「ゆーちゃんの剣道着」








「見てみて!コン、かっこいい?」
 
 5歳の渋谷有利はお母さんに着せて貰った剣道着を、晴れがましい思いできつねのお人形に自慢しました。

 このお人形は唯のお人形ではありませんよ?時々お話したり、自分で動いたり出来るのです。ただ、二人きりの時にしかお話ししてくれませんけどね。
 いまも、お兄ちゃんが学校に行っててお父さんが仕事に行っててお母さんがお友達と電話している間に、子ども部屋で話し掛けているのです。

 コンはつぶらなボタンの瞳を輝かせて、ぱくぱくとお口を動かしました。

「やぁ…とても素敵な衣装ですね」

 ほぅら、何て素敵な声で囁くのでしょう!
 とてもほのぼのとしたきつね顔から流れ出るとは思えないほどの美声です。

 有利はこの声を聞くと、いつも《くふふ…》っと笑いたくなります。
 ギャップがおかしいからではありませんよ?嬉しくて嬉しくて、弾むような気持ちを隠せなくなるのです。
 
 ちっちゃな両手を口元に当てて《うふうふ》と笑っていると、心なしかコンの瞳もやわらかく光るようです。ええ、ボタンでできているんですけどね。とっても不思議。

「あのね、むかししょーちゃんがきてたんだって!これで、ほら…このケンをつかうんだよ?」

 そういうと、有利は誇らしげに竹刀を持ちました。
 少しだけ持ち方も教わりましたから、コンに自慢したくてしょうがないのです。

「いくよぉ〜……めーん……っ!!」

 元気いっぱいに竹刀を振りかざし、ぴょうんぴょうんと跳ねながら突撃していきます。本当はスッ…スッ…っと摺り足で淀みなく動くべきなのでしょうが、まだ足捌きは覚えていないので仕方ありません。
 それに、元気いっぱいに跳ねるお豆さんみたいで、それはそれは可愛らしいのです。

 ぴょんぴょん跳ねるたびにさらさらの黒髪もふわっふわっと跳ね、そらまめさんみたいなおでこが淡く汗を纏ってひかります。

 きりりと着込んだ刺子地の上衣も愛らしいですし、きゅっと締めた帯から下の、閃く袴の裾も素敵です。ちっちゃなあんよがぽんぽん跳ねる様子も、子細に見て取れます。

 ぺちっ!

 軽い音を立てて、有利は窓枠を叩きました。

「やあ、とても格好良いですね」
「えへへぇ…コンもやってみて?」
「おや、俺もやって良いのですか?」
 
 コンは少しだけ戸惑うようでしたが、有利から竹刀を受け取ると、ス…っと、妙に堂に入った動きで構えます。

「では…行きますよ?」

 親指とグーという大変単純なドラ○もん手ですのに、随分と器用に竹刀を持つものです。しかもぽんやりとした牧歌的な縫いぐるみのくせして、一分の隙もないのです。きっと、道場の先生が見たら色んな意味で吃驚したでしょうね。

 何しろ…このコンの正体が《剣聖》と呼ばれる男だなんて、この時は有利だって知りませんからね。

 《は…っ!》…鋭い掛け声と共に、凄まじい速度で摺り足が出ます。滑るような…それでいて、実に確実な足取りに有利は身を見開いて見惚れます。

 パァン…っ!

 炸裂するような音を立てて、竹刀が窓枠を叩きます。

「ゆーちゃん!?」

 ぱたくたと音がしてお母さんが子ども部屋に走ってきます。
 有利が吃驚していると、コンはお母さんが部屋に入ってくると同時にコロンと横になってしまいました。
 
 《コン…ずるい……》とは思いますが、《ユーリ以外の人に見られると、もうお話しできなくなるんです。人形供養に出されてしまいますから…》と言われているので仕方ありません。ここは、男らしく大きな音を出した罪を被りましょう。

「ゆーちゃん、今の竹刀の音はゆーちゃんが出したの!?」

 お母さんは凄い剣幕です。
 怒っているようではありませんが、酷く驚いているようです。

「う…うん、おれなの。ごめんなさい…」
「んまぁ〜あ!謝る事なんて無いのよ、ゆーちゃんっ!あなた、絶対剣道始めるべきよっ!あの音…ハマのジェニファーはお見通しよ!?素晴らしい才能を感じたわっ!」
「…………え?」
「さあゆーちゃん、今すぐ道場に行きましょう!しょーちゃんはすぐ飽きて止めちゃったけど、ゆーちゃんは必ず極めて大剣豪になるのよっ!」
「えーっっ!?」

 そんな予定はありません。
 有利は大きくなったら野球をする人になりたいのです。


 結局、有利はお母さんに野望を断念させるのために結構な労力を払うことになったのでした。




 * 何と言うことはない話なのですが…。娘が剣道を始めたところ、一緒に習ってる小一の男の子があんまり可愛かったので、思わずちびっこゆーたんで妄想してしまいました。あ〜…男の子も欲しかったなあ…。 *