2011年バレンタインリレー企画
〜青空とナイフシリーズ〜


「甘いのは嫌?」








『死にそうに甘ったるい…』

 その時、口には出さなかったけれど彼がそういう顔をしていたから、有利は《ああやっぱり》と思った。

 それはボディガードであるコンラート・ウェラーに出会ってから間もない時期、豪奢なホテルのスィートルームで、部屋に置かれていたチョコレートを食べていた時のことだった。

 チョコレートと言えば100円の板チョコとか、ピーナッツを絡めてゴツゴツと岩状に固めたものしか食べた記憶のない有利は、生まれて初めて一粒単価が数百円しそうなチョコレートを口にした。

 とろりと滑らかに溶けていく舌触りはまるで天鵞絨のようで、夢心地になるような味わいだった。目をまん丸にして《凄い!まるで天国の食べ物みたいっ!!》と感嘆の声を上げると、コンラートは唇の端だけでくすりと笑っていた。
 よほど子どもっぽく見えたのだろうか?でも、少なくとも不快そうではなかったので良しとした。

『コンラッドもチョコ食べるかな?』

 こういう時、有利は基本的に喜びを独占するよりも、誰かと分かち合いたくなる。一緒に食べてにっこり笑顔になって、《美味しいねぇ!》と頷き合いたいな…と、思うのだ。

『でもなー、なんか苦手そう』

 いやいや、勝手な先入観で決めつけては拙いかと、一か八か《美味しいから食べてみて!》と勧めたのだが、彼は何度か拒否した上、やっと一粒だけ手を付けた時には、口には出さずとも眉間に寄った皺が、《甘…っ!》という抵抗感を示していた。

『うーん…やっぱそうか。まあ、《氷の刃》とか呼ばれてる人が、《んん〜おいちいっ!》なんてほっぺたに手を添えて言うのも、ちょっと怖いけど』
 
 でも、もうちょっと笑ってくれても良さそうなものだが、コンラートは口では《美味しかったです》と言ったものの、すぐに珈琲を濃いめに煎れて、チョコレートの甘みを打ち消そうとしていた。

 あれから有利はチョコレート等の甘味を食べる機会があっても、コンラートに無理に薦めたりはしなくなった。

 

*  *  * 




 門松やしめ縄が片づけられると、街はピンクと茶色を主体としたカラフルな彩りに包まれる。頂く方ではあまり縁の無かった有利には《早すぎるだろうよ》と思うのだが、渡す側と、売り出す側にとっては切実な問題であるのか、バレンタイン商戦は日に日にヒートアップしていく。

 2月に入れば、何やら《恋人がいるのに買わないのはどうよ》と言わんばかりのプレッシャーまで感じ始めた。コンラートと一緒に文房具を街に買いに行っても、先程からやたらとバレンタイン関係のものが目に入ってくる。

『でもなぁ…明らかに苦手って分かってる相手に渡すのって、嫌がらせに近くね?』

 昔は《甘い物苦手なのに沢山貰って困ってるんだよね》なんて言うモテ男の発言が嫌みにしか思えなかったけれど、切実に苦しそうにしていたコンラートを思い出すと、やっぱりモテる男だって本当にしんどい時はあるのかなと思う。

『どうしよう…』

 ちら…と横目にコンラートの様子を伺うと、街往く女の子達とは違って、ウィンドゥ内のチョコレートやプレゼントの類には全く視線が向かっていない。自然体にしてはいるけれど、彼の意識は常に警備に向けられている。

 《チョコレート》よりも、《ちょいと怪しそうな徒》の方が気になるらしい。

『そもそも、いつも一緒にいるからこっそり用意するとかいうのが難しいんだよね』

 ネットで通販するという手もあるが、やはり届いた時にばれてしまうだろう。

『どうしよう………』

 迷っていると、コンラートが耳元に唇を寄せてくる。雑踏の中だから仕方ないのかもしれないが、そんな風に近寄られると淡く爽やかな香気が漂って、うっとりと目を細めてしまう。
 別段コロンなどはつけていないというから、これはコンラート特有のフェロモンなのだろうか?

 しかも、囁かれる声がまた尾てい骨に響くように佳い声なもので、こんな真っ昼間だというのに閨での甘い一時を想起させられて、ぽっと頬や耳朶が紅く染まってしまう。

「すみません、ちょっと用足しに行ってきますから、ヨザと警備を代わります」
「あ…う、うん。それじゃ、地下街に行っても良い?」
「結構ですよ。すぐに居場所は分かりますから」

 精度の高いGPSを常に身につけている有利は、地下街にいてもちゃんと探知できるし、主の自由な行動を必要以上に制限する気はないのか、コンラートは時折《用足し》を理由に、傍を離れることがあった。

『この間に、チョコ買えるかも!』

 ヨザックを伴って地下街に赴くと、そこは宝石店のような様相を呈していた。色とりどりの豪華な箱に入ったチョコレート達がそれぞれに甘い香りを放ち、艶を競うように照明を弾いて輝いている。
 けれど、幾つか試食に手を伸ばしてみたが、いずれも味わいは素敵だったものの…やはり、甘い。ビターチョコであっても、コンラートの味覚からすればきっと甘く感じるだろうと思われた。

『やっぱ駄目かぁ…』

 そう思いかけていた有利は、ふとあるものを目に留めた。
 
『あ、これにしようか』

 ほっと安堵して手に取ったそれは、多分コンラートでも苦しまずに食べられるようなものだった。



*  *  * 




『くだらない習慣だな』

 コンラートは街中を埋め尽くす《バレンタイン》モードに辟易していた。視覚的にも鬱陶しいが、匂いは更にきつい。デパ地下の製菓エリアになど入った日には、ちょっとした拷問である。
 大体、なんだって聖バレンタインの伝承がチョコレートの半強制的な受け渡しに繋がるのか皆目理解できない。多くの者が製菓会社の陰謀だと知りながら、わざわざ乗っかってやる意味も分からない。

 ただ、世の中の不条理さに忸怩たるものを感じつつも、彼の雇い主が《恋人の為に何かしたい》という気持ちは尊重したいと思う。

 このところ、街に出るとちらちらちらちら彼の視線が向かっていたのは、決まってバレンタイン絡みのディスプレイだった。恋人になってから初めてのバレンタインだから、何かせずにはおられないのだろうか?それに、当の恋人が常に傍にいたのでは、なかなかサプライズ的に購入することも難しいだろう。

『仕方ないな』

 くすりと苦笑すると、コンラートは愛おしい恋人の為に、敢えて傍から離れた。
 ヨザックが主力警備であれば能力的には問題ないし、オカマ喋りをする自称《乙女》は、初な有利の為に有効な助言をしてやれるだろうとも思ったのだ。

 だから、バレンタイン当日を迎えたその日、コンラートは周囲のバカップルどもや、マスコミの浮かれ加減は唾棄していた癖に、有利がいつはにかみながらチョコレートを渡してくるかについては、少し…いや、実のところかなりの勢いで楽しみにしていた。

 甘い砂糖と油脂の塊を口にしなくてはならないのは苦痛だが、有利がドキドキしながら《甘い?どう?チョコ苦手かも知れないって思ったんだけど、色々と味見してみてなるべく苦いの選んだんだけど…》なんて、心配そうに聞いてくるのが楽しみなのだ。

 その時には、どれだけ口の中がねっとりしていたとしても、全開の笑顔で微笑みかけてやろうと思う。普段は淡々とした表情を崩さないようにしているコンラートだが、たまには良いだろう。

『あなたから頂けるものなら、天上の甘味と感じられますよ。ほら、こんなに甘い…』

 優しく甘く囁きかけながら、口の中に残っているチョコレートは口移しに食べさせてやれば良い。

 うん。この方法は良いな。

 全部口に入れる端から有利に食べさせて、口角からはみ出した分も舌で舐めあげてやるのだ。折角だから、彼が感じやすい場所にわざと転がして、半分溶けたそれを意地悪な舌遣いで舐めてやるのも良い。

『ふふ…』

 企むようなニヤニヤ笑いを掌の中に閉じこめて、目元は冷然に保ったまま、コンラートは有利の様子を伺っていた。

 しかし、待てど暮らせど有利からチョコレートが差し出されることはなかった。

 夕刻時分になると、不審には思いつつも、もう一つの可能性も出てきた。そうだ、有利も実は期待しているのではないだろうか?もしかすると、散々焦らしておいてからバレンタインが終わろうというその時、寝室でそっと差し出して《俺と一緒に食べて?》なんて言うのかも知れない。本来は男らしい彼だが、日本のバレンタイン商戦は普段は冷静なカップルですら、如何ともしがたいバカップルに仕立て上げる魔力があるとも言う。ひょっとすると、以前ヨザックと警備を代えた際に、あいつの入れ知恵でなにか仕込みをしているかも知れないし。

 コンラートはある可能性に気付いてハッとした。

『もしや…男体盛りをする気か…っ!?』

 ちょっとそこまでされると、正直どういう顔をして良いか分からない。

 有利も流石に恥ずかしがるだろうが、彼のことだからヨザックから《あいつは意外とむっつりだから、こういうの大好きなんですよ〜》とでも言われて、チョコレート色のシースルーネグリジェに、色っぽいガーターベルトや際どいデザインの下着などを着て、寝台の上に乗って《た…べて……コンラッド…》なんて震える声で囁きつつ、真っ赤になった顔を両手で覆い、可憐な胸や腹部にチョコレートを置いていたりしたらどうしよう?

 そこで引いてしまうと、有利としては居たたまれないだろう。やはり恋人としては、如何にも嬉しいという顔をして美味しく頂くのが礼儀であるはずだ。

『ふ…仕方ないな』

 コンラートは勝手な妄想を既成事実であるかのように認識すると、無意識の内に目尻が垂れてしまうのを何とか修正しながら、いつもどおりの表情を保っていた。

 すると、夕食後に案の定有利が声を掛けてきた。

「あのさ、ちょっとだけ別の部屋で待っててくれる?」
「良いですよ。この部屋の警備は完璧ですから」

 特に追求はしなかったが、軽く驚いた。寝室ではなく、有利の書斎と言う名の勉強部屋で用意をするのか?コンラートが想定していたのとは違うプレイなのだろうか?(←プレイの実施は確定らしい)

 暫く廊下で待機していると、数分も経たないうちに《入ってきて》と弾んだ声がした。随分と素早い衣装替えだ。(←何だかんだ言いながら、イメクラコスプレに期待しているのか?)

 しかし、瞳を輝かせた有利は何故かそのままの服だった。ただ、手には綺麗なラッピングを施した茶色い袋を持っているから、チョコレートがあるのは確からしい。

『まあ…別に期待していた訳じゃないが』

 軽くがっかりしている自分に言い訳しながら、コンラートは努めて《なんでしょう?》と自然な表情を浮かべる。

「えと…あの、い…いつもお世話になってます…っ!これ…俺からの、ささやかな気持ちです…。受け取って下さい…っ!!」

 声を上擦らせながら、頬を真っ赤にして袋を差し出す姿は何とも可愛い。初な彼は、チョコレートを使ったプレイなど念頭になかったか、ヨザックに勧められても羞恥が邪魔をして出来なかったのだろう。では、チョコレートキスをコンラートから仕掛けるという当初の作戦を貫けば良い。
 そして服や肌にわざとチョコレート液を零してお風呂に連れ込み、残ったチョコレートと共に全裸の有利を寝室に運び込んで、今度はお子様には聞かせられない場所にチョコレートを練り込んで、執拗に舐ってやろう。

「ありがとう、嬉しいよ。何だろうな」

 わざとらしく、《俺はバレンタインなんて、毛筋ほども意識していませんよ》と言いたげにパッケージを開けると、そこには…。


 大きなハート形をした、煎餅があった。   
 

「…………………これは?」

 心なしか、声の温度が5度くらい下がる。

「コンラッドってチョコレートとか甘いもの嫌いだろう?そもそも、バレンタインなんて欺瞞的なイベント自体毛嫌いしてんじゃないかな〜っと思ったんだけど、でも、何かあんたにあげたいなって思って…。そう言えば、煎餅はわりと好きだったかなって思って……」
「……そう、ですね」

 確かに醤油味はわりと好きなので、煎餅自体は他の菓子に比べれば格段に好きだ。そこまで観察して、嗜好を理解していてくれたのは素直に嬉しい。

 だが…今のコンラートはすっかり、濃厚なチョコレートキスモードに入っていたのだ。

 プリンよりは茶碗蒸しの方が美味しいが、プリンだと思って茶碗蒸しを食べたら変な味に感じるように、コンラートは激しい違和感に駆られていた。
 煎餅では何をどうやっても甘いディープキスに持ち込めないではないか。零れた煎餅など、単なる食べこぼしだ。(←チョコレートも本来はそうだ)

 とはいえ、これ以上沈黙して可憐な恋人を困らせるのは得策ではない。コンラートは如何なる苦境にあっても冷徹な判断を下せる超一級のボディガードとして、頭脳の限りを尽くして次なる判断を下した。

 ぱらりと優雅な動作でハート形の煎餅を取り出すと、バリンといい音を立てて一口食べる。

「美味しい。とても芳ばしいですよ」
「本当?良かった!」

 微妙そうなコンラートの表情に不安を感じていた有利も、安堵したのか、にっこりと微笑んでいた。少年らしい純粋さが、色々と妄想していた身にはえらく眩しく映った。

「ユーリも食べてみて?」
「良いの?」
「勿論」

 ぱくりと噛みつくと、いい音を立ててかしぽしと咀嚼する。有利は甘い物も好きだが、こういう煎餅も好きだった筈だ。

「ん、結構美味しい」
「では、俺はこちらから食べますね」
「うん」

 反対側から煎餅に齧り付くと、有利が遠慮して顔を離すから、逃がさないようにそっと後ろ頭に手を回す。そして、くすりと蠱惑的な笑みを浮かべて甘く囁きかけた。

「一緒に食べましょう?」
「…っ!」

 有利は益々紅くなって恥ずかしそうに嫌々をしたが、再度勧めるとおずおずといった感じで煎餅に口を付ける。

 かし…
 バリン…

 真っ二つに割れないように細心の注意を払いながら、巧みに歯を立てていく。
 ナイフの上を渡るような人生の中で培われた、卓越した集中力を発揮して(←まさかこんなところで役立つとは…)、コンラートは見事に煎餅という隔壁をかみ砕き、有利の唇に到達した。

 《どんだけキスに持ち込みたかったんや》と突っ込むのは止めて欲しい。
 コンラートは自分でも、恋する男の滑稽さに呆れてはいる。

「ん…」

 醤油の芳ばしいかおりが二人の唇の間で綯い交ぜになる。チョコレート液のように下顎まで垂れると言うことはなかったが、それでもぺたりと唇についた醤油だれを舐めあげると、有利はふるりと身を震わせて瞳を濡らした。

「このまま、寝室に向かってもよろしいか?」
「ん…ん……」

 キスでとろけさせた恋人はちいさく頷く。拒否するように横に振ったとしても、どのみち連れて行くけれど。

「では、今宵は甘やかなあなたの身体を味合わせて頂きましょう」

 ふわりと姫君のように抱き上げれば、有利はぷくりと頬を膨らませて不平を鳴らした。

「もー…あんたってば気障すぎ。つか、そういうのが似合うのがまた凄いっていうか…」
「あなたにだけですよ」

 ちゅっと音を立てて鼻先にキスをすると、後はしなやかな動作で運んでいく。
 少々予想とは違っていたが、まあ良い。

『チョコレート味でも醤油味でも、味わう本体がユーリなら、それこそ《天国の食べ物みたい》…だ』

 素直すぎる恋人の発言を思い出して、コンラートはくすりと笑った。



おしまい





あとがき


 「青空とナイフ」は、元々がリクエストだったので、うちには今まで存在しなかったストイック次男だったのですが、時の流れに従って段々たぬき色に染まりだしたような…(汗)
 単なるむっつりスケベと化し始めているような気がしますね。

 いや、でも…!有利に妄想しない次男は次男じゃないから!(←その大前提がまず間違ってる)

 それにしても、いい加減コンラッドが鮮血の記憶を乗り越えたり、村田の正体を有利が知ったり大事件が起きたりしても良いような気がしますが、相変わらずハードボイルド現代劇が思いつかず、年中行事をクリアしていくぼのぼのシリーズになっています。