつか白状してみたい気もするが、この困ったような可愛い顔を見せてもらえるならばとやめられないのである。







どうしようもなくこの方に溺れている。



名を呼ぶだけで心が満たされる幸福を、知らずにいた頃には戻れない。



彼に出会う前、自分はいったいどういう風に生きていたのだろう。











などと惚けた考えを一瞬で引き締め、コンラートは愛馬の手綱を締めた。



いくら変装したとはいえ、王である彼がいつ危険に晒されるかわからない。



特に人込みに混じる際は要注意である。この国では美形であれば男女関わらず面倒に巻き込まれることが多いのだ。



「着きましたよユーリ。店に入ってもフードは被ったままでいてくださいね」



注意しながら馬を店の軒先に繋ぎ、ユーリの肩を庇うように抱いて店の扉を開いた。











この北に近い土地で特に佳味と称される名物料理をウリにしているその店はとても繁盛しているらしく、店内は活気に溢れていた。



家族連れの賑やかな面々や昼から豪快に酒を酌み交わす労働者達が雑多に屯するその店の中でも、比較的落ち着ける席を探そうとコンラートは見回した。



その時、思いがけず、知己の顔を見たような気がしたが、コンラートは敢えて視線を逸らせた。



そして面倒に巻き込まれぬよう主を庇い奥の席へ向かおうとしたものの、その姑息な手段は自分同様相手も誤魔化し切れなかったらしい。











「よう!」



その男は逞しい腕を片方挙げて、気安い調子で声をかけてきた。



「・・・・あれっ!?」



ユーリが気付き、ばさっとフードを取り払う。そして露になった美貌に満面の笑みを浮かべた。



「アーダルベルト!?」



ファーストネームで呼ばれたその男もまた、周囲を惹きつけるようなニヒルな笑みで鷹揚に応えた。



「これはこれは。珍しい所で珍しい顔に会えたな。ちょうどいい、ここに座れや」



ココ、と示された彼の座るテーブルに、ユーリが嬉々として席につく。



護衛であるコンラートも、やれやれという風情で同じ席に腰を下ろした。







「久しぶりだよなぁ。あんたに会えるなんて嬉しいよアーダルベルト!元気だった?眞魔国に用事があるのか?うっわー相変わらずいい筋肉してるよな」



「そう一度に言われても何から答えていいかわからんぞ。変わらねぇな、おまえ」



一国の王の頭をまるで犬っころみたいに掻き回すアーダルベルトに、一瞬コンラートの視線が険しくなるものの、当のユーリが笑いながら興じるので不本意ながら口を挟めない。



「・・・・・・・ほんと、相変わらずだなぁおまえら」



どこまでわかっているのか、アーダルベルトは呆れたように肩を竦めて手を離した。



「元気だったか?」



「うん。あんたは?」



「俺も相変わらずさ」



野太い声は彼の現在の暮らしを示しているようで、張りがあって深みを増していた。







かつて眞魔国十貴族である家の嫡男であったフォングランツ卿アーダルベルトは、20数年前の人間国との大戦を経て思う処があり、国を出奔した。



並外れた体躯と剣士としての腕、そして生粋の魔族の特徴を如実に体現したように美丈夫な彼は、眞魔国の全てを厭い、人間に組するようになった。



コンラートはその経緯と本意を理解できない訳でも無かったが、ユーリに害するならば排除を厭わない。



眞魔国を憎悪する延長線上で新国王のユーリに対しても害意を剥き出しにしていた彼は、ある時を境に考えが変わった。



紆余曲折を経て魔族への葛藤を克服し、現在では世界平和への夢を描くユーリに少なからず理解を示す貴重な存在になっていた。



とはいえ、帰郷する気もなく風来坊のように各国を流離う無頼剣士の様相だが。











「こっちに戻ってきてるなら声をかけてくれればいいのに」



あれ以来だよな、とユーリが声を潜めて囁いた。



「まぁ俺は俺で忙しいからな。おまえに一々報告する義務はないだろう?」



バツの悪そうな顔で答えるのは、ついこの年若い王に入れ込んで、捨てたはずの国を救う手伝いをしたのを恥かしがっているからか。



あれ、とはこの場では勿論大声で語ることの出来ない「創主との戦い」のことである。



四千年の時をかけて再生の機を図ってきた創主と、甘んじて彼らの器になることで創主を永遠に葬る術を選んだ眞王。



彼らの戦いの切り札として選ばれた渋谷有利が全力で世界を守ったその戦いに、アーダルベルトは自らの意思で参戦した。



皆の祈りの中、創主に勝利した有利のお陰で、傷ついた世界は今復興に向けて努力している。







「あの戦いのせいであっちこっちボロがきてるってーのに、今年は冬がくるのが早そうだからなぁ。昔馴染みの奴らが俺を探し出しては頼みごとするんで忙しいんだよ」



「へ?あんた何時の間に便利屋に?」



「便利屋という実務的な作業ではなく、傭兵として呼ばれるんでしょうね」



金髪碧眼の美丈夫が農家の皆さんに依頼されて屋根の修理・・・・とかなり庶民的な発想をしているらしい主に気がついたコンラートは、さりげなく修正を入れた。



「傭兵?」



「昔から冬になると食料や燃料が不足してくるから賊が集団で各地の集落を襲撃することが多くなるんですよ。今、町や村々は破損箇所の修繕が完璧ではなく、冬に間に合わない。その手薄を狙って横行する奴らを撃退してくれる傭兵が必要になるんです。そういう便利屋なんじゃないかと思うんですが」



「まぁ用心棒みてーなもんだな」



高貴な血が流れる体躯は堂々として変わらないが、心境の変化が彼の表情を柔らかくしていた。



おそらく、旧い知人であるコンラートすら見たこともない穏やかな笑顔。







だが、一国の国王としての自覚、以上にコトの善悪に厳しいユーリにとっては憂慮すべき事態である。



「そんな大変なことがあるんだったらちゃんと俺に言ってくれよ!!山賊だか海賊だか知らないけどそんな危険な奴らが出没するなら給料もらってる兵隊さんが懲らしめなきゃ」



「ユーリ」



「なんだったら俺が話つけるから!アーダルベルト、俺もそこに連れて行ってくれよ」



「ユーリ、落ち着いて」



怒りで興奮状態の主を、コンラートはまぁまぁと宥めてようやく席に腰を下ろした。だが納得がいかないようだ。



「落ち着くも何も、みんなが苦労してるってのにどうして俺に報告がないわけ?コンラッド」



いつも「王の仕事とは」とお小言を繰り返す城の面々を思い出して憤慨する。







「・・・・本当に相変わらず世間知らずなお坊ちゃんだなコンラッド。おまえら、過保護も大概にしておけよ?」



呆れながらも別段気を害した気配を見せず、アーダルベルトが旧知の男をねぎらった。



「行政府に通報が必要な輩ならとっくに村の者がしているさ。俺が関わってるのはそこまでしなくてもカタがつく奴らのことだ」



「どーゆうこと?」



「敵も食いっぱぐれの民だってことだ」



アーダルベルトは大きく溜息をついて、まぁ飲め、と果実酒を差し出した。







「どこの国も中央や商業の街は裕福な者が多い。だが農村や山間部はまだまだ生活が厳しい民が大勢いる。そのことは知っているな?」



「うん・・・・・」



曲がりなりにも民主主義がまかり通る文明国家とは違い、科学もない中世ヨーロッパのようなこの世界は当然ながら貧富の差が激しい。そしてこの世界の階級制度は揺るがないし国民全体がそれを受容している。



貧しい民を救済しようとユーリたちも政策は立ててはいるが、それらが浸透するには長い時が必要だ。



「それでもなんとか食っていこうと頑張るが、災害とかで飢饉があれば一発だな。食い物にあぶれた者はなんとか生き残ろうと他の村や他国に雪崩れ込む。今年は特に酷いな。なんせ創主らが各地で暴れたもんだから家も畑も冬に間に合わない。で、言うなればやむを得ない押し込み強盗だ。奴らにも女房子供がいるだろうからな」



「そんな・・・・」



「勿論、陛下の施政も順調ですが、末端まで行き渡るには時間がかかるんです」



政治とは残念ですが一朝一夕にはいかないものなんですよ、とコンラートは補足した。







「ま、そういうことだ。そういった俄か押し込み強盗の輩は基本的に戦闘能力が低い。俺が率いる軍人あがりの傭兵集団にしてみりゃ子供の喧嘩のようなもんでな。早い話が、押し込んできたらとっ捕まえて、押し込まれた側も合わせて双方の意見を聞いたうえで、解決策を講じる、と。まぁそんな仕事だ」



そういえば、ユーリが初めてこの世界に来た時も、生活の苦しい人間国の農民が国境沿いにある眞魔国の村を襲っていた。



その際彼らを扇動したのは当のこの男だったが・・・・。余程農民の暮らしとかに詳しいらしい。



「・・・・・・・なんとかなるの?」



「そりゃぁ食いっぱぐれは何も対岸の火事じゃねぇからな。いつ自分らも同じように身を落とすかわからない世の中だ。当面の生活で最低限必要な分の援助物資を渡してお引取り願う。どこも苦しいがそこは相身互いってことだなぁ」



「あんたはそこまでみんなの面倒をみてやってるんだ・・・・・」



国を捨てたと豪語するが、人間国だけでなく眞魔国まで足を伸ばして末端の者達に手を差し伸べるアーダルベルトを、ユーリは羨ましく思った。







「あなたにはあなたの仕事があるし、それは十分に皆の暮らしを助けているんですよ?」



コンラートはそう慰めたが、彼が「王のお忍び」を容認する背景にはそういった国の事情を実際に体感して欲しいという意味もあってのことだ。



「俺にもっと出来ることは、ない?」



悄然とする王に、二人の男はこっそりと笑った。素直で柔軟な心を持つ王の治世は今や国どころか他国にまで名声が届いているというのに。







「俺たちの手に負えないような賊らはちゃーんと通報して軍に取り締まってもらってるし。おまえはそういう現実を知っておけばいいのさ」



アーダルベルトは、つい目の前の少年に手を伸ばした。



「それに何でも王様が解決しちまうと、民が苦労してでも頑張ろうとは思わなくなっちまう。それじゃダメだ。自浄作用が効かなくなりゃ何をやってもダメな輩になるからな」



「それは・・・・そうかもしんないけど・・・・・」



野球でも何でも、まずは自分自身が困難を克服しなければ、いくら他人が手を差し伸べても上達しない。







茶色に染めた髪は根元に少しばかり禁忌の色が見えていて、アーダルベルトは無骨な指で優しく撫でた。



「とりあえずおまえに出来ることは国を豊かにすることだ。生活を底上げすることができれば食う為に罪を犯す者は自然といなくなる」



王という者は本来そういうのが仕事なんだろうからな、とアーダルベルトが自嘲するように笑った。



権力者が自身の欲を抑制し民草の為に奔走するなど、どの名君にとっても困難であり永遠のテーマだろう。誰しも自分が可愛い。



特権を放棄してまで他人に奉仕するなど・・・・・・昔、十貴族の嫡男で何不自由なく育ったアーダルベルトも考え及ばなかったことだ。こんな風に諸国を放浪する身にならなければ。



そして彼の愛した者が他人の命にその身を削ってさえも、平和を望んだ意味も。







らしくねぇな、と髪に絡めた指を引こうした時、案の定、昔馴染みの男がぞんざいに指を払った。



「馴れ馴れしいぞ、アーダルベルト」



剣呑な銀の虹彩が煌く瞳に、アーダルベルトは今度こそ豪放に笑った。



「なんだなんだぁ?嫉妬深い男は嫌われるぞって、むかーしご教授くださったのはどこのどいつかなぁ?」



意味深に青い瞳を眇めてコンラートを揶揄すれば、



「それはお前があんまりしつこいんで見るに見かねてだ。だいたい剣術指南役に就いたのは俺の意思じゃないのにお前ときたらやたら絡むし、ありもしない用事をタテに遠方から遠乗りのついでだとか言って押しかけてきたり」



立て板に水のコンラートに、防戦に転じるアーダルベルト。



「そりゃおまえ・・・・・ちゃんと用事があったんだぞ」



「用件なら毎日手紙を寄越しただろう。親愛なる・・・から始まる殊勝な文面に彼女も楽しんでいたな・・・・」



「おまっ・・・!読んだのか!?ひとの手紙をっ!」



「勘違いするな。朗読させられたんだ。惚気に付き合わされたいたいけな青年には苦痛以外の何ものでもなかったぞ」



どのツラさげて「いたいけ」だと反論したかったが敵わず、アーダルベルトは赤く染まった顔を伏せて低く唸った。



綺麗な思い出で飾り立てていたが、本来彼女は開放的で享楽的な面が強かった。



「っくそーっなんっか悔しいぞ」



置いていかれた悔しさと、恥ずかしい男の純情は、彼に再び淡くて切ない気持ちを思い出させた。











「ふーん・・・・・あんたらってやっぱ仲がいいんだ。いいなぁ」



はっと気付くと、盃を片手にユーリがほんわか笑いながら二人を見つめていた。



「いや、あのユーリ、これは・・・」



言い訳しようとして、コンラートは記憶の隅に無理に押し込めていた時代を言葉にしていたことに気がついた。



彼女とアーダルベルトの物語は・・・・・・大戦の終わりと共に忘れようとした。



アーダルベルトにしても彼女と眞魔国の記憶は禁忌となっていた。



まさかこうやって地方の町で出会って懐かしく昔話をするなどと、一体あの頃誰に予想できたことだろう。



時の流れと・・・・・新たなる時代の幕開けに、大戦の爪痕が薄くなって誰もが復興に勤しんでいる。



それは異世界生まれの少年王の影響も多分にあるだろう、と恋人の欲目を引いてもコンラートは切々と感じていた。



アーダルベルトも、何かを感じているのだろうか。



ユーリの魂が誰のものだったかさえ、もはや彼の中でも昇華されているのだろうか。











「俺も、なんか悔しい。あんたら俺が知らないことなんでも知ってんだからな」



ユーリの拗ねたような言い分に、臣下や傭兵が知ること全てを王が把握していたら誰も仕事がなくなる・・・と諌めようとして、コンラートは彼の盃に目を留めた。



「ユーリ?・・・・・・・・何を飲んでいるんですか?」



「なに・・・って、アーダルベルトがくれたジュース・・・・・」



コンラートは瞬時にその盃を奪い取って行儀悪く匂いを嗅いだ。



「・・・・・・・果実酒ですね。それもかなり強い・・・・・・・」



アーダルベルト!と怒りも露に振り向けば、



「そりゃ勧めたのは俺だが飲んだのはこの小僧だぜ?まさかその年になってまだ酒が飲めねぇなんざ・・・・ぉわっ!?」



言いかけてアーダルベルトはのけぞった。



客の多い店内で本気で腰の剣を抜いた昔馴染みよりも、顔を真っ赤にして全開に笑う少年の方が危険だ。



酒のせいで美麗な面が妙な色気を振りまいて、壮絶に周囲の視線を誘っている。



「おいおいおい・・・・カンベンしてくれよ」



言葉以上に困った風のアーダルベルトに「誰のせいだ」と毒づきながら、コンラッドは財布から数枚のコインを出した。



「そういうわけなんで。お暇するよアーダルベルト」



「酒代ならいらねーぜ」



「お前に奢られたと思えば余計酔いが回りそうだからな」



この男のぞんざいな物言いは久しぶりで、そういえば彼女が傍にいたりした時はかなり紳士的な態度で振舞っていたのを思い出した。それはアーダルベルトとて同じだったが。



この少年王の前でも、えー格好しぃなんだろうなぁと思うと、無性にアーダルベルトは可笑しくなった。



どいつもこいつも、恋することをやめられない。







「この小僧にはどうも調子が狂うな」



アーダルベルトはいらんことを喋っちまったと苦笑した。



酒のせいかお節介にも帝王学を論じるなど俺もヤキが回ったかなとぼやく彼は、矜持の高い大貴族の嫡男でもすさんだ放浪者のでもない、誇り高い男の顔をしていた。







「ま、元気でいろや。お前の王様も」



「当たり前だ。まだまだやることがあるからな」



酒を飲んだせいでぐったりとなった主を抱えて、コンラートは席を立った。



この男とは昔から意外なところで再会する。約束も何もなく、また会うことがあるのだろうかと思い当たり、ふとコンラートはかねてから尋ねてみたかったことを口にした。



すると案の定、彼は驚きに青い瞳を見開いた後、



「まぁ・・・・・そうだな、いつか・・・・」



そう曖昧に笑った。



ひと時の邂逅は終わり、また別の道を歩んでいく。



昔そうしていたように軽く挨拶できる関係が修復されたことに、コンラートもアーダルベルトも密かに年若い王に感謝した。























「あ・・・っ・・・・ぅ・・・・・んっ・・・・・」



重厚で遮光性のあるカーテンをひいた薄暗い部屋に、濡れそぼった声が響く。



華美でない程度に洒落た部屋の真ん中、大きな寝台の上で睦み会う二つの影が激しく揺らいでいた。



「・・・ひ・・・・いゃ・・・・・もぅ・・・・・・・コンラ・・・・・」



許して、と幾度も哀願して泣くユーリを容赦なく組み伏せ、背後から貫いたままもうどれくらい時間が経ったことだろう。



嬲りすぎて赤くなった胸の飾りも、放出を待ち望んで涙を振りこぼす雄芯も、コンラートの手管に翻弄されて可哀想なくらいに震えていた。



「ん・・・・ど・・・して・・・・」



こんな酷いことをするのかと涙ながらに尋ねても、相変わらず彼の怒張した欲望は放埓に振舞うばかりで、ユーリは熱い吐息を漏らすだけだった。







「ユー・・・・・リ・・・・・」



幾度も精を放ったせいで潤みきった恋人の内部を更に掻き回し、奥まで自身の証を擦り付ける。



例えば胸や腹や柔らかな大腿の内側に刻みつけた噛み疵のように、ユーリの内部にも痕をつけられればいいのに・・・と狂暴な独占欲が身の内を駆け巡る。



彼の最も感じる部分にいつも触れられたら・・・としつこい程に捏ね回したら、腰砕けになるような大きな嬌声を放ってユーリが身悶えた。







やはりこの宿を選んで正解だった・・・・。



悦楽に歪む意識の中で、コンラートは今宵の宿を質素な宿屋ではなく、中流の商家の者が好むような宿にしてよかったとほくそえむ。



お忍びの際は目立たぬようにわざと安宿を借りていたが、今日に限ってランクを挙げたのは、きっと加減なく恋人を貪ってしまいそうだったから。



無防備に笑顔を見せるユーリは、本人の意思に関係なくその美貌で誰もを魅了する。



強い酒を飲んだせいで頬は上気し、熱に潤む瞳が自分ではなく他人に向けられるのが無性に我慢できなかった。



醜い嫉妬と自覚している。



アーダルベルトの言は尤もで、近くにいすぎる自分には上手く伝えられなかったことがユーリの心に的確に届いたようだった。



素直なユーリは相手の言葉もその心の在り様も全てを受け入れる資質をもっている。



嬉しいと同時に、触れてきた男の指も自然に受け止める優しさが、コンラートには辛い。



凶悪な気分を持て余して最低な恋人に成り下がる自分を止められなかった。







たくさん泣かせても、この宿の壁は厚い。愉悦に喘ぐ可愛い声を他人に聞かせることもない。



そして、料金の高い宿には、贅沢にも風呂が設えてある。



思う存分に恋人と愛を営むことが出来るこの宿を選び、コンラートはまだ陽の高いうちからユーリの肢体を求めたのだった。











瑞々しい色の小さな蕾が可哀想なくらい拡がって己の欲芯を咥え込むのに、たとえようもない興奮を感じる。



誰もが崇め奉る王の、知られざる部分を犯すのは自分ひとりだという身勝手な悦びに目が眩みそうだ。



小刻みに震える小振りな双丘を両手で揉んであげると、ユーリが切なそうに腰を振った。



「なに・・・?どうして欲しい?」



「ん・・・・も・・・・っと・・・・・・」



はしたなく強請るのが恥ずかしいのか、上気した肌をもっと紅く染める。



首を捻るように無理矢理こちらを向いたせいで、瞳に溜まった涙が一筋も二筋も紅い頬を滑り落ちた。



「・・・・・いや・・・・・も・・・・やだ・・・ぁ・・・っ・」



「・・・・・そう?」



根元まで深く突き入れれば、腰を捩って大きすぎる快感に悶えて泣いた。



綺麗に反り返る背骨に沿って濡れた舌を這わすと肌を粟立たせて感じ入った声を漏らす。



愛撫に従順になるよう仕込んだのはコンラートだが、ユーリの脆くて崩れやすい淫蕩な理性を不条理にも責めたくなる。



「動くのがいやならこのままで・・・・・・ずっと繋がっていようか」



ユーリの濡れた鞘に収めた凶器をぐるりと大きく回して泣かせたあと、そのままで背に浮いた汗を舌を舐め取った。



肩甲骨の尖りを口に含み、骨と筋肉の流れを咀嚼するように歯を立てた。



「い・・・・ぃや・・っ・・!やめ・・・ぁ・・・いた・・・・」



ぞくぞくと筋肉が震えるのが見える。痛みを快感に転化する術を自然に身につけたのだろうか。



「痛いならやめるよ?」



わざと焦らせば途方に暮れたような瞳を向ける。最後の理性を突き崩すように内部を抉ってやれば、いとも容易くユーリが蕩けた。



「やめな・・・・で・・・・・して・・・・もっと・・・・突い・・・てぇ・・・・!」



更に膨らんだ欲芯がユーリの内部を甘く圧迫して、それがいいのか快楽を搾り取るように肢体を揺らめかす。



「ユーリ・・・!」



肉で繋がるこの行為で互いが溶け合えばいいのに、とコンラートは願った。



愛している。手放せない。誰にも見せず自分だけのものにしておけたら・・・・。



せめて今だけでも。







「そ・・・・ぁ・・・・・ぃ・・・・い・・・・・ラッ・・・ド・・・お・・・っきいぃ・・・・・・」



もっと、と泣くからもはやコンラートも理性を保てずに、狂ったように恋人を犯し始めた。



「あ・・っ・・・ぁあっ・・・・は・・・・ぁあん!!」



「・・・・く・・・・・っ・・・・−リ・・・・」



最後の頂に上り詰めるのは同時だった。



絶頂に喘ぐ恋人の唇から、望む言葉が迸ったのを至福の思いでコンラートは抱きしめたのだった。























漸く外界は黄昏れてきたらしい。



気持ち程度に開いたカーテンの隙間から差し込む斜陽が、部屋を赤く染めていた。



先程まで獣のように貪った恋人は精根尽きたように失神して眠りについている。



風呂で後始末をしなければと思うのに、泣き濡れて腫れたような瞼が痛々しくて起こすのが躊躇われた。



そして、もう少しだけ余韻に浸りたいと思う。彼を独り占めしているという我侭をもう少しだけ。











コンラートはユーリの裸の胸に光る青い石を見つめた。



あの頃――。



眞魔国を煌びやかに飾る貴族たちと、その眩い光の影で戦争に喘ぐ平民たちと・・・・・。



その狭間に中途半端に置かれた自分を持て余して日々を過ごしていた。



何に執着するでもなく、誰を愛するでもなく、でも何か大切にしたいものを欲しがっていた。



生まれながら世界をその目で見ることが敵わぬ少女もまた、何かを愛し大切にしたいと願っていた。



アーダルベルトは・・・・・・あの男は、強烈な個性で自身を信じ、愛する者をその手で護るという誇りを漲らせていた。



彼の一途な愛はコンラートが理解できるものではなかったが、それでも羨ましいと思った。



無骨な仕草や手紙に綴られた無器用な言葉は決して垢抜けたものではなかったが、不思議と胸に響いたものだ。



聡すぎて一途にはなりきれない、彼女の心にも。







逝く直前、己の特殊な血液の禍根を断ち切る為に「火を放て」と部下に命じた彼女は、きっと最後に彼を思い浮かべただろう。



何もかも・・髪の一筋すら残さず姿を消して、魂の在り処すら教えず、他人に託して。











それでも人は生きていく。



『お前ほど愛に一途じゃないんでね』



そう言い放った頃が遥か遠くに感じられる。







『・・・・・す・・・き・・・コンラッ・・・・ド』



絶頂に押し流されるユーリの唇から漏れた告白に、泣きたいほど胸が震えた。



愛とは、恋とはこういうものか。







愛を知らなかった自分が一途に愛する者を得たように、また彼も再び大切な何かを得ることが出来るだろうか。



螺旋状に積み重なっていく長い生に於いて、その可能性を示唆することは容易い。



だがそれは自分自身で掴み取っていくことだ。



我を見失うほど愛に溺れる自分を見て、アーダルベルトもまた何かを感じただろう。



大切な者を知らぬまま大戦に呑み込まれ絶望に流離ったコンラートが、愛する者を得て再生したように・・・。







「ん・・・・・・・・」



小さく身じろぎしたユーリの額を撫でると、意識もないのに甘えるように擦り寄るのが可愛い。



コンラートは無骨な指でユーリの髪を撫でた先程の男の姿を思い出して、微笑んだ。







――誰か・・・・恋しく思う者はいないのか?







最後に問うと、彼は奇妙な顔をして割れた顎を撫でた。



『・・・・・・んだとぉ?恋、だぁ?んな面倒くせぇこと今更・・・』



豪快に笑うアーダルベルトの目は涼やかな青でどこまでも穏やかだった。



『まぁ・・・・・そうだな、いつか・・・・』







どれほど戦禍の傷痕が深くても、生きていれば誰しも再生を願うものだ。



ユーリの胸を飾る蒼い石を見ても、アーダルベルトの瞳は揺らぐことはない。







もう恋なんてしない、なんて言わないだろう彼自身の復興は、ようやく始まっている。




























−もう恋なんてしない− おわり


 

 

  

 読み応えのある素晴らしい作品をありがとうございました!

 顎のその後の人生や、王として眞魔国を何とかして良い国に…民の生活が少しでも良いものになるようにと心を配るユーリの想いがとてもよく伝わって来ました。
 そして、変わっていくものを愛情と切なさを込めて見守るコンラッドの視点がとてもリアルですね。

 顎はいつかまた良い恋をしそうな気がしますね。
 今度は殺しても死なないような女性と幸せになることを願います(ジュリアもある意味そう言うタイプだった気はしますが…)