「怨恨の鉄鎖 雷撃の剣(つるぎ)」−3








 ス…。

 コンラートは別室に入るなり、背後から飛びかかってきた使用人をやすやすとかわすと、有利を抱っこしたまま、体勢を崩したその男の首筋に容赦ない蹴りを食らわす。《グギュウ…っ!》と呻き声がしたせいか、眠りかけていた有利が《ん…》と可愛い声を上げるが、《大丈夫、そのまま眠っていて?》と囁きかけると、すうすうという健やかな寝息が戻った。

 何とも素直で可愛らしい主である。

「さぁて。喉笛を踏みつぶされたいかい?」
「ぐ…ぐ……っ!」

 使用人の男は自分が手も足も出ないことが信じられないのか、顔色を真っ青にしてしきりに藻掻く。しかし、無造作に踏みつけているように見えて、その実巧みに足先をコントロールしているコンラートは、全く使用人に抵抗の余地を与えない。そればかりか有利を片腕で悠々と抱え上げると、腰の愛剣をすらりと引き抜いて、使用人の瞳すれすれの位置に構える。

「ちょっと手をずらすだけで、お前は右目を奪われることになる」
「ぐー…っ!?」

 別にこんな目など欲しくはないが、敢えて淡々と囁けば男は必死の形相で許しを請う。ほんの少し靴先をずらして声帯の自由を返してやれば、男は面白いほどにベラベラと主人の悪行について語り始めた。

「証拠の品は?」
「ち…帳簿がございます…っ!」
「ふぅん。すぐに手にはいるかい?」
「それが…帳簿は常に金庫に入れられ、ロッドバルト様が鍵を管理しておられるので…」
「そう、では…君は目を失うしかないね?」
「ひぃ〜っ!!」

 保身のために脳を全力で使ったらしい男は、金庫の金目当てにこっそり合い鍵を作っていたことを白状した。

「さ…案内して貰おうか?」
「いやいや…ご足労頂くまでもありませんや。俺がひとっ走り行って、帳簿を取って来やすんで…」

 そう言って、男はコンラートの靴底から逃れて体勢を立て直し…振り向きざま、勢いよく懐に隠していた短剣を閃かせた。

 《仕留めた…!》長年の経験からそう直感した男はしかし、次の瞬間信じられないものを目にすることになる。

 《長剣は間合いを詰められたら役立たず》との概念を粉々に打ち砕くように、コンラートの剣は男の瞼を削いでいたのである。早すぎて認識出来なかったが、おそらくは瞬時に身を引いて剣を閃かせたのだ。

「ひ…っ!」

 視界の半分が紅く染められた男には、片眼を失ったとしか思われなかったことだろう。
 コンラートは半ば意識しながら、鬼神のような笑みを浮かべて男に告げた。

「もう一つ失いたくなかったら…抵抗は諦めることだ」

 ぴたりと左の角膜に突きつけられた剣先に、男は…完全に落ちた。



*  *  * 




「あの…あの、私…どうして?」

 ジルコニアは信じ難い思いで鏡の中の自分を見ていた。ここ最近は袖を通したこともない綺麗なドレスを着せられて、瞬く間に乱れていた髪が整えられ、都風の可憐な化粧までが施される。普段は年齢のこともあって化粧など殆どしていなかったから、魔族としては地味だと思っていた顔立ちが、美しく変身させられる様子に度肝を抜かれてしまった。

 しかも、ジルコニアを変身させていくのは逞しい男性、グリエ・ヨザックなのだ。そもそも、このドレス自体がヨザックのものだというのが信じられない。素晴らしい生地だというのに惜しげもなく端を断裁すると、肩幅を詰めたり華でアレンジしたりして、どんどんジルコニアの体型に合わせて縫い直していく。

 その傍らで楽しそうに笑っている少年も、実は…眞王廟におわすべきお方、双黒の大賢者であらせられるというのだから目がくるくるしてしまいそうだ。

 ただ、現実を忘れさせてくれないのは気を失ったまま拘束されている父の存在だ。思いの外、娘の蹴りが強烈に効いて股間のモノが変形しているそうだが、目覚めたときにその性根までが戻っているとは思えない。

「私は…父も家も、この港も捨てるつもりでいました」
「君の年だとしょうがないかな…ってトコもあるけど、ちょっとその考えは勿体ないね。僕としては、もう一頑張りして欲しい」
「でも…私、こんな綺麗なお洋服を着て、宴の席に出るだけで折檻を受けるんです」

 屈辱の日々を思い出して泣きそうになるが、猊下の声は辛辣だった。

「自分を哀れんで泣くだけで、大事な人が救えると思うのかい?」
「…っ!」

 自分を哀れみ、個人としての楽しみだけを追う…形は違えど、それは父がしていた行為に近いのではないだろうか?

「僕たちが君の父親に処分を下して、財産や権利を没収するのは簡単だ。だけど、そこにはどうしても悪い噂が残る。《魔王陛下はアイオナ卿を利用するだけ利用して、その利益を丸ごと手に入れようとした》…ってね」
「…その、可能性が…あるのでしょうか?」
「ああ、君が立たなければ誰もこの荷を背負うことは出来ない。アイオナ家の名誉と、何より…魔王陛下の名誉を守れるのは、君だけなんだよ」

 意地悪な言い方なのに、どうしてだか村田の言葉にはジルコニアを説得する力があった。そこには、根底に流れる魔王陛下への忠誠心があるからだろう。
 彼は底意地の悪い男だが、その意地悪さでもって、全力で魔王陛下を護ろうとしているのだ。

「…分かりました!」

 こうなったら、受けてたとう。
 何があっても立ち向かっていくのだ。

 光り輝く、魔王陛下の笑顔をお守りするために…!

  

*  *  * 




『全く、あの男と来たら何時まで男の子を嬲っているつもりかしら?』

 ネルレインは宴客達に愛想を振りまきながらも、好色な夫を唾棄していた。出会った頃にはまだしも愛着を感じていたが、若々しい少年少女を貪ることで飢餓を満たそうとする夫に、いい加減愛想が尽きていた。今では男の空虚を埋めてやろうという気概もすっかり失せている。

『そろそろ潮時かもね…』

 帳簿や現金の在処はもう知っているから、明日にでもここから出られる。とっくの昔に合い鍵は作っているのだ。
 どのみちネルレインはこの港の出ではないし、ご追従をしながらも、心の底では娼婦上がりの自分を軽蔑しているのだろう貴族の相手をするのにも飽きてきた。

『現金を手にして、帳簿を脅しの道具にしてロッドバルトを絞っていけば、容色が衰えてからも暮らしに困ることはないわ。弱みを握ってる小娘や男の子でも使って、王都に娼館でも建てようかしら』

 ふふん…と機嫌良く鼻を鳴らしながら、ネルレインは様々な夢想に浸っていた。
 しかし、ざわ…っと場内がざわめくと、ネルレインは夢想世界から蹴り出されてしまう。なんと、女中並の扱いに落としていたジルコニアが、この近在では見たこともないほど華麗なドレスで着飾っているのだ。地味だと散々蔑んでいた顔立ちは、センスの良い化粧によって瑞々しい魅力を放ち、清楚な佇まいには生来の気品が漂っている。

 ああ…あの気品!

 幼い頃、口減らしのために親から娼館に売られ、物心ついた時から娼婦として生きてきたネルレインには、どうやっても手に入らないその美しさを、あの貴族の娘は持っているのだ。それが憎くてて憎くて、必要以上にあの娘をいじめ抜いたのに…一体どうして、このような姿をして宴に出てきたのだろう。

「ジルコニア…っ!お前、一体誰の許しを得てこのような席に出てきたのです?お前は礼儀見習いが十分に身に付くまでは、公式の場には出せぬと言ったでしょう…っ!?」
「私は誰に許しを請うこともありません」

 掴みかかろうとするネルレインをぴしりとはね除け、ジルコニアはきりりと表情を引き締めている。そこには侵しがたい気品が確かにあって、ネルレインは意図せずして一歩引いていた。

「私は今宵…アイオナ家の所行を告発します」
「な…何を言って…っ!」
「皆様、このカフスボタンを御覧下さい…っ!」

 高く掲げられたカフスボタンは、黒曜石の填った美しい装飾品であった。
 数ヶ月前、ネルレインの手でジルコニアから奪い取ったものに間違いない。

「これが魔王陛下の信任の証であるというのは真っ赤な嘘です…!陛下はただ、道理の分からぬ小娘が、憧憬の念を込めて物欲しそうに見ていたのを思いやり、《欲しければあげるよ》と、親切心で譲ってくだすったに過ぎないのです…!」
「な…な…っ!お止め、ジルコニアっ!気でも狂ったのかいっ!?」
「私は正気です。ええ…この上なく!ですから我が父が為した罪も全て、法の下で裁いて頂くつもりです。アイオナ家は糾弾の的となりましょう…お母様は、私と共に歩まぬのであれば即刻この家を出て下さいな。もう、十分に蓄えておいででしょう?」
「本気…なの?」

 ぎりりと拮抗する視線の強さは本物だった。
 ネルレインにカフスボタンを奪われて、甘ったれた子どものように父や祖父に泣きついて何とかしようとしていたいじましさは微塵もなく、今やこの子は自分自身の力で立ち上がり、罪を濯ぐと言っているのだ。

「ええ、この上なく…っ!」
「馬鹿ね…っ!」
「ええ、馬鹿は百も承知!それでも私は、二度と退きはしませんわ。あの時…あなたにカフスボタンを奪われても泣いていることしかできなかったことが、父を取り返しのつかないところまで追い込んだ。これは、私自身の罪でもありますもの…!」
「く…っ」

 憎たらしい。
 苛々するくらいに甘ったれていたこの娘が、一体どうしてこんな力を得たというのだろうか?

 かつて、自分を売った両親を恨んで泣くことしかできなかった自分の姿が脳裏に浮かんで、余計に腹立たしさが増してくる。

「賢(さか)しげな口を利くものだこと!けれど、誰がお前の言うことなど聞くものか…!後ろ盾のない小娘の言うことなど…!」

 叫ぶネルレインに挑むように、少年の声が大広間に響き渡った。

「アイオナ卿ジルコニアの言は、この俺が聞き遂げる…っ!」
 
 そこに立っていたのは…漆黒の瞳と髪を持つ、二人の少年だった。



*  *  * 




「な…」
「な、な…」
「まさか…魔王陛下…!?」
「ふ、二人おられるということは…もうお一方は、双黒の大賢者様なのか…っ!?」

 ざわざわとどよめく人々の前で、両開きにひらいた扉から少年達が進み出て行く。その身に纏ったウィンコット領の民族衣装から、彼らがつい先程まで庶民上がりの商人の息子として宴に参加していたのだと知れた。
 更には少年達を護るように脇を固めた凛々しい青年達は、ダークブラウンの頭髪を後ろに流したウェラー卿コンラートと、鮮やかな柑橘色の髪を揺らす、グリエ・ヨザックではあるまいか!?

「…陛下…っ!?」

 信じられなくて、ジルコニアは両手を合わせたままぶるぶると震えていた。
 双黒の大賢者に勧められたとはいえ、何となく彼が姿を現して自分を擁護してくれるとは思わなかった。だから、ジルコニアは虚勢でもなんでも、継母を押さえ込んで自分の権利を主張せねばならぬと腹を決めていたのだ。

 まさか…まさか、こんな風に護られるなんて、考えても見なかった…!

「俺のカフスボタンは確かに、下賜なんて意味はなくジルコニア嬢にあげたものでした。そのことが、まさか多くの人を不幸にしてしまうなんて思わなかったのは、俺の落ち度です。本当に…申し訳ない…!」
「いいえ…いいえ!全ては私と父のせいなのです、どうか…お心をそれ以上痛めないで下さいまし…っ!!」

 ぼろぼろと涙を零してその場に土下座しようとするジルコニアを、有利は駆け寄って止めた。

「ダメだよ、お姫様は誰にも跪いちゃいけない。誇り高く、胸を張っていて…ジルコニア」
「陛下…陛下…っ!」

 夢にまで見た憧れの君に再び会えただけでも奇跡だというのに、こんな風に励まされるなど、空想の中でもなかったことだ。

「証拠の品は、既に押さえてあります」

 ウェラー卿と思しき青年はひらりと分厚い帳簿を揺らして見せた。ネルレインが《ひっ》と声を上げているところから見て、あれが動かぬ証拠…ジルコニア自身も探していた、不正な取引の証が刻まれた二重帳簿であるに違いない。

「さあ、ネルレイン殿…ジルコニア嬢の言われるとおり、あなた自身の罪を問われる前に、身の回りの品を持って逃げ出すのが得策ですよ?」

 くすりと微笑むコンラートに、ネルレインは声もなく立ちつくしていた。
 しかし、せめてもの矜持を維持しようとするように、殊更強く胸を張ると、傲然とした足取りで部屋を出て行く。おそらくは、彼女の姿を見るのはこれで最後になるだろうと予感した。
 不思議と、恨みは湧かない。それはジルコニアが既に、彼女を乗り越えた証拠なのだと思う。

 ジルコニアは掌の中のカフスボタンを見つめていたが、思い切って、魔王陛下に差し出した。

「長い間お借りしておりました。これを…お返しします」
「これは君にあげたんだけどな?」
「ですが、また私の親族がおかしな考えを起こさないとも限りません。眞魔国にとって、それほどに陛下の存在は大きいのです。考え無しに、求めてはならぬものを求めてしまった自分への戒めのためにも、このカフスボタンはお返し致します」
「そっか…」

 苦笑して受け取った魔王陛下は、ころんと掌の中で転がしてから無造作にポケットの中へとカフスボタンをしまった。

「そういえば、ロッドバルトさんはどうしてるんだっけ?」
「父でしたら、淫ら…い、いえ…別室でヨザックさんと猊下に縛られて、転がされているはずですわ」

 まさか有利の前で《淫乱部屋》等という言葉は使えずに頬を染めていたら、不意に館の外からどよめくような声がした。

「な…」
「何だあれは…っ!」

 何事かと思ってバルコニーに出てみた人々は、自分たちの目にしたものを俄には信じられずに目を見開いていた。

「うわぁあ…っ!」
「呪いだっ!呪いだーっ!!」

 そう、確かにそうとしか思えないほどに、それは呪わしい光景であった。海岸縁に建てられたアイオナ家の館からは港が一望できるのだが、松明が照らし出すその海面にはみっしりと、複数の脚が挙立していたのである。

「水死者の呪いだ…!」

 そう叫ぶ人々に対して、ジルコニアは気を強く持っていた。

「確かめなくては…っ!!」

 夜で、しかも大きな事変で混乱しているときには、秋草だって幽霊に見える。ジルコニアは見間違いであることに一縷の望みをかけて、港の方に走っていった。勇気と好奇心に富んだ客や使用人達は後を追ったが、臆病な者達はそのまま館に残ってぶるぶると震えていた。

 勿論、有利たち一行はジルコニアと共に港に向かった。
 そして近づいていく内に、彼らは奇妙な歌声を耳にした。それは美しいと呼んで差し支えのない声音であったが、どうしたものか…オペラ調の滑らかな声質とは裏腹に、何とも珍妙な歌詞であった。

 《とーれとっれ、ぴーっちぴっち、蟹料理〜》
 《とーれとっれ、ぴーっちぴっち、河豚料理〜》
 《とーれとっれ、ぴーっちぴっち、蛸料理〜…》

 延々と続く魚介類の名を関した料理名は、港の沖合から響いてくるようだった。その中に混じって、時折《うひょぇえ〜…っ!》《ぎょぇええ〜…っ!!》という野太い声が響いてくる。この声は…まさしく、ジルコニアの父のものではないだろうか?

「な…っ!」

 港に辿り着いた人々は、瞠目してその光景を見守った。水面に浮かんでいた大量の脚は全て魚人姫や魚人殿、魚人王子(後二者の違いは臑毛の濃さなのか)のものであり、彼らの脚の間で蠢いているのはアイオナ卿ロッドバルトだったのである。

「だ…誰か…助けぇ……おぶぇえええ……っ!!」

 溺れそうになる度に襟首をぐいっと魚人の爪先で釣り上げられ、顔や口の中に泥のようなものが擦りつけられる。どうやら、彼が汚した港のヘドロであるらしい。

「た…助けなくちゃ…っ!」

 反射的に叫ぶ魔王陛下ではあったが、具体的にどうして良いのか分からずに困っている。傍らに控えている力強い(筈の)護衛や大賢者達はと言えば、てんでやる気がない様子だ。

「まー…水質汚濁に直接関与していたようですし、魚人姫達にも殺意はないようですから、夜が明けるまで好きにさせてやっては如何ですか?」
「でも、流石にしんどそうだよ!?」
「だってねぇ、彼にしんどい目に遭わされた者の恨みはこんなもんじゃないよ?」

 ヨザックやコンラートはどうでも良さそうで、ニヤニヤと嗤っている大賢者に至っては寧ろ楽しそうだ。ひょっとしてひょっとすると、猊下自身が手を下したのではないか…なんて疑いも浮かぶ。

 ジルコニアはふぅ…っと溜息をつくと、腕まくりをして港の端に置いてあった小舟を出そうとした。

「お嬢様、一体何を…っ!?」
「私が魚人姫達の説得に参ります。あんな男でも、親は親ですから…あのままにはしておけません。うっかり間違って死んだりしたら、寝覚めが悪いですからね」

 お嬢様の決意を聞いて、侠気に燃えたったのは港の漁師達である。

「おうおうおう!お嬢様が身を挺して親爺さんを救おうってんだ!ここで手を貸さねぇんじゃ、アイオナ漁師の名が廃らぁ…っ!」
「おぉーっ!!」

 漁師頭の老人が意気を示してくれたおかげで、威勢の良い歓声を上げた海男達が船を出してくれた。



*  *  * 




 結局、漁師達によって助け出されたロッドバルトは当分の間まともな精神状態には戻れなかった。気絶して、目が覚めたのが海上で、魚介類に囲まれていたというのもあったろうが、それ以上に自分が無体な行為をしようとした相手が双黒の大賢者であったとか、魔王陛下の威光を笠に着て悪行を為していたことが知られていると分かると、今頃になって自分のしたことがどういう意味を持っていたのかを自覚することになった。

 国際港の管理者が魔王陛下の名に塗りつけた泥を、眞魔国内のみならず、諸外国にまでぶちまけていたのだ。
 観念したのか、ロッドバルトはジルコニアの手で二重帳簿などの証拠が提出されると、少年少女達への暴行紛いの性行為についても併せて実刑判決を受け、粛々として贖罪のための生活に入った。

 それでもこの国際港が一気に寂れるのを回避できたのは、ジルコニアの努力に寄るところが大きいだろう。彼女は帳簿と使用人の証言を元に、過度な金銭や物品を要求された被害者達に適切な賠償金を支払っていき、その為に屋敷田畑の全てを売り払った。裸一貫でアイオナ港の信頼を取り戻そうとするジルコニアに、領民達も信を寄せた。

 おかげで、1年が経過する頃にはジルコニアも適度な大きさの家に住むことが出来るようになり、山間に隠居していた祖父も呼び戻して、父が刑期を終えるのを待ちながら、領主生活を続けることになった。



*  *  * 




 ふわ…っと潮風が吹き込んできて、机の上に載せた書類を巻き上げようとすると、ジルコニアは貝殻で作った文鎮を置いた。これは領民の娘が是非にと彼女に捧げてくれたものだ。

『素敵な贈り物だわ』

 今の暮らしは何不自由なく暮らしていた少女自体に比べれば少し貧しく、継母に虐げられていた頃に比べれば遙かに裕福という生活で、言ってみれば、丁度自分に合った等身大の暮らしぶりと言えるだろう。
 最初は若すぎることや、父の所行がこの地の名誉を貶めたことで辛い仕打ちや言動も浴びせられたが、いつも魔王陛下の笑顔を思い浮かべて乗り越えてきた。

 もう黒曜石のカフスボタンは手元にないが、こんなにも鮮明に陛下を思い浮かべられるのなら、なくたって平気だ。《頂いたと》いう事実自体は、決して無くなりはしないと知っているし。 

 ヨザックに貰ったドレスは有り難く頂いたままで、接待の為の宴ではいつも着させて貰っている。体型を維持すれば、きっと十年はもつことだろう。

『本当に、たくさんのものを頂いた…』

 言葉に出して説明するのは難しいけれど、魔王陛下に下賜頂いたことは、大きくジルコニアの運命を変え、何より…ジルコニア自身を変えたのだと思う。
 いつかジルコニアも恋をして、子供を作ったりすればまた別の悩みも出てくるのだろうけれど、今は何が襲いかかってきてもやっていける気がする。魔王陛下も言っていたもの。

『獅子が一人立てば、必ず後に付いてきてくれる人がいるよ』

 その視線の先にあったのが、かの英雄《ルッテンベルクの獅子》であったのだから、ジルコニアには過分な言葉とも思えたが、堪らなく嬉しかったのも事実だ。あの言葉があったから、今日まで自分を奮い立たせて生きてこれた気がする。

 ふわ…と、もう一度潮風が舞い込んでくると、一瞬窓の外を大きな影が掠めた気がして、窓の外を見たが特に何もなかった。そしてふと机の上を見やると、そこにはちいさな包みが置かれていた。

「…え?」

 おかしい。先程まで、机の上にはこんなものは無かったはずだ。包みを確認すると、掛けられたリボンの中心にはボタンの金具のようなものが見えた。

「…っ!」

 ジルコニアは言葉を無くして、呆然と金具を見つめる。それは見間違えようもなく、魔王陛下の黒曜石が填っていたボタンの金具ではないか…!

 ドキドキと拍動する胸をどうにか押さえながら、震える指で包みを開いていく。そこにあったのは、蒼い石を連ねた美しい首飾りであった。同封されていたカードには送り主の名はなかったが、一言だけメッセージが書き込まれていた。

『一人立つ獅子の頑張りを讃えて、ささやかな記念品を贈ります』

 蒼い石を翳してみれば、その向こうにはやはり青い空と、愛する大海原が広がっている。その一部を切り取ったような石を握り締めて、ジルコニアは泣いた。

 いつだって見守って下さる、かみさまのような存在を讃えて…。



おしまい




あとがき



 このお話のネタを頂いたときから本日の朝に至るまで、殺気を漂わせなが嗤っているコンラッドと村田の顔しか思い浮かばなかったので、一体どんな話になるのかキーを打ち込みながら全く想像が付きませんでした。ですが、書きだしてみたら1話を書き終えた辺りから一気に指がノリ始めました。

 結局、「コンユ的にはこの話どうなの(汗)」とは思いつつも、何だか異様に楽しく書けてしまいました。ジルコニア嬢のようなオリキャラはやっぱり大好きで、ついつい書き込んでしまうようです。

 二次創作にオリキャラを出すのは閲覧者様を置き去りにしてしまう危険性があるので、「注意しなくては〜」と思うのは思うのですが、どうも熱烈にコンラートや有利を大好きなキャラクターは書いてて楽しい〜。コンラート様命のマリアナ嬢とはまた違ったベクトルながら、真面目なジルコニア嬢も気に入って頂ければ幸いです。あちらとは違って、もう続きませんけれども…。

 ああ…でも、そういえば村田とコンラッドの与える恐怖が印象薄かったですね…!そこはクリアならず…。というか、そもそもどんな形で恐怖を与えて良いのか分からなかったんですよ〜っ!リクエスト一位になったお話もお仕置き話でしたが、正直私の能力ではコンラッドが有利に与えるエッチなお仕置きしか思いつきません…っ!(←それも、お仕置きになっているのかどうか分かんないような気持ちいいやつ)

 でも、リク主様には気に入って頂けたようなので満足。