「雨ふりお月さん」





 したた…
 ぱひっ…ぱひひ…っ
 
 つててててて……

 賑やかな音を立ててたくさんの雨が降り注ぎますが、5歳の渋谷有利は気付きません。
 有利は大好きなきつねの縫いぐるみコンを抱きしめたまま、とろとろとした眠りの中にいるからです。

「むにぃ~…」

 《むぎゅ…》っと抱きしめてくる有利に幸せな気分を感じつつも、コンはもそもそとちっちゃなお手々から逃れて、ぽてぽてと窓に向かいます。
 ここのところ夜でも暑かったから子ども部屋の窓も開けっ放しにしていたのですけど、急に雨が降ってきましたから吹き込みそうなんです。有利が濡れて風邪を引いたりしたら大変ですからね。

『そりゃあ、大きくなるまでに普通の風邪はほどほどひいておいた方が、免疫がついて元気になるとは思うんですけどね…』

 でもでも、もしかして高いお熱が出て、それが脳だの髄膜だのに行ったりしたら…と思うと、どうしてもコンは過保護になってしまうのです。
 だって今のコンは、こうして傍にいてお喋りが出来ると言っても、あくまで仮の姿に過ぎません。視覚からはいる情報で感触を想像しているだけで、布で出来たこの身体は有利の感触がほんとはどんなだか知っているわけではないのです。

『本当の腕で、早く抱きしめたいよ…』

 窓枠をぎゅ…っと縫いぐるみの手で握っておりますと、何だか急に寂しくなってきました。
 時々のこととは言えこんなに傍にいられること自体が嬉しい筈なのに、欲というのは本当にとめどないものですね。

 ふと見上げた空には、不思議なことにお月様が掛かっていました。

『おや、雨降りお月さんだ…。これが昼間なら、狐の嫁入りというところなのかな?』

 薄い雨雲の向こうに、濡れたように朧な月が掛かっています。
 どこか寂しげな色合いに溶けたその月が、自分と被って見えてコンは俯きました。

 その時です…むくっと起きあがった有利が、お目々を擦りながら寝ぼけ眼で歩いてきました。

「コン…どこぉ…?コン……」

 拗ねたような可愛らしい声に、コンはとたた…っと急いで駆け寄りました。

「ここですよ!ああ…ユーリ、ちゃんとお布団に入っていなくては」
「だってコンがいなかったんだもん。コンがいないと、ゆーちゃんはねむれないもん」

 ぷくっと頬を膨らませて不満げに言うものですから、コンは窘めるのも忘れてにまにまと笑ってしまいます。

『もうすぐ小学生になるのだから、こんなに依存させていてはいけないんだろうけど…』

 ですが…今がこんなに幸せだからこそ、もうすぐやってくる寂しさを予感してコンはしょんぼりと肩を落としました。

 ああ…だって、別れの日が近いのです。
 有利が物心つく年頃になったら、コンはこの姿ではもう会ってはいけないと約束しているのです。

 寂しくて寂しくて、ボタンで出来たお目々から涙が零れそうです。
 
「コン…どうしたの?おなかいたいの?」
「いいえ…なんでもないんですよ」
「うそ。だって、お目々がなきそうにみえるよ?」
「そう…ですか?」

 人の(コンは人形ですが)心が傷つくことにもことのほか敏感な有利は心配そうに眉根を寄せます。
 大事な大事な有利をこんなに心配させてはいけませんね。

 そう思って、コンは精一杯の元気を出して笑いました。

「泣きたいことなんてないんですよ。ほら…お月様があんまり綺麗だから、少し見とれてぼんやりしていただけなんです」
「わぁ…」

 雨降りの空に浮かぶ濡れた月に、有利も歓声をあげます。
 暫くの間、二人はちょこんと窓辺に寄り添ってお月様を見上げていましたが、そのうちお月様は本格的に降り出した雨に隠されてしまいましたので、あふ…っと有利が欠伸をしたのを合図に、《さあ、おねむの時間ですよ?》とコンが声を掛け、二人はまたお布団に戻りました。

 有利は《こんどはコンが一人でおきないように、しっかりだっこするよ?》と言うのを忘れません。いつだってコンと一緒にいたいですからね。

「おやすみなさい、ユーリ」
「おやすみ…コン。またお月見しようね」
「ええ…約束ですよ」
「こんどは一人でおきちゃダメだよ?なきたいくらいきれいなお月さんも、ゆーちゃんといっしょに見たらニコニコ顔で見たいお月さんになるからね」
「そうですね。ええ…必ず、一緒に見ましょう」
 
 コンは約束をしました。 

 でも、それから…コンがただのお人形に戻るまでの間に、有利が夜中に起き出すことはありませんでした。
 健康で元気な子どもが夜中に起き出すのは、滅多にあることではなかったのです。



*  *  *


 

 したた…
 ぱひっ…ぱひひ…っ
 
 つててててて……

 賑やかな雨音にふと目を覚ました有利は、もしかして…と思い、ぽやんととろけた目をこしこしして起き出しました。

「どうかしましたか?」
「お月さん、みるの…。ね…いっしょにみよう?」

 5歳の頃の夢を見たせいでしょうか?18歳の有利は無自覚にあどけない言い回しをして恋人を驚かせました。
 ええ、その恋人というのは《ルッテンベルクの獅子》と讃えられる英雄閣下ですよ。

 双黒の魔王陛下と英雄閣下はたくさんの勲章を持っていますが、いまはひとつも身につけることなく…というか、なんにも着ずにぽてぽてと窓辺に向かいます。

 魔王陛下のすべらかな肌にはたくさんの朱華が散っておりまして、英雄閣下はくすりと苦笑すると無防備なその身体にふかふかのローブを羽織らせました。
 英雄閣下自身は一糸纏わぬ姿のままでしたが、野生の獣のようにしなやかなその肢体は、何も身につけていないからこその美しさを持っていました。それは魔王陛下だって一緒なんですけど、英雄閣下はとても焼き餅焼きさんなので、恋人の白い肌を万が一にも人目に触れさせたくなかったのです。

 もしかすると、お月様にだって見せたくないのかも知れません。

「ほら…雨ふりお月さん……一緒に見れたねぇ…」

 有利が嬉しそうに窓辺て手を伸ばしますと、その両手に包み込まれるようにしてお月さんの光りがふわりと広がります。

「ああ…本当だ。綺麗ですね…」
「一緒に見るって、約束したもんね」

 にこ…っと笑ってから、有利はあふ…と欠伸をしました。

「さあ、おねむの時間ですよ?」
「うん…」
「しっかり抱っこしてあげますからね。絶対に手放さないように…」
「うん」

 日中は照れ屋さんの魔王陛下も、とろとろと半分眠りかけたこの時にはとっても素直でした。
 ぽふりと恋人の胸板に頬を寄せると、すぐにくかくかと眠ってしまいます。そうしていたら、恋人がちゃあんと抱っこして寝台に運んでくれることを知っているのです。

「空に掛かるあの月は、俺達が誓った月ではないけれど…」

 英雄閣下はそっと恋人の耳朶に囁きます。

「…誓いの心は、決して変わりませんよ」


 ねぇ皆さん、コンはとっても約束を守るきつねだと思いませんか?





* ほのぼの絵本系のお話なんですが、二人の間にあるのが恋人の「愛」だと思うと、幼少期の触れ合いが軽く犯罪めいて見えます(笑)。次男、下手するとストーカーですよね…。 *