「泣いた赤鬼」




 地球森に来て沢山の本と出会った黒うさぎは、時々お話の世界に入り込みすぎてしまうことがありました。


 ある寒い冬の日…茶うさぎが家に帰り着くと、黒うさぎはぼろぼろと涙を零していました。

「ユーリ!?一体どうしたんですか?」
「ふぇぇ…コンラッドぉ…っ!!」

 黒うさぎはぴょこんと跳んで茶うさぎにしがみつくと、その胸でおんおんと泣きました。
 ふっくらとまろやかな頬はすっかり涙に濡れ、泣きはらした瞳は白目のところが赤く染まっています。いつもはぴんと伸びている耳も、しょぼくれたように伏せてしまっています。
 辺りを見回すと、テーブルの上に絵本が開かれていました。

「哀しいお話だったんですか?」
「うん…うん……っ!」

 こくこく頷くと、大粒の涙がきらきらと光りながら床に転がり落ちていきました。
 黒うさぎを抱っこしたまま茶うさぎが絵本を捲ってみると、それは地球森に伝わる《泣いた赤鬼》というお話でした。

 昔々、赤鬼と青鬼という仲の良い鬼がいた。
 赤鬼は人間とも友達になりたがったが、人間は鬼をおそれて近寄ろうとはしなかった。
 そこで友達思いの青鬼は人間達を襲い、それを赤鬼が助けるように仕組んだ。
 そうして人間達と仲良くなれた赤鬼だったが… 
 
「あ…あおおに…も、会えないなんて…ひど…ひどいよぉ……っ!」

 お話の最後、青鬼は赤鬼が人間達に疑われないようにと旅に出てしまう。
 赤鬼は青鬼の深い友情を想い、涙に暮れる…。

 そのオチが余程哀しかったようです。
 《お話ですから》というのは簡単ですが、それでは黒うさぎは納得しないでしょう。

「ユーリ…ね、その後にもきっと続きがあるんじゃないでしょうかね?」
「続…き?」

 いまだしゃくり上げている黒うさぎの髪を梳いてやりながら、茶うさぎはロッキングチェアに腰掛けてゆらゆらと二羽の身体を揺らめかせた。

「ええ…赤鬼は、その後泣いてばかりだったと思いますか?もしユーリが赤鬼だったらどうしていましたか?」
「俺…俺……ぜったい…探しに行く…」
「そうでしょう?きっと…この赤鬼も青鬼を探しに行ったと思いますよ?」
「………うん」

 小さく頷くと、黒うさぎはきゅうっと茶うさぎの胸に抱きつきました。
 黒うさぎがこんなに泣いたのは、赤鬼と青鬼の気持ちにとても同調してしまったからです。

 何故って…相手の幸せのために自分の想いを閉じこめて、住処を去ろうとした青鬼に、茶うさぎの姿が被さって見えたからでした。

 昔…悪い人間から黒うさぎを救い出してくれた茶うさぎは、眞魔国森に帰ってきてから黙って黒うさぎを置いていこうとしたことがありました。

『俺が邪魔っけなんだ』

 そう思いながらも、どうしても茶うさぎから離れたくなかった黒うさぎは、今日と同じくらい寒い冬の日に、パジャマ姿と裸足のまま夜の森を駆け回ったのです。街道に迎え道を見張って、こっそり跡をつけようとしたのでした。

 結局、茶うさぎは自分が半分人間の血を引いていることを恥じて、きっとその血筋のせいで悪いことをすると思いこんで身を引こうとしたのでした。

 黒うさぎは怒りました。

 どうしてそんなことで自分から離れようとするのか。
 どうして何も言ってくれないのか…。
 分からなくて、ただただ怒りました。

 でも…今こうして成長してからその時のことを思い出すと、また少し違った気持ちが溢れてくるのでした。

 大好きなうさぎにとって、自分が一緒にいることが害になるかも知れないと思ったら…どんな気持ちがするでしょう?

 青鬼は、自分が一緒にいることで赤鬼が疑われてはいけないと思いました。
 茶うさぎは、自分が一緒にいることで黒うさぎが辛い目に遭うことを恐れました。

 それはどちらも、深く相手を思いやるからこそ溢れてきた想いだったのです。

 もしも黒うさぎが何かどうしようもないような理由で、茶うさぎの傍にいては迷惑になるような事態になったらどうしましょう?

 たとえば、酷い流行病を黒うさぎが抱えていて、傍にいるだけで茶うさぎにうつしてしまうのだとしたら…。混血のうさぎが掛かると、必ず死ぬような流行病なのだとしたら…。

『ああ…その時は、俺だってコンラッドに黙って行ってしまうだろう…』

 大切なうさぎと一緒にいたい。

 でも、その事が相手を傷つけるのだとしたら…それは、何て恐ろしいことなのでしょうか!
 今になって黒うさぎは、当時の茶うさぎの恐怖をひしひしと感じるのでした。

『どうかどうか…コンラッドと俺が一緒にいられなくなるような事が起こりませんように…っ!』

 黒うさぎは強く強く…お祈りしました。
 そんな怖さを感じられるくらいに、黒うさぎの心は成長してきているのでした。 
 
「ユーリ…大丈夫……」

 あやすように囁く甘い声が、耳朶に優しく降り注ぎます。
 抱きついた胸板から仄かに薫る茶うさぎ特有の柔らかな体臭に身を任せながら、いつしか黒うさぎは眠りに就きました。
 すぅすぅいう健やかな寝息を胸に感じながら、茶うさぎは微笑みます。

「ユーリ…俺の可愛いユーリ…っ!」

 感に堪えぬ様子で、茶うさぎは愛おしくて堪らない温もりを抱きしめました。

「沢山笑って沢山泣いて…こうしてあなたは大きくなっていくんでしょうね…。どうか、俺が何時までもあなたの傍で見守っていられますように…っ!」

 呟いてから、微苦笑を浮かべた茶うさぎは言い換えました。

「いいえ…もう、祈るだけでは足りない。俺は、どんなことがあってもあなたの傍にいる。祈るのではなく、誓います…」

 すっかり眠ってしまった黒うさぎにその囁きは聞こえなかったでしょうけども、あどけないその口元はふんわりと笑みの形をつくりました。
 まるで、とてもとても満足したように…。

* 「泣いた赤鬼」ってモロに原作のコンユだと思います…。原作ベースの話でも書いてみようと思ったのですが、上手く前後が繋がらなかったのでうさぎ話でやってみました。 *