「はるのにおい」

※地球森での暮らしです。

 

 灯りをつけましょ、ぼんぼりに〜

  お花をあげましょ桃の花〜

 

 歌いながら駆けていく仔うさぎ達の間を、茶うさぎは微笑みながら歩いていきます。

 手に持っているのは職場(小学校)で貰った桃の花の一枝です。

 小さく愛らしいピンク色の花が、黒みを帯びた硬質な枝と好対照を成しています。

 春とは言いつつもまだなお寒さの強いこの季節に咲く花は、可憐な中にも芯の強さを伺わせています。

『まるでユーリのようだ…』

 茶うさぎは…普段は冷静で整頓された思考の持ち主なのですが、こと養い仔であり《恋兎》でもある黒うさぎの事となると、脳の一部から腐敗臭が漂います。

 ただ、そういった症候を示す患者は他にもおりますので、茶うさぎだけを笑うことは出来ません。

 なにしろ、黒うさぎはたいそう可愛らしいうさぎですからね。

 

*  *  *

 

「ユーリ…ただいま帰り……」

 茶うさぎがお家に帰ってくると、そこは渋谷家ご一同の面々で賑わっておりました。

「お邪魔してますぅー!」

「邪魔してるよー」

「兄として当然の権利を行使中だ」

 三兎三様の態度ではありますが、茶うさぎは一様に《いらっしゃいませ》と、業務用(s単価百円程度)の笑顔で答えただけでした。

 茶うさぎの心はすっかり黒うさぎの笑顔で占められていましたので、家に帰るなり邪魔も…いえいえ、来訪者がいたことに不快か……いえいえいえ………少々、驚いたのです。

 また、部屋の中には更に目を引くものがありました。

「これは…《うさ形(がた)》ですか?」

 紅い毛氈の上に整然と並べられているのは、もふもふの毛を生やしたうさぎ達が色とりどりの鮮やかな衣服を纏って、何か楽器を奏でたりプレゼントを捧げ持ったりしている、《うさ形》でした。

「おひな様って言うの!子どもが無事に大きくなれるようにって、厄よけの意味を含めて親が送るのよぅ!ママ、ゆーちゃんが帰ってきてくれたから大奮発して7段飾り買っちゃったーっ!」

「でもさぁ嫁さん…。ひなまつりって女の子のお祝いじゃなかったっけ?男の子は5月5日の端午の節句…」

「それはそれでお祝いするに決まってるじゃない!」

 正直懐が厳しいらしい黒うさぎの父は苦笑しましたが、反対はしませんでした。

 彼にしても、半分諦めかけていた次男の帰還はそれはそれは嬉しいものでしたから、なんとしてもお祝いはしたいのです。 

『凄いうさ形だな…それに、桃の花もあんなに飾ってある……』

 豪華な7段飾りの両脇には大ぶりな花瓶が床の上に置かれ、それぞれ桃の花がこれでもかと言うほど活けられています。

 茶うさぎは自分の持っていた桃の小枝が急に恥ずかしくなって、そっと後ろ手に隠してしまいました。

「コンラッドー!お帰りー!!」

 たしたしと駆け寄ってきた黒うさぎは、まふっと茶うさぎのコートにしがみつくと…瞼を閉じて小さな鼻をひくひくさせました。

 長い睫がふわりと白桃のような頬に影を落とし、あどけなく開かれた唇がたいそう可愛らしい様子です。

 茶うさぎがうっとりとその様を眺めていると…黒うさぎはまさに花の蕾が綻ぶような笑顔を浮かべてこう言ったのでした。

「コンラッド…春のにおいがする」 

「え?」

 茶うさぎがきょとんとしていると、黒うさぎの母も鼻をひくひくさせて頷きました。

「本当だわぁ…これ、桃の香りね!」

「それは…あれだけ沢山あるのですから……」

 てっきり、渋谷家の面々が用意した桃の香りのことかと思っていた茶うさぎが言いますが、黒うさぎの母はふるるっと首を振りました。

「あれね、実は造花なの!私がお手伝いしているお店で沢山用意しすぎちゃったから、貰ってきたのよ。綺麗でしょ?でも…やっぱり本当の桃には勝てないわねぇ」

「うん…とっても良い匂い……」 

 黒うさぎがうっとりとして言うものですから、茶うさぎはすっかり嬉しくなって隠していた枝を差し出しました。

「ちょっとしかないので恥ずかしかったのですが…良かったら、飾って下さい」

「ありがとうな、コンラッド!凄っげぇ嬉しいっ!」

「それは良かった」

 思いのほか好評であったことに茶うさぎはほっと安堵しました。

 そんな茶うさぎを見ながら、黒うさぎはこう思います。

『コンラッドはいつだって、季節のたよりをくれるうさぎだなぁ…』 

 気張った贈り物は黒うさぎが好まないことを知っている茶うさぎは、余程のことがない限り高価な贈り物はしません。

 ですが…その分、心に留まった季節の変化を捉えては、その素敵な欠片を集めて黒うさぎに贈ってくれるのです。

 

 夏にはきりりと冷えた真っ赤な西瓜を、

 秋にはほんのりと彩りを帯び始めた紅葉を、

  冬には散歩道に出来た霜柱を…

 

 少しずつ…でも確かに変わっていく日々の移り変わりを描出しては、黒うさぎに《季節》というものを鮮やかに感じさせてくれるのです。

『ああ…ずっとずっとこのまま、コンラッドと一緒に季節を過ごしていきたいな』

 来年の春も、そのまた来年の夏も、ずっとずっと先の秋も、二兎がお爺ちゃんになった時分の冬の日も…、彼の傍で季節を感じていたい。

 

 茶うさぎは微笑みます。

 黒うさぎとそっくりそのまま同じ事を考えながら……。

 

* 久し振りのうさぎ話でした。いつまでも永遠にいちゃいちゃしてそうな具合です……。 *