うさぎたちの素敵な一日
@うさぎたちのすてきな朝
今朝、黒うさぎはとても早く目がさめました。
それはそれは早く目がさめたものですから、まだ空は藍色をしていますし、星もキラキラと輝いています。
そして何よりも吃驚したことに…茶うさぎが、まだ眠っているのです!
これは実に珍しいことでありました。
黒うさぎの頭の中にある想い出箱を全部ひっくり返してみても、茶うさぎが黒うさぎよりも後に起きるなんて事はついぞ覚えのないことです。
「これは凄いぞ!?せっかくだもの。たくさんコンラッドの寝顔を見てみよう!」
黒うさぎはそぅ…っと息を潜め、茶うさぎのお顔を観察しました。
茶うさぎは何とも端正な顔立ちをした、美丈夫のうさぎです。
すらりと通った鼻筋は高く、形よく…思わず指を滑らせたくなってうずうずしてしまいます。
耳の後ろと左の眉には昔の戦争の傷跡がありますが、それすらも茶うさぎの男ぶりを上げるのに役立っているようです。
まふまふとした耳の毛づやもとても素敵なものですから…ここで黒うさぎは我慢しきれずに、手を伸ばして撫で撫でしてしまいました。
それでも茶うさぎに目覚める気配はなく、よほど深く眠っていると見えます。
それだけたくさん眠れるということは、とっても安心しているということで、黒うさぎにとってはとても幸せな気持ちになることでした。
「俺のコンラッドはなんてすてきなうさぎなんだろう!」
「こうして一緒に暮らせる俺は、なんて幸せなんだろう!」
そんなことを考えながら、じぃ…っと茶うさぎを見つめているうちに、黒うさぎは再びとろけるような眠気に取り巻かれ、まぶたを閉じてしまいました。
* * *
茶うさぎが目を覚ますと、自分の胸の上に黒うさぎのほっぺたと一方の耳が乗っかっているのに気付きました。
それはそれはまろやかなほっぺたと、まふまふとした耳を撫でつけながら茶うさぎは呟きました。
「こんな可愛らしいユーリと暮らしている俺は、なんて幸せなうさぎなんだろう!」
Aうさぎ達のすてきな朝ご飯
黒うさぎはほとんど好き嫌いなく、よく食べるうさぎです。
ですが、たった一つだけとてつもなく嫌いな食べ物があるのです。
それは…《ゲゲボ》と呼ばれる実です。
名前から言って不吉なゲゲボは、見てくれは更に邪悪です。
けばけばしいショッキングピンクに薄汚れた緑の斑点が浮いているのですが、これがまた怨念の籠もったお化けの顔に似ているものですから、凝視することすら難しい代物です。
どんなに肝の据わった大兎も、《夜に食べると呪われる》と言って朝か昼にしか食べません。
しかも、このゲゲボ…味の方もこの世のものとも思われないくらい極苦なのです。
そして黒うさぎにとっては更に困ったことに、ゲゲボには物凄く薬効があるのです(いっそ身体に悪影響でもあってくれれば食べずにすむのですが…)。
今年の夏は熱くなりそうですから、子どもや老人は熱射病除けとして夏の初めに一つか二つ食べることを強要されます。
茶うさぎも黒うさぎが毎日元気に暮らすことを望んでいますから、他のことでは大抵許してくれる彼も、鼻を摘んででも食べさせようとするのです。
『うう…今年もゲゲボがやってきたんだなぁ…』
黒うさぎが初めてゲゲボを見たときにはあまりの恐ろしさに泣き出してしまいました。
茶うさぎに言い含められて渋々食べたときには、あまりの苦さにげぇげぇ戻してしまいました。
そんなこんなで結局、その年には飲み込むことが出来なかったのです。
すると茶うさぎは困ったように眉根を寄せて、黒うさぎの耳を撫でて言いました。
『すみません、ユーリ…無理をさせてしまって…。もう、ゲゲボを無理に食べろなんて言いませんよ』
でも結局その年、ユーリは夏バテでぐったりしてしまい、散々茶うさぎに心配を掛けたのです。
ですから…次の年にはやっぱりゲゲボを買ってきて、
『やっぱり…お願いですから食べて下さい』
と頼み込んだのです。
しかも、茶うさぎ自身は黒うさぎの前で5つももぐもぐと食べてくれるのでした。
茶うさぎは体力のある強健な大兎ですから食べる必要はないのですが、
『ユーリが一羽で食べるのは嫌でしょう?』
そう言って、顔色一つ変えずにぺろりと平らげるのです。
『が…頑張んなきゃ!』
黒うさぎは自分を励まそうと、大好きな茶うさぎを見たり《ご褒美》を見たりします。
今年の《ご褒美》は、黒うさぎと茶うさぎを模したとても可愛らしい砂糖菓子です。
ギーゼラが作ってくれる砂糖菓子は材料の砂糖が変わっていて、口の中に入れるとふわぁ…と雪のように溶けて何とも言えず美味しいのです。
「う…むむぅんっ!」
がふ…っと口に入れたゲゲボを咀嚼出来ずにむごむごしている黒うさぎ…涙を浮かべながら苦しんでいるその様に、今年も茶うさぎの方が死にそうな顔をしておろおろと見守っています。
「ユーリ…頑張って!」
「ん…んぐぐっっ!」
ごぎゅりん…っと、嫌〜な喉越しを残してゲゲボが飲み込まれると、黒うさぎのつぶらな瞳には零れそうな程の涙が盛り上がってきます。
耳は可哀相なくらい項垂れてふるふると震えていますし、口元を押さえる小さなおてても爪の色が薄くなっているほどです。
「ああ…ユーリ、本当に頑張りましたね!さぁ、ご褒美の甘いお茶と砂糖菓子を食べて下さい!」
茶うさぎは黒うさぎを抱きかかえんばかりにして賞賛すると、自分の分の砂糖菓子まで《食べて下さい》と言って黒うさぎにくれました。
黒うさぎが何も考えられずにぱくりと砂糖菓子を口に入れると、ほわぁ…と夢心地の味と感触とが口腔内を幸せで満たしてくれます。
ですが…我に返って思いました。
『しまった…折角コンラッドの形をした砂糖菓子だったのに、俺としたことがじっくり観察もせずにぱくりとやってしまったぞ?』
もっと隅々まで眺め回してから食べれば良かったと後悔しました。
それに、コンラッドは甘いものをあまり好みませんが、この砂糖菓子だけは特別に好きなことを黒うさぎは知っていました。
だって、いつも貰うたびににこにこしながら黒うさぎの形をした砂糖菓子に見入っていて、それこそ嘗め回さんばかりの熱意で色んな角度で楽しんでから、とてもゆっくりと時間を掛けて食べるのです。
『今年…俺が食べちゃったら可哀相だな』
ですが、茶うさぎはすっかりくれるつもりになっています。
それを今から断るのも逆に失礼な気がします。
『そうだ、半分個にしようか?』
いえいえ…前に同じようなことがあったときには、茶うさぎはこう言って断ったではありませんか。
『とても可哀相で、お尻からでも頭からでもとても囓る気にはなれません。だって、ユーリの形をしたものがまっぷたつになるんですよ?』
なんて恐ろしいことだろうと…茶うさぎは顔を真っ青にして言ったものです。
『…そうだ!』
黒うさぎはとても良い考えを思いついたものですから、耳を元気よくぴぃんと立てました。
そしてぱくりと黒うさぎ型の砂糖菓子を口に含むと、身を乗り出して茶うさぎの唇に自分のそれをぷちゅりと押しつけて…。
口移しに、半分溶けた砂糖菓子を茶うさぎにあげたのです。
茶うさぎは驚きのあまり目をまん丸にしていましたが、その後…いつも以上に物凄い時間を掛けて味わい続けていました。
黒うさぎが食べるとあっという間に消えてしまうお菓子なのに、どうしてそんなに長時間楽しめるのでしょう?
何かコツでもあるのでしょうか?
漸く食べ終わった茶うさぎに、黒うさぎはにっこり笑顔で聞きました。
「なぁコンラッド、砂糖菓子美味しかったねぇ!」
茶うさぎもそれはそれは嬉しそうな笑顔で言いました。
「ええ、俺はあんなに甘くて美味しいお菓子を食べたのは初めてですよ!」
『あの砂糖菓子は何回か食べたことがあるけどなぁ…』
と、黒うさぎは少し不思議に思いましたが、茶うさぎが幸せそうなので言わないことにしました。
それに…言われてみれば確かに、茶うさぎに触れた唇はいつまでも甘くて美味しいような気がしたのです。
Bうさぎ達のすてきな水遊び
黒うさぎは茶うさぎに連れられて、お昼前に湖に来ました。
「うわーいっ!水泳水泳!」
黒うさぎはたったと服を脱ぐと、大急ぎで水着に着替えました。
今年はいつものぷくぷくパンツではなく、コンラッドがちゃんとした水泳用短パンを作ってくれましたので、ちょっとした大人気分です。
おいっちにぃと準備運動をしたあと水に足をつけると、今年初めての湖はとてもひんやりとしていましたので、黒うさぎは《きゃあっ!》と歓声を上げて飛び跳ねてしまいました。
そんな様子を茶うさぎは楽しそうに見つめていましたが、何故だか今年は服を脱ぎません。
「コンラッド、楽しいよ!一緒にばしゃばしゃしようよ!」
「すみません、ユーリ。俺はちょっとお腹が痛いので、ここで見ていますよ」
「そう?」
黒うさぎは少ししょんぼりしましたが、そのうちスイスイと泳ぎ始めました。
「あまり遠くへ行ってはいけませんよ。急に深くなるところや、流れのあるところがありますからね」
「分かったー」
元気よく答えると、黒うさぎは泳ぎながら器用に手を振りました。
茶うさぎは一羽になると、小さくため息をつきました。
茶うさぎも出来れば一緒に泳ぎたいのですが、今年は早くから暑い日が続いているせいか、湖には沢山のうさぎが詰めかけているのです。
茶うさぎは他のうさぎの前で服を脱ぐのが少し嫌いでした。
何故って、茶うさぎの身体には戦争でついた傷が物凄くたくさんあるのです。
知らない兎はそれを見ると、ぎょっとしたりじろじろと横目で見たりします。
茶うさぎ自身は別にどうでも良いのですが、そんな様子を黒うさぎに見られるのはとても嫌なのです。
黒うさぎの前では、なるべく他のうさぎにも《格好良い》と言われていたいのです。
誰だって、好きなうさぎには自分の良いところを見て欲しいでしょう?
ところが、茶うさぎの見つめる先で急に黒うさぎが藻掻き始めました。
「ぷぁ…コンッ……ぅぷ!」
「ユーリ!」
目が眩むような焦燥感を覚えた茶うさぎは、素早く服を脱ぐと恐ろしくまでの速度でずんずん黒うさぎのもとに泳ぎ着くと、その小さな身体をがっしりと支えました。
「ふわぁぁっ!ありがとうコンラッド!水着の紐が水草に引っかかったんだよ。危うく溺れるところだった!」
「間に合って良かった…怖かったでしょう?陸に上がって少し休みましょう」
茶うさぎが黒うさぎを抱っこしたまま陸に上がってくると、うさぎ達の目がぐぐっと集まりました。
『しまったな…結局見られてしまったか』
茶うさぎは黒うさぎに気付かれる前にこの場を立ち去ろうと思いました。
ところが、黒うさぎは何だか誇らしげに嘆息しています。
「やっぱりコンラッドは凄いねぇ!格好良いからみんな見てるよ?」
「…………それは意味合いが違うのでは?」
茶うさぎは首を傾げました。
その様子で茶うさぎの考えていることが分かったのでしょう。
黒うさぎはほっぺたを真っ赤にして熱弁をふるいました。
「コンラッドは格好良いよ!その逞しくって長い脚とか腕とか!お腹だってガキーンっと割れてるし、胸だってバンっと盛り上がってるし、腰だってきゅうっと細いし、お尻もギュっと締まってるもん!」
「ですが、俺は傷だらけですよ?」
「それもあわせてコンラッドは格好良いもん!嘘だと思うなら、ほら…あの辺のお姉さん達に笑いかけてみなよ!」
しょうことなしに言われたとおり笑いかけてみると、娘うさぎ達は
『きゃーっっ!!』
と黄色い歓声を上げて手を振りましたし、流れ弾に当たったオバハンうさぎたちも頬を染めてぼうっとしています。
これに対して雄うさぎたちは悔しそうな顔をしましたし、自分の二の腕や腹の贅肉を恨めしげに見たりもしました。
「あのぅ…良かったら、あたし達とボール遊びでもしませんか?」
「あら、あたし達とよ!」
娘うさぎ達は急に積極的になって茶うさぎを取り囲みました。
これには思わず黒うさぎの頬がぷくぅっと膨らみます。
どうしてでしょう…何だか苛々して嫌な気分です。
娘うさぎ達のすらりとした手足やふっくらと豊かな胸やお尻に比べ、自分のぷくぷくとしたズン胴だの、短い足だのがどうにも見窄らしいものに感じてなりません。
「どうします?ユーリはみんなと遊びたいですか?」
茶うさぎにそう訊ねられた瞬間に、黒うさぎの苛々は頭のてっぺんに達しました。
「コンラッドだけ遊べよ!俺は遊ばないっ!!」
ああ…茶うさぎも娘うさぎ達も、みんな吃驚してこちらを見ています。
こんなのは最悪です。
とても酷い態度です。
そもそも、茶うさぎに《笑いかけろ》と勧めたのは黒うさぎに他ありません。
こんな振る舞いをして困らせるのはとても理不尽なことでしょう。
黒うさぎにだってそんなことは分かっています。
でも…止められなかったのです。
自分がどうしようもなく馬鹿で幼い生き物に感じられて、黒うさぎは今すぐ穴を掘って隠れてしまいたくなりました。
ですが、茶うさぎはにっこりと微笑むと娘うさぎ達に言ったのです。
「すみませんが、また次の機会にお願いします」
「えぇーっ!?」
娘うさぎ達は暫くぶぅぶぅ言っていましたが、茶うさぎは慣れた態度で上手にいなしましたし、黒うさぎがしょんぼりして耳を項垂らせ…黒瞳を潤ませて
『ごめんなさい……』
と言うものですから、最後には笑ってさようならをしてくれました。
黒うさぎは茶うさぎの腕の中でちんまりと縮こまって聞きました。
「良かったのかよコンラッド…お姉さん達、可愛いかったろ?」
茶うさぎは優しく微笑みながら言いました。
「あれで良いんですよ、ユーリ。だって、ユーリの方がもっとずっと可愛いですから」
Cうさぎ達のすてきな昼ご飯
お昼になると、茶うさぎは用意していたお弁当を広げました。
二羽で一緒に作ったお弁当はサンドイッチ、サラダに果物…とても美味しそうです。
お腹の空いていた黒うさぎは《いただきます》の合掌が終わるやいなや、かふかふとサンドイッチを頬張りました。
「ユーリ、あまり慌てると喉につかえますよ?」
「大丈…ふぐ!?」
山口県の名産海産物のような声をあげて、案の定黒うさぎはサンドイッチに噎せました。
茶うさぎはくすくす笑いながら、背をぽんぽんと叩いてくれます。
そんなこんなで殆どのお弁当を平らげた二羽でしたが、最後に細長く切ったにんじんが一本だけ残りました。
「ユーリ、どうぞ食べて下さい」
「俺はもう一杯食べたよ!コンラッドこそどうぞ!」
お互い勧めあって、なかなか手をつけません。
そこでユーリは良いことを思いつきました。
ただし…言うまでもありませんが、《良いこと》というのは黒うさぎの主観における良いことです。
「折角だからゲームをしよう!こないだヨザックに教えて貰ったんだ!」
「ゲーム…ですか?」
黒うさぎ的《良いこと》と、オレンジうさぎが結合したときの化学反応はこれまで、随分と茶兎を困惑させてきました。
…なにやら少々身構えてしまいます。
「うん!あのね、この両端から二羽で食べっこして、折れずに最後まで食べたら一緒に拍手でお祝いするんだって!」
「………え?」
茶うさぎは何かが背中を流れていくのを感じました。
それは《大うさぎとしての分別》とか《羞恥心》と呼ばれるものでありました。
同時に、もう一つ気にかかることもあります。
「………ヨザと…そのゲームをやったのですか?」
思わず絵図らが頭に浮かんできて、茶うさぎは酷く胸がむかむかしました。
この場にオレンジ兎がいたら軽く撫で斬りしたいような気分です。
「ううん、やってないよ。《隊長とやってごらんなさい》って、凄くにこにこして言ってた」
「そう……ですか」
一安心したものの、またしてもオレンジ兎の思惑がつかめてしまいましたので、茶うさぎは一度本気であの友人を《どうにか》しようと決意しました。
「ねえ、やってみる?」
「いえ…俺は、その……」
その話はまだ続いていたようです。
茶うさぎが狼狽えているのが分かったようで、黒うさぎは耳を垂れさせてしょんぼりしました。
『だからユーリ……そんな潤んだ瞳で上目遣いに見つめないで下さい…っ!』
『そして噛みしめた桜んぼのような唇に小さなお手々を当てないで下さい!』
茶うさぎは悶絶しました。
「…つまんない?」
そう聞いてきた声の語尾が微かに震えているものですから…
…茶うさぎにはもう選択の余地は残されていませんでした。
「ヤリマショウ……トッテモ、楽シソウデスヨネ……」
茶うさぎはカタカタした語調と動作で同意しました。
カリカリ…
カリカリカリカリ………
両端からにんじんを囓っていくと、すぐ間近に黒うさぎと茶うさぎの瞳が近づいてきます。
その何とも言えず幸せで…同時に、どうにもこうにも恥ずかしい《ゲーム》を続ける間、茶うさぎはずっと思っていました。
『二羽だけの時だったらどんなに楽しかったか…っ!』
湖に来ていた他のうさぎ達も、その間ずっと思っていました。
『目を合わせてはいけない…っ!』
D黒うさぎのすてきなお昼寝
湖から帰ってくると、黒うさぎは昼寝用の新しい寝間着に着替えました。
汗を吸いやすい青色のコットンタオルに紐を付けた腹当てには、黒うさ型のアップリケもついています
(これは濃灰色うさぎのグウェンダルが作ってくれました)。
パンツも今年の夏からはぷくぷくパンツではなく、ひも付きの柄パンなのでちょっと大人気分です。
そして、腹当てとお揃いの素材で作ってもらったふかふかの枕と、茶色いうさぎ型ぬいぐるみ(これは全身が毛で覆われた小型のうさぎ型ということで、コンラッド型ということではありません)も真新しいものでしたので、黒うさぎはご機嫌で横になりました。
「お休み、ユーリ」
「おやすみ、コンラッド。おやつの時間になったら起こしてね!」
茶うさぎは大きな葉っぱの団扇で黒うさぎに微風を送りながら、一方の手で手元の紙を捲りました。
この紙はグウェンダルやヨザックに都合して貰った、この森界隈やその周辺諸国に関する様々な資料です。
茶うさぎは以前の戦争の時に思ったのです。
戦争というものは一度起こると雪崩や津波のようにどうどうと押し寄せてきますから、一羽や二羽のうさぎの力では止められなくなってしまいます。
茶うさぎは決して黒うさぎに自分が味わったような苦しみを舐めては欲しくありませんでしたから、可能な限り…戦争を未然に防ぐ為の努力をしているのです。
しかし…今日はこの作業にとって大変な《敵》が待ち受けていました。
「ん……くぅ……ん……」
可愛らしい声で小さく鳴きながら、黒うさぎが寝返りを打っています。
茶うさぎはなんとか視線を外そうとしますが、視界の端にきゅうっとぬいぐるみを抱きしめる黒うさぎの姿が入ってくると…ついつい頬が緩んでしまいます。
『いかんいかん!』
茶うさぎは椅子の角度を変えて、黒うさぎから完全に視線を外しました。
ですが…尚も《ふなふな…》と、幸せそうな黒うさぎの声が耳を擽ります。
「コンラッド……大好きぃ……」
ぴくりと茶うさぎの眉が跳ね……つい振り返ってしまいました。
黒うさぎは茶うさぬいぐるみをぎゅぅ…っと抱きしめて、ぷちゅう…っとキスをしていました。
「……っっ!!」
茶うさぎの頬が真っ赤に染まってしまいました。
ここに誰もいなかったのがせめてもの幸いでしょう。
オレンジうさぎ辺りに見られたら、なんと言われるか分かったものではありません。
「………………」
茶うさぎはカタリと椅子を立つと、引き出しを捜して綿を取り出し、濡らしたそれをきゅきゅっと耳に詰めました。
茶うさぎはやっと訪れた静寂の中で思いました。
『一分一秒でも早く、この資料を頭にたたき込んでしまおうっ!』
どんな理由であれ、集中を促す要素というものは大切にすべきでしょう。
* * *
『やった…やり遂げた……っ!』
通常の3倍の早さ(それはもう、仮面の軍人が赤い人型モビルスーツに載って動くくらい早く)で資料を頭にたたき込みました。
取るべき対処法について、グウェンダルへの意見書も作成し、成し遂げるべき事を全てやりきりました。
茶うさぎは、耳から素早く綿を引き抜くと、黒うさぎを起こさないようにそぅ…っと歩み寄り、寝床の傍に腰掛けました。
ああ…数時間ぶりに直視する黒うさぎの姿のなんと愛らしいこと!
相変わらず茶色いうさぎぬいぐるみを抱え、
すくぅ…すくぅ…
…と、健やかな寝息を立てている黒うさぎは、幸いなことに当分目覚める気配はなさそうです。
すべやかな額に寝汗がうっすらと浮かぶのをタオルで優しく拭いてやれば、心地よいのかすりすりとすり寄ってきます。
『可愛いなぁ…とっても健康に…元気に育ったものなぁ……』
茶うさぎは父親めいた感慨を胸に、大切な黒うさぎの髪を梳いてやります。
「ん…ん……」
不意に…ぷくぷくとした腕をぐいーんと伸ばして寝返りを打った途端、少し縛りが緩かったのでしょうか…首で結んでいた腹当ての紐がはらりとほどけて…
…黒うさぎのふっくりとした胸のふくらみと、その先っぽで色づく桜色の蕾…肋骨から脇腹にかけての意外なほどしなやかなラインが露わになったのです。
黒うさぎの裸なんて毎日見ています。
『ああ…可愛いなあ……』
と、毎日思っている事は否定しません。
ですが…こんな風に不意打ちに、少しずつ大兎(おとな)になりかけている黒うさぎの様子を見せつけられると、急にぎゅ…っと胸が苦しくなってしまいます。
すくぅ…すくぅ…
何も知らずに、穢れを知らぬ笑顔を浮かべて黒うさぎは眠り続けています。
まるでお伽噺のお姫様のようです。
そして…寝涎のせいで微かに濡れた桜んぼのような唇が、にぱぁ…と微笑んで呟きました。
「コンラッド………好きぃ…大好きぃ………」
「………っ!」
その有様は、とても健やかで健康的なのに……
茶うさぎの心は《父親》というカテゴリーから脚を踏み外しそうになります。
「ユー…リ……」
黒うさぎの唇に一瞬触れるだけのキスをして…
……茶うさぎはばっと身を弾かせました……。
* * *
「あれ?コンラッド、また水浴びしたの?」
「ええ…とても暑かったので……」
黒うさぎが目を覚ますと、茶うさぎは庭にいて全身水浸しになっていました。
庭の横には小さいけれどかなり勢いのある滝があります。
どうやらそこで滝に打たれていたようです。
「そう言えばそうだなぁ…ねぇ、コンラッド。俺もおやつの後に滝で遊んでも良い?」
「ええ…いいですよ。あそこなら流されることもありませんし…頭もすっきりしますからね」
『別に頭はすっきりしなくて良いんだけどなぁ…』
黒うさぎはそう思いましたが、茶うさぎが微妙な顔をしているので何も言いませんでした。
『きっと、国のこととかセイジのこととか、難しいことを考えすぎて頭が疲れちゃったんだな。コンラッドはとても勉強家だもの』
黒うさぎがそう思ってくれたことが、茶うさぎにとってはせめてもの慰めでしょう…。
↑ こちらは眞魔国森に来てすぐくらいの仔うさぎたん時代。
パンツはぷくぷくでした。
Eオレンジうさぎの悲惨なティータイム
昼寝から目が覚めた黒うさぎは、顔を洗うと茶うさぎの用意してくれたカップケーキを食べました。
カップケーキにはドライフルーツがふんだんに入っており、とても香ばしい味がします。
黒うさぎが満足そうに頬を膨らませて(それはもう、ハムスターの餌袋のように)居る様子を、茶うさぎは実に嬉しそうにみつめています。
資料を短時間で頭にたたき込んで少し疲れていたのですが、黒うさぎの姿を見ていると、そんな辛さがほろほろと溶けていくのが分かります。
黒うさぎの笑顔は茶うさぎの身体の隅々にまで行き渡って、老廃物質をやっつけてくれるのかも知れません。
チリリーン
その時、家の呼び鈴が音を立てました。
「おーや、良い匂いがしますねぇ!隊長、坊ちゃん、俺も混ぜて頂けますか?」
お客はオレンジうさぎのヨザックでした。
グウェンダルの指示で遠くの国に行ってきたヨザックは、報告を終えた脚でそのままこの家を訪ねてきてくれたのです。
お土産もたんとあります。
茶うさぎには頼まれていた最新の情勢資料と、小瓶ではありますが良い味のするお酒。
黒うさぎには素敵な薫りのする香玉と、真新しいボールをくれました。
そして3羽は一緒にお茶を楽しみました。
その最中、オレンジうさぎを見ている内に黒うさぎはあることを思い出しました。
「なぁヨザック!こないだ俺に嘘ついたろ!?」
眉根を寄せて言う黒うさぎに、オレンジうさぎは首を傾げました。
心当たりがなかったわけではありません。
ありすぎて、どれのことだか分からなかったのです。
「えぇ〜と…何の話でしたっけ坊ちゃん」
「キスをたくさんしたらコンラッドの赤ちゃんが産めるって言ってたけど、コンラッドに聞いたらそのやり方じゃあ産めないって言ってたぞ!?」
「ははぁ…それは失礼。こりゃ、俺の勘違いでしたかね?」
オレンジうさぎは独特のニヤニヤ顔で茶うさぎを見やりました。
その質問を受けたときの茶うさぎの様子を思い浮かべていたのでしょう。
「それで、本当のことは分かったんですかい?」
「うん!ツェリ様が教えてくれたんだ!ドレスを着ると産めるんだって!」
「へぇ……」
オレンジうさぎは爆笑したいのを直前で堪え、ふるふると肩を震わせました。
ギロリと睨み付けてくる茶うさぎ視線が突き刺さります。
「でも、今日はドレスを着てらっしゃうませんねぇ?グリエも坊ちゃんの可愛い格好見たかったわぁ…」
「うーん…俺にはまだ早かったみたい。ドレスを着て歩くと、色んな所に引っかけちゃうんだ。それに、コンラッドも俺と一杯遊びたいから赤ちゃんはいらないって言うんだけど…でも、やっぱり俺…欲しいなぁ……」
「へぇ、そんなに赤ちゃんが欲しいんですか?」
「うん、なんだったらヨザックの赤ちゃんも産んであげようか?」
ぶふぅっ!
流石に堪えきれなくなったオレンジうさぎが、お行儀悪くお茶を吹き出してしまいました。
「お…俺の赤ちゃんまで産んでくれるんですか?」
茶うさぎの眼光が頬に痛いほど突き刺さります。
『ぷくく…隊長に殺されそうだなぁ』
「うん、それでオレンジや茶色や黒やまだらの雑種うさぎを一杯産むんだ!そしたら、コンラッドの仲間が一杯出来るだろう?」
オレンジうさぎは目を見開きました。
《仲間》という言葉で、黒うさぎの本当の望みに気付いたからです。
この小さな黒うさぎは、自分に思いつく精一杯のアイデアで…真心と祈りを込めて茶うさぎを幸せにしようといつも必死なのです。
時に的はずれだったり、逆効果であることさえあるかも知れませんが…
その心根はとても美しく、愛おしいものだと思うのです。
オレンジうさぎは柄にもなく目頭が熱くなってくるのに驚いて、一生懸命それを誤魔化そうとしました。
だから…思わず言ってしまったのです…。
言う瞬間、流石に《下品かな?》《隊長が怒るかな?》と気が咎めもしましたが、心のどこかで《まぁいいや》という声が聞こえました。
だって、言っても黒うさぎには意味は通じないでしょうし、茶うさぎは軍隊時代には上官でしたが、それより昔からずっと続いている友達です。
ですから、少々オレンジうさぎがたちの悪い冗談を言っても、茶うさぎは眉根を寄せつつも許してくれました。
ですから、この時もそうだと思いこみ…口を塞ぎきれなかったのです。
「ねぇ坊ちゃん、本当に俺と隊長の赤ちゃんを産んで下さるんで?」
「うん、いいよぅ!」
黒うさぎは小さな拳でどんっと胸を叩いて請け負いました。
「じゃあ…俺と隊長とで、坊ちゃんの下のお口にたぁ〜っぷり、ミルクを飲ませてあげますね!」
語尾にハートマークをつけてそう発言した瞬間、オレンジうさぎの運命は決まったのです。
「わぁ!凄いコンラッド!力持ちだねぇ!!」
黒うさぎは驚きで目を一杯に見開き、オレンジうさぎは恐怖で頬を引きつらせていました。
なんということでしょう…筋骨隆々としたオレンジうさぎの身体は、茶うさぎに襟足を掴まれ、腕一本で宙に浮かばされていたのです。
しかも…オレンジうさぎには、今…茶うさぎから放たれている気配に覚えがありました。
これは、5年前…戦争の折に敵味方からだれ言うともなしに呼ばれ始めた《獅子》の名に相応しい…明確で獰猛な殺気です。
「ユーリ…俺は少しヨザックと話しがあります。お片づけをお願いして良いですか?」
「うん、いいよ」
『そうだよなぁ…時々は大人の友達だけで話したいこともあるよなぁ…』
分かってはいるのですが…なんだかオレンジうさぎが羨ましくてしょうがいない黒うさぎでした。
『いけない、いけない…湖の時のことといい…今日の俺は何だか変だ。コンラッドを誰にも取られたくないなんて、それは酷い我が儘だ』
普段あれだけ茶うさぎを独占しているのだから、時にはしっかりと我慢しなければならないときもあるでしょう。
「あのー……隊長。俺も坊ちゃんのお手伝いを……」
「いや…いい、ヨザ……」
茶うさぎは小さく耳元で囁きました。
『皿よりもカップよりも…俺は今すぐ、お前を片づけてしまいたいんだよグリエ・ヨザック…』
それから暫くの間…オレンジうさぎの姿を見た者は居ませんでした。
Fうさぎ達のやきもち夕ご飯
その日の晩ご飯はトマトの冷製スパゲティとにんじんのグラッセ、南瓜のポタージュスープに焼きたてのライ麦パン。デザートにはよく熟れた白桃もついてきます。
そのメニューは黒うさぎの大好きなものでしたが、どうしてだか今日はいつもより美味しく感じられません。
「どうしました、ユーリ…お腹でも痛いんですか?」
「ううん…そんなことないよ……ねぇ、コンラッドこそ食べてないんじゃない?」
「俺は…おやつを食べ過ぎたかな?」
そんなはずはありません。
茶うさぎはおやつのカップケーキを一つ摘んだだけで、後はずっと橙うさぎと連れだって…どこかに行っていたのですから。
そういえば…黒うさぎは一羽で食べたおやつがとても味気なかったことを思い出しました。
朝起きてから今日一日で食べたものは(ゲゲボの実はともかくとして)どれもこれもとても美味しかったのに…。
ハムエッグにふかふかの白パン、砂糖菓子にサンドイッチ、果物とサラダ(にんじんのスティックは特に美味しかったように思えます)、茶うさぎと食べ始めたとき、最初に口に入れたカップケーキ…。
美味しいと思えたのはそこまででした。
茶うさぎが行ってしまった後のお家の中は急にがらんどうに見えてしまって…
ぱくりと口にしたカップケーキが、酷くもそもそと乾いて感じられて…
喉がきゅうっと縮こまりました。
ちょっと…涙が出そうでした。
でも、一生懸命我慢しました。
何故って、茶うさぎは年がら年中黒うさぎだけを見ているわけにはいかないことを知っていましたし、橙うさぎが大切なお友達だということを知っているからです。
ですが、知っていることと平気でいられることは別物です。
黒うさぎのように小さなうさぎにとっては、特に大変なことなのです。
『でも…おかしいなぁ……。おやつの時はともかく、今はコンラッドと二羽でいるのになぁ…』
どうしてまだ《美味しい》と感じられないのでしょう?
それはきっと、茶うさぎが少し不機嫌だからかも知れません。
「ねぇ、コンラッド。ヨザックと何のお話をしたの?」
「…大したことではありませんよ」
そう、話は大したことはありませんでした。
ただ、その結果生じた事態は橙うさぎにとっては人生で忘れがたい災難となりましたが、まだ生命を保てているだけましというものです。
「そう…」
黒うさぎは一層、食べ物の味がどこか遠くへ飛んでいってしまうのを感じました。
『友達同士の秘密の話しをしたんだ…』
仕方のないことと分かっていても、黒うさぎの小さな胸は痛みます。
「ユーリは…ヨザの事がそんなに気になりますか?」
「……うん」
意味を微妙に取り違えて黒うさぎは頷きました。
黒うさぎが気になっているのはあくまで茶うさぎの事だったのですが、茶うさぎと橙うさぎと仲が良いことを気に掛けていたので、そんなに違う話でもないと思ったのです。
茶うさぎの方はと言うと…黒うさぎの返事にぴくりと眉を跳ね上げました。
「……………ヨザが、好きですか?」
「うん、好きだよ?」
幾ら茶うさぎとの仲に嫉妬しているとはいえ、橙うさぎは橙うさぎで好きなので、黒うさぎは素直にこっくりと頷きました。
茶うさぎの眉はますます吊り上がります。
「………………ヨザの赤ちゃんを産みたいくらい……好きですか?」
言い回しがちょっと変な気もしましたが、黒うさぎは勢いで頷きました。
橙うさぎの赤ちゃんを産んでも良いと言ったのは確かですし、橙うさぎを好きなのも確かだったので、その二つがそんな具合に結びつくとは思わなかったのです。
茶うさぎの眉間の皺は深々と刻み込まれ、いまや彼の兄の濃灰色うさぎと同じくらいの深さにまで到達していました。
ですが、茶うさぎは心の中で吹き荒れる嵐をなんとか爆発する寸前で押しとどめると、真っ青な顔色のまま席を立ちました。
「ユーリ…俺はどうも腹の調子が悪いようです。俺はこれでごちそうさましますね」
茶うさぎは殆ど食べていない夕飯を、トレイに載せて運ぼうとしました。
そんな茶うさぎの様子を見て、黒うさぎははっとして動きを止めたかと思うと…真っ黒で大きな瞳には見る間に水膜が張り…ぎゅうっと瞼を伏せた瞬間にぼろぼろと大粒の涙がこぼれ出しました。
ぎょっとしたのは茶うさぎです。
「ど…どうしましたユーリ!?」
「コンラッドの…嘘つきっ!」
「は!?」
「馬鹿馬鹿馬鹿っ!大っ嫌い!!」
茶うさぎは一体何のことか分からずにおろおろしてしまいました。
嘘つき…何のことでしょう?
橙うさぎと同様、茶うさぎも心当たりがありすぎてどれのことだか咄嗟にはわかりません。
雄うさぎには赤ちゃんが産めないことでしょうか?
毎日黒うさぎの背中やお尻を撫でるのは、マッサージによる健康保全の為ではなく単なる趣味だということでしょうか?
それとも、秘密裏に橙うさぎを始末したことでしょうか?
最後の理由だとすれば、茶うさぎのこころは一層激しく引き裂かれます。
けれど黒うさぎの言葉はそのどれでもなく…
まるっきり地球の裏側からやってくるような勘違いだったのです。
「コンラッドは…俺に赤ちゃんを産ませてくれるつもりなんて本当は全然ないんだ!本当は…ヨザックに赤ちゃんを産ませたいんだ!」
「はぁぁぁぁっっっっっっ!?」
茶うさぎは絶叫しました。
無理もありません。
橙うさぎは男前ではありますが、男前な男に赤ちゃんが出来そうな行為を出来るほど、茶うさぎは男前ではありません。
そんなことで男前と呼ばれるなら、一生涯なりたくなんかありません。
「お…俺が子どもだと思って馬鹿にして…っ!ヨザックと二羽で笑ってたんだろ!?そんで、二羽で赤ちゃんが生まれるように下の口でミルクを飲んでたんだ!お、俺が…下の口のことを知らないと思ってっ!」
黒うさぎはしゃくりあげながら涙をこぼしていましたが、意を決したように立ち上がると…
ガターンッッ!!
机から離れたところに椅子を持ってきて思いっきりひっくり返しました。
これは黒うさぎの意思表示…反抗の狼煙(のろし)です。
本当は机もひっくり返したいところでしたが、そうすると食べ物がひっくり返ってしまいます。
食べ物を粗末にすると、眉毛の端がグルグル巻きになった金髪のコックさんがやってきて死ぬほど蹴り回されると聞いているのでそれは出来なかったのです。
「もう俺は我慢なんかしないからな!ヨザックがコンラッドの友達だと思うから一生懸命我慢したけど、もう絶対我慢なんかしないっ!コンラッドが俺よりヨザックに赤ちゃんを産ませるなら、俺は絶対絶対邪魔してやる!!俺はシットのオニになってやるっっ!!」
ぎぃんっ!と精一杯の迫力を込めて茶うさぎを睨みつけますが、何故だが茶うさぎは真っ赤になって口元を押さえています。
『怒った顔も可愛…いやいや………っ』
茶うさぎは胸の中で鳴り響く…乙女のようなときめきの鐘に合わせ、踊り出したくなる脚を必死で止めました。
『ユーリは…俺とヨザの仲に嫉妬していたのか…っ!』
それでは、なぜ橙うさぎの赤ちゃんを産みたいなどと言い出したのでしょう?
「ユーリ…俺はヨザになんか赤ちゃんを産んで欲しくありませんよ?」
「嘘つき!俺はもう騙されないからな!!俺を昨日までの俺だと思うなよ!?俺はもう何でもかんでもコンラッドの言うとおり鵜呑みになんかしないんだっ!!」
「嘘なんかつきません…それに、ユーリこそ俺の赤ちゃんを産んでくれるって言ったくせに、どうしてヨザの赤ちゃんも産むなんて請け負ったんですか?」
茶うさぎが広い肩を竦めて仔うさぎのように…拗ねたように言うものですから、怒り心頭に達していたユーリも少し勝手が違ってしまいます。
「だって…ヨザックはコンラッドと仲良しだから…オレンジ色のうさぎもいた方が賑やかになって、コンラッドが喜ぶと思ったんだもん!だから俺…本当はオレンジは好きじゃないけど、我慢しようと思ったんだもん…っ!でも、俺はもう我慢しないって決めたんだから、ヨザックの赤ちゃんなんか、コンラッドが頭を下げたって絶対産んでやらないっっ!」
それは願ったり叶ったりというものです。
「ええ、産まなくていいですとも。だって…俺の赤ちゃんを産んでヨザの赤ちゃんまで産んだら、ユーリは《浮気者》と呼ばれてしまいますからね」
「え…?」
きょとんとして黒うさぎは瞳を大きく見開きました。
「う…浮気者って……」
「大好きなうさぎを何匹も持つうさぎはそう呼ばれるんですよ?そして、結婚しているうさぎがそういうことになると、大抵は夫婦喧嘩をして…酷いときには離婚してしまうんです」
「………っっ!!」
茶うさぎの言葉を鵜呑みにしないと決めたばかりでしたが、そう言えば先日…近所の奥さん達が話しているのを聞いたことがあります。
『ねぇ聞きまして?ほら…あの奥さんったら…』
『そうそう、旦那の留守の間に若いうさぎと懇(ねんご)ろになってたんですって?』
『まぁあ…!私、前から思ったましたのよ!あの雌はいつか浮気をするってね!尻軽で、酷くふしだらな性質なんですもの!』
浮気者…
尻軽…
ふしだら……
茶うさぎは、黒うさぎが橙うさぎの赤ちゃんを産むと言い出したときに…そんな風に思ったのでしょうか?
だからあんなに不機嫌だったのでしょうか?
『馬鹿なのは…俺だ……っ!』
黒うさぎは急に足下がぽっかりと空虚な坑になって、自分の身体がどこまでも墜ちていくような気がしました。
茶うさぎを《嘘つき》呼ばわりしました。
茶うさぎに《馬鹿》とか、《大嫌い》とか言いました。
茶うさぎはただ、黒うさぎの愚かな考えをなんとか上手に窘(たしな)める方法を考えていただけなのに…
いきなり《浮気者》とか《ふしだら》なんて言ったら、きっと黒うさぎが傷つくと思ったから…
「ごめ…なさ…………」
今度はさっきとは違う涙が溢れてきて…黒うさぎはしゃがみ込むと、膝を抱えてぷるぷると肩を震わせました。
その肩を、そっと茶うさぎの腕が包み込みます。
気がつけば黒うさぎの身体は茶うさぎの胸の中にすっぽりと収まって、頬を濡らす涙をぺろりと舐め上げられてしました。
「可愛いユーリ…俺の大切なユーリ……。決してヨザなんかにあげないよ。だから、赤ちゃんを産むのなら、俺の仔だけにして下さいね」
「俺のこと……嫌いになってない?」
「嫌いになんてなれるもんですか…っ!ねぇ、ユーリ…俺の言うことを何でもかんでもは信じられなくても良いから、これだけはどうか信じて下さい」
「…なぁに?」
ふしゅ…と鼻を啜りながら、赤く染まった目元で見上げてくる黒うさぎをうっとりと見つめながら、茶うさぎは甘く囁きました。
「俺はこの世界の誰よりも、ユーリが大好きですよ」
「俺だって、宇宙で一番コンラッドが好きだよ?」
「それなら俺は過去・現在・未来の時空の中で存在したどんなものよりもユーリが一番に好きですよ?」
「うーんとうーんと…」
黒うさぎは一生懸命考えますが、それよりも大きなものが思いつきません。
「もっとずっと好きだけど…ちゃんと言葉に出来ないから、今度考えとく」
「ええ…沢山勉強して、凄い愛の言葉を俺に下さい」
「うん、凄く凄く凄い…コンラッドが吃驚して腰を抜かすようなのを考えとくからね!」
その後…二人で食べた夕ご飯は、今まで食べたどんなご飯よりも美味しく感じました。
Gうさぎ達のすてきなバスタイム
茶うさぎのおうちにあるお風呂は、真っ白な琺瑯製のバスタブです。
良く磨かれたバスタブにたっぷりお湯を注ぎ、二羽は肩までお湯につかって歌をうたいました。
離れに作られた小さな浴室中に、すてきな歌声が広がります。
けれど、黒うさぎは急に何かを思い出したのか…ふと自分の足を掴んで裏側をじっと見ました。
「どうしました?何か刺さりましたか?」
万が一にもそんなことが起きないように、気をつけてバスタブを磨いたのですが…。
「ううん、下の口を探してるの。ねぇ、ヨザックの言ってた下の口って何処にあるの?」
「……………………下の口は、16歳になったら開くんです……」
嘘があからさま過ぎです、茶うさぎさん……………。
「何処に?コンラッドにはもう開いてるよね?何処にあるの?」
案の定、黒うさぎに突っ込まれてしまいました。
「俺には開いていないんです。赤ちゃんを産みたい人にだけ開くんです。場所は…チンコと肛門の間です」
「そうなの!?ヨザックには開いてる?ヨザックはドレスも着るもんね!ねぇ、その口にはベロとか歯も生えるの?」
「ヨザはドレスを着るのは好きですが、赤ちゃんは欲しくないそうなので開いていませんよ。そして下の口にはベロも歯も生えません。食べ物を食べるところではありませんからね」
「そうかぁ…じゃあ、俺がずっとずっと《赤ちゃんを下さい》ってお祈りしてたら開く?」
「ええ、きっと16歳になる日には開きますよ」
「…………本当に?」
なんとなく茶うさぎの視線が虚空を見つめているような気がして、黒うさぎは幾分疑わしげに眉根を寄せました。
幾ら純粋無垢な黒うさぎでも、こうも突拍子もない話になると流石に疑いを持つのです。
「本当ですよ?」
茶うさぎはにっこりと微笑んで言いました。
ちょっと開き直ってきたようです。
誤魔化すつもりで誤魔化せば、茶うさぎは大抵のことは誤魔化せるうさぎでした。
「そう…じゃあ、ミルクってなに?山羊チチとは違うよね。赤ちゃんが出来るように飲ませてくれるなら、なにか特別なものだよね?」
…誤魔化しきれなくなってきました。
「……それは、実は…大変言いにくいことなのですが…とても品がないというか…あまりおおっぴらに他のうさぎの前で口にしたりすると眉を顰められる類の話なんですよ」
「そうなの?」
「ええ、実は…男のチンコからは赤ちゃんの種が出てくるんです。それが白い液体なのでヨザは《ミルク》と呼んだんです」
「ち…チンコから出るの!?おしっこじゃなくて赤ちゃんの種が出てくるの!?種なのに液体なの!?」
黒うさぎは吃驚して飛び上がってしまいました。
「本当に?俺からも出るの?」
「出始めるのは9歳か10歳くらいですかね…。でも、それを出すのはとても特別なときだけ…赤ちゃんを作ったり、恋人や夫婦が愛情を確かめ合ったりするときにだけ出すものなので、普段からおいそれとその事を口にするのは恥ずかしいことなんですよ?」
「そうかぁ…あれ?でも、俺はチンコから出た赤ちゃんの種を下の口に入れたら、一人で赤ちゃんを産めたりするの?」
話が複雑なことになってきました。
「何もかも自分一人でしてしまうのはとても寂しいことですから、やっぱり夫婦二人で作るべきなんですよ」
茶うさぎはもっともらしい形で話を落ち着けようとしています。
「そうかぁ…じゃあ、やっぱり俺は16歳まで待って、コンラッドとアイを確かめ合う時に赤ちゃんの種を下の口に入れてもらえば良いんだね」
「そうですよ。ですから、もうこの事は俺以外のうさぎに話してはいけないし、他のうさぎの赤ちゃんを産むなんて約束をしてはいけませんよ?」
「うん!絶対言わないし、しないよ!俺はコンラッドとだけアイを確かめ合えば良いんだもんね!」
………確かにそういうことを頼んだわけですが、純真な眼差しで大真面目に誓われると…何だかとてつもなく自分が酷いうさぎのような気がしてきました。
「早く16歳になりたいなぁ…ねぇ、コンラッド…恋人や夫婦はどうやってアイを確かめ合ったりするの?」
「恋人のキスをしたり、抱き合ったりしますね」
「恋人のキス!?普通のおはようやおやすみのキスとは違うの!?」
……やってしまいました。
茶うさぎがうっかりと口にした言葉に、黒うさぎは瞳を輝かせて食いついてきました。
「ねぇ、コンラッド!下の口が開いてなくてもキスは出来るよね!?上にある普通の口と口でするんだよね!?」
「そ…う、ですね……」
黒うさぎはきゅるりとした大きな瞳で、上目遣いにおねだりしました。
「約束の為に、一回だけ俺に恋人のキスをして!」
「約束…ですか?」
「うん、俺を子ども扱いして嘘をついたりしてないって約束に、本当の恋人のキスをして?」
黒うさぎは固まってしまった茶うさぎに、うるりと瞳を潤ませました。
「……駄目?」
小首を傾げて微かに震える面の中で…さくらんぼのようにふっくらとした愛らしい唇が、きゅ…と噛みしめられます。
湯気を含んで濡れた艶を呈する耳は、へたりと項垂れて…先っぽがふるふると震えています。
殺兎的な可愛さです…っ!
「…………………お、風呂から…上がって…………一羽で着替えと歯磨きが出来たら…」
「してくれる!?」
「はい………………」
茶うさぎは…緑・濃灰色…この際橙色でも良いので突然訪問してきてこの事態をどうにかしてくれることを祈りました。
『一度恋人のキスなんてしたら…俺はユーリが16歳になるまでもつかどうか自信がない………』
Hうさぎ達のすてきな夜
黒うさぎはとてもてきぱきと身支度を調え、歯もしっかりと磨きました。
そして整えた夜具の上にちょこんと正座をしました。
緊張の為にかちこちになって…止められないドキドキ感に頬を上気させている姿は何とも言えず愛くるしいです。
茶うさぎは思わず空を仰ぎました。
濃灰色うさぎのグウェンダルも緑うさぎのギーゼラも橙うさぎのヨザックも来ませんでした。
誰も茶うさぎを止めてはくれません…自分自身の力でこの状況をどうにかしなくてはならないのです。
『俺を子ども扱いして嘘をついたりしてないって約束に、本当の恋人のキスをして?』
黒うさぎはお風呂でそう言いました。
それに対して、つい茶うさぎは頷いてしまったのです。
姑息にも時間稼ぎはしましたが、それもどうやら限界のようです。
茶うさぎは幼い頃から自分の欲望や生理的欲求をコントロールするすべを身につけていて、殆どそれに振り回されたことがありませんでした。
しかし、こと黒うさぎに関することだけは…どうにもこうにもぐるんぐるん振り回されてしまいます。
特に今日は朝から振り回されっぱなしです。
不意打ちの甘い…砂糖菓子のキス。
湖でのニンジンゲーム…。
そして夕飯時の可愛いヤキモチ……。
そしてそして…恋人のキス………。
『恋人…俺は、将来ユーリを恋人にしたいのだろうか?』
茶うさぎは大変モテるうさぎでしたから、黒うさぎと暮らすようになるまでは気に入った娘うさぎと楽しくお付き合いしていたものです。
けれど、結局ご縁がなかったということなのでしょうか?
どのうさぎともすっきりとお別れしてしまいました。
だので、茶うさぎはすっかり自分がそういうことに淡泊なうさぎだと思いこんでいたのです。
付き合っている娘うさぎが別れを切り出してきても止めたことはありません。
(何かを訴えるような熱い目で見ていましたが、理由を問いただすのが面倒だったのです)
『私と仕事、どっちが大事?』
と聞かれれば、
『そういうカテゴリーの違うもの同士の比較を強要する女性よりは仕事でしょうね』
と答えてしまいました。
それでは、黒うさぎが恋人になったとして、別のうさぎを好きになったと言われたらどうでしょう?
………相手のうさぎを二目と見られない姿にしてしまいそうです。
黒うさぎに、
『俺と仕事、どっちが大事なんだよ?』
と聞かれれば、
『貴方です』
そう即答するでしょう。
『………………俺は一体………………』
どうやら、うさぎとしての根本部分にかなりの改変工作が行われているようです。
茶うさぎは…世間に対して大手を振って顔向け出来るような状況さえ整えば、どうやら恋人になる気満々のようです。
ただ、いま現在それが認められる環境でないことは理解しています。
いま黒うさぎをどうにかするということは…
《ロリコン》の称号を得るということです(いや、《ショタコン》になるのでしょうか?)。
こんな幼気(いたいけ)で愛らしい仔うさぎに、舌を絡めるディープキスをするなんて…黒うさぎは、本当にそこの所を理解しているのでしょうか?
『おや……?理解、してないんじゃないのか?』
はた…と、茶うさぎは気付きました。
そして、どきどきと胸を震わせながらお布団の上にちんまりと座っている黒うさぎに、そぅ…っと近寄りました。
「ユーリ…」
「こ…コンラッ…ド……」
黒うさぎの声が緊張で裏返ります。
「愛してます…ユーリ……永遠に貴方だけを……」
ぴるぴると震えるうさ耳を掌で優しく撫でつけ…耳朶に甘く響く声を注ぎ込めば、初めて聞く大兎としての魅惑的な声に…黒うさぎは顔を真っ赤にして動悸を速めます。
『どうしよう、どうしよう…』
黒うさぎは自分から《恋人のキスをして》と言ったのに…急に怖くなってきて、脱兎の勢いで逃げ出したくなってきました。
急に茶うさぎが知らない人のように感じて、恐ろしくなってしまったのです。
とても大兎っぽくて危険な感じがして…なんだか、黒うさぎがまだ踏み込んではいけないところに住んでいる兎のようです。
目を閉じていても…茶うさぎの息づかいが…体温が近寄ってくるのが分かります。
唇が…合わさった瞬間……少し冷たくて弾力のある感触に、黒うさぎはきゅ…っと自分の唇を噛みしめてしまいました。
押しつけるだけのキス…けど、いつもの《チュッ》っと弾むような挨拶のキスとは違います。
じっくりと…相手の存在感を確かめるような触れ合いは、確かに恋人同士特有のものでしょう。
『これが恋人のキスなんだ……』
とてもドキドキしますが、同時に…一秒…また一秒と触れあう時間の中で、黒うさぎの心には溢れるような愛情がふつふつと込み上げてきます。
何だか泣きたいくらい…茶うさぎのことを《愛しい》と思うのです。
ですから、茶うさぎの唇がゆっくりと離れていったときにはとても名残惜しく感じたくらいです。
「はぁ……」
瞼を上げていくと…優しい笑顔を浮かべた茶うさぎがこちらを覗き込んでいました。
危険でも知らないようでもない…いつもの、茶うさぎです。
ほぅーっと肩の力が抜けたかと思うと、黒うさぎは急に激しい眠気に襲われました。
「コンラッド…眠い……」
「そのままお休みなさい。今日はとても色んな事があったから…疲れちゃったんですよ」
「ん…」
丁度お布団の上にいたわけですから、黒うさぎはすんなりと横になりました。
茶うさぎはそんな黒うさぎの傍らに椅子を持ってくると、眩しくない位置を捜してランプをつけます。
橙うさぎの持ってきた資料に目を通すつもりなのでしょう。
黒うさぎはとっても眠かったのですが、ランプに照らされる茶うさぎの横顔をもう少しだけ見ていたくて…
何とか会話をみつけて話しかけました。
「ねぇコンラッド…今日、楽しかったね」
「ええ、とても楽しかったですね」
「また、湖にも行こうね」
「ええ、是非行きましょう」
「来年もまた行こうね」
「そうですね、行きましょう」
「その先もずっとずっと…俺と一緒に湖に行ってくれる?」
「ええ…ずっとずっと、行きますよ」
力強く請け負われて納得したのでしょうか、黒うさぎはにっこりと微笑むと…満足そうに瞼を閉じました。
黒うさぎのさらさらの髪を撫でつけながら茶うさぎは囁きました。
「俺の方こそお願いしますね…この先どんなに貴方が可愛く…美しく成長しても、ずっと俺と一緒にいて下さいね…」
おしまい
* うさぎ達の毎日は、概ねこのように流れていきます *
↑
日々の思考の98%が「ユーリ可愛い」で占められている茶うさぎ氏。
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