「愛しのコンラート様」⑥ 「へ…陛下…お慈悲を!」 媚びるような…惨めたらしい顔をして大の男が這い蹲り、赦しを請う姿は極めて不愉快なものであった。 「フォンシュピッツヴェーグ卿シュトッフェル…あんたが俺を撲とうとしたことは、不敬罪とか何とか言うより、人…ううん、魔 族として恥ずべき事だと思う。あんたには相手が誰であれ、問答無用で撲ったりする権利はないよ。罪を与えようとは思わない… けど、今ここであんたの顔を見続けんのはヤダ。取りあえず、ここから出てってくれ」 有利の手は鋭く宙を裂き、伸ばされた人差し指がびしりと扉を指し示す。 シュトッフェルは侍従に両脇から抱えられるようにして退室するほかなかった。 鼻白んだような嫌な空気を断ち切るように、パンパンっと有利が手を叩く。 「ツェリ様へのお願いはこれでおしまい。あとは…叶えてくれるかどうかはそれぞれで決めてくれたらいいと思うんだけど、みんな…俺のお願い、聞いてくれる?」 《うりゅ》…っと仔兎のようにつぶらな瞳で見上げる先には、三兄弟の姿があった。 本気を出した有利のおねだりに抵抗できるわけがない…と、三兄弟の方では知っているのだが、有利の方は確信がないので一生懸命に瞳をうるうるさせる。 「あの…ね?ここにいる人たちと、ダンスをして欲しいんだ!」 おおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ…………っ!! 魔王陛下の素敵なアイデアに、人々の歓声が大広間に木霊する。 ちょっと野太い感じがするのは、先程まで展開された舞踏だか武道だかよく分からない戦いの余韻だろうか? 「……何?」 「…え?」 「何だと……?」 三人はひくりと頬を引きつらせて、瞬間的に大広間の顔ぶれを確認し…そして、《ほぉ~う…》…と、安堵の吐息を漏らしたのだった。 そう…彼らは、最も忌避していた連中がそこにいるのではないかと怖れていたのだ。 しかし、幸いにもその姿は見受けられず、重傷者としてどこかに緊急搬送されたらしいことが伺えた。 それなら、拒む理由など何一つない。 「いい…かな?ね…お願い!」 両手を胸の前で組み合わせて、やや唇を尖らせて瞳を潤ませる有利に、三兄弟は鼻の下を押さえながら快諾した。 「うむ…たまには、昔のように夜通し踊るというのも良いかも知れないな…」 「そうですね、兄上。ここのところ舞踏会といえば、ユーリのことが心配で踊ったり出来ませんでしたからね。ユーリに、僕の華麗な舞を見せてやるのも悪くはない…」 グウェンダルとヴォルフラムが頷きながら同意すると、コンラートはそっと有利の耳元に身を傾けて…小声で囁きかけた。 『後で…俺と踊ってくれますか?』 途端にぽぅ…っと有利の頬に赤みが差し、はにかむような笑みが顔中に広がった。 「うん…っ!でも、最初はあの紅い人と踊ってあげて?俺…あの人の熱意に凄く感動したもん」 「えぇ~と…確かに、凄い熱意…でしたね」 スメタナ卿のように忌避するわけではないのだが…コンラート的にはちょっと複雑な心境である。 《気の強い女性が好み》と公言して憚らない有利が瞳をきらきらさせている様子から見るに、どうもあの紅い女性…ラダガスト卿マリアナに惚れ込んでしまいそうな不安があるからだ。 もしくは、《あの人の恋を応援するよ!》などと言い出さないかどうか…色々と心配だ。 『うーん…まあ、恋というよりは憧れに近いものだと思いたいんだけどな…』 確かに、憧憬の対象としてはコンラートとて惚れ込んでしまいそうだ。 今思えば、スザナ・ジュリアに対しての思いが丁度そんな感じだったように思う。 確か…ジュリアも異国の地にアーダルベルトと旅をしている際に、その国の民を苦しめていた人喰い鰐を拳闘で倒し、地元民に《爆裂拳のジュリア》と崇められていたはずだ。 『地元の人たちがね、私の戦いぶりの記念にって…彫刻をしてくれたのよ』 可憐に微笑んでいたジュリアの手には…人の5倍はあろうかという巨大な鰐を、両手で掴み上げる女性の彫刻があった。 後日お土産として貰ったその彫刻を眺めては、その時のことを思い出し…《熊を持ち上げる金太郎ってこんな感じだったかな…》と、その逞しさに感じ入ったりしていた。 『ああ…懐かしいな…』 コンラートの瞳がジュリアを思い出すと、一層やわらかな色彩を帯びる。 彼女はコンラートにとって…《気は優しくて力持ち。明るい笑顔が今日も行く》を体現する、真の英雄だったのだ。 ラダガスト卿マリアナもそういう目で見ると、親しくお喋りしてみたいような気がする。 いっそ天晴れな戦いぶりに喝采を送る気持ちはあるし、なんと言ってもあのスメタナ卿を撃破してくれたことは大きな感謝で報いるべきだろう。 コンラートは心の折り合いをつけると、最初の曲をマリアナに申し込むべく歩を進めた。 * * * 「コンラート様…!」 「ラダガスト卿マリアナ…俺と踊っていただけますか?」 純白の礼装に身を包んだウェラー卿コンラートに、マリアナは両手で口元を覆い…歓喜のあまり切れ長の瞳を潤ませた。 夢にまで見た青年が、彼女の前で優雅に手を差し伸べているのだ。 「ええ…ええ、喜んで!」 虹色の雲の上を舞うような心地で、マリアナはうっとりとコンラートの腕を取ると特訓の成果を見せた。 完璧なその踊りは、天下一舞踏会で優勝した経歴のあるコンラートでさえ、喝采を送りたくなるような腕であった。 「素晴らしい踊りでした。また…機会があれば踊っていただけますか?」 「ええ…勿論ですわっ!私…コンラート様と踊っていただくためでしたら、鉄下駄を履いて伝説のチョチョリーナ地獄坂で1000回の兎跳びにも挑戦しますわ!」 伝説のチョチョリーナ地獄坂とはフォンカーベルニコフ領の観光名所であり、眞王を祀るための社へと繋がる恐怖の階段だ。天気によっては霞で頂点が見えないという長大な坂は、格闘家にとっては修行に箔をつける絶好の場所ともなっている。 ちなみに…普通、舞踏家は目指さない。 「ええと…ラダガスト卿マリアナ、兎跳びは脛骨下部の疲労骨折や骨膜炎を引き起こすので、あまり続けて沢山しない方が良いで すよ?平衡覚を鍛えるためには良いようなので、十回くらい平地でするのがよろしいかと…あと、鉄下駄も足弓アーチを痛める可能性があるので避けた方が良いですよ?」 「まぁ…コンラート様は博識でらっしゃるのね!分かりましたわ…私の心意気をお見せするためにはチョチョリーナ地獄坂が最適かと思ってましたけど…コンラート様が私をそこまで心配してくださるのでしたら、モンゴレ渓谷の綱渡りくらいにしておきます」 モンゴレ渓谷の綱渡りとは、武闘家にとっては………以下略。 マリアナの一生懸命さがどういう方向性を辿るのか、大体分かってきたコンラートであった。 「………お、落ちないように気をつけてくださいね?」 「大丈夫ですわ。落ちたら落ちたで岩の出っ張りを蹴りつけながら減速していきますから」 忍者かい。 「はい……いや…はは。あなたは素晴らしい舞踏家ですね。こうして踊れたことを光栄に思います」 引きつりそうな笑顔を何とか調整し、コンラートは礼儀正しく腕を胸の前に掲げ、腰を折ってお辞儀をした。 「まぁ…素晴らしいだなんて、お恥ずかしいわっ!」 《きゃっ!》…っと彼女にしては珍しく少女めいた仕草ではにかんだ瞬間、紅いドレスは鮮やかな弧を描き…裾の回転が音速を超えると、自動的に《冥王颯破斬》が繰り出された…。 * * * 時を少し戻そう。 有利の提案により大広間で正常(…)な舞踏会が始まると、簡易テントの中で治療を受けていた舞踏大会参加者がぴくりと蠢いた。 「あれ…は?」 「あちらでは魔王陛下の発案で、三兄弟の皆様とともに舞踏会が開かれているようですわ。このお怪我がなければ皆さんも参加できたのに…残念でしたねぇ」 治癒の力を持つ湖畔族の女性は自分も参加できないのが残念らしく、そわそわとお尻を浮かせながら大広間のある棟の方を眺めていた。 「ぶ…舞踏会……っ!」 《一日優待券》が取得できないのなら、せめて一度で良いから愛しい方と踊りたい…その意欲によって骨折した手足を動かし始めた男女が居た。 ロートレール卿、コルマーレ卿…そして、最も重傷を負っているスメタナ卿だ。 「ああ…皆さん!まだ動いてはいけませんっ!傷が開きますわっ!!」 「どけぇぇえ…っ!」 転がるようにして湖畔族の女性を押しのけると、三人は激痛に耐えながら大広間へとひた走った。 脳裏には、痛みを打ち消すような妄想が広がる。 『ああ…愛しいあたくしの天使…ヴォルフラム様!どさくさに紛れてあの美しい金髪を一房切り取りたい!』 『おお…愛しい俺の精霊…グウェンダル様!どさくさに紛れてあの太く逞しい首筋を嘗めあげたい!』 『うう…愛しい私の美獣…コンラート様!どさくさに紛れてあの薄く形良い唇を奪いたい!』 三者三様の危険な妄想を繰り広げながら辿り着いた大広間で、三人が狙いを定めた対象者へと突進しかけたその時… ……頭上から、斜めに切断された巨大なシュトッフェル像が倒れてきた。 そう…コンラートの賞賛の言葉にはにかんだマリアナが、うっかり繰り出してしまった《冥王颯破斬》によって、大広間に置かれた悪趣味な巨大彫刻…シュトッフェル像が腰の辺りで斜めに切断され、三人の上に丁度落ちかかってきたのである!(袈裟懸けにされたのが人じゃなくて良かったねっ!) ゴォォオオオオオンンン……っ! 大音響をあげて、シュトッフェル像は三人を壁と像との隙間に追い込んでしまった。填め込んだようにぴったりと押しつけられた三人は大広間側からは見えず、口も開けないので助けを呼ぶこと出来ない。 『たたた…助けてくれーっ!!』 『コンラッド様ーっっ!!』 「あ…ら?」 「おやおや、ははは…罅でも入っていたんですかね?」 「危ないなぁ…人で居たら大変だったよね!」 今日の武闘大会で派手な建物倒壊には慣れっこになってしまったらしい人々は、はははっ!と笑い合いながらダンスに戻っていった。 * * * 「コンラート様…ひとつ、お聞きしてもよろしいかしら?」 「なんです?」 「あの…コンラート様は、魔王陛下のことをどう思ってらっしゃるのですか?」 マリアナの切なげな眼差しに、コンラートは一瞬息を呑み…そして、深い想いを瞳に込めたのだった。 「大切な…方です。何者にも代え難い…俺の存在や世界などとるに足らないと思うくらい…大切な方です」 「そう…なのですね」 誤魔化すことは憚られた。 まっすぐなこの女性の為にコンラートは真の想いを伝えたし、マリアナもまたその心意気を受けとめた。 それは、まるで拳と拳で分かり合う青春漫画のように爽やかな光景であった。 「それでは…私の進むべき道が定まったように感じます」 「どういった道です?」 「私…コンラート様を愛しております。この想いはきっと生涯変わりませんわ…。ですからこの想いを昇華させるために、私…最強の舞踏家を目指します」 「……………え?」 マリアナは胸を反らすと高らかに告げた。 「このラダガスト卿マリアナ…舞踏の聖地と名高いウィンコット領《虎の経穴(ツボ)》で修行を積み、何時の日か最強の舞踏家となってこの地に舞い戻って参りますわ!コンラート様の思いが他の方にあるとしても、踊っているその時だけは、私の姿に釘付けになって頂けるようにっ!」 「そう…です…か?」 今でも間違いなく、釘付けには出来ていると思う。 あと、《虎の経穴(ツボ)》は舞踏家ではなく、武道家の聖地だ…。 だが、コンラートは敢えて引き留めることはなく、この破天荒なお嬢様を気持ちよく送り出すことにした。 何時の日か帰ってきたときに、磨きのかかった技が見てみたいなー…という純粋な好奇心もあるし。 「マリアナさん、修行の旅に出るの!?」 高らかな声を聞きつけた有利が駆けてくると、マリアナは昂然と胸を張り、優雅に人差し指を撓らせて有利の鼻をちょん…っと突くという、可愛い後輩女生徒にお姉様系の先輩が見せるような動作を見せた。 「魔王陛下…いいえ、今だけは同じ戦場に立った好敵手として会話をさせていただきますわ。私…純粋に舞踏に関しては、あなたに負けたとは思っておりません。ですが、今度こそ完璧な勝利を目指して修行の旅に出ますわ。再戦のその日まで、陛下もどうか技に磨きを掛けてくださいませ!」 「ええと…俺……技、習得しないとダメ?」 おろおろとコンラートとマリアナを見比べていると、コンラートが引きつった笑顔で《しなくて良いです…》と言いたげに手を小刻みに振っている。 だが、マリアナの勢いに負けて有利はついつい頷いてしまった。 「う…うん。それじゃ…一個くらいは必殺技、作っとくね?」 「ほほほほほほほほ…!それでこそ我が生涯の好敵手ですわ!再戦の日まで、壮健なれっ!」 高らかな笑い声を響かせながら、華麗な一陣の風となってマリアナは去っていった…。 * * * 「はぁ…凄い舞踏会だったねぇ…あんたが優勝した天下一舞踏会はもっと凄いの?」 「いえ……こういう感じではなかったですね」 かなり違う。 …というより、根本的に違う。 「ユーリ…今日は、本当にありがとうございました。おかげで、これからは母上の困った要望も減りそうだ」 「えへへ…そうだと良いんだけどな。でもさ…今回のことで、俺…あんたや、グウェン達を好きな人たちに、もっと配慮しなくちゃなんないって思ったよ。やっぱ…宮廷のアイドルを独り占めってのは印象悪いよね?」 もに…っと下唇を噛んで、有利は俯く。 「あのさ…今度は、宴会の時…コンラッドも踊ってきて良いよ?マリアナさんみたいな素敵な人に、また出会えるかも知れないし…」 先程踊っていた二人はとても見事な舞踏を見せていて…有利は正直、嫉妬というよりも引け目のようなものを感じて落ち込んでしまったのだ。 コンラートのような踊りの名手に相応しいのは、マリアナのような女性なのではないかと…。 だが、コンラートは蜂蜜色に蕩けさせた瞳を睫の一本一本が明瞭になるほどの近さに寄せ…甘い声で囁くのだった。 「俺は…あなたに独占して貰いたいんですけどね…。駄目…ですか?」 おねだりするような瞳と声に…有利は首や耳まで真っ赤に染めて声を失ってしまい、そのままコンラートに抱きしめられてしまったのだった…。 おしまい あとがき このシリーズ、書きだしたときには「コンユに絡むと楽しいキャラは誰ですか」というアンケートがまだ40票くらいしか集まってなくて、その時点で「コンラートに片思いのオリキャラ」が一番だったのですが、現在ではヨザックがぶっちぎり1位なので 、暫く待っていたらマリアナ嬢は生まれていなかったかも知れません。かなり気に入ってしまったので、生んどいて良かったですー。 皆さんから暖かい目で見て頂けたこのマリアナ嬢、人気の理由はやはり次男スキーの方が自分に重ねて見られるせいかもしれませんね。 |