青空とナイフシリーズ

「月とおひさま」【微エロ】










 月は嫌いだ。

 コンラート・ウェラーは大きくて存在感の強すぎる月から目を逸らすと、こつんと強化硝子に側頭部を凭れさせた。少し離れたベッドでは、くったりとした主(あるじ)が身を横たえている。カーテンを引いて月の姿を完全に隠すと、コンラートは猫科猛禽類を思わせるしなやかな足取りで近寄っていった。
 全裸の主に対して、コンラートの方には既に一分の隙もない。

『くそっ!俺ばっかりマッパかよっ!!』

 手際よく脱がせていくと大概、主は悔しそうに毒づいて護衛のスーツを脱がせに掛かるのだが、滅多に全てを剥かれたことはない。おそらく、最初に身体を重ねた時くらいなものだろう。何しろ二人して入浴していたわけだから、流石に何か着ていては変だ。

 ひょんなことかから大富豪の遺産を受け継ぐこととなった少年、渋谷有利は、高校生男児としてのプライドをきっちり持ちつづけているようだ。いっそコンラートに対してだけは特例として認めてしまえば楽だろうに、脚を開かれて雄としての器官を受け止めることも、自分だけが良いように高められることにも抵抗を感じている。

 男同士のセックスへの抵抗と言うよりは、恋人なのに一方的に抱かれているような気がすることへの抵抗なのだと思う。
 そういったところを可愛いとは思いつつも、時折、聞き分けがないなとも思う。

 何しろこういう関係になったとはいえ、コンラートの存在意義は有利の護衛だ。幾ら優しくてこまやかな恋人で在り続けていたとしても、そのために有利を傷つけるようなことがあれば、存在意義の全てが砕ける。いざと言うときに敵の弾丸や刃先から主を護るためには、薄いシャツ一枚が勝負の分かれ目となることもあるのだ。

 剥き身の肉体ひとつというのは、武器の前にはあまりにも脆い。

『大人しく護らせてくださいよ、ユーリ』

 つい十分前まではコンラートに組み伏せられて身も世もなく喘いでいた身体からは汗も引き、頬の赤みも消えて健康そうな寝息に戻っている。それでいて、上掛け布団をふわりと捲ってみれば、愛欲の証を刻まれた滑らかな肌が現れる。
 そっと下肢間に指を忍ばせれば、未だぬるついたままの蕾がふれる。コンドームを使用しているので何かがそこから漏れ出すようなことはないのだが、ジェルでたっぷりと潤しているから、まるで自ら濡れる機能があるかのようだ。

 すこやかで健全な寝顔と、淫ら極まりない肢体のギャップに、闇い喜びが胸に浮かぶ。自分を悪い大人だと感じるのはこんな時だ。
 決して悪戯目的で手出しをしたわけではないが、いたいけな子どもにナニをしているのだろうか?

 思いついてカーテンを開くと、卵色の光が眩しいほどに差し込んで、あられもない少年の姿を照らし出す。陽光の下では元気いっぱいな野球少年だのに、こうして淡い光に照らされていると、ユニフォームの下に隠れていた白い肌が浮き出て、ぬめかに光る。下肢の間で濡れた紅色ともあいまって、まるで行為に慣れた男娼のようだ。

 コンラートに似合いの、闇に馴れた身体のようだ。

「………」

 シャ…っと荒々しくカーテンを閉めて、月光を再び部屋から閉め出す。対照的に、ふわりと主を抱き上げた仕草はひどくやわらかい。
 適温のシャワーをゆるく当てて肉体を清め、淡いブルーのパジャマを着付けさせてやれば、日中と同じように元気そうな子どもに戻った。コンラートの指が触れた痕はどこからも見えず、自分の意志で清めてやったというのに、妙に腹がたつ。

『何がしたいんだ、俺は』

 《俺ばっかりクルクルしてる》と有利は不平を言うが、コンラートは冷静沈着なのではなく、そう見せるのが得意なだけだと思う。実体としては、コンラートこそ有利にころころと転がされ、結局は彼の思い通りに型枠を変えられていっている気がする。

 こんな子供じみたことで喜んだり落ち込んだりするような男が、《氷の刃》だなどと恥ずかしくてとても言えない。

「ん~…」

 むにむにと唇を動かして有利が目を覚ましてしまう。ちょうど、最後のボタンを止めたところだ。狙っていたのかというようなタイミングだが、そうではない証拠にすぐ仏頂面になってしまう。

「あんたさ…なんでこういう時、起こしてくんねぇの?」
「拗ねておいでですか?」
「敬語で失礼至極なこといいやがるのも、ほんっとあんたらしいよね」

 笑顔のまま怒り筋をこめかみに浮かべた有利は、薄く冷笑したコンラートの頬を容赦なく引っ張る。こんなこと、他の奴にされたら一週間は動けないほど痛めつけてやると知っているだろうか?

「もー…。子どもじゃないんだからさ、じ…情事の後始末とかは自分でやるよ。ケツ拭かれて着付けまでされるって、後で気付くと恥ずかしいんだぜ?コンラッドがやられたらどう思うよ?」
「想像がつきませんね」

 淡々と言ってやると、有利は寝起きだというのにおおきな身振りで頭髪を掻きむしった。頬は真っ赤になって、相変わらずこんなことが死ぬほど恥ずかしいのだと知れる。
 コンラートだって物凄く恥ずかしかったのだから、おあいこだと思うのだが。

「かーっ!想像力の欠如って問題があるよっ!?ゲーム世代の子どもかよっ!」
「ゲームは、ユーリほどはしませんけどね」
「あんた、日常生活がアーミー系ゲームみたいなもんだしな…」
「ええ、リセットが効かないゲームのようですね」
「…」

 強引にネクタイを引っ張られると、尖らせた唇がコンラートのそれに重なる。
 いつまで経っても不器用なキスしかできない子だが、不思議と触れ合った場所からは堪らない熱が上がっていく。
 《好きな子とのキス》なんてものが情動に与える影響を、この年で身をもって実感することになろうとは思わなかった。

「クールで皮肉屋でつんとすましたお月様みたいなタイプって、苦手だったんだけどな」
「あなたは太陽のような方ですからね」

 太陽のようなあなた。
 そんなところを愛していると思いながら、純粋な太陽の気配だけを感じると、一欠片も自分のものではないような気がしてしまう。
 だから夜の暗がりに染めて、月光が映えるひとときだけは自分のもののように感じてほくそ笑むのだ。

 そんな自分が、心底嫌だ。

「どうしてこんなに好きなんだろ?」

 狂おしく呟いて、今度は角度を変えてキスをする。
 至近距離で覗いた顔には、似合わない眉間の皺だとか、顰められた眉なんてものがあって、《ああ、またこの人を月で浸している》なんて反省するのだけれど、やっぱり同時に嬉しいと感じる。

 もっと悩んで。
 藻掻いて欲しい。

 コンラートがあがいていることの、1/100で良いから。

「惚れた弱みと、諦めて下さい」
「あんたが俺と同じくらい好きでいてくれたら、諦める」
「愛情を1/100に減らせと言う御命令ですか?意図的に出来るのなら、俺も苦労としないのですがね」

 溜息混じりに漏らせば、有利はムキっと歯がみして鼻面に噛みついた。だからそんなことを他の奴がしたら(以下略)

「俺の方がいっぱい好きだっ!不平等条約結ばれてるっつーくらい出資過多に好きだっ!!」
「真っ正面からそんなふうに言えるあなたが、俺も好きですよ」
 
 想いが大きすぎてとても口では表現出来ない自分の方が、よっぽど不平等なくらいこの人を好きだと思うのだけど、水掛け論必至な口論に正面から参加はしない。

 ただ、困った大人であるコンラートは再び有利の身体へとのし掛かり、口にできない思いの丈を身体で教えて差し上げることにした。


 《身を清める時に、ちゃんと起こしてあげよう》と、一応は主の意見をくみ入れながら。 



  
おしまい



あとがき


 何の事件も起こらないまま淡々と進むこのシリーズですが、多分出てこない合間に映画みたいなドンギュンバーンが存在するのだと思います。映画みたいな展開を私が書けないだけで…っ!
 ええ、子どもに悪戯する以外にもちゃんと仕事してますよ、ウェラー氏。