「青空とナイフシリーズ」
小ネタ第2弾 −1−


「いつかきっと、別れが来ても」






 カシュ…
 パシュ…

 足下に転がる枯葉を踏むと、心地よく乾いた音が響く。靴底に伝わる《クシュリ》という質感も楽しくて、ぴょんぴょんと跳ねるようにして葉っぱから葉っぱへと移動していたら、後ろから《くすり》と笑う声が聞こえた。

 有利がくるりと振り返ると、冷然とした表情のコンラート・ウェラーがいた。《氷の刃》の異名を持つ凄腕ボディガードの彼が、男子高校生の幼い所作になど、笑うはずがないだろうという顔をしている。

『気のせいかなぁ?』

 確かに、コンラートの声が甘い響きを持って咽奥を擽ったように感じたのだが。

『まー…そうそう笑った顔なんてみせないか』

 減る物ではないのだからもっと惜しみなく笑えば良いのにと思うのだが、性格的な拘りなのか職業的なものなのか、コンラートは滅多に笑顔を見せなかった。二人きりでいるときにはその限りではないのだが、薄闇の中では明瞭に表情を読み取ることは出来なかった。

 明るいところで笑顔を見ようと思ったら、有利が羞恥に耐えなければならないという副産物が出てくる。何故なのかは、有利の名誉のために追求しないで頂きたい。

『まあ、あんまり我が儘言えないよな。コンラッドが俺の傍にいてくれるってだけでも、凄く贅沢なことらしいし』

 コンラートの技量は業界でも有名だし、その上、パーティー等で傍に控えているとホストなどより余程男ぶりが良いとあって、そういった意味でも引き合いは多いらしい。コンラート自身は口にしたことはないが、実は有利の専属になってしまった事に怒りを覚えている者も多いのだそうだ。

 そういう情報をくれるのは、決まってグリエ・ヨザックだった。彼もコンラートと同時に有利の護衛隊に所属しているのだが、こちらは専属というわけではない。コンラートが必要に応じて護衛隊の面子は替えているから、古馴染みや恩義のある人物からの依頼だと、時折海外に出て行くことがある。

『コンラッドにはそういう縁故の人とかいるのかな?』

 そういえば、父親の違う兄弟がいると聞いたこともあるし、随分と若ぶりな母親も存命だという。もしも、彼らに危機が及ぶようなことがあれば、流石に有利の警護はヨザック達に任せて、そちらに向かうのだろうか?

 考えても見れば、有利個人には別段大した価値があるというわけではない。物凄く優秀な頭脳とか、多くの人々に慕われているとか、世界にとって《有益》な人物に危機が迫っているとして、その人を護るためにはコンラートの腕がどうしても必要なのだと言われたら、それはそちらを優先するべきだろう。

『そういえば…そもそも、コンラッドって…何時まで傍にいてくれるつもりなんだろう?』

 なにやら傍にいるのが当たり前になっていた節があるが、考えても見れば、神経を削るボディガードの仕事自体、そう何十年も続けられるようなものではないだろう。それ以前に、有利がとっとと権現氏の遺産を有益な形で使ってしまえば、護衛をする意味もなくなる。

『財産なんか無くなって、すっからかんになったら…コンラッドは、今度は別の人を護るのかな?』

 ズキン…と胸が痛む。

 コンラートの心に寄り添いたくて、お願いして抱いて貰ったりはしたけれど、彼だって有利のことを《好きでいてくれるのかな?》と思う。けれど、こんな風に四六時中傍にいなくてはならない仕事なら、それこそ他の人の警護などした日には、有利に会う暇など無くなってしまうだろう。

 そうなったら、こんな平凡な高校生のことなどあっという間に忘れてしまうのではないだろうか?

 カシュッ!

 先程まで心地よかった粉砕音が、何だか心が潰れる音みたいで嫌になる。目元に滲む涙を見られたくなくて早足になれば、変な所で鋭敏な護衛が肩を掴んだ。

「どうかしましたか?」
「んー?別に」
「嘘を仰い。泣きそうな顔をしている癖に」

 咎めるような声を掛けられると、余計に涙が出そうになった。こんな風に厳しい顔をしても、本当は不器用なだけで、凄く有利を気遣っていてくれると知っている。だって、眼差しは本当に真剣な色を湛えているのだもの。彼は心から有利を心配してくれているのだ。

『好き…大好きだ、この人が』

 素敵な人なのだ。
 とっても。
 この人のことを知るたびに、好きで好きで大好きで…堪らなくなる。

 だから、傍にいてくれる間はこの人を精一杯大事にして、自分を可能な限り磨いて、有利が権現氏の財産を無くして唯の高校生に戻っても、この人に振り向いて貰えるような価値を持とう。

 こうして傍にいられることを、《当たり前》なんて考えて、胡座を掻いたりしていては駄目だ。

「あのさ…俺、頑張るから…」
「…何の話です?」
「権現爺ちゃんの財産を何かに使って、一文無しになっても…あんたに好きでいて貰えるように頑張るから…だから、いつか別の仕事に就くことになっても、俺のこと忘れないで?」

 真顔で一気に言ったら、コンラートの顔が硬直した。
 秋風のせいでもの悲しい気分になっている間に、少々発想が飛びすぎたろうかと、微かに頬が染まる。

 コンラートは琥珀色の瞳をスゥ…っと細く眇めて、有利の肩を強引に引っ張っていく。向かう先は何故だか公園脇の、木立が生い茂っている場所だ。

「こ…コンラッド?」
「………どうしてくれるんです」

 苛立たしげな声に、びくりと背筋が震える。あんまり馬鹿なことを言ったから、怒らせてしまったのだろうか?ああいう、ベタベタした女の子みたいな発想は嫌いなのかも知れない。

「…ゴメン。俺…馬鹿だから。考え無しに、思ったまんま口にして…」
「考えてそういうことが出来る人なら、俺だっておめおめと引っかかったりはしないんですけどね」

 《はぁ…》っと漏らされた溜息は、何故だか妙にセクシーだった。

「ん…っ!」

 強引に抱き寄せられて、咥内を舌でまさぐられる。冷たいと感じたのは一瞬のことで、すぐにぬめやかな熱さが互いの境目を失わせていく。

「ん…んん…っ…」

 暫く舌を蹂躙された後でやっと開放されると、はふ…と息をついた瞬間に、何とも言えない表情をしたコンラートを垣間見てしまった。

 嬉しさと気恥ずかしさとでニヤつきそうになりながら、それを悔しそうに打ち消そうと試みている…そんな顔だった。

「全く…責任を取って貰いますよ?こんな往来で俺を煽るなんて、大した小悪魔ぶりだ」
「こ…小悪魔ってあんたっ!」
「ええ、知っていますよ。どうせ自覚なんか無いんでしょ?」

 《だからタチが悪いんだ》、なんて、また溜息をつきながら襟元をはだけられていく。一体どちらがタチが悪いというのか。こんなにも男の色香を漂わせて、男子高校生を誘惑する大人に言われたくない。

「コンラッドぉ〜っ!や…やや…やめっ!」
「駄目です」

 ニヤリと嗤って、悪い大人は有利を翻弄していく。秋風が吹き付けるこの季節に胸元をはだけられているというのに、鎖骨をカシリと甘噛みされれば淡く汗を掻いてしまう。
 そんなに焦りまくった有利を前にして、コンラートは優美な獣を思わせる微笑を浮かべた。

「覚悟して下さい。あなたが無一文を通り越して借金まみれになったって、決して俺からは逃がしてあげませんから」

 そんな覚悟なら大歓迎だ。
 
『でも、公序良俗に反する行為を屋外でする覚悟はないよぉ〜っ!!』

 結局、有利が謝り倒して《家に帰って、ご奉仕させて下さい!》とお願いするまで、コンラートの甘い責め苦は続いたのであった…。




* 大人げないよ、次男。 *