〜「螺旋円舞曲」番外編〜 眞魔国第27代魔王渋谷有利陛下には、大切な一人息子のリヒトがいる。 歴とした男性体ながら、諸事情あってお腹を痛めて産んだ子である。残念なことに愛する夫の染色体はこれっぽっちも含まれておらず、殆どクローンのような形態で生まれてしまったのだが、愛しい子どもであるのには違いない。 夫に至っては《ユーリの要素含有率が高い方が、俺自身の要素が濃いより嬉しいです》と、本気顔で宣ったくらいだ。 自分に対する評価が相当に辛くて、ユーリを溺愛している彼のことだから、多分本気なのだろう。 『でもさー、時々心配になるんだよね』 コンラッドはリヒトとユーリを混同するような真似はしないが、やはりリヒトのことはとっても大事にしている。それは良いのだが、大事にするそのやり方が、やはり世間一般の父親に比べると遠慮がちなのだ。 彼の性格から考えれば当たり前と言えばそれまでだが、本当の親子でないコンラッドとリヒトの間に溝が生まれやしないかというのが、目下ユーリにとっては最大の懸念事だった。 * * * 幼い頃には良かった。 だって、《父ちゃん》と《パパ》はそれぞれに綺麗で素敵で格好良くて大好きだったから、両親が《二人とも男》であることが異常だと気付かなかった。二人が何かと言えばうっとりと互いを見つめ合って、《父ちゃん》の方の郷里で見たお笑い芸人のように《イエス、フォーリンラブ》状態に陥っていても、《仲が良いなぁ》と微笑ましく思っていたくらいなものだ。 だが、時間が経過して思春期に差し掛かり、周囲の状況が少し見えてくると、色々と今まで気付かなかったことにも目が行くようになってきた。 「あっ!」 「ユーリ、指を切ったの?」 「大丈夫。かすり傷だよ、舐めときゃ治るって」 ユーリが真新しい雑誌を捲っていたら、ピッと指先を切ってしまったらしい。コンラッドは迷い無くユーリの指を咥内に含み込むと、心配そうに、けれど、とこか幸せそうにも見える顔で舐めている。《よせよー》とは言いつつも、くすぐったそうにしているユーリは強引に指を抜いたりはしない。後でちゃんと消毒もするのだが、夫の咥内に指を含まれた状態も結構気に入っているのだろう。 リヒトも昔は、《かすり傷》の初期治療というのは、こうやって人に舐めてもらうのが正式なのだと思っていた。 『だから失敗したんじゃんかっ!!』 リヒトは《むぅっ》と頬を膨らませて不機嫌そうに眉根を寄せる。つい先日、異世界の想い人レオンハルト卿コンラートのもとに遊びに行ったところ、何かの拍子にグウェンダルが頬を切った。風で書類が舞い上がって、頬を掠めたらしい。その時にやはり彼が《かすり傷だ》と言ったので、リヒトは書類を集めようとしゃがみ込んでいたグウェンダルの横に行くと、ぺろぺろと舐めてあげた。 途端に、《ビシィ…っ!》と空気が凍ったのは気のせいではなかった筈だ。レオンハルト卿コンラートは、彼にしては強張った声と表情で問いかけてきた。 『リヒト、何…してるの?』 『舐めて治してるんだけど…え?え?何か拙かった?』 『いや…』 《パパ》とそっくりな容貌なのに、神経の造りが1000倍くらい繊細に出来ている(多分)レオンハルト卿コンラートは、引きつった笑顔を浮かべていた。どうやらこの治療法は間違っているらしいと感じたリヒトは、あれから二度とこの方法を採用していない。 なのに、間違った治療法を提示した両親は未だにイチャコラとこの方法を踏襲している。はっきり言って、時折イラっと来るのは致し方ないことだと思う。 自分の恋の方が上手く行っていないと、人がめったやたらと仲良くしている姿が鼻につく。そのせいか、リヒトは何時になく刺々しい口調で問いかけた。 「なんかさー、父ちゃんとパパって《年甲斐ない》とか言われない?」 「へ?」 ようやっと咥内から出されたふやけた指に丁寧な治療を施されながら、ユーリは不思議そうに小首を傾げた。そうすると、リヒトより少し長めの髪が優雅に揺れて、さらりと白い首を掠めていく。見た目だけで言えば、人間的にはまだ成人もしていないような若々しさを誇るユーリだし、コンラッドとて青年期を脱したようには見えない。 そうは言っても、前者は20代後半だし、後者に至っては100数十年の寿命を重ねているのだから、もうちょっとこう、慎み深くなるというか、枯れてきても良いのではないだろうか? 少なくとも、年頃の息子が居たたまれない気持ちにならない程度に。 ユーリの方は少し恥ずかしそうに頬を染めて視線をきょろきょろさせ、コンラッドの方は困ったように苦笑している。 「そうだね。ユーリはともかくとして、俺もいい加減120歳だからね。少し大人らしくしていた方が良いかな?」 「そーだよ!所構わず見つめ合うとか、ちっちゃな疵が出来るたんびにおろおろしたり、ぺろぺろ舐めるなんて、新婚1年目くらいなもんだって言うし」 その辺の規準は各夫婦ごとに違うのだろうが、取りあえずこんな大きな子どもが居るのに、未だに新婚ほやほやみたいなのはどうかと思う。 「気を付けるよ」 「…うん」 にっこりと微笑むコンラッドに、ユーリの方は少し不満げな顔になっている。基本的には恥ずかしがり屋な人だから、自分から《いや、俺は遠慮無くイチャコラしたいね!》等とは言えないのだろうが、それでも、自分に対するコンラッドの扱いが変わるのは心配らしい。 『…余計なこと言ったかな?』 明らかに苛立ち任せな八つ当たりだったと思うのだが、コンラッドはちっとも気分を害した風はなくて、それがちょっぴり淋しいなと思う。 『そういえば、俺ってパパの血は全然受け継いでないんだっけ?』 家族とは言っても、ユーリとは殆ど双子の兄弟のような遺伝子関係であるらしく、コンラッドとは全く血縁的な繋がりはない。少しでも彼の要素が入っていれば、憧れのレオンハルト卿コンラートに似ることも出来たのだろうか? 双黒の大賢者にそんな話をしたら、シニカルな笑みを浮かべた彼に《そうなると、君が大好きなレオとは、一種の近親相姦みたいなことになっちゃうよ?》と言われた。リヒトの恋愛事情だけみれば、この血縁関係の方が望ましいらしいが…。 『でもやっぱ、淋しい…かな?』 随分と勝手な感慨だとは分かっていても、自然と眉が下がってしまうリヒトだった。 * * * リヒトのひとことは、コンラッドには結構堪えていた。少なくとも、当分の間はリヒトの前で公然といちゃつくことはなかった。その分、我慢が重なって口寂しいというか、指淋しい感じになってしまい、夜は自然と激しくなってしまったのだけど。 『夜に激しく突き上げるのも良いけど、昼間なにかにつけていちゃつくのも良いんだけどな…』 幾ら名器とはいえど(こう評すると殴られるのだが)、ユーリは決してセックスの為の存在などではないから、普段のスキンシップだって大切だ。 『ぁああ〜…欠伸をしている唇に、チョンっと啄むみたいなキスをしたいな』 とか、 『ぁああ〜…しゃがみ込んだあのお尻を、つるっと一撫でしたいな』 とか色々思うわけだが、何とか鋼鉄の自制心を発揮して我慢した。 そんなじりじりとした時間を過ごしていたある日、離宮は激しい振動に見舞われた。 ドゴォン…っ! 耳を劈くような炸裂音と激しい振動に、《何事か》と問う前に身体が動く。自然な動作でユーリとリヒトを両腕に抱えて地面に伏せる。その際、素早くクッションを引き寄せて二人の頭から首筋に掛けてを包んだ。万が一天井が落ちた場合、瓦礫で頭部と頸椎を傷つけない為だ。 「これは…やはり、アニシナですかね」 一瞬自然災害を疑ったのだが、音のした方向からいけば間違いなく、稀代のマッドサイエンティストがまた何かやらかしたのだろう。 まあ、ある意味《防ぎようが無い》という点にかけては彼女も自然災害に近いが。 離宮でさえこれだけ揺れたのだから、血盟城でアニシナの隣室を宛われているグウェンダルはさぞかしえらいめに合っていることだろう。高い確率で、最初から実験自体に付き合わされている可能性もあるが。 「このまま伏せていてください」 「こ、コンラッドは!?」 「様子を確かめてきます」 「…気を付けてね」 心配そうなユーリの額か頬にキスをしたくなるが、ここは一つぐっと堪えて身を起こす。そんな様子にリヒトが何か言いかけたが、結局モゴモゴして止めてしまった。 慌てて離宮に駆けつけてきた衛兵にユーリとリヒトの保護を頼み、自らは馴れた手筈で防災斑に指示を出すと、万が一の延焼に備える。現在、アニシナの居る一角は重要書類や宝物庫からは隔離されているが、それでも燃えれば色々とややこしい。 「…これは……」 駆けつけてみればやはり、腰に手を当てて不機嫌そうに眉を寄せているアニシナの前に、うねうねと蠢く触手の塊があった。 「あー…アニシナ、これは?」 「見て分かりませんか?」 分からないから聞いているのだが、小馬鹿にしたように口の端を歪める彼女は、予想通りの返事を寄越す。取りあえず、《グウェンを使ってAVでも作ろうとしたのかい?》等と言ったら大剣豪も軽く吹き飛ばすギャラクティカ・マグナムをお見舞いされそうなので、敢えて黙っておいた。勇気の使いどころはここではないはずだ。 「教えて貰えないだろうか?」 「仕方ありませんね」 《これだから男は!》と慨嘆しているが、多分女が見ても分からないだろう。その証拠に、集まった侍女達は口々に悲鳴を上げている。それでも主人を護ろうと、半泣きになりながらも触手を棒でツンツンしている彼女たちは立派な職業意識を持っていた。 「これは、肩こり腰痛に効く《吸いスイずっころばし胡麻ミソずい、茶壺の中からこにゃにゃちわ君3号》ですっ!」 「あー…」 何となく掴めた。 《吸う》と言う単語と、目の前で触手に首筋や肩、腰をちゅーちゅー吸われているグウェンダルが至福の表情を浮かべている様子が繋がる。多分、その辺に破片となって転がっている茶壺の中に入れておいて、凝りが気になったら吸わせるという仕組みだったのだろうが、何かの拍子に爆発して、必要以上の量が溢れてしまったらしい。 「うう…あ、ぁあ…っ!」 あえやかな嬌声(?)に、グウェンダルに対して色んな意味で興味津々な侍女と衛兵達は《ぐびり》と喉を鳴らしているが、ユーリ以外の男には全く興味のないコンラッドにとって、兄の喘ぎ声など、身内だけに耳を塞ぎたくなるくらいに居たたまれない。 『うーん…ユーリといちゃついてる時のリヒトはこんな気分だったのかな』 マニアAVよろしく触手責めされているグウェンダルと一緒にするのはどうかと思うが、少しは反省してみたりもする。 それにしても、凝りと一緒に血で抜かれている節があるのが気がかりだ。痕も残りそうだし。 「グウェン、助けた方が良いですかー?」 「助けろっ!い、いや…もう少し。いや、でも…っ!」 まるで《あ…ぁ、そんなの嫌…》と拒絶に近い言葉に口にしつつ、いざ抜こうとすると《や…っ!抜かないでぇっ!》とあえやかにおねだりするユーリのようだ。 兄相手だとつい、《どちらかにとっとと決めて下さい》と思ってしまうが。 「コンラッド、大丈夫?」 「わーっ!グウェンっ!!」 可憐な響きの二重奏に、コンラッドははっと息を呑む。途端にだらけきっていた態度がシャキンと張りつめ、注意力が千倍以上(当社比)鋭敏になる。 「ユーリ、リヒトっ!来ては駄目ですっ!」 触手に絡みつかれてあんあん言っているグウェンダルに、恐れ知らずの二人が突っ込もうとするから、コンラッドは目にも止まらぬ剣速を見せて触手達を断ち切っていく。ヒュンヒュンと鋭い音だけを残して剣が飛べば、触手達が単なる切片と化して、ぴくぴくしながらしなびていく。しかも、瞬時に触手達の母体を見極めたコンラッドは軽々と跳躍すると、壁の中に入り込んでいたそれへと迷いのない斬撃を決める。 ドグァ…っ! 紫色の飛沫をあげて両断された母体の姿に、アニシナが激高も露わに叫び声を上げた。 「何をするのです、コンラートっ!それは私の大切な実験体…」 「何をするだって?」 怒りを湛えた冷然たる眼差しに、あのアニシナが一瞬とはいえ声を失った。 「それはこちらの台詞だ。フォンカーベルニコフ卿アニシナ」 コンラッドの声は底冷えするような威迫を持って、アニシナに反省を求めている。 「今、何が起きようとしていたか分からない君ではないだろう?」 「…それは……」 これもまた珍しい。気押されたかのようにアニシナは口籠もってしまった。 ただ、やはり肝の据わった彼女のこと、いつまでもその辺の女のように戸惑ったりはしていなかったのだけど。 「確かに、陛下と殿下の身に触手が触れたりしてはいけませんね」 「君が作る物だから、命に支障がないことは分かっている。一定の健康保持には役立つこともね。だが、少しでも痛みを与えたり、感染症を起こす可能性があるものを、我が主と息子に触れさせることは出来ないよ」 この触手は一種のヒルのようなもので、血液循環の悪い場所から一定量の瀉血を行えば、凝りが取れるのだろう。だが、やはり血液を介する分、ウイルス感染などの危険が伴う。それでいったらグウェンダルだって早く助けてあげた方が良いのだが、多分、彼の安全性に関してはアニシナも配慮しているだろう。 「申し訳ありません」 きっぱりと謝るアニシナは、対象物も心得ていた。コンラッドの意図を読み取った上で、恭しくユーリとリヒトに跪いたのである。この辺の潔さは、やはり流石だろう。 「今後、気を付けてくれ。できれば、グウェンに対しても程度を考えとくれると嬉しい」 「前者については善処しましょう」 後者の保証はしないのか。嘘のない彼女に、思わず苦笑してしまう。 そんなコンラッドを、ユーリとリヒトはきらきらと光る瞳で見つめていた。 * * * 『凄い…凄い、凄いっ!』 『毒女アニシナに、謝らせるなんて…っ!!』 飛鳥のように優雅な斬撃で、悠々と触手の母体を切り裂くところまでは予想できたものの、まさかあのアニシナに非を認めさせると思わなかった。リヒトはこれまでにないほどの崇拝を込めて、コンラッドを見つめるのだった。 けれど、とたとたと駆け寄ってきたリヒトとユーリに対して、コンラッドはいつものように柔らかな微笑みを向けることはなかった。初めて目にするような静かな瞳には哀しみというか、怒りのようなものさえ感じられる。 「伏せていて下さいと、お願いしましたよね?」 「あ…」 怒っている。 普段は何を壊しても失敗しても《怪我はないですか?》と心配してくれるコンラッドが、静かな眼差しで怒っている。それは分かったけれど、リヒトだって心配していたのだからそんなに怒ることはないではないか。 「だって心配だったんだもんっ!あんな大きな音がしたのに、じっとしてなんかいられないよっ!」 ぺちっ! 衝撃自体は、そんなに痛みを覚えるほどのものではなかったのだと思う。けれど、コンラッドの大きな掌が頬を弾いた事自体に驚いて、リヒトはぱちくりと目を見開いた。 「そうなのだとしても、あんな時に飛び出してはいけないよ。君やユーリに何かあったら、俺の胸は潰れる」 「パパ…」 コンラッドの琥珀色の瞳から怒りは消えて、代わりに哀しみが残される。《何かあった時》を想像するだけで、コンラッドの胸には言いようのない哀しみが満ちて来るに違いない。 「ゴメンなさい…」 「うん。分かってくれたら良い」 しょぼんと眉を下げてしまうリヒトをすっぽりと胸に抱き込んで、コンラッドはふぅっと息をついた。安心させるような鼓動の音に耳を澄ませながら、リヒトはそっと微笑む。 憧れのレオンハルト卿コンラートに抱きしめられた時みたいにドキドキはしないけれど、やっぱりウェラー卿コンラートは特別な存在なのだ。血の繋がりがなくたって、こうして触れていると何とも言えない慕わしさが募ってくる。 リヒトが落ち着いてくると、そっと肩を押されて身体を離した。すると、今度はユーリが飛び込むようにしてコンラッドの胸に頬を寄せる。すると、もじもじしていたコンラッドは堪らなくなったように額や頬にキスの雨を降らせて、時折こちらに視線を送りながら《ゴメン》と唇の形で謝ってくる。 「もー、良いよ。別に」 呆れたように呟くと、もう遠慮の無くなったコンラッドは嬉しそうに唇同士を重ねてしまう。多少こちらから見えない角度にしてくれたが、溢れ出すピンクのオーラは隠しようがない。 先程、コンラッドが触手にユーリ達を触れさせたくなかった理由が少し分かってきた。アニシナに言っていた理由は勿論だが、それ以上に、コンラッドは自分以外のものをユーリに触れさせたくないのだ。 『でも、良いんだ。ホント』 リヒトはある可能性を感じて、気分を切り替えていた。 * * * 「り…リヒト?」 「なぁに?」 「その治療は、その……」 珍しくもごもごと言いにくそうにしているレオンハルト卿コンラートの指を銜えて、ぺろぺろとリヒトは舐めしゃぶる。書類で傷ついた指を、やはり《舐めて治す》つもりなのだ。勿論、最近コントロール出来るようになってきた魔力も使うけど。 すると、コンラートは困ったように眉根を寄せた。 その皺を伸ばそうとするように額へと唇を寄せたリヒトは、甘く小さな声で囁いた。 「この治療法は、一番好きな人にだけしていいんだって、パパが言ってた。これからはレオにだけするね?」 コンラートが眉間の皺を綻ばしたのは言うまでもない。
かなり以前にリクエスト頂きました、「駄目亭主と連れ添っちゃった女将さん的バカップルとその息子。でも、やっぱりコンラッドは格好良い!と再認識する」というお話でした。 意識していないとかなり駄目駄目な次男に出来るのですが、意識すると結構と難しい…。どういう形で見直させるか悩みましたが、腕が立つのは当然なので、やっぱり「怒るべき時に怒る」かなと。 でも、怒りの原因が「自分以外のものをユーリに触れさせたくない」だとリヒトにはバレバレなのですが…(汗) 気に入って頂ければ幸いです。 |