「茶うさぎの初夢」
『お正月の朝に見た夢は《初夢》って言って、その年に本当になったりするんだって!』 地球森の習わしを美子に教えてもらった黒うさぎ(満七歳)は、大変嬉しそうにお布団に入りました。 茶うさぎはどんな夢を見たいのかと尋ねましたが、黒うさぎはふるふると首を振って教えてくれませんでした。 なんでも、見たい夢のことを他のうさぎに言うと効果がなくなるのだそうです。 『コンラッドはどんな夢を見たいんだろ?…あ、今は言わなくて良いからね。明日の朝教えてね?』 きらきらと光る瞳は宝石よりも…お星様よりも綺麗に煌めいて、茶うさぎの胸をどきどきさせます。 茶うさぎが見たい夢…そんなの決まってます。 黒うさぎと素敵に仲良く暮らしている姿…一年後も十年後も百年後も(これは言い過ぎでしょうか?うさぎ達は普通だって百年程度しか生きませんからね)…お互いを思い合って生きている姿が見てみたいのです。 二羽はわくわくと弾む胸を抱えて、お布団にくるまりました。 * * * ふわふわと綿帽子のような白いものが行き交い、芳しい香りを放つ花びらがふわふわと漂う様子に、茶うさぎはうっとりと微笑みました。 淡いピンク色に包まれたその世界はとても穏やかで、スーツ姿でてくてくと歩いていく茶うさぎは、浮き立つような足取りを文字通り綿帽子によって弾ませていました。 『ははぁ…これは夢だな?』 なんだか幸先の良さそうな夢です。 茶うさぎは自分がどこに向かっているのか分かりませんでしたが、とにかくうきうきとした心持ちで、《こちらに進めばいい》ということだけは分かっていました。 暫く行くと一軒の家が見えだして、 『ああ、ここが俺の家だな』 …と、茶うさぎは頷きました。 赤い屋根に白い壁…窓には清潔なレースのカーテンが掛かり、甘い焼き菓子の香りが漂っています。 芝生の生えた小さなお庭には可愛いパンジーの植え込みがあり、紋白蝶が楽しげに踊っていました。 総じて……随分と乙女チックな家です。 茶うさぎの家と言うよりは、濃灰色うさぎの好みそうなデザインですが…それでも、戸口を開けて迎えてくれたうさぎは茶うさぎの大切な大切な黒うさぎでした。 「お帰りコンラッド!早かったねぇっ!!」 お日様みたいなにこにこ顔で迎えてくれた黒うさぎは、すらりとした細身の…160p程度の伸びやかな体格をしていました! 『これは…っ!』 茶うさぎの心が浮き立ちます。 なんて素敵な初夢なのでしょう! きっとこれから黒うさぎはこう言うに違いありません。 『お風呂にする?食事にする?それとも…俺?』 これは…16歳を迎え、晴れて成兎を遂げた黒うさぎとラブラブ新婚生活を送る夢に違いありません! 明らかに今年正夢になるとは思えませんが、少なくとも…9年の後には正夢になるはずです。 「お風呂にする?食事にする?」 茶うさぎはドキドキしながら次の言葉を待ちます。 けれど…いつまでたっても黒うさぎは続きを言ってくれません。 恥ずかしがっているのかとも思いましたが、じぃっと見つめてもきょとりと小首を傾げるばかりで、ちっとも続きを言う気配はありません。 「コンラッド、どうかした?お風呂と食事どっちにする?」 ……どう転んでも、この二つしか選択肢はないようです。 『な…何故だ!?』 茶うさぎは激しく動揺しましたが、にっこりと微笑んで答えます。 「では、お風呂にします。ユーリ…一緒に入りますか?」 「何言ってんだよー。10歳の時からお風呂は別々って決めたのあんたじゃないか」 「ぇえ!?」 素っ頓狂な声をあげた茶うさぎに、黒うさぎはけらけらと笑います。 「あんた、帰りに一杯ひっかけてきたの?ほら、村田が10歳の時にヨザックと初体験やっちゃって、俺もコンラッドとやりたいっ!って言ったら、成兎までは駄目だって言って、お風呂もベットも分けちゃったじゃないか」 「はは…そ、そうでしたっけ?」 「そーだよ……」 黒うさぎはそっと瞼を伏せると、一転して切なげな眼差しで茶うさぎを見つめました。 「村田にあんなに早く先越されてさ…俺だって…早く本当にあんたのお嫁さんになりたいのに…我慢してんだよ?」 しなやかな両腕がするりと茶うさぎの背中に回され、こつん…とハート直撃弾…いえ、黒うさぎのおでこが茶うさぎの胸板に押しつけられました。 襟元から立ち上る健康的で若々しい香りが…堪らなく魅力的に鼻腔を擽ります…。 「早く…16歳になりたい…」 切ない吐息が…熱く茶うさぎの心を漬(ひた)します。 『やっぱり……』 この目の前の黒うさぎは、まだ16歳になっていないようです。 …と、いうことは…夢の中だというのにやっぱり茶うさぎはお預け状態なのでしょう。 そう認識した途端…茶うさぎの両肩に《ぽんっ》とミニ茶うさぎが現れました。 淫靡な眼差しのミニ茶うさぎがくすくす笑いながら囁きます。 『おいおい…夢でぐらい、もう少しはっちゃけたらどうだ?やっちゃえやっちゃえ!押し倒しても現実世界のユーリには影響ないんだし』 これに、反対側の肩からキラキラしたお目々のミニ茶うさぎが反論します。 『止めておけ!夢とは言っても、一度鏨がはずれたら現実世界にも波及するぞ?7歳のユーリをうっかり押し倒したりしたら一生軽蔑されるぞ?』 『何言ってる…ささやかな夢世界でのお楽しみくらい大目に見たらどうだ?』 『馬鹿を言うな!ユーリに危険が及ぶかもしれない可能性など1ppmの混入も許されるものかっ!!』 肩の上でミニ茶うさ同士のとっくみあいが始まり…本体である大きな茶うさぎは頭を抱えてしまいました。 『ここはひとつ、はっちゃける方向で…』 まだ揺れ動く気持ちはあるのですが…ついつい抱きしめた温もりに流されて、茶うさぎは黒うさぎの顔を両手で包み込みました。 すると、にっこりと黒うさぎが微笑みます。 「でもさ…やっぱコンラッドって優しいよね!」 「は…はい?」 何について賞賛されたのかよく分からず、茶うさぎは黒うさぎの頬に手を添えたまま固まってしまいました。 「ヨザックだって村田のこと大事にしてるって思うけど…コンラッドはそれ以上に、俺のこと大事にしてくれるんだよね。あんまり若い時分にえっちなこと覚えちゃうと、心や体がそればっかり追っちゃって、ちゃんと育たないからって…。そういうこと一番に考えてくれるトコ…優しくて………大好き」 語尾は恥ずかしそうに…小さく黒うさぎの口の中で転がりました。 上目遣いに見上げてくる黒曜石の瞳は微かに潤み、上気した頬は薔薇色に染まっています。 茶うさぎは………引きつった笑顔を浮かべたまま黒うさぎの頬を撫でつけます。 『ああ…なんてすべすべなんだろう……』 鼻の先から頤(オトガイ)や耳朶まで全部まるっと舐め回したい欲望を、茶うさぎはすんでの所で止めます。 「でも…ちょっと寂しいときもあるんだ…だってさ、村田が時々…俺に自慢するんだよ。《ヨザックは床上手だからその辺は気に入ってる》とか…《内臓が擦過されるのがあんなに気持ちいいとは思わなかった》とか……」 「そう…ですか」 それは惚気なのか何なのかよく分かりませんが…実に村田が言いそうな感じが、リアリティを持たせています。 特に…《その辺は》と限定されている辺りに、友うさぎの心境を慮んばかったりする茶うさぎでした。 「それに…心配なこともあるんだ」 「何です?」 黒うさぎは暫くにょごにょごしていましたが、恥ずかしそうに瞼を伏せると…掠れるような声で言いました。 「………コンラッドが俺にえっちなことしてくれる頃には、コンラッドは結構な年になってるから、俺がやりたい盛りの頃にはもう勃たないんじゃないかって……」 「勃ちますっ!!」 絶叫して布団を跳ね上げた茶うさぎに、黒うさぎは吃驚して目を覚ましました。 「どどどど…どうしたのコンラッドっ!?」 「はぁ…いや……その…………」 とても説明できるものではありません。 荒い息をついて脂汗を流しながら、茶うさぎは必死で言い訳をしました。 「クララという脚の不自由な少女が…夢の中で《立てない!》と言っていたのですが、ユーリが懸命に《立てる!》と励ましていたので、つい俺も熱意を込めて応援してしまったのです」 く…苦しい。
大体、《たてる》ではなく《たちます》と叫んでいる段階で話が成立しないわけですが、黒うさぎの方は素直に信じ切っています。 「それが初夢?脚の悪い仔と友達になるのかな?そういえば、俺は春から幼年学校に行くんだもんな。そういうこともあるかも!」 眞魔国森には兵学校以外には学校というものはなく、貴族の子女は家庭教師を雇い、市井の民は徒弟制度や家業繋がりで修行を積むことで学習をしますが、地球森では幼年学校と高等学校があり、幼年学校は原則として5年制(満12歳卒)、高等学校は4年制(満16歳卒)、身分の貴賤に関わりなく学習を積むことになっています。 黒うさぎは来年…いえ、もう年が明けたようですので今年、幼年学校に入学することが決まっています。 この幼年学校には茶うさぎが武術科教員として就職していることから、黒うさぎはこの入学の日を心待ちにしているのです。 「わぁ…友兎がたくさん出来るかなぁ?」 「そうですね…きっと出来ますよ?俺がいま教えている仔達もとてもよい仔ばかりですから…」 茶うさぎがそういうと、黒うさぎはぷぅ…と頬を膨らませて、力一杯茶うさぎに抱きつきました。 「みんな、俺より…いい仔?」 「いいえ、ユーリより素敵な仔なんていませんよ?」 仔どもっぽい焼き餅とは知りつつも、拗ねてみせれば優しくそう答えてくれるから…ついつい黒うさぎは甘えてしまうのでした。 『でも…こんなじゃいけないよな?』 黒うさぎはにやけそうになる頬をきゅっと引き締めると、ゆっくり身体を離しました。 いつまでも仔どもっぽいままでは、立派なお嫁さんにはなれませんからね。 「…変なこと言ってゴメンな?」 「ユーリ?」 茶うさぎが、心地よい温もりが離れていってしまったことにしょんぼりしていると、黒うさぎは切ないような眼差しで見つめてきました。 「俺…早く大兎(おとな)になりたい。早く大兎になって…コンラッドに似合いのうさぎになりたいんだ。だから…あんまり俺が甘ったれたこと言ったら、コンラッドも止めて?」 ですから、茶うさぎは黒うさぎの身体をひょいとかかえ上げると…包み込むようにして優しく抱きしめました。 「すみません、ユーリ…そんなに急いで大兎にならないでください」 「どうして?」 「俺は、あなたと過ごす一分一秒を十分に楽しんで、ゆっくりあなたと成長していきたいんです。まぁ…俺の場合は老化かもしれませんが…」 「廊下?」 「いえ…そこはまぁ置いておいて…。ねぇユーリ、思い出してみてください。ユーリが俺と暮らすようになってから起こったいろんな事を…」 とても寒い雪の日に、悪い人間に捕まって衰弱していた黒うさぎを茶うさぎが助け出してから…、二羽はたくさんの日々を一緒に過ごしました。 きらきらと輝く雪の結晶、青空に伸びた大きな虹に歓声を上げたこと。 湧き水を竹のコップに注いで飲んで、喉越しのあまりの冷たさに吃驚仰天したこと。 湯気を立てる肉まんを二羽で分け合い、口元についた欠片を互いに舐め合ったこと…。 思い出の一つ一つが煌めく宝石のように…鮮やかに蘇ってきます。 「凄く…凄ーく、楽しかったね!」 「そうでしょう?だから、これから過ごす毎日だって、決して早送りで焦って過ごして良いなんて事はないと思うんです。だって、俺はユーリと過ごせる毎日が堪らなく大切で、とても楽しいんですから」 「俺だってそうだよ!コンラッドと一緒にいられることが凄く凄く楽しいよっ!」 「だったら俺たちはゆっくりやっていきましょう?毎日を楽しみながら…ね。大兎になんて嫌でもなるんですから、少しくらい甘えたってバチは当たりませんよ?少なくとも…さっきみたいな可愛い焼き餅なら、俺は毎日だって焼かれたいです」 「……本当?」 黒うさぎは頬を真っ赤に染めて尋ねます。 「本当ですとも」 茶うさぎもこっくりと頷きます。 「えへへ…」 二羽は互いの瞳を見合わせながら思いました。 『今年もきっと、いい年になるぞ』 あとがき
|