「くらやみにあめだま」−2





  
  
 
 有利が病院に運ばれると、血相を変えて(まだ見えないが…)駆けつけてきた勝馬にやっと会えた。
勝馬がニュースの話などを総合して話してくれたところによると、有利が被災した地震は大型のものではあったが街全体が損壊するほどの規模ではなかったらしい。たまたま有利たちが宿泊していたホテルが老朽化していたせいで、特に大きな被災になってしまったようだ。

 だから地域の医療機関はしっかりと保全されていたので、有利は迅速に手当を受けることが出来た。

 だが…同じ場所で被災したにも関わらず、コンラートを探し出すことは出来なかった。《コンラート・ウェラー》という名で問い合わせたが同じ病院内にはその名前のドイツ人はおらず、レスキュー本部の被災者名簿を確認して貰っても何故だか見つけることが出来なかった。

 まるで非常事態に巻き込まれた有利を救う天使だったかのように、コンラートの行方は立ち消えてしまったのである。瓦礫が完全に取りのけられて、不幸にして亡くなった方々の身元が全て判明しても、そこに《コンラート・ウェラー》の名は無かった。

『そんな…!』

 まだ何もお礼をしていないのに。
 不安でしょうがなかったあの時、唯一人視覚を失った有利に手を差し伸べてくれた人だったのに…もう会えないなんて、そんなのは嫌だ。

『何とかして、探し出せないかな?』

 泣きそうになる目元をどうにか引き締めて手がかりを探す有利だったが、何しろ視覚を失っていた有利は彼の顔さえ見ていないのだ。捜索行は難航必至であった。



*  *  * 




『結局…見つからなかったなぁ……』

 高校の入学式を目前にして引き延ばしていた帰国の日切羽詰まってきた頃、目元を封じていた包帯がやっと取れた。視覚が正常に戻ったことはありがたかったが、そもそもこんな怪我をしていなければコンラートの顔を覚えていられたのに…と恨めしく思う。

『あ…でも、目が見えてたらそもそも知り合いになれなかったかも…』

 あれは、異国の地での被災に怯えきっていたせいで見た幻だったのだろうか?

 空港でトランクにもたれ掛かりながらぼぅ…っとしていると、コンラートのことが思い出されて涙が溢れてくる。

『幻なわけないよ…!』

 せめて、あの飴玉の包み紙をとっておけば良かった。そうしたら同じ銘柄の飴を口に含むたびに、あれが幻ではなかったことを確認できたのに…。《残りをあげるよ》と言われたけれど、申し訳なくて返してしまったのだ。

『コンラッド…コンラッド……』

 搭乗手続きをしている勝馬が傍にいないせいもあって、有利はその場にしゃがみ込むとコートの袖口に顔を埋めた。情けないくらいに涙が溢れてきて、嗚咽を堪えることが出来ない。

 そんな有利の肩を、ぽんと叩く者がいた。

「坊や、泣かないで?キャンディーをあげるから」
「坊やじゃな…」

 拗ねたように反論しようとして、ドクン…っと胸が拍動するのを感じた。
 この声は…そして、肩口に寄せられた飴の香りは…。

「……っ!」
「また、会えたね」

 振り返った先には、すらりとした長身の青年が佇んでいた。
 整った顔立ちと左手にはガーゼが張られたり包帯が巻かれたりしており、脚も少し歩きにくそうだけど、声はあの懐かしい…張りのある美声だった。
 琥珀色の優しげな瞳には白銀の星に似た煌めきがあり、にっこりと微笑む薄い唇や通った鼻梁はイメージ通りに整っている。

「ユーリ…無事で、良かった」
「コンラッド…っ!」

 我を忘れて抱きつくが、コンラートは揺らぐことなく受け止めると肩口に顔を埋めて熱い息を吐いた。

「良かった…本当に。君の行方を確かめるまで気が気じゃなかったよ」
「俺だって探したんだよ?どうして見つからなかったんだろう…」
「本当?じゃあ俺の家族のせいだね」

 コンラートは照れくさそうにばりばりと頭を掻いた。
 ダークブラウンの髪は後ろが精悍に刈り上げられているが、前髪は少し長めで…それが瞳を掠めて揺れるのが、何とも綺麗だ。



*  *  * 




 コンラートが意識を取り戻したのは、有利との再会の僅か2日前だった。
 予想以上に激しく頭部を強打していたらしく、血腫が脳実質を圧迫して意識が失われたままだったのである。

 しかも、コンラートの被災を知ったドイツ本国の家族が過剰なくらいに心配して、《神の手を持つ男》を医師として手配すると(無免許医らしいのだが…)、レスキュー本部に伝えることなく独自に治療を施していたのである。

 おかげで後遺症もなく回復することが出来たのだから文句を言う筋合いではないのだが…。仕事上の繋がりがある人々には兄が手配して適切な連絡を入れてくれたが、有利には伝えることが出来なかった。

 だからコンラートは意識を取り戻すなり家族の心配も振り切って、有利がどうなったのかを調べ始めたのである。呆れながらも兄が手伝ってくれたおかげで、程なくして有利は見つかった。
 そして日本に帰国する直前、捕まえることが出来たのである。

「ここで逃がしたら、日本まで行って無事を確かめようと思ってたんだ」
「ゴメン…ううん、本当にありがとう…っ!俺も…会いたくてしょうがなかった…!」
「今泣いていたのも、俺に会えなくて寂しかったから?」
「き…聞かないでよ…っ!」

 恥ずかしさにゴシゴシと目元を袖で擦ろうとするけれど、やんわりと包帯に包まれた手に押し止められ、無事な方の右手にハンカチを寄せられる。

「やっと目が見えるようになったのに、そんなに無茶な扱いをしてはいけないよ?」
「う…うん……」

 そんな遣り取りをしていたら、戻ってきた勝馬が素っ頓狂な声を上げた。

「んん…?コンラッドじゃないか!」
「ショーマ?」
「えー!?そう言えばゆーちゃんを助けてくれた人の名前に聞き覚えがあると思ったけど…ひょっとして、お前さんがゆーちゃんの恩人なのか?」
「え?え?親父…コンラッドと知り合いなの!?」

 吃驚している有利の前で親しげに二人は声を交わすと、コンラートはすぐに勝馬の名刺をケースから取り出すと、住所に代わりがないことを確認したのだった。仕事上の付き合いがある男の息子が有利だったとは…《ショーマ》《ユーリ》と名前でとして覚えていたら、《シブヤ》という苗字がピンと来なかったらしい。

「息子さんに会いに、いつか家に遊びに行ってもいいかな?」 
「ああ、いつでも大歓迎だよ…っ!つか、いつかなんて言わずに今からでも来られないか?ゆーちゃんを助けてくれたんだ。是非お礼がしたいよ…!」
「良いのかい?」

 コンラートとしては有利の次に仕事のことが心配だったのだが、実は普段無骨で言葉少なな兄が半ば強引に長期間の休みを取らせた。意識を失って倒れていたのが余程心配だったらしく、当面は仕事に《戻れない》ように手配してしまったのだ。
 おそらく、完全に治癒したという医師の判定が出るまでは復帰させて貰えないだろう。

 事情を伝えると、勝馬は破顔して喜んだ。

「よっしゃ、そういうことなら暫くうちに住めよ」
「お言葉に甘えるよ」
「マジで!?」

 とんとん拍子に進んでいく話に有利は目を白黒させていたが、勝馬が飛行機のチケットを一端キャンセルしようと離れると、やっと事情が飲み込めてきたのか、じわじわと喜びの波動が表情に滲んでいく。

「ホントに…一緒にいられるんだね?」
「ああ」
「俺…俺、精一杯お礼するから…何でも言ってね?」

 仕立ての良いスプリングコートにしがみついて瞳を輝かせる有利に、思わず口元がにやけてしまう。
 
『他意はないんだよな?でも…変にドキドキしてしまうな』

 日本文化ではこういう感覚を《萌え》というらしいが、それをそのまま口にしてしまうの憚られた。年端もいかない少年におかしな真似をしようと言う訳ではないのだ。
 …多分。

「コンラッドは食事とかおやつとか何が好き?あ、いまお腹空いてない?」

 有利はトランクを広げて気の利いた食べ物を探そうとするが、どうも思うものが見つからなかったらしくしょんぼりと肩を落としてしまう。

「一緒に食べよう?」
「ん…」

 包みを剥いた飴玉をぽんと口に入れられると、懐かしいミルク味が口腔内一杯に広がった。

「これって、この辺でしか買えない飴?」
「いや、日本でも雑貨店なんかで結構手にはいると思うよ」
「そっか…」

 ころころと口の中で飴玉を転がしながら、有利は何か呟いていた。日本で買うつもりなのだろうか?

「気に入った?」
「うん…。この飴舐めたら、あんたがドイツに帰った後も思い出せるかなって…」

 仄かに頬を染めて上目遣いに言われると、むぐむぐと膨らんだほっぺにキスしたくなってしまうではないか。この子は…何時もこの調子なのだろうか?だとしたら、重々言い聞かせておかないと心配だ。悪い男に狙われやしないか…。

「ユーリ…」
「なに?」

 無垢な瞳をキラキラさせている有利相手に、《悪い男に狙われるから、そんな可愛い顔をしてはいけないよ》なんて口にすることは出来なかった。自分がまさに《そんな男の目》で見ていると公言しているも同然だと気付いたからだ。

『まさか…まさか、ね…』

 自分をいなしつつ、コンラートは新たな飴の包装を剥くとまた有利の口元に押しつける。

「はい、あーん」
「コンラッド…改めてされると恥ずかしいんだけど…」
「あれ?《何でも言って》って言わなかった?」
「ぁう…」

 悪戯めかしてそう言えば、有利は頬を染めて口を開く。

 《あーん》は流石に言ってくれなかったけれど、濃桜色をした口腔に飴玉を放り込む作業は何とも気恥ずかしい喜びに満ちている。

『いかん…どうも変な楽しさに目覚めてしまったらしい…』

 気付いたのなら止めればいいようなものだが、《分かっちゃいるけど止められない》のは世界の定石であろう。

 ころころころ…

 コンラートも新しい飴玉を口に入れると、また舌の上にミルク風味が広がっていく。同じように飴玉をころころさせながら、静かに二人は寄り添った。

 どうしてだか…コンラートは意識するごとに有利との距離を詰めていき、肌が触れるすれすれのところで仄かな輻射熱を感じるのだった。



*  *  * 




『どうしよう…嬉しい』

 ころころと口の中で同じ味わいの飴を楽しみながら、有利は気づかれないようにそっとコンラートとの距離を詰めていく。時折、何気ない動きで掠める肌からは、有利より少し低い体温が感じられた。

 もしかして夢だったのではないかと思えるほど手がかりの無かった人が、今こうして傍にいる。しかも、当分のあいだ日本で…有利の家にいるというのだ!

『ああ〜…どこを案内しようか?プロ野球も開幕するから、球場に…いや、コンラッドの趣味もちゃんと確認しないと、押しつけになっちゃダメだよな?何処に行こう…何しよう?』

 どきどき
 わくわく…

 胸を弾ませる期待感に瞼を伏せると、幸せすぎて何だか逆に不安になってしまう。こんな風に瞼を閉じて、近くにいるのに触れていなかったら、また彼が行方知れずになってしまうのではないかと思ったのだ。

 だから…変に思われるのを覚悟の上で、激しく拍動する鼓動を押さえつけて、微かに震える手でコンラートの手を握った。
 ぴくん…と手は一瞬だけ動いたけれど、どけたりはしなかった。

「あの…ちょっとだけ、握ってても良い?」
「どうしたの?」
「えと…その……は、恥ずかしいんだけど…あんたがまたどっか行っちゃいそうな気がして…」

 《安心するまで、ちょっとこうしてても良い?》と聞いたら、コンラートは口元を包帯に包まれた手で覆い隠して瞼を伏せた。眦が紅に染まっているから、相当恥ずかしいのだろう。

『うぅ〜…俺がお礼しなきゃいけないのに、してもらってばっかなのはやっぱり拙いかな?』

 申し訳なさにおずおずと手を引っ込めようとしたら、引き留めるようにして大きな手に捕まれた。

「コンラッド…」
「お願い…こうしていて?俺も…君がこうして傍にいてくれることを、肌で実感したい…」
「うん…」

 同じ思いでいてくれた。
 それが、恥ずかしさを越えた悦びとなって有利を浸すから…振り払うことなどとても出来なくて、そっと手を握りかえしてしまった。

 ぎゅう…っと握った手は少し冷たくて、温もりを分けるようにぎゅ…ぎゅっと何度も力を加えた。

「暖かい…」
「こ…子どもだからとかじゃないよ?基礎代謝が良いって事だよ?」
「うん…良いことだね」

 にっこりと微笑むコンラートの温もりを感じながら、有利は染み渡るような幸せに包まれるのであった。




おしまい




あとがき


 おお…珍しくも子ども話以外では「でこちゅー」がMAXという控えめなお話しになりました。緊急事態に初対面では、なかなか恋愛までは至りませんね。

 7777777打のリクエストとして頂いた内容自体は「暗いところで待ち合わせ」というお話のパロディで、とっても良いお話なのですが私の中でコンユ変換が上手くいかずに一度は断ったものの、「目が見えないユーリがコンラッドに手取り足取り腰取り…」という妄想に駆られたため、その一点だけを採択してホワイトデー話にしてみました。

 日本に来てからのお話もちょっと気になりますが、この手の話は出会いまでは様々でも恋愛成就まではわりと同じ経路を辿るので、改めて書かなくても良いか…?と、「恋愛に至りそうな感じ」を匂わせるだけで終わっておきます。

 別段キリ番踏まなくとも、実は年がら年中リクエストを受け付けているサイトですので、何か面白いネタがありましたら、皆様お気軽に声を掛けて下さい。