「逆転劇」小話 〜健全トキメキパート〜 大賢者たる村田健にとって、渋谷有利は大切な『友人』である。 『友人』であるからして、ぎゅーっと抱きしめたり頭を撫で撫ですることはあっても、キスをしたいとか、それ以上の不純同性交遊がしてみたい等という欲望は持ち合わせていない。 恋愛については…笑顔が可愛くて単純で、情に絆されやすく涙もろい女の子を好きになって、一男二女くらいをもうけてほどほどの人生を送れるといいな…と、思っている程度である。 ただ、その絵に描いたような幸せな家庭と有利が同時に危機に陥っていれば、さらりと有利救出に向かうと確信している辺りが普通の『友人』扱いとは違う位だろう。 有利自身が泣こうが喚こうが、そんなことは関係ない。 それは、村田にとっては驚くに値しない、ごくごく当然至極な選択であるのだ。 過去・現在・未来…それは永劫に変わらない。 一方、村田にとってフォンクライスト・ギュンターは『愉快なおもちゃ』である。 有利絡みでちょっと突けば簡単に暴走し、しかもその突進方向が実に読みやすい。 少々鬱屈した気分で居るときの気晴らしにはもってこいの人材である。 そう言った意味では、村田にとってギュンターは大切な人物(魔族だけど)と言える。 更にその一方…村田にとってウェラー卿コンラートは『天敵』である。 彼の思考基盤が有利中心に構築されていることは疑いようもないが、その行動基盤についてはさしもの大賢者にとっても先を読み切れないものがある。 普通、人間にしろ魔族にしろ一般的にはまず『自分の欲望』というものを基盤にして考えるものだ。だからこそ、そういった人々の思考は村田にとって読みやすい。次にその人物が考えるであろう発想を先読みし、利便性や欲望と言ったものに囁きかければころりと騙される。 …が、コンラートという男は、この『自分の欲望』というものを行動基盤におかずに思考や選択を行う。 そのトリッキーとも言える思考パターンが、実は自分と似通った原理…つまりは何をおいても有利中心…しかも、その際の有利自身の意志は無視しがち…といった、極めて有利にとっては傍迷惑な愛情によって決定されているであろうことが、何よりも村田にとっては不愉快であった。 有利の為と言いながら、誰よりも有利を不幸にしてしまう。 それがあの男に対する村田の評価・認識であった。 実際…眞王の命令であったとはいえ、大シマロンに彼が渡っている間の有利の苦しみを思えば、それは極当然の認識であろうと村田には思えるのだ。 だが…有利自身は帰還してきたコンラートを手放しで受け止め…赦しを与え、無二の存在として信じ抜いている。 それ自体は構わない。 だが、それが真実でないとしたら? また…有利が裏切られて、心を切り刻まれて吹き上げる鮮血に浸され…また涙を流すことも出来ないほどの苦悶を与えられるとしたら? 今度こそ、有利の心は壊れてしまうだろう。 そんなことは許せない。 そんなことは…絶対に拒絶する。 * * * ウェラー卿コンラートにとって有利は大切な大切な大切な名付け子であり、主であり、全てを尽くし捧げて、世界中の誰よりも幸せにしたい『宝物』である。 『宝物』であるからして、ぎゅーっと抱きしめたり頭を撫で撫でしたりしたいし、それは問題なく受け入れられている。だが…困ったことに、コンラートの欲望はそれ以上のことを望み始めていた。 もっと肉感的で直截な関係…決して望んではならない禁忌の接触を図りたいと願っている。 だが、それを態度にして顕すことは生涯ないだろうと思う。 何しろ彼の名付け子は、その可愛らしい容姿とは裏腹に男気に充ち満ちた性格をしており、嗜好も見事なまでのストレート…特別に小綺麗でなくても良いから、話が合う闊達な少女を好む。 100年以上も齢の離れた、恰幅の良い軍人(男)などお呼びではないのだ。 有利のことが大切で大切で大切でならないコンラートにとって、彼は決して傷つけたり汚したりしてはならない存在である。 それでなくとも眞王の命令で大シマロンに渡っている間、これ以上ないと言うほどの懊悩を与えてしまったコンラートにとって、こんな欲望を…態度や口に出すことなど考えられない。 ギュンターやヴォルフラムが言う分には《またか》と呆れるだけですむだろうが、コンラートが告白しようものなら、名付け子は《アンタまで…っ!》と、絶句してしまうだろう。 もしかしたら、嫌悪されてしまうかも知れない。 今まで、そう言った邪意がないと思うからこそ許されてきたささやかな接触も、指が触れた瞬間に振り払われてしまうかも知れない。 よって、コンラートは自分の欲望を荷張り紐できっちりと幾重にも縛り、死ぬまで心の奥底に閉じこめて、墓場まで持って行くつもりでいた。 この想い自体はとても大切なものだから…無かったことにだけは出来ないのが《薄らみっともないところだな…》と、コンラートは思う。 一方、コンラートにとって大賢者村田健は頭の上がらない人物である。 何しろ、色々見抜かれている。 しかも、相当嫌われている。 憎悪されていると言っても良いだろう。 原因もよく分かっている…。 眞王の命令とはいえ、有利を傷つけたからだ。 コンラート自身は村田の思考の全てを読んでいるわけではないが、どうも発想の基盤が自分と近いように感じる彼のことだから、どんな理由があれ、有利を傷つけるもの…傷つけたものに対する怒りは大きいのだろう。 しかも、有利の信頼を裏切るような欲望を抱え、これから先また傷つけるかも知れない可能性を孕んでいる男など、機会があれば遠ざけてしまいたいに違いない。 しかし、コンラート自身には村田を厭う気持ちはない。 おそらく…村田が飄々とした態度とは裏腹に、切ないほどの思いで有利を護ろうとしていること…それでいて有利には何の見返りも期待していないこと…そんなことが痛いほどよく分かるからだろう。 こんな自分等よりも余程純粋に、村田は有利を大切に思っている。 そんな理由もあって、コンラートは永遠に有利には手が出せないと判断していた。 * * * 渋谷有利にとってウェラー卿コンラートはこの上なく大切な人で…同時に一番《怖い》人物でもあった。 何しろ、有利の想いなどお構いなしに心も身体も犠牲にして尽くそうとしてくるのだ。 そんな事しなくて良いから…頼むから自分を大切にしてくれと、何度も言うのに爽やかに笑うだけで絶対聞いてない…。 異様に頑固なのだ、あの男は…。 なので、有利は何とかしてコンラートに自分を大切にするよう《命令》しようと思うのだが、一番大切だと言ってくれる割に、本当の願いはちっとも聞いてくれない男にどうやったら《絶対命令》を発効出来るのかが分からない。 地位も名誉も富も…一国の王たる有利なら、与えようと思えば与えられるのだろうが、そんなものを欠片ほども欲しない相手をどうすれば籠絡出来るというのか…。 『せめて、本当に欲しいものでも分かったらなぁ…』 それが有利の手に入るものならば何が何でも手に入れて、 『これが欲しかったら自分を大切にしろ!』 と命令してやるのに。 一方、有利にとって大賢者で友人な村田健は、悪戯好きの風変わりな少年だった。 本当に辛いときにはそっと寄り添ってくれる優しさに何度も救われたが、別に困ってなくて村田が暇をもてあましているときにはとんでもない勢いでからかわれる。 ただ、有利自身は一番の被害者というわけではない。 筆頭被害者はフォンビーレフェルト卿ヴォルフラムであったり、フォンクライスト卿ギュンターといった、《転がしやすい》面々であろう。 コンラートも色々仕掛けられているのは見るが、それで彼が激高するところは見たことない。 『やっぱ、コンラッドってば大人だよなぁ…』 と、憧憬の念を抱くと同時に、諦めにも似た気持ちを抱く。 あの4000年分降り積もった腹黒さを持つ村田ですら転がしきれない人物を、自他共に認める単純な自分がどうこう出来るはずもない。 『何か良い方法ないかなぁ…』 そんな風に日々思案し続けていた有利の前に、ある日、ぽこん…とその《方法》が転がってきた。 相も変わらず村田に転がされたギュンターによって危うく靴を舐められるところだった有利は、辟易しながらコンラートに相談したところ、なんと彼からも《生足》を舐め上げたいなどと言われてしまった。 幾ら忠誠心を示したいと言われても、そんな示し方は正直勘弁して欲しいと思っていたのだが…どうもそれは村田の入れ知恵であって、本来眞魔国に存在する風習ではないらしい。 では、何故有利の足を舐めたいなどとコンラートが言うのか不思議で理由を尋ねたら… 腹の中を隠すいつもの爽やか笑顔ではなくて… 何処か切なさを含んだ眼差しで、ぽつりと呟かれた。 「好きだから…ですよ?」 かぁーっと頭に血が上り、頬が恥ずかしいほど熱くなる。 きっと、見守っているコンラートにも見えているだろう。 恥ずかしくてちらりと上目遣いに様子を伺うと…コンラートは困ったような…悲しげな笑みを浮かべて、そぅっと口を開こうとしているようだった。 言わせてはいけない。 そう思った。 どんな意図で発せられたかは分からないが、先程の一言は間違いなく…彼の心からの想いだったのだ。 その言葉で有利が頬を染めたのを、彼は拒絶と取ったに違いない…。 『そりゃそうだよな…完璧に見えるコンラッドがまさか足フェチだなんて…思いきって言っちゃ見たものの、俺がドン引きしたと思ってヘコんでんだよな?』 きっと、今から上手に誤魔化すつもりなのだ。 《冗談ですよ》 《ユーリが慌てる様子が面白くて、ついからかってしまいました》 なんて言いながら、爽やかさに一匙の意地悪さを含ませて…彼は笑うのだろう。 そして二度と口にはしないのだろう…。 そんなのは困る。 でも…今すぐその願いを叶えてあげるのは無理。 だって… 「で…でも…!俺、だ…駄目だよっ!」 村田が何だか妙に良い笑顔になり、コンラートが小さじ半分くらいの悲しみを眦に含ませている。 『でも、今すぐは駄目なんだっ!』 有利は必死で状況を説明した。 「いま…汚れてるし!汗かいてるしっ!!」 きっと、足フェチだということをずっと隠してきただろうコンラート…。 そんな彼が初めて味わう足が、野球小僧の泥まみれで臭い足だなんて切なすぎる…っ! もしかしたら、幻想を打ち砕かれて二度とお願いしてこなくなるかも知れない。 「風呂入ってからでも良いっ!?」 そう叫んだら…一瞬、場の空気が固まった。 村田はぴくりと眉を跳ね上げ、コンラートは…鳩が鉄砲玉を喰らったような表情で目を見開いた後…ふわ…っと軽い羽が風に舞うような笑顔で微笑んだ。 妙に幼いような…本当に本当に欲しくて…でも、絶対に手に入らないと思っていたものを思いがけず貰った子どもみたいにコンラートが笑うから、有利の胸はきゅん…っと乙女みたいに高鳴って、何でも聞いてあげたいような気持ちになる。 『よおっし!待ってろよコンラッドっ!!足の爪の奥まで綺麗にして、胼胝(タコ)も肉刺(マメ)も丁寧に削り落とすからなっ!』 ヴォルフラムに《貴族の嗜み》として強制的に押しつけられた足ケアグッズが、初めて役立つときが来たのだと有利は奮起した。 * * * コンラートは一瞬…声を失った。 『何を言ってるんだ?この方は…』 ギュンターの《下僕発言》にすっかり引きまくっている有利に笑いかけ、同情を示していたら…村田が皮肉げな笑みを浮かべて囁いた。 「おや?意外だね、ウェラー卿…君なら言い出しかねない発言だと思ったんだけど?」 ぎくりと胸が凍り付いた。 『君が望んでいることなんて…もっと肉感的で下卑た欲望だろう?』 それこそ、単純なギュンターの愛情表現など霞んでしまうくらい…有利に知られれば悪寒に顔を顰め、軽蔑の目で見られることは間違いないだろう欲望を抱いているくせに、何を聖人ぶって発言しているのか… 『そんな権利がお前にあるのか?』 そう…問われている気がした。 『猊下…それほど、俺が許せませんか?』 抱いて…隠しておくことさえ許されないのだとしたら… いっそ、言ってしまおうか。 耐えて耐えて我慢して…そういう無理を重ねてきた人物というものは、ふ…っと気が抜けた瞬間に思わぬ事を言い出すものである。 この瞬間のコンラートは、まさにそういう心境であった。 『もう…どうにでもなれ』 靴を舐めるなんて、そんな可愛らしい望みではなくて…コンラートは、有利自身に触れたいのだと。 「俺は…やっぱり、靴よりも生足をねっとりと舐め上げたいですね」 言ったら、妙にすっきりした。 品のない話で申し訳ないが、限界まで我慢していた放尿の時をやっと迎えたような爽快感を覚え… そして、次の瞬間…激しく後悔した。 目の前の有利が、かぁぁ…っと目に見えて頬を紅潮させ…恥ずかしげに俯いてしまったのだ。 《嫌悪》…された? 「で…でも…!俺、だ…駄目だよっ!」 案の定、コンラートを傷つけないようにと必死で言葉を考えながらも、《駄目》と…拒絶の言葉を口にする愛しい人…。 コンラートは蒼白になって悔いた。それはもう…ズボンの中に放尿してしまった幼児が、周囲の大人の叱責と…なによりも《だらしのない子》だと認識されることを恐れて涙目になるように心を凍らせ、何とかして誤魔化せないものかと口を戦慄かせる。 笑って…《冗談ですよ》と言って…また、隠し通せないものか…。 そんな思惑を嘲笑うように、村田が追い打ちを掛ける。 「ウェラー卿ってば…変態チックなんだから」 くすりと…少年は、その双黒の美貌を輝かせて微笑んだ。 『やっと言ったね…?君の本心を』 そう言わんばかりの表情であった。…が、そんな村田とコンラートは、共に次の瞬間目を見開いて絶句してしまった。 「いま…汚れてるし!汗かいてるしっ!!…風呂に入ってからで良い!?」 何を言われているのか、コンラートには暫く理解出来なかった。 けれど…それが許容の言葉なのだと理解した途端、他のものが何も思考と視界に入らなくなった。 頭の中には曙光の中を薔薇の花弁と鳥の羽が舞い散り、芳しい香りに包まれて天上の音楽が耳孔を擽る…そんな心地であったので、一も二もなく頷いてしまった。 「勿論!それでは、お休みの前に伺いますね」 その言葉にこっくりと有利が頷く。 薔薇色に頬を染めて…上目遣いにじぃっと見上げる表情は恥ずかしそうだが淡い笑みを含んでいて…どこにも軽蔑の色など混じっていない。 なんて可愛らしい…なんて素敵な子なのだろう! 信じられない幸福感に包まれていたコンラートは、当分の間…村田のことをすっかり忘れ去って酔いしれていた。 * * * 「さー、どうぞ。心おきなく舐めちゃって!」 思い切りよくベットの上で下肢を投げ出した有利は、更にコンラートへと不思議な瓶を提示してきた。 「ねーねーコンラッド!塩ダレと砂糖ダレどっちが良い?」 「タレ…ですか?」 何に使うのかと呆然としていたら、有利の方は得意げに胸を張った。 「ただ舐めても味しないし、つまんないだろ?厨房で作ってもらったんだー」 『…………なんて言って作ってもらったんですか?』 いや、それ以前にそのままの身体で十分甘やかな身体(コンラート予測)に、これ以上味わいを深めてどうしようというのか…。 塩ダレなら丁度良い塩梅になるか…?とも思ったのだが、折角なのでこの上なく甘甘で突き進んでみようと思い、砂糖ダレにしてみた。 有利の肌に触れるものに異物が紛れていては困るので、砂糖ダレを舌先で舐め転がしてみたが異常は感じられない。なんと言われて作ったのかは分からないが、厨房の者は技術の粋を尽くして肌に優しい《タレ》を作成したと見える。 掌(たなごころ)で暫くタレを暖め、人肌程度に暖まったところで足に塗りつけるが、もともと有利の方が体温が高いせいか、コンラートの手の冷たさと…ぬめる感触にびくりと有利の身体が震える。 「失礼します…」 言葉のままに…神聖なものに触れる畏れと…そして喩えようもない幸福感に包まれながら舌先を母指に触れさせれば、暖かくて柔らかい感触に驚くようにびくりと震える…が、決して拒絶の言葉も吐かず、行為を続けるようにと眼差しで促す。 不意に、コンラートの心に疑問がわいた。 『この方は…何故このような行為を許容されるのか?』 風呂上がりなら舐めても良いと言われてついつい自分に都合よく考えたコンラートは、想いが伝わったものと勘違いしていたようだ。 『この方は…本っ当ーに…、俺がただ足を舐めたいのだと思っているのでは?』 確認してみれば、案の定けろりと言われてしまった。 「俺…普段、凄っいあんたに世話になってるんだもん!コンラッドが足フェチなら、そりゃ提供しなきゃ!」 『《世話》…《世話》ですかそうですか…』 コンラートはがくりと膝を突きそうになった。 しかも足フェチ…。 本当に、有利はコンラートがただ足を舐めたいという嗜好の持ち主だと思っているらしい。 それでも、同じ事をギュンターやヴォルフラムに依頼されれば速攻断ることは間違いないだろうから、コンラートに対して彼らよりもある種の愛情は持っていてくれるのだろうが…これはやはり、《親愛の情》に過ぎないのでは? 相当《世話》になっているフォンヴォルテール卿グウェンダルあたりが望めば、実は舐めさせてやるのではないかと思って目眩を感じる。 恥ずかしげに頬を染めながら…それでも渋い美丈夫に下肢を預ける有利の姿など絶対に見たくない。 いや、兄が相手でなくとも、自分以外の誰にもこんな無防備な表情や姿を晒したりしないで欲しい…っ! 突き上げるような衝動に駆られ…それでも表情だけは冷静な面差しのまま、コンラートは有利の下唇を人差し指でなぞる。甘やかな液体を載せた指はぬめりながら唇を伝い、小さいがふくっとして弾力のある唇の感触を余すところ無くコンラートに伝えた。 『触れたい…』 指だけでなく…己の唇で。 この花弁のように愛らしい唇を蹂躙したい…っ! 凶暴なまでの欲望が身を灼くのを感じながら、それでもコンラートは《言葉》を操る。 大シマロンにコンラートが渡ったとき、有利を最も傷つけたのは…コンラートが事情を説明しなかったことだ。 今また、欲望のままに何の説明もなく彼の身体を陵辱したりすれば…今度こそコンラートは赦されないだろう。 何より…有利を傷つけてしまうだろう。 だから、コンラートは答えを求めた。 コンラートの求めている行為を、有利が許容出来るのか否か…。 「俺が…あなたの唇を舐めたいと言っても、赦して下さいますか?」 * * * 「コンラッド…唇フェチでもあるの!?」 思いがけない告白に、有利はベットの上で飛び上がった。 『聞いてないよーっ!』 心はダ○ョウ倶楽部の上○状態だ。 足を舐められることについてはお風呂で手入れをしている間に心の準備はつけていた。 どんなにくすぐったくても恥ずかしくっても、決して拒絶の言葉は吐くまい。 この先、求められれば何度でも舐めて貰えるように…気持ちよく舐めまくって欲しいと…。 だが、《唇フェチ》だなんて聞いていない! 足などという、一般的には求められない場所ならともかく、唇は…。 『恋人とか夫婦とか…とにかく、物凄く愛しまくってる人達がどうこうする場所だろ!?』 いくらなんでもそんな場所を《フェチだから》という理由で好きにされるのはちょっと困る…。 と…思って慌てていたら… 「うーん…俺の場合はユーリフェチかな?」 そう言ってぺろりと耳朶を舐め上げられた。 「わっ!」 ぞくりと背筋が震えるのに…それはおぞましいとか気持ち悪いとかではなくて、何故か甘い…電流めいた心地よさを載せて脊柱上を奔っていく…。 おかげで言われた意味を理解するのに少し時間が掛かってしまった。 けれど…有利の思考力が正常化するのを待つまでもなく…コンラートは分かりやすく、更に明確な言葉を選んで有利へと捧げてきた。 「俺はあなたの足だけとか唇だけとかではなく…あなたが丸ごと好きなんですよ」 そう言ったコンラートの瞳は切なげに細められていて…それでいて、どこか幸福感を浮かべて有利を見つめていた。 有利の大好きな…琥珀色の瞳に、銀色の光が煌めいて…夢のように美しい色合いを湛えている。 「お…俺のこと、好き?」 半信半疑で問えば、《ええ!》と、明瞭に肯定される。 何か吹っ切れたような爽清な面差しは、決してこの言葉が冗談などではなく…真摯な想いから告げられているものなのだと教えてくれた。 そう悟った途端…有利の心臓は今まで以上に早鐘を打ち始め、頬は自分でもおかしなくらい赤く染まって熱を持ってしまう。 ヴォルフラムやギュンターには幾ら囁かれてもげんなりとするしかなかった愛の言葉が、コンラートが口にした途端、尊貴な宝玉のように鮮やかな光を放つ…。 それは、とても不思議な現象だった。 「ユーリは?」 「え?」 「俺に舐められてどうでした?嫌…でしたか?」 『嫌?』 自分に問いかければ、スコッと…と掌にあっさりと答えは落ちてくる。 『嫌じゃ…なかった』 その事を口にするのは躊躇われる…何故って、幾ら有利にでも分かる。 それを口にすると言うことは、コンラートを特別な存在として認めること。 コンラートとなら、今まであんなに厭うていた《男同士のレンアイ》等という不毛で生産性のない関係に突入しても良いと…認めることだ。 有利の描く将来設計等ここ近年吹っ飛ばされっぱなしだが、その際足る決断を今…迫られているのである。 これは悩むべき問題だった。 少なくとも、有利の理性の部分はそう考えていた。 ところが…。 「恥ずかしいし、くすぐったかったけどさ…嫌じゃ…なかった…よ?」 掠れる甘い声が…感情のままに素直な想いを語ってしまった。 『おいおいおいおい…っ!』 有利の理性は懸命に制動を掛けようとするが、感情の方がどうにも暴走してしまう。 『だって…嬉しいんだ』 『コンラッドが…俺のこと、好きなんだって!』 『俺のことを丸ごと好きなんだって!』 それが嬉しくて嬉しくて…もう、将来設計なんてどうでもいいじゃないかと陽気に歌いあげるのだ。 フライパンの上で弾けるポップコーンみたいに、ぽこんっ!ぽこぽんっ!と、勢いよく…次から次へと沸き上がってくる喜びが、有利の行動を支配してしまう。 「唇に触れてもよろしいですか?」 「うん…」 小さな囁き声…。 普通の会話の中でなら聞き逃してしまうかも知れないような…かそけき音を正確に捉え、コンラートは唇を寄せてきた。 触れた唇は少し冷たくて… でも、弾力のある感触が心地よい。 それがコンラートのものなのだと思うだけで心は浮き立ち…何処か切ないような…甘酸っぱいような痛みさえ感じてしまう。 * * * 唇に酔いしれていたのは有利だけではなかった。 コンラートもまた、幼い少年にでも回帰してしまったかのように胸をときめかせ…触れるだけの口吻に陶然と意識を浚われていた。 『ユーリに…触れている』 それも、明確に想いを伝えた上で、許容されて…。 嬉しい、嬉しい、嬉しい…。 泣きたくなるほどの喜びにうちふるえるその胸を…突然の激痛が襲った。 「うっ!」 「コンラッド…?コ…コンラッド!?」 有利の蒼白な声と表情に、なんとか《平気です》と返してあげたいのに、貫き、ねじ込むような激痛はそれを赦してはくれない。 みっともなく口角から涎が垂れ…苦悶に歪む眦から生理的な涙が零れていくのを止めることが出来ない…。 「嫌だ…コンラッド…っ!嫌……っ!誰…か、誰かっっ!」 狂乱した有利がよろめきながらベットから降り、助けを呼ぼうと駆け出した時…漸くコンラートは身体の自由を僅かながら取り戻して主を止めた。 「大丈夫…ユーリ…」 「大丈夫な訳ないだろ!?あんた…あんた、今どんな顔してるか分かってんのか!?」 有利の処刑をシマロン王に命じられ、それを拒絶して全身に矢を受けたあの時でさえ…コンラートがここまで苦悶を露わにしたことはない。それほどにコンラートの表情は激しい苦痛に歪み、血の気を失っているのだ。 「いいえ…この痛みを止められるのは、呪っている者だけです。癒やし手には…癒やせない」 「呪い…?」 「ええ…覚えがある感覚なんです…。俺は、最近は流石になかったのですが…若い頃には何度か呪われていますからね。大丈夫…呪いは呪った側にも返るように出来ていますから、俺が余程弱っているときでないと命まで奪うことは出来ません。呪術者も呪いで自分の命まで失ったのでは割が合いませんし、流石に、自分の命と引き替えにしてまで俺を憎悪している者はいませんよ」 「呪う奴が居るってだけで十分おかしいよ!そんなの…酷い…っ!卑怯だっ!!誰だよ…一体誰が呪ってやがるんだ!?」 双弁に涙を一杯に溜めて有利が叫ぶと、コンラートは困ったように苦笑した。 十中八九…これは、大賢者の仕業だろう。 あの華奢な少年が我慢比べでコンラートに勝てるとは思わない。 ここまでの痛みを与えたからにはそれと同様の…いや、それ以上の痛みを受けているはずだ。 これ以上続けることは物理的に不可能だろう。 案の定少しずつ痛みは引いていき…額に浮いていた脂汗も、もう新たに沸いてくることはなかった。 「…純血貴族の跳ねっ返りですよ…どこかで俺があなたの寝室を訪れると聞いて…魔王の寵愛を浴びさせるものかと呪いをかけたのでしょう」 『あなたのご友人であられる、猊下の呪いですよ』 等と言うことを、口外する気は微塵もない。 実際…彼には呪われても仕方ないと思うし、言えば有利が傷つくことも分かっている。 だから、一番無難でありながら漠然とした《仮想敵》を想定してみた。 案の定、素直な主は信じ込んで激高している。 「そんな…畜生!どこの貴族だよっ!俺が絶対に見つけてぶん殴ってやるっ!!」 有利は地団駄を踏んで怒りを露わにするが、コンラートはもういつもの笑顔を取り戻して窘めた。 「無茶をしないでください、ユーリ。あなたはゆっくりとこの国を変えて下さればいい…。行きすぎた調査や急激な粛正は逆に反発を呼びますからね」 「でも…でも、それじゃあ…、俺がこの国を…その連中の考えを改めさせるまで、あんたは呪い続けられるって言うのかよ!?やだよ…そんなのやだ…っ!」 有利はまだ床に膝を突いたままのコンラートに抱きつき…ぼろぼろと溢れる涙も拭わずに、子どものように泣きじゃくった。 「やだよぅ…やだ…やだよぅ……っ!」 「ユーリ…あなたがそんな風に心配して下さるだけで、俺は十分すぎるほどに幸せですよ。こうして想いをあなたに伝え…ましてや受け入れられるなんて、思っても見ないことだったのですから…本当に、俺は呪われてもしょうがないと思うのですよ」 「しょうがない訳ないじゃんっ!畜生!あんた本当に俺のこと好きなのかよ!?」 「好きと言うより、寧ろ愛してると言った方が正確かも知れませんが…」 「どっちでもいいけど、あんた…本当に俺のことを好きだったり愛してんなら…頼むから約束してくれよっ!!」 「約束…ですか?」 「そーだよ!あんた、頼むから自分を大事にしてくれよっ!」 涙に濡れた黒玉の瞳が真っ直ぐに…彼の気性そのままの強さでコンラートに向けられる。 「あんたが酷い目にあったり悲しい思いすんの…俺、我慢出来ないんだから…っ!俺は…あんたが好きなんだから…っ!だから…だから!絶対に酷い目にあったりしないでっ!」 「それは…」 「出来ないんだったら、俺…あんたのこと嫌いに…なったりは出来ないから…えぇと……そうだ、あんたに掛かった呪いが俺に来るようにしちゃうからな」 「止めて下さいっ!!」 言った途端…コンラートの表情が一気に強張って、強すぎるほどの力で有利の肩を掴んだ。 「止めて下さい…俺は俺で尽力しますから…ですから、決してそのようなことだけはお止め下さい…っ!」 「あんた今、物凄く不安で心配な気持ち?」 「当たり前です!」 我を忘れて叫べば有利の瞳が涙粒を含んだまま、ふわぁ…と綻んだ。 「俺は…今のあんたと同じ気持ちなんだよ?」 コンラートは、生涯この人を愛し…護り抜く決意をまた新たなものにした。 * * * それから一晩中…二人は抱き合って眠った。 抱き合って…とはいえ、コンラートがまた呪われたりするのではないかと戦々恐々としている有利を《抱く》事などとても出来ないから、ただ本当に抱き合って眠っただけだ。 それでも、コンラートにとっては天女の寝床に侍るよりも素晴らしい寝心地であったのだが…それも当然のことだろう。何しろ、可愛らしく眦を染めた思い人が、ずっと背中や胸をさすり続けて、コンラートが問う度に《好きだよ》《大好きだよ》と、激しく照れながらも呟いてくれるのだ。 コンラートは素晴らしい眠りに誘われ…短いながらもここ数年覚えがないほどの深い眠りの中に漂っていった。 * * * 翌日、コンラートが状況報告を求める大賢者にあったままを伝えると、案の定憮然とされてしまった。 言えば更に機嫌が悪くなるだろうが、有利とは別のベクトルで綺麗な顔をした村田は、感情を覗かせた表情を取ると、それが不機嫌なものであっても妙に愛らしく見えてしまう。 年相応の顔になるからだろうか? もともとの負い目やそんな村田の様子も手伝って、何故だが呪われた被害者の筈のコンラートの方が申し訳ないような気になってしまう。 最初は見せつけるように惚気話を垂れ流していたくせにと今更感も漂うわけだが…急に真面目な表情を浮かべると、真摯な声で村田に告げた。 「ユーリを…幸せにします」 言ってみて、余計に逆鱗に触れるような気がして無意識に胸を探っていたら…くすりと苦笑されてしまった。 「君…誰に呪われたか分かってるんだろう?」 「…いいえ?」 「ふん…じゃあいいけどさ…」 村田はふい…っと気まぐれな猫のように上を背けると、もういつも通りの…感情の読めない顔をして歩き出した。 「言っとくけど…僕、君のことが嫌いだよ」 「俺は猊下のことが結構好きですけどね」 「…そういうところが堪らなく嫌いなんだよね…渋谷も趣味が悪いったら…」 ぶつぶつ言いながら歩いていくその背中を、コンラートは見守る。 もう…彼に呪われることはないのではないか。 希望的観測に過ぎないかも知れないが、そう思った。 * * * 「村田っ!お願いっ!!」 インドア派の彼らしくもなく、村田が無目的にてくてくと歩いていたら有利に行き会った。 「どうしたんだい?渋谷」 「呪いを跳ね返すグッズとか持ってない?駄目なら呪われた人を切り替える道具とか」 「前者なら考慮しよう。後者は却下するよ」 「なんで?」 「君、誰かの呪いを肩代わりする気だろ?」 「ふぐ…」 コンラートにあれだけ言われたにもかかわらず、そうした申し出をしてしまう辺り…彼らは頑固なまでの愛情については随分と似通った特性を持っているらしい。 「誰か呪われたのかい?」 「うん…昨日の夜にさ?コンラッドが急に苦しみだして…ほら、あいつって凄い我慢強いじゃん?なのに…顔面蒼白になって、一時は涎まで止められなくて凄い形相だったんだ…なのに、ちょっと元気になったかと思ったら、危ないから犯人捜しはやめろなんて言うんだぜ?」 「確かにね…君がそんなことをしているなどと思ったら、ウェラー卿もおちおち呪われてる場合じゃないだろうよ」 「うう…俺はそんなに信用がないのか!?」 「そう言った点において、信用があるなんて思ってる段階でヤバヤバだろう?」 「う…」 「まぁいいさ、あげるよ…とっておきの呪いグッズ」 「いや、呪う方じゃなくて…跳ね返すやつ…」 「似たようなものさ。折角だから凄いのをあげようか?呪い返しで呪術者の方が地獄の苦しみを味わった上で死ぬに死にきれないやつ。いっそ死なせてくてくれって叫んじゃうようなの」 「…………あの……普通に呪いを止めてくれそうなやつだけで良いです」 「そう?じゃあ、そういうやつをあげるよ」 底知れない笑みを浮かべて笑う村田だったが、確約した途端に…力が抜けたようにへたり込んでしまった有利に目を見開く。 「おい…渋谷……」 「良かっ…た…。ありがとうな、村田」 心の底から安心したように、有利が微笑む。 村田を信じ切った表情で…。 彼が、一層呪いを強めるような道具を寄越すなどとは毛筋の先程も思わぬように…。 『そんなに真っ直ぐな君だから…僕は何時だって君のことが心配なんだ』 今回も、村田の《尽力》空しく、有利は選んでしまったらしい。 本来の彼の嗜好とはほど遠い人生行路を進んでいくことを…。 あんな危険きわまりない男に、有利は身も心も捧げきってしまうつもりらしい。 あんな…呪った相手に平気で微笑みかけて…同情までしてしまうようなとんでもない男に、有利は惚れてしまったのだ。 『これから…大変だよ?』 でも…有利は幸せそうだった。 脱力してへたり込んではいても…自分よりも大切な人を見つけて、そして想いを通わせた彼は、とても清冽に…美しかった。 『ああ…ウェラー卿…僕はやっぱり君のことが嫌いだよ』 有利のために、村田はこれから先…自分自身は勿論のこと、他の者がコンラートを呪うことすら防御しなくてはならないのだから…。 エロパートに続く あとがき てへ…ギャグ漫画のおまけがメランコリック小説って…奇妙ですね。 でも、下書きを書いている間はギャグ一色だった「逆転劇」でしたが、変にページ数が長い分、仕上げをしている間に台詞の深読みをしてしまいまして、「あー…子の台詞をこの表情で言うって事は、腹の底にはこういう気持ちがあるよね?」などという、健全な商業誌をオタク視点で腐女子妄想話に転換する装置が、何故が自分の話に向かって作動してしまったようです。 次回は今度こそエロパート…。 しかし、やっぱりある程度の長さを持ったお話というのは書くのに時間が掛かりますね。 エロ話も書くからには多少なりと目新しさとか、美味しさのある話を書きたいので、少し時間が掛かるかも知れませんが、まったりとお待ち下さい。 |