@朝の微睡(まどろ)み




 ふくふくぬくぬくとしたお布団にくるまっていると、どうしてこんなに幸せな心地になるのでしょう?

とろんと柔らかくて…何とも言えず魅惑的な感触に、どうしてもこのぬくとい塒(ねぐら)から出たくなくなります。

 お布団から出ている鼻の頭はひんやりとした空気に晒されてちょっぴり冷たくなっていますが、それがまた寝床の暖かさを際だたせます。

『ん……気持ちいい……』

 とろんと微睡む黒うさぎは、唇をふなふなしながら秋の朝を満喫していました。

 いつまでもこうしてとろんとした微睡みの中に漂っていたい…。

 そう思いながら布団をかき寄せた黒うさぎでしたが、突然あることに気付くと…一気に目がさめてしまいました。

 お布団の中に、茶うさぎが居ないのです!

 なんと言うことでしょう…一つの大きなお布団の中に寄り添って眠ることが何よりも素敵なひとときなのに…茶うさぎが居ないと言うことは、黒うさぎは寝坊してしまったのでしょうか?

 もしかしたら、茶うさぎは幾らおこしても起きない黒うさぎに呆れてしまったのかも知れません。

 そんな風に考えると、鼻の頭が空気の冷たさのせいではなく…つぅん…と痛んで涙が出そうになりました。

 ですが、それは黒うさぎの考えすぎというものでした。

「ユーリ?目がさめてしまいましたか?朝ご飯は出来ていないから、まだ眠っていても良いですよ」

 いつもの爽やかな声が寝室の中に響くと、黒うさぎの心はぱぁ…と暖かくなります。

 冷たい北風に晒されていた身体が、不意に差し込んだ陽光によってぽかぽかと暖められるように…茶うさぎの声…いいえ、茶うさぎの存在そのものが黒うさぎの心を満たして、何時だって素敵な温もりで包んでくれるのです。

「コンラッド…コンラッド……っ!」

 ぬくといお布団の誘惑なんて忘れてしまったように、黒うさぎは枕を蹴り飛ばしながらばたばたと起き出して茶うさぎに抱きつきました。

「どうしましたユーリ…怖い夢でも見たのですか?」
 
 まるで、その恐ろしい夢の中に踏み込んで黒うさぎを助けてあげたかったと言わんばかりに、茶うさぎは真剣な声を出しました。

「ううん…お布団は気持ちよくて、とっても良い夢を見ていたよ。でも…コンラッドが居ないから、凄く寂しくなった……」

 ふみ…と唇を突き出しながら、ちょっぴり涙目で見上げてくる黒うさぎの様子に、茶うさぎは眼輪筋や頬筋といった表情筋が溶け崩れるのを止めるのに必死でした。

 茶うさぎを素敵なうさぎだと信じている(別に騙しているつもりはありませんが…)黒うさぎの前で、顔の造作が崩壊するのは好ましいことではありませんからね。

 茶うさぎは25年の人生で培ったバイオフィードバック技術の粋を尽くして、蕩けるような…綺麗な微笑を浮かべて黒うさぎの額にキスを贈りました。

「昨夜からとても冷えてきましたから、ユーリに美味しいお粥を食べさせてあげたくて、少し早起きしてコトコト煮込んでいたんです」

「本当?」

 ぱぁっとユーリの表情が綻びます。

 地球森に来て《ご飯》というものを食べて以来、黒うさぎの心はこのソウルフードたるお米の魅力に取り憑かれているのです。

 地球森でとれた新米でつくったお粥はさぞかし美味しいことでしょう。

 思わず口内に溢れてきた唾液をごきゅりと飲み込む黒うさぎでしたが、これだけは言っておかなくてはと眉根を釣り上げました。

「今度お粥を炊くときは、絶対に俺も起こしてね?」

「でも…こんな寒い朝はお布団にくるまっている時間が少しでも長い方が良いでしょう?」

 茶うさぎは気遣わしげに言いますが、黒うさぎはきゅうっと抱きついてくると、こう言いました。


「だって、お布団よりもコンラッドの傍にいる方が暖かくて良い気持ちだもん!」


 茶うさぎは恍惚感を伴う回転性の目眩に襲われ、危うくその場に倒れるところでした。


* 茶うさぎはメニエール病や内耳神経障害ではありません。ちょっと…いえ、かなり「ユーリ好き好き病」が進行しているだけです。 *


A朝のお粥さん




 とろりとした重湯は朝日を浴びてきらきらと光り、その下に見え隠れするほっくりと解れたお米の粒を一層美味しそうに見せています。

 付け合わせには柔らかめの炒り卵、蒸した鶏ささみ肉を裂いたもの、青菜の塩ゆで、漬け物の微塵切りです。

 でも、まずは付け合わせを載せずに素のままのお粥をぱくりと行くのが王道でしょう。

「んん〜っ!んま〜いっ!!」
「良かった。うまく炊けていましたか?」
「うん、すっごく美味しいっ!」

 口の中でほろりと溶け崩れるような感触と、お米の滋味に溢れた味わいが…その適度な暖かさも手伝って、身体中に巡ってエネルギーを貰っている気がします。

 茶うさぎは地球森に来てからというもの、美子に一通りの調理法を教わると、毎日有利の為に地球の…特に渋谷家で食されてきた料理を作ってくれます。

 それは…初めてこのお粥を作ったときに、黒うさぎのいった言葉がきっかけでした。

『あのね、もうずっとずっと忘れていた味なのに…ずっと食べていなかった筈なのに…ぱくって食べて、口の中で、ふわぁ…って味が拡がると、色んなことが頭に浮かんでくるんだよ』
『熱いお粥でベロをやけどしたら、父さんが冷たいお水をくれたよ』
『みんなで囲んだ食卓は、ご飯前になると凄く良い匂いがしだして…そんで、今日は何のご飯かで当てっこが始まるんだ』
『不思議だねぇ…そんなこんなが頭に浮かんでくると、凄く懐かしくて幸せな気持ちになるんだよ』

 黒うさぎは瞳を閉じると…しみじみと思い返すように、口の中の感覚と思い出の記憶に浸りました。

 そんな時、茶うさぎは決して話しかけようとしません。

 黒うさぎが何を感じているのかすっかり分かっているように…ただ黙って黒うさぎの感慨が現世(うつしよ)に戻ってくるのを待つのです。

『本当なら、ユーリが当たり前のものとして享受していたはずの生活をそっくり返してあげることは出来ない…なら、せめて思い出だけでもこの食事で返してあげたい』

 人間に浚われた恐怖で記憶を失っていた黒うさぎの為に、茶うさぎは毎日そう思いながら料理を作るのでした。

 不意に黒うさぎの瞼が開かれると…淡く水膜を纏う黒瞳は、うっとりとしたように潤んでうさぎを見つめていました。

「今ね、凄く気持ちが良かった」
「そう…それは良かった」

 茶うさぎは、黒うさぎが幸せだった小さい頃の暮らしを思いだして言っているのだと思い、小さく頷きました。

 ほんのちょっとだけ…ちくりと胸が痛みます。

 黒うさぎが自分を好いていてくれることは疑う余地もないことであり、疑うことはとても失礼なことだと思います。

 ですが、やはり黒うさぎはちいさな仔うさぎです。

 本当は…今からでも家族と一緒に暮らしたいのではないか…。

 そう思うことがあるのです。

 それで茶うさぎと引き離されるわけではありませんし、毎日会うことは出来るのでしょう。そう考えれば、大兎である茶うさぎの方からその申し出をすべきだと思うのです。

 けれど…どうしてもそれを口にすることは出来ませんでした。

 だって茶うさぎは黒うさぎのことを一番に考えてはいるのですが、それでも時として、黒うさぎにとって本当に良いと思われることよりも、自分が黒うさぎと一緒に居たいことを優先させてしまうのです。

『すみません…ユーリ』

 こんな風に懐かしい味わいの食事を再現するだけで黒うさぎを誤魔化すことは、とても偽善的なことだと思うのですが…どうしても茶うさぎは黒うさぎと一緒にいたいのです。

 可能な限り傍にいて、黒うさぎが笑う顔、怒る顔、泣く顔…《大好きだよ》と語ってくれる眼差しを見つめていたいのです。

 ですが…お粥よりもとろりと蕩けるように微笑んだ黒うさぎはこう言ったのです。

「今ね…お粥を食べてたらコンラッドと前にお粥を食べた日のことを思い出したよ。ほんのちょっとだけ前のコトなのにね」
「俺と…食べたときのことですか?」

 それはほんの2週間前のことです。

「うん…それでね、どうしてこんなに幸せなのか考えたんだ」
「…どうして?」

 とくとくと胸の中で、元気な小鳥が囀るように心臓が主張しているのを茶うさぎは感じます。
 茶うさぎの期待に応えるように…黒うさぎは恥ずかしそうに頬を染めながらもこう言いました。

「きっとね…コンラッドと暮らしてる毎日が、俺の中でとっても大事な思い出になってるのが幸せに感じたんだよ。俺たち…こうして何時までも幸せでいられるっていう気がするからだよ」  

 茶うさぎは泣き笑いのような表情で微笑むと、身を乗り出して黒うさぎにキスをしました。

 黒うさぎの唇は熱くて…そして、お米の良い味がしました。

* 11月11日が結婚記念日で(ちなみに平成11年結婚)幸せ気分で旦那さんとご飯を食べたので甘い話にしたつもりが、うさぎ話だと本当にいつも通りなのだというコトに愕然…。でも、生まれ育った家で家族と食べた食事も懐かしいですが、気がつくと旦那さんや娘といる食卓が日常〜思い出になっているのが、当たり前のことなんですが何だか幸せな感じがします。 *



B北風とうさぎ



 ぴゅうっと乾いて冷たい風が吹き抜けていくと、かさかさと音を立てて落ち葉が道を走ります。
 黒うさぎはその様子を《追いかけっこしてるみたいだね!》と言って笑います。
 茶うさぎはその黒うさぎの様子を《何て可愛いんだろう》と思って微笑みます。

「ところでユーリ…俺の手は冷たくないですか?」
「ううん。そんなことないよ」
「ですが…暖かいユーリの手から、俺ばかり暖かさを貰っているようで申し訳ないですね」

 黒うさぎは今、しっかりと茶うさぎの大きな手を握りしめて一緒にお散歩をしています。

 より正確に言えば、茶うさぎの中指・薬指・小指を黒うさぎが握りしめ、それを包み込むように茶うさぎの母指・示指が覆い被さっている…と表現すべきかも知れません。

 子ども独特のぬくとい温もりを帯びて、ちんまりとした肉刺の残る手がきゅうぅ…っ!と長い指を握りしめている状況は、もちろん茶うさぎにとって視覚・触覚・温覚的に《萌え萌え》な刺激となっています。

 現在、茶うさぎの視覚野(後頭葉鳥距溝付近)は耽溺しています。
 同時に体性感覚領(頭頂葉中心後回)は魅了されています。

 ですが…茶うさぎにとって一番に尊重すべきことはやはり、黒うさぎの幸せなのです。
 自分がとてつもなく楽しいからと言って、黒うさぎの手にしもやけなど作らせたくはないのです。

「そんなことないって、だって俺はコンラッドと手を繋いでんのが一番幸せで、胸がぽかぽかするもん!」
「…ユーリ!」

 茶うさぎは込み上げる幸福感と感動に、瞳を涙で潤ませんばかりにして黒うさぎの前に跪きました。

「ユーリ…」
「コンラッド…」

 往年のラブコメディ《キックオフ》(二十数年前にジャンプで連載していた、やたらと主人公とヒロインが見つめ合う漫画)を彷彿とさせる見つめ合いが長々と始まりました。

「あー、はいはい邪魔だよ、そこのバカップル」

 …ドスッ……っ!
 鬱陶しい程に愛し合う二羽が今まさに唇を寄せようとした瞬間、追突してきたうさぎが居ました。
 勿論…黒うさぎ族の《古老》、村田健です。

 《古老》とは言っても前世の記憶があるだけで、外見は大変愛くるしい7歳の仔うさぎなのですが、流石に瞳の方は堂が入っておりますので…馬鹿にしたように睥睨されると結構応えます。

「あ…ごめんな村田!道塞いじゃって…」
「君はいいさ渋谷。ちっちゃな君が大の字になってたって全くちっともてんで邪魔になんかならないからね。だけど、君の無駄にデカイ夫はたとえダンゴムシのように丸まっていてさえ邪魔になるのさ」

 流石と言うべきでしょうか。
 村田の言葉は11月の寒風よりも応えます。

「……………すみません」

 見られた現場の恥ずかしさとも相まって、茶うさぎは項垂れて謝りました。

「謝って貰いたいわけじゃない…。ただ、どいて貰いたいだけさ」

 村田はつっけんどんに言うと、ぶすくれて茶うさぎ達の脇をすり抜けていこうとします。
 その様子には流石の有利もかちんと来ました。

「どうしたんだよ村田!今の態度はあんまりだぜ?コンラッドに謝れよ!」
「煩いな…っ!僕は早く帰りたいだけだよ。こんな寒い道にいたら、冷え性の僕はすぐに凍えてしまうからね」

 有利にさえつっけんどんに言い放ち、小走りに駆け抜けようとした村田でしたが…その小さくて華奢な身体はふわりと宙に浮いてしまいます。

「あーらぁ!猊下ってば冷え性なんですか?じゃあ、俺の肉布団であったまってって下さいよぅ!」 
「うわぁ!?出たな、肉饅頭!!」
「酷ーいっ!グリ江ショックぅーっ!」

 肉布団は良くて肉饅頭はいけないというその基準がよく分かりませんが、それでもめげずに橙うさぎは自分のコートの中にすっぽりと村田を包み込み、軽口のわりにはとても丁寧な仕草で…大切な宝物を扱うようにゆったりと揺するのでした。

「ふん…まぁ、家に帰るまでの間は世話になろうかな…」

 まんざらでもないのか、ただ単に筋肉から発生される熱量が普通のうさぎの1.5倍はあるせいか、村田はきつい言葉の割には満足そうに瞳を細めると、こつん…と橙うさぎの胸に額を寄せました。
 もしかしたら…村田は珍しく、ちょっと兎恋しい気持ちだったのかも知れません。  
 秋というのは、うさぎをそういう気持ちにさせる季節ですからね。

「…」

 黒うさぎは、じぃ…っとそんな二羽の様子を見つめていましたが、何か口にしようとして、むに…っと唇を弱噛みします。

「どうしました?」
「ん…んー………なんでもない……」

 茶うさぎに問われて反射的にふるるっと首を振りましたが、黒うさぎは本当は…さっきの村田みたいにすっぽりと茶うさぎに抱き込まれて、ぬくといコートの中にくるまってみたくなったのです。

 きっとそんな風にされたら、茶うさぎのぬくとい体温に包み込まれ…茶うさぎの胸元から薫る体臭にうっとりと目を細めることが出来るでしょう。

 ですが、そんなことをおねだりするのはちょっと恥ずかしいのです。

 だって、さっき村田達がやっていたのの真似っこのようです。
 小さい仔うさぎが何でも友達と一緒が良いと言っているみたいで、駄々を捏ねてるみたいに思われるかも知れません。  
早く大きくなって一兎前のうさぎになり、晴れて茶うさぎのお嫁さんになりたい黒うさぎにとって、仔うさぎっぽく見られることはとても不本意なことなのです。

『でも…いいなぁ、村田…』

 恥ずかしいことに…友兎を羨ましいと思う気持ちはむくむくと沸いてきてしまいます。

『駄目駄目…コンラッドに仔どもだって思われたら大変だもの!』

 7歳の黒うさぎは何処をどう転がしても仔うさぎ以外の何兎でもないのですが…黒うさぎは葛藤します。
 そんな黒うさぎの身体が…ふわぁっと風に煽られるようにして浮かび上がりました。

「え…?」
「すみません…ユーリ。ヨザ達を見ていたら真似したくなってしまいました」

 茶うさぎは照れくさそうに苦笑しつつも、蕩けるように優しい瞳で黒うさぎを見つめています。それはもう…息が触れそうな至近距離で…っ!
 そう…茶うさぎは黒うさぎの身体をすっぽりとコートの中に包み込み、きゅうっと抱きしめているのです。

「嫌…?」

 艶やかな琥珀色の瞳が揺れ、水膜を纏って潤みます。
 たとえようもなく綺麗なその瞳に蕩かされてしまったように、黒うさぎは…ほぅ…っと甘い息を漏らしました。
 黒うさぎの大好きな茶うさぎは、どうしてこんなに色っぽいのでしょう?

「い…嫌じゃないよ……っ!」

 うっとりと見つめる黒うさぎに、茶うさぎはにっこりと微笑みます。
 そうすると不安に揺れていた瞳には、今度はきらきらと輝く銀の光彩が跳ね…茶うさぎを少年のように瑞々しく見せるのです。

「では…家までこうやって帰りましょう」
「うん……」

 こっくりと頷く黒うさぎを抱いて、茶うさぎは至福の道を歩みました。

* 今更なんですけど………コンユの原型から凄い勢いで逸脱していますか?……。そして7歳の仔うさぎに対して色気を全力で振りまく二十代半ばの茶うさぎって一体…。 *


Cほかほかなもの


 
 秋の醍醐味と言えば、露天売りの暖かい食べ物でしょう。
 黒うさぎと茶うさぎは公園脇の露天通りでの買い食いで、お昼をすませることにしました。
 この辺りで一番大きい公園にやってくると、ここに植わっている木々の殆どが落葉樹なため、紅・茶・黄といった錦のような彩りがそれはそれは美しい様子です。
 露天の方もその雰囲気を壊さぬように配慮が成されており、藍染めの布で幟(のぼり)を作ったり、臙脂色の毛氈を用意したりと、色調をその場にそぐうように揃えています。

「コンラッド、焼き芋にする?それとも焼き栗?ああ…でもこの辺はおやつか!まずは粽(ちまき)か蒸かし饅頭かな?」

 黒うさぎは《はぅはぅ》とはしゃいで茶うさぎの手を引っ張ります。

 黒うさぎが最初に買ったのは、ほかほかと湯気を立てる粽でした。
 竹の皮を剥ぐと、艶やかに色づく餅米、合間から覗く豚角煮や銀杏(ぎんなん)、椎茸、筍といった具材がとても美味しそうに輝いています。

「いただきまーす!」
 
 黒うさぎが大きなお口を開けてかぷっと囓りつくと、冷え切った前歯が痛く感じるほどの熱気と、芳醇な味わいが口腔内で見事なハーモニーを奏でます。

「コンラッドも食べなよ、美味しいよ?」

 にこにこ顔で囓りかけの粽を捧げ持つ黒うさぎは、粽そのものよりもずっと《美味しそう》です。

『おや?』

 ふと見やれば、黒うさぎの頬には餅米の粒が2粒ほどついていました。
 齧り付いた折りに引っ付いたのでしょう。
 粽は黒うさぎの小さなお口には含みきれないくらい大きなものでしたからね。
 
 茶うさぎが《ぺろ…》と反射的にそれを舐め取ると、黒うさぎは《ぼっ!》と顔を上気させてしまいました。
 それこそ、湯気を上げる肉饅頭のような様子です。

「俺は今のでお腹一杯ですよ。残りはユーリが食べて下さい」
「そ…そんな訳ないだろ!」

 黒うさぎは照れくさいのと恥ずかしいのとで、少し怒ったように言うと…乱暴な仕草で粽を二つに割り、一方を茶うさぎに押しつけました。
 そしてもぐもぐと咀嚼しながら黒うさぎは考えます。

『しまったなぁ…今のはとんでもなく子どもっぽい態度だったぞ?ほっぺたを舐められたくらいで真っ赤になるなんて…お口にチューだってしたことあるのに!』

 どうも黒うさぎは不意打ちの口吻に弱いようです。

『何とかしてコンラッドに不意打ちが出来ないかな?』

 大兎(おとな)に見られたいと言うよりは、単に《お返し》をしたいだけに目的が変わっていることに黒うさぎは気付きません。

『うーん…』

 考えてみますがなかなか良いアイデアが思いつきません。
 そのうち、無意識に粽を食べ終えて指を舐めていた黒うさぎは、茶うさぎの清潔なハンカチで指を拭われてしまい、また赤面することになりました。

『うう…早く大兎になりたいよう……』

 黒うさぎは気付きません。 
 こういったことは黒うさぎが大きくなろうがなるまいが、茶うさぎがそうしたいと望んでいる限り老うさぎになったとしても続くのだと言うことに…。


 まだお腹は一杯になっていませんが、焼きたての香ばしい香りにつられてふらふらと寄っていったのは串団子の店です。
 小粒の団子の表面がカリカリに焼けたところに刷毛で幾度もみたらしのタレを塗りつけたものが、再び焼かれて更に香ばしさを増しています。
 匂いに導かれ…店先で注文聞きをしている少年うさぎに声を掛けたところ、吃驚したようにぴょこんっと退かれてしまいました。

「え…と、あの……ご注文、ですか?」
「ええ、串団子を2本づつお願いします」

 茶うさぎは穏やかに頼むと、毛氈の敷かれた茶席に腰を下ろしました。
 ですが…黒うさぎはチラチラとこちらを見ている少年うさぎの様子が妙に気になりました。
 そういえば…先程粽を売ってくれたおばさん兎も、茶うさぎ見た途端にぎょっとしていたようでした。

 暫くして串団子を食べ始めた茶うさぎの様子を横から伺うと、その精悍な横顔が紅葉の映えて…黒うさぎはうっとりと見惚れてしまいます。

 秀でた額からすらりと伸びる高い鼻梁…形良い薄目の唇。
 強い意志の力を秘めながら、それでいて柔らかい色を湛えた琥珀色の瞳…。
 串団子を銜えていてすら茶うさぎの魅力は些かも損なわれることはなく、黒うさぎを陶然とした心地に引き込んでしまいます。

 ですが…店の少年うさぎがやってきて番茶を差し出したとき、その伺うような眼差しが黒うさぎの心にちくりと引っかかってきました。

 眞魔国森にいるときだって茶うさぎはとても格好いいうさぎですから、勿論兎目を引きましたが…このうさぎ達の眼差しには何か別の意味合いを感じるのです。
 何処か排他的で…怖いものでも見るみたいな警戒心が、ぴりり…ぴりり…っと黒うさぎの肌合いを刺激するのです。

「何か…あのお兄さんの目…やな感じ……」
「仕方ないよ。きっと…俺が珍しいんだ」

 言われてはっとしました

 そう言えば、茶うさぎはこの地球森ではとても珍しい《黒》以外のうさぎなのです。
 それこそ、ヨザックがやってくるまではこの森でたった一羽の毛色の違ううさぎだったのです。
 眞魔国森では逆に、黒うさぎがたった一羽の黒いうさぎでした。
 その事で黒うさぎ自身が《どうしてだろう?》と疑問に思ったことはあったものの、多彩な色合いのうさぎが居た眞魔国森で、こんなに物珍しげな目で見られたことはありません。

 けれど…ここでは黒いことが《普通》で、それと違うことはどこか《悪い》ものであるかのように感じられるのです。
 
 黒うさぎは…胸に《かぁっ!》と熱いものが込み上げてくるのを感じると、居ても立ても堪らなくなって…何か茶うさぎのために出来ることはないかと懸命に頭を働かせました。

 黒うさぎはちっちゃなうさぎです。
 ですから、出来ることはとても少なくて…して貰うことの方がとても多いうさぎです。

 ですが…ですが、この胸に溢れる暖かくて大きな愛の幾ばくかだけでも、茶うさぎに伝えたいと思うのです。

 茶うさぎがこの森で寂しくないように…。
 茶うさぎが、少しでも暖かい気持ちで過ごせるように…。

「コンラッド!」
「なんですか?」
「こ…これ、あげる!」

 精一杯考えた末、黒うさぎに出来たことは…手に持っていた串団子の残りを茶うさぎにあげるというものでした。
 でも、考えても見ればこの串団子は茶うさぎのお金で買ってくれたものです。
 これをあげたからと言って、茶うさぎに何かしてあげたことになるのでしょうか?
 そう考えると急に恥ずかしくなって…黒うさぎは顔を真っ赤にして俯いてしまいました。
 けれど、茶うさぎは蕩ける様に微笑むと…優しく優しく…黒うさぎの艶やかな耳と髪とを撫でつけてくれたのです。

「ありがとう…ユーリは、とっても優しいうさぎだね」
「そんなこと…ない。俺……あんたの為になんだってしてあげたいのに…あんたに団子を驕ってあげることも出来ないんだ……」

 つぅん…っと鼻の奥が熱くなるのを感じますが、その時…傍らからもうもうと湯気を立てる食べ物が差し出されてきました。

「あのぅ…良かったらこれ……た、食べてくれませんか?」

 差し出されたものはほかほかの蒸かし饅頭…そして、差し出してきたのは…
 あの、じろじろと見ていた少年うさぎでした。
 少年うさぎは居心地悪そうにもじもじしていましたが、おずおずと黒うさぎが受け取ると、安堵したようにほわ…っと微笑んだのでした。

「良かった…俺、さっきお客さん達のコトじろじろ見ちゃったでしょう?黒以外のうさぎなんて初めてだからつい珍しくて見ちゃったんだけど…考えたら凄く失礼だったなって思って…なんかお詫びがしたかったんです。あ…っ!俺、決しておかしいとか思ってたわけじゃなくて…、珍しいってだけじゃなくて、とても格好良い雄うさぎさんと可愛い仔うさぎさんだったんで、見惚れちゃったのもあるんです!!」
「お兄さん……」

 瞳を潤ませて見上げてくる黒うさぎに、照れくさそうに笑いかけながら少年うさぎはぺこりと一礼しました。

「君にも嫌な思いさせちゃったね…ゴメンね?」
「う…ううん!いいよ、そんなのっ!!」

 黒うさぎはにこにこ顔になってふるふると首を振ります。
 そうすると、さらさらの黒髪とともに柔らかなお耳までもがふるるっと振られて、とても可愛い様子になります。

「さあ、熱いうちに食べてよ。漬け物と挽肉をいれたうちの肉饅頭はここ近在ではちょっと知られた味なんだよ?」
「本当?」

 言われるままにぱくりと口に含むと、確かに芳醇な味わいと肉汁とが口腔内に拡がって、火傷をしそうな熱さがまた旨味を際だたせています。

「おいひいっ!」
「良かった!」

 この時…大きな肉饅頭にかぶりついた黒うさぎは、ほっぺたに挽肉の欠片をつけていました。
 少年うさぎは安堵したことと仔うさぎの愛らしい様子にすっかり有頂天になり、ついつい反射的に小さな弟にするような仕草で指で拭おうとして…突然、《ごぅ…っ》と吹き付ける烈風に身を震わせました。

『あれ…?急に寒く………』
  
少年うさぎは辺りを見回しますが…陽光は暖かく降り注ぎ、風など実際には吹いていないようです。
 正面に向き直ると、黒うさぎから肉饅頭を受け取った茶うさぎが、笑顔で少年うさぎを見つめて居ました。
 ですが…ですが、美しいその琥珀色の瞳の中に、氷雪の怒気が垣間見えるのは気のせいでしょうか?

「どうもありがとう…肉饅頭、とても美味しいよ」
「あ…いえ、こちらこそ先程は失礼しました!」

 少年うさぎは先程まで、この機会に二羽とお喋りでもしようと思ったのですが…何か背筋に感じる《危機感応センサー》の作動により、素早く踵を返すと店裏の仕込みに疾走していきました。

「良かった…本当は親切なうさぎだったんだね!きっと、顔なじみになれば仲良しになれるかも!」
「………………そうですね」

 茶うさぎは思いました。
 もう、この露店通りに来るのは止めようと……。

* 大兎げない…大兎げないよコンラッドさん! *

D「秋のおわり」



 空一杯に拡がるうろこ雲が、少しずつ色を変えていきます。
 淡い灰色…桃色…橙色…刻々と変わっていく色彩をじいっとみつめながら、黒うさぎは茶うさぎと共に家路につきました。

 今日は茶うさぎと一緒に沢山歩きました。
 山々を染める紅葉がはらりはらりと落ちて、渓流を流れていくのを追いかけたり…一番大きなススキの穂を捜して林の中に入ったり…とても楽しい時を過ごしました。
 二羽きりで過ごす時間のなんと甘やかだったことでしょう!

 ですが…明日から茶うさぎは生活費を稼ぐため、子ども達に勉強や運動を教えることになっているのです。

 眞魔国森では裕福な貴族の子弟は家庭教師をつけて勉強をしますが、地球森には《学校》というものがあって、大概の仔うさぎは8歳になるとここで一様に勉強するのだそうです。
 茶うさぎは色々な知識を豊富に持っておりますので、幾つかの試験を受けた結果、《是非とも勤めて下さい!》とお願いされて勤めることになったのです。

 黒うさぎも春からここに入ることになっていますが、今年はまだ年齢が足りないので入ることが出来ません。
 ですから…二羽は明日の日中から離れて過ごすことになります。
 黒うさぎは母さんうさぎのもとでお手伝いをしたり、遊んだりして時を過ごすのです。

 ぎゅう…っと、黒うさぎが強く手を握ると…茶うさぎも大きく手を掴んで、握り返してくれました。 

「コンラッド…明日から、お仕事頑張ってね?」
「ええ…頑張ります。ユーリも猊下とのお勉強、頑張って下さいね」
「ん……」

 こっくりと頷く黒うさぎは、どこかしょんぼりとした様子です。
 秋というのはそれでなくてもうさぎをアンニュイな気持ちにさせるものですが、殊にこのような夕暮れ時というのは…どうにも寂しさを募らせてしまうようです。
明るい日差しに照らされたお昼時が楽しければ楽しいほど…こんな時間帯には寂しさが募るのです。

「あのね…コンラッド……」
「なんです?」
「ん…ん、やっぱりいいや」

 ちらりと横目で見た茶うさぎは、凛とした…とても綺麗な立ち姿をしています。
 長いコートの裾を風に靡かせるそのシルエットが、夕焼けの中で胸に迫るほど綺麗で…格好よくて…黒うさぎは胸が一杯になって何も言えなくなりました。
 明日から茶うさぎは学校に勤めることになります。
 そうしたら、茶うさぎは仔うさぎ達の《先生》になるのです。

『コンラッドはこんなに格好良いんだもの…。きっとみんな、コンラッドを好きになる…。先生、先生って呼んで、甘えたりするんだ』

 何だかそれがとてもとても悔しくて…黒うさぎはきゅうっと唇を噛みしめます。

『俺…どうしてこんなにちっさいんだろう?』

 身体だけでなく、こんな風にうじうじと考えることは心まで小さいに違いありません。

『大きくなりたい…早く大きくなりたいよ……』

 ふと振り向けば、道の向こうまでずぅっと二羽の影が伸びて…長く長ーく伸びていって…黒うさぎの影もとても長かったのですが、茶うさぎの影はもっとずっと長かったものですから、黒うさぎはやっぱりしょんぼりとしてしまいます。

「どうしました?」

 先程から元気がない黒うさぎに、茶うさぎは心配そうな表情を浮かべます。

「ううん…何でもない」

 黒うさぎはふるるっと首を振りますが、泣きそうに潤んだ黒瞳が《なんでもある》事を如実に教えています。   
 茶うさぎは後ろを振り向くと、伸びていく二つの影が段々と…少しずつ離れていくことに気付きました。これは何だか寂しい様子です。
 そこで、茶うさぎは黒うさぎの身体をふわりと抱き上げて声を掛けました。

「さあユーリ、振り向いて見て?」
「え?」

 言われて振り向けば…二つの影は一つのものになって…溶け合い、境目の分からない塊になって一緒に伸びていきます。
 遠く遠く…道の果てまで続くように、長い影が伸びていきます……。

「ユーリと俺は年も大きさも違うけれど、こうして寄り添って暮らすことが出来る…それは、何て素敵なことなんでしょうね?俺は…いつも、何に感謝して良いのか分からないのですが…とてもとても《ありがとう》という気持ちが沸き上がって…胸が暖かいもので一杯になるんですよ」 
「コンラッド…」

 眩しいほどの橙色の光があまりに強く差すものですから、茶うさぎが今どんな表情をしているか、黒うさぎは目で捉えることが出来なくなっていました。
 ですが…眩しそうに眇めたその眼差しの先で、どうしてか茶うさぎが浮かべているだろう表情がまざまざと浮かんでいるのでした。

 今…きっと茶うさぎは、とても優しい顔をしています。
 そしてきっと…照れくさそうな…でも、とても幸せそうな顔をしているはずです。

 そしてそして、その顔をさせているのは他でもない…黒うさぎなのです!

 なんて嬉しい事でしょう!
 なんて幸せなことでしょう!

 黒うさぎはふくふくと沸き上がる幸福感に頬を染めると、茶うさぎの肩口に顔を埋めました。
 茶うさぎのコートからは、今日一日中浴びていたお日様の匂いがしました。

「コンラッド…俺も、感謝しなくちゃ!だってだって…俺、あんたと一緒に暮らしていられるんだもんね!」

 黒うさぎが普通に暮らしていたならば、擦れ違うこともなかっただろう二羽…。
 もしも黒うさぎか記憶を失っていなければ、一緒に暮らすことなどなかっただろう二羽…。

 それが今こうして寄り添っていられることは、実はとても不思議な巡り合わせであると同時に、互いが強く相手を思いやった結果なのです。

 茶うさぎは黒うさぎと共にあるために、うさぎの誇りである耳を断ち切ろうとしました。
 黒うさぎは、茶うさぎの痛みを癒やそうとして力に目覚めました。

 そんな風にしてとても大きな苦しみや悲しみを乗り越えてきた二羽なのです。
 ちょっとばかし後ろ向きな気持ちになったって、絶対に大丈夫に決まっています。

「大好き…大好きだよ、コンラッド」
「俺だって大好きですとも」

 蜂蜜色に熔けていく秋空の下…二羽の影は一層長く長く…一つの影として伸びていきます。
 その影は、丁度大きな白樺の幹にぶつかるところで折れ返して一つの像を造り出しました。
 
 二羽の影は…そっと唇を寄せ合っておりました。

* 丁度秋の終わりに書けて良かったです *


←ご案内所へ戻る