裏世界にもハイソな世界にもあまり関連のない男、松岡大吾。 結構な授業料を誇る今の高校に通っているのは、バスケ部のスポーツ奨学生として入学させて貰っているからで、一学年の夏場辺りからは既にエース級の活躍を見せている。中学の頃にはアメリカに一年間ほど交換留学していた経験があり、おかげさまで英会話もそこそこ出来る。 顔立ちもなかなかに精悍で、気さくな性格も男女を問わず親しみやすいものだと、周囲にも認識されている。 これはもう、放っておいてもモテモテになってしまうのは必至の筈だ。 だが…小・中学時代や高校入学当時はかなり女の子にモテた松岡だが、ここ最近はまったく女の子が寄ってこない。 『やっぱ、なんか分かっちゃうのかな〜…』 ちょっと寂しい気はしないでもないが、それでも泣いて喚いて過去の栄光に縋り付きたいなどとは思わない。だって、今の彼を夢中にさせているのはどんな女子よりも可愛い… …男のコ、だからだ。 * * * 「松岡、どうかしたのか?」 「いや…」 松岡は、じぃ…っと渋谷有利の袖口を見つめている。 朝からえらく肌寒かったせいか、珍しく有利がカーディガンを羽織ってきたのだが、これがまた…。 「渋谷、その手…ちょっと軽く握ってみて?」 「ん?」 《何かの性格診断テストか?》等と不思議そうに呟きながらも、素直な有利は言われるままに手を軽く握る。 「んで、そのまま顎の前に両手を寄せて?」 「んん?」 きょとんと小首を傾げつつ、やはり言われるままにポーズをとる有利に、松岡は悶絶してしまった。 「渋谷…お前、今日も超絶可愛いな…っ!」 「はぁ…っ!?」 目尻を下げる松岡とは対照的に、有利は素っ頓狂な声をあげて口角を下げた。 同じ《下げる》でもテンションが随分と違う。 「松岡…お前さあ、時々マジで意味不明なこというよね?」 「え〜?意味分かんない?なあ、村田…お前なら俺の気持ち分かるだろ?」 「ああ、まぁね」 突如としてお金持ちになって転校してきたシンデレラボーイ有利とは違い、村田健はもともとこの学校に在籍していた。頭脳の面から言えば、全国模試で一位をとるような彼は奨学金対象になってもおかしくないのだが、富裕な家庭環境にあるのか正規の授業料を払っている上に、どうやら多額の寄付もしているようだ。 おそらく、校長や理事長までが妙に腰が低いのも、そういったマネー事情が関係しているような気がする。 だが、そういった環境下にある生徒にしては、村田は感じの良い少年だった。特に、同じく渋谷有利という人物をとても高く評価していると思うから、松岡の印象も自然とよくなるのかもしれない。 「実際、そのカーディガン似合ってるよね。ちょっと袖が長いのがまた良い。ちょこんと指先だけ出てるってのが激しく僕の萌えポイントを突いてくるよ」 おお、着眼点も共通で尚更親しみがわいた。 「だろー?」 「いや、おかしいだろお前ら…」 冷静な突っ込みを入れる有利とは対照的に、周囲の生徒達はなんだか生暖かい眼差しを送ってくれる。 以前は松岡に対して、憧憬に満ちた眼差しを送ってくれたクラスメイトの三島奈津子も、なにやら穏やかで…全てを達観したような眼差しを送ってくれた。 「松岡君は、本当に渋谷君が好きなのよねぇ…」 「そうそう、報われないのにね」 三島のしみじみとした呟きに、素早く村田が同調して深く頷く。随分と失礼な事を言う連中である。 「なんだよ、報われないって」 「だってさぁ…敵はアレだよ?」 指し示された先は廊下で、壁に左肩を沿わせて自然な立ち姿を維持しているコンラート・ウェラーだ。 社会的地位の高すぎる家族を持つ生徒が多い学校なので、ボディガード自体は珍しくないが、流石にコンラートのような外国人…それも、特A級と評価されている(らしい)精鋭が永続的に個人契約を交わしている例は、この学校の歴史の中でも珍しいだろう。 しかも、彼は男の松岡でも思わず見惚れてしまうくらいの美形だった。 松岡は《見せる》ことを目的として磨かれた《作り物の男》には興味をそそられないのだが、彼のように凛とした軸芯を持ち、揺るがぬ忠誠を一心に主へと向ける姿勢には感動さえ覚えて見惚れてしまう。 まさに、《魅せ》られてしまうのだろう。 なので、三島や松岡の指摘は何だか見当はずれな気がした。 「なんでコンラートさんが敵になんだよ?」 「はあ?君…まさか気付いてないわけないだろうね?渋谷はあの護衛君とラブラブじゃないか」 村田の発言に対して、期せずして《二人》の反論が揃った。 「なに言ってんだよ!」 有利と松岡の口にした言語は一緒だったが、ニュアンスは少々違っているようだ。 有利は顔を真っ赤にして村田に掴みかかったのだが、松岡は肩を竦めて苦笑していたのである。 「村田…っ!お前なぁ…」 「渋谷、ほっぺが熟れた林檎みたいになってて可愛いけど…そういう顔しちゃうと、また松岡に無駄な期待を抱かせちゃうよ?」 《無駄》という言葉に少々引っかかりを感じる。 そして同時に…ある記憶を呼び覚されることにもなった。 そうだ、あれは…有利に対して初めて、《こいつが好きだ》と自覚した瞬間のことだった。 * * * 『スポーツ奨学生なんて言ってもさ、競技によっちゃナニそれ?って感じあるよね。ほら、バスケとかそうじゃない?学校のクラブ程度だとなんか花形競技っぽいケドさ、プロがあるって言っても野球やサッカーに比べりゃあマイナーだし、食っていける奴なんて一握りだよ。大体、引退した後のつぶしが効かないよね』 『だよな〜?ああいう連中に金掛けるのって、凄い無駄じゃない?』 《AAクラス》…成績優秀者のみを固めたクラスの生徒達が、虫の居所でも悪かったのか、カフェテリアでそんな事を囁き交わしていた。松岡に聞こえていることは意識しているのだろうが、食ってかかるには遠い距離感の声が何とも気持ち悪かった。 後で知ったことだが、どうやらその生徒達の一人が失恋したばかりで、振った相手というのが松岡のファンだったらしい。何とも面倒くさいやっかみである。 この時、連中と同じテーブルにたまたま同席していた有利は、ぽりぽりとサラダに入っていた胡瓜を囓りながら、不思議そうに小首を傾げていた。おそらく、つい先日までは村田がAAクラスにいたから、その時の絡みで同席していたのかも知れない。 ふと…有利が訊ねた。 『あんたらって、《食べていけるかどうか基準》でいつも考えてんの?』 嫌みでもなんでもない、本当に不思議そうな声だった。 もしかすると、《そういう考え方もあるのか》と驚いていたのかも知れない。 だが、連中はそうは思わなかったようだ。 『ああ…渋谷だっけ?お前は良いよなぁ…食っていけるかどうかなんて、今更考えなくても良いハイソな奴だもんな』 『そうそう、血も繋がってない爺さんからごっそり遺産貰っちゃうなんて、どういう手を使ったのか教えて欲しいよなぁ…』 『無駄無駄、企業秘密で教えてくれないさ』 くす… くすくすくす… 吐き気がするほど嫌らしい物言いと嗤いだった。 まるで遺産を手に入れるために、有利が人前では言えないようなことをしたとでも言いたげな口ぶりに、同席している村田の表情がスゥ…と氷のように凍てついたのを、今でも明瞭に覚えている。 しかし、変なところで鈍感な連中は尚も下卑た物言いを続けるから、流石に何か言ってやろうと一歩踏み出しかけたのだが…その前に、有利が再び口を開いた。 『権現のじーちゃんは、俺に期待してくれたんだ。得か損かとか、そういうのじゃなくて…きっと、あんたらが馬鹿にしてるような、不器用な生き方をしてみろって、財産を残してくれたんだ。俺は…それを無駄にする気はないよ』 そして…彼は笑いながらこう言った。 『思いっきり迷ったり、壁にぶち当たったりすると思うけど…それも全部楽しむんだ。だって、人生に無駄なことは絶対ない。そう思って生きてること自体が、きっとじーちゃんの本意に叶うって、信じてる』 にぱりと笑う笑顔はまるで、晴れ上がった真夏の青空のように…咲いたばかりの向日葵のように…とてもとても鮮やかで、瑞々しい何かが清水のように身体の奥から沸きだしてくるようで、松岡は全身を貫く電撃様の衝撃に打ち震えた。 きっと、有利の頭にあったのはいやらしい連中を言い負かすことではなくて、亡くなった老人に恥じぬ生き方をすることだったのだろう。 だからあんなに澄んだ瞳をしていたのだ。 あんなにも…誰かの表情に感動したことなど、初めてのことだったと思う。 そして何日もぐるぐるとあの顔と声とを思い浮かべていく内に、松岡は有利に対する想いを自覚したのだった。 『ああ、俺はこいつが好きなんだなぁ…』 やはり恥ずかしさもあったのだけど、それでも擽ったいような、暖かいような感情に、松岡は従うことにした。 * * * あれからバスケについても自分なりに考えてみた。将来性とか、一生涯の仕事にしていけるかとか、そういったものまで考えると確かにあの連中の言ったことにも一理あるのかも知れない。だが、だからといって今していることの全てが無駄になるとはやはり思えなかった。 思うようにいかないことや、一人では解決できないことを抱えながらも、強烈な誘因力に導かれるようにして練習を続けて行く日々そのものに大きな価値があるだろうし、いつか別の道を進む日が来たとしても、きっと何らかの形でこの経験は自分や誰かのために生かしていくことが出来るのだと思う。 今はまだ、確信は出来ないけど…有利の言葉に感動したあの日から、少なくとも、そう信じ続けるようと思ったのだ。 『そうだ。全部…無駄なことなんてないんだ』 松岡は再びその想いを噛みしめると、楽しそうに笑った。 「全然無駄じゃねぇし、報われないとかもねーよ。だって、渋谷と今こうして一緒にいられるって事自体が、俺は滅茶苦茶幸せだもん」 「…はぁ…。松岡君って、相変わらず…だね」 三島の声は先程までの呆れ一色ではなくて、何故だか…少し感嘆めいたものを滲ませていた。 松岡を見やる村田の眼差しもまた同様だった。 「ふぅん…。君みたいな奴と結ばれてたら、渋谷の苦労は半減していたかもしれないねぇ…」 「どういう意味だよ…」 有利は半眼で村田を見やっていたが、ちらりと向けた視線の先にコンラートを入れると、何故か不穏な空気を漂わせている彼にひくりと口角を上げた。 「コンラッド…ナニ話してるか聞こえてるのかな…?」 「今更ナニ言ってるのさ。読唇術くらいマスターして手当たり前だろ?」 「そんなのが当たり前の生活、今まで送ってなかったんだよっ!!」 「…後悔してる?」 ぽつん…と、妙に静かに呟かれる村田の言葉に、一瞬だけ沈黙が生まれたけれど…有利は、彼らしい表情で唇を尖らせた。 「後悔なんかするわけないだろ?どんなことでも、ゼッタイ無駄になんかなんないんだからっ!」 「そうだねぇ…経験値を積めば、焼き餅焼きの恋人に睨まれながらも上手に崇拝者を転がせるようになるかもしれないね?」 「そんなスキルは磨かねぇよっ!!」 教室の扉に填め込まれた硝子が、ビキビキと音を発しそうな程に冷気が吹き込んでくる。なるほどこれは…有利も苦労をしそうだ。 『でもきっと、お前はそれも楽しんでいけるよな?』 有利はそういう生き方の出来る奴だ。 だから、きっと好きになったのだ。 だから…これからも松岡は、有利を好きでいて良いのだ。 * * * 《そういえば…》と、村田と有利じゃれ合いを眺めながら松岡は思い出していた。 『あの嫌な連中、最近見ないなぁ…』 噂では、何かの事情で全員が転校したとも聞く。それはそれで結構なことなのだが、ふと…見やった先に村田の横顔があって、何やらちょっと考えてしまう。 『まさか…ね』 幾ら成績優秀な上に、両親が多額の寄付金を注ぎ込んでいるのだとしても、それだけで気にくわない生徒を追放する権限など持ち合わせていないだろう。そもそも、村田は直接喧嘩を売られたわけではないのだ。 きっと、あの連中の言う《つぶしの利く》人生を生きるために、某かの選択をしたのだろう。 『ああいう連中に不幸になれとは言わないけど、いつか思い知らせてやりたいよな?なにもかも計算して上手く生きようとするより、もっと楽しい生き方があるんだって、証明してやろうぜ』 友情とか恋というよりも、共鳴に似た想いを抱きながら松岡は今日も有利を愛(め)でるのであった…。 おしまい あとがき 小ネタシリーズ如何でしたでしょうか〜。一連の大きな流れはないけれど、ちょこちょこと思いついたお話を書き綴るのもなかなか楽しゅうございました。 そして多少性格は変われど、このような学園モノには必ずと言っていいほど有利を大好きな男の子か女の子を用意してしまいます。だって、有利が如何に素敵な子か証明するのには、見る目のある同年代の子に語って欲しいんですもん…っ! ただ、私の能力の方に問題があるので、そういう《見る目のある子》が感心するような台詞をなかなかいつも思いつけないわけですが…雰囲気で乗り切って下さい。ええ…あれで松岡君は感動したんですよ。多分、恋じゃないとか言ってますが、やっぱり恋だと思います。愛する人の口にした言葉は何でも格言ですからね。 今はもわもわと、グウェンダルが出てくるストーリーを考えております。次男とどういう人間関係なんだろ〜。妄想するだけでもなかなか楽しいです。次男の雰囲気がいつもと違いますからね〜超不器用な関係っぽいです。また有利に仲立ちをお願いしたいかと★ 感想やエピソードの案など頂けますと嬉しいです。 |