「鳴呼、コンラート様よ永遠に」−2





   

『モテる男は辛いねぇ〜っ!』

 幼馴染みの蜜柑髪男は事あるごとにそう言って笑う。
 大抵の社交辞令がやっかみ半分であるのとは異なり、彼の台詞には9割方の同情が含まれている。幼少期からコンラートという男を知るだけに、よくよくその苦労が分かっているのだろう。

 この時も、コンラートはしみじみと自分の《モテっぷり》に脱力していた。

「むっふーんっ!!」

 鼻息も荒々しく欲情を示すサイクロどんは、普段は慎み深い種族である。洞窟の中に探検家などが入って来ても、荒々しく追い出すどころか《粗茶ですが…》と、とっておきの茶葉とお菓子でもてなしてくれるほど律儀だ。コンラートもかつて放浪の旅をしている途上、お世話になったこともある。

 それだけに…強か酔いどれたサイクロどんが、革布に包まれた逸物を隆と勃たせている姿にはいたたまれなさを感じてしまう。
 彼らは美的感覚の上で自分たちを《醜い》と感じること甚だしく、ヒト型の魔族に対して強い憧憬の念を持っているのだ。それだけに、理性のストッパーを外された今は《美しい》と日々感じている魔族を陵辱したいという衝動に駆られてしまうのだろう。

 動機としては分からないではないが、それが何故コンラート対象なのか!
 周囲には並み居る貴婦人方もいるのだから、普通はそちらに照準が合わさるであろうに…。

『俺という奴は、ほとほと変態に愛されてしまうらしい…』

 そういう表現をすると、いつも恋人はぷくっと愛らしい頬を膨らませて文句を言うのだった。

『なんだよそれーっ!じゃあ、俺も変態ってこと?』

 《そんなことはありませんよ》と宥めるようにキスの雨を降らせながら、密かにコンラートは思うのだ。

『この点に関してだけは、あなたも変態であったことを天に感謝しますよ…』

 有利はコンラートへの想いを実に肯定的に認識しているが、実のところ、地球…特に日本人の社会通念から言えば有利は立派に変態の仲間入りが可能である。だから、一概に自分の体質を恨むつもりはないのだが…それにしたってこう頻繁にいたたまれない事態を迎えるのは、やはり嬉しくない。

「む…ふぅうううん……っ!!」
「傷つけたくはないが…多少は我慢してくれよ?」

 ドドド…っと勢い込んで駆けてくる巨体をするりと避けると、コンラートは身体を捻らせた流れでそのままサイクロどんの首筋に剣の柄を叩き込む。普通ならこの一撃で昏倒するはずだ。

 しかし、流石はサイクロどん…ゴリマッチョな肉体は伊達ではない。
 項靱帯が余程発達しているのか、けろりとした様子で反転すると、ぶうんと棍棒を振り回してコンラートを捕らえようとする。

「くそ…っ!気絶させるのは無理か?」

 しかし、幾ら異形とはいえサイクロどんは眞魔国の民である。おそらく酒気が抜ければ激しく自分の行いを後悔するであろう彼に、酷い傷を負わせるのは本意ではない。
 そうはいっても、コンラートの技量はあくまで対ヒト型生物用の剣技であり、それ以外の生物に対しては基本的に殺傷を目的とした斬激が主体となってしまう。

 困ったコンラートは、サイクロどんの巨体を利用して強靱な石柱辺りに突撃させることを思いついた。素早く位置取りを確認すると、片手で器用に襟元をくつろげる。

「サイクロどん…おいで?」

 ふ…っと薄い唇に笑みを刻み、誘惑するように艶やかな流し目を送れば…それでなくとも興奮しっぱなしのサイクロどんはひとたまりもなかった。


「むふははぁあああああん……っっ!!」

 
 濛々たる鼻息を噴出させてドドウ…ドウドウ…っと突撃してきたサイクロどんを紙一重でかわせば、ズドォン…っ!と凄まじい音を立てて石柱に罅が入る。流石のサイクロどんもこれは堪えたのか、額から赤黒い血を垂らしてぐらついたかと思うと、轟音を上げて大の字に伸びた。

 しかし、この一連の衝撃はカノッサ邸宅の造りには過負荷であったらしい。
 石柱に激突した段階からグラ…グラ…と揺れていた豪奢なシャンデリアが、床に倒れた衝撃によって天井から落下してきたではないか!

「危ない…っ!!」
 
 よりにもよって、シャンデリアは大恩あるカノッサ老当主の頭上に落ちかかってきた。咄嗟に身を飛び出させたコンラートはすんでのところで硝子と蝋燭の山から老人を救い出したものの、その身を包むように床を転がったせいで頭部を強打してしまった。

「く…」

 《しまった…目が、霞む…っ!》…どうやら脳震盪を起こしているらしい。視界の歪みを何とか補正しようとするコンラートの前で、のそりと立ち上がったのは…痛みを越える欲情に我を忘れているサイクロどんであった。

 割れた硝子をもろともせずに直進してきたサイクロどんは、むんずとコンラートの襟元に手を掛ける。おそらく…衣服は紙のように引き裂かれ、このまま身体の自由を失ったままであれば公衆の面前で強姦されてしまうのだろう。

『ユーリ…っ!』

 喉の奥に閉じこめた悲鳴は、愛しい人の名であった。

 


*  *  * 




「止めろーーーっっっ!!!」

 
 絶叫を上げて有利が駆けだしていく。
 コンラートがサイクロどんを撃退している間ははらはらと状況を見守っていた有利だったが、事ここに及んでもう黙っていることなど出来なくなったのだろう。
 
『コンラート様の体面を潰してしまうのでは…』

 マリアナはまだ微かにそんなことを考えていたが、一心不乱にサイクロどんの腕に噛みつき、無造作に振り払われる有利の様子にカァ…っと脳髄が熱く噴火するのを感じた。

 《普通》とか《常識》とか《体面》とか…そんなものに振り回されていた自分が、急にみっともないと感じた。


『愛しい方を護りたい…その気持ちに、なぜ羞恥など感じなくてはならないの!?』

 
「うおりぁあああああ……っっっ!!!」

   
 腹蔵から漲るような獅子吼を放って駆け出せば、背後に身を潜めていた侍女頭のマーサが勢いよくトランペットを吹き鳴らす。このような宴席では、他家の侍女達は控え室で待機しているのが《普通》であり、《常識》なのだが、そこはそれ…ラダガスト家の侍女訓には変えられない。

 ファイッ…ファイッ…
 ファイッ…ファイッ…

 チャ〜、ラ〜ラー、
 チャ〜ラー、ラ〜ラー
 チャ〜、ラ〜ラー、
 チャ〜ラー、ラ〜ラー

 マ・リ・ア・ナ、ボンバイェッ!
 マ・リ・ア・ナ、ボンバイェッ!
 
『侍女頭たるもの、主の闘いの場には常に勇壮たる楽の音を吹き鳴らすべし』

 これがラダガスト家の常識…ラダガスト流なのだ。

 そう…《普通》や《常識》など時代や国によって如何様にも変転していく。そんなことよりも大切なのは、心から大切に思う者が幸せであるように祈り、行動することだ。

『もう迷いませんわ、コンラート様…私は、あなたのために輝く不死鳥となりましょう…っ!!』

 迷妄の塵芥から華麗に飛び出したマリアナは、真紅のドレスを閃かすと勢いよくアラベスク様の跳躍を見せ、人形のように吹き飛ばされてしまった有利を鮮やかに受け止める。

「マリアナさん…っ!」
「陛下…私が愚かでしたわ。ふふ…流石は我が最大にして最強の好敵手ですわね。私、目が覚めました…っ!」

 マリアナは優しく有利の体躯を床に降ろすと、何事かと視線を向けたサイクロどん目掛けて凄まじい突きを見せた。

「ほあちゃちゃちゃちゃちゃ〜っっっ!!!!」

 おお…何という烈風か!
 これまでは蹴りを主体とした攻撃を見せていたマリアナであったが、この日はコンラートの意を汲んで、サイクロどんを傷つけることなく身柄確保に努めようと考え、空気が加熱して紅く染まるほどの速度で手刀を垂直に叩き込むと、ラダガスト家に伝われる秘孔を突きに突いたのである。

「お…あ…た……ひでぶ…っ!!」

 サイクロどんの肉体は空中で跳ねるようにして弾むが、骨が砕ける音もしなければ出血の様子もない。時間にして、ほんの5秒というところであったが、見える目を持つ者の目で見ればゆうに500発という数の手刀を食らったサイクロどんは頽れるようにして地に伏した。今度こそぐったりと伸びきった肢体は、立ち上がる様子もない。

「コンラート様に仇なす者は、このラダガスト胸マリアナが許しませんわ…っ!」

 わぁああああ……っ!!

 ダダン…っ!と大見得を切るマリアナに、一同から惜しみない拍手が送られた。 



*  *  * 




「いつもありがとう、マリアナ殿」
「ま…お礼だなんて、そんな…恥ずかしいですわ!」

 《きゃっ!》と頬を染めてはにかむマリアナに、脳震盪から脱したコンラートが心からの礼を述べると、その脇で不満げに唇を尖らせる者がいた。
 有利ではない。例のカノッサ卿モティールである。

「全く…コンラート様ったらどうかしているわ。どうしてあんながさつな女に礼など言われるのかしら?」
「コンラッドは、自分のために戦ってくれる人を心から認められる奴だからだよ」

 小さな囁きを聞きつけている者がいるとは思わなかったのか、モティールはびくりと肩を震わせた。しかし、発言の主が見覚えのない少年だと分かると、逆に馴れ馴れしい物言いに難癖を付けてくる。

「まぁ…どなたか、この図々しい子どもを躾ては頂けませんこと?コンラート様に向かって、《奴》ですっ!何と馴れ馴れしいのかしら…っ!!」
「え…?や……っ!」

 そんな反撃を受けるとは思っていなかったらしい少年は、注目を浴びかけて逃げを打とうとするが、怒りにまかせて伸ばされたモティールの手が髪に掴みかかる。
 しかし…その手は凄まじい速度で飛来した扇子に強打されてしまった。

 投げたのは、コンラートであった(マリアナの扇子を借りたらしい)。
 その琥珀色の瞳に隠しきれない怒りが満ちている事に気付くと、モティールの顔面が一瞬にして蒼白になった。自分が一体何に対して不躾な行為をしてしまったのかを、本能的に悟ったのだ。

「失礼…モティール殿。だが、その方は私の大切な主(あるじ)…。尊貴たる御髪に触れることは、この俺の怒りを浴びる覚悟なしには為さらぬことだ…」
「な…な……っ!?」

 その言葉の意味をモティールが正確に汲み取る時間も与えず、足早に…それでいて優雅な動作で歩み寄ったコンラートは、恭しく少年の前に跪く。

「見苦しい所をお見せして、申し訳ありません。その上、あなたを危険に晒してしまったこと、なんとお詫びすれば良いか…」
「何言ってんだよ。あんたが無事で…本当に良かった。第一、内緒で勝手に来ちゃったんだもん…。俺が傍にいるって知ってたら、あんたは別の戦い方をしてたろ?」

 少年はコンラートを半ば強引に立たせると、ぱふりと逞しい胸に飛びついて顔を埋める。そのように親しげな仕草が出来て、コンラートにとろけるような瞳で見つめられる《主》など…この国に、一人しかいないではないか…っ!!

「へ…へへへへ…へぃへぃへぃ………」

 真っ青になって《へぃへぃ》と繰り返すフィン○゛ー・ファイブのようなモティールに、少年…渋谷有利は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「ひとこと言わせて貰えるかな?何が《普通》で《常識》なんだか、俺はまだよく分からない。だけど…」

 有利はすぅ…っと息を吸い込むと、腹蔵に力を貯めて重々しく告げた。

「大切な人が危ないって時に…なりふり構わず戦えないような奴に、人を愛する資格なんか無いからね?その点で、あんたは俺の恋敵なんかにはなれないんだからね…っ!」
「は…ははぁーーーっ!!」

 モティールは惑乱した脳を修復することが叶わないまま、その場に深々と平伏していた。
 
 
  

*  *  * 




 昏倒していたサイクロどんは再び暴れないようにと厳重に鎖で繋がれていたのだが、目を覚ますと酔いも醒めてしまったのか、真っ青になってぽろぽろと一つ目から涙を零し、平伏して謝った。
 やはり彼が我を失っていたのは自然発酵の酒を呑みすぎたせいであり、元々は大人しい気質であったのだろう。山に放してやると、何度も振り返ってはぺこぺこと頭を下げていた。

 さて残された宴客達はと言うと、殆どが落ち着いてくるとカノッサ家の警備体制に憤懣やるかたない様子で怒り始めると、《不愉快だ!》と言い捨てて帰路に就こうとし始めた。

 しかし、今回の宴はそもそもカノッサ老を祝う席である。それが…怪我人が出なかったのが不幸中の幸いとはいえ、邸宅を大幅に破壊された上(何故か邸宅だけではなく、サイクロどんの突入経路とは違う庭までが破壊されていたし…)、招いた客達を怒らせたとあっては立つ瀬がない。

 しかもしかも…その中には、招待した訳ではないのに来てしまっていた魔王陛下までおり、その息女が公衆の面前で叱責されたこともあって、カノッサ家としては面目丸潰れだったのである。

 有利はこの事態を見過ごすわけにはいかなかった。何しろ、事態の半分くらいは自分のせいでもあるのだから。

「あ…あの…!皆さん、今から血盟城に来られませんか?」
「な…なんと…っ!?」

 カノッサ老は思いがけない言葉に飛び上がった。

「お酒とか料理とかは十分にお出しできないと思いますけど、それでも…俺、カノッサさんのことコンラッドから聞いてます。純血魔族と混血魔族が凄く仲が悪かった頃から、コンラッドのことを認めてくれて、凄く親切にしてくれたって…。戦場でコンラッドの部隊が窮地に陥ったときにも、何度も手を回して増援を送ってくれたって…っ!」
「それは…それは、当然のことをしただけなのですよ。ウェラー卿は、我が眞魔国の要です。無為な闘いで失うことは、大きな損失になる…。軍人として、そう判断しただけなのです」
「それが分かっていても行動出来ない人は大勢います。あなたは…それを、コンラッドが本当に大変なときに実行してくれた…。そんな素晴らしい人のお祝いを、このままぶちこわしになんか出来ません。どうか、ささやかにはなっちゃうかもしれないけど…祝わせて下さい…!」
「俺からも、お願いします」

 有利とコンラートに両手を握られたカノッサ老は、皺くれた目元に涙を滲ませて頷いた。

「ありがたきお言葉…恐縮至極ではありますが、お受けさせて頂きます…!」
「やった!」

 ぴょん…っ!と飛び上がって喜ぶ有利に、怒っていた宴客達も一様に笑顔を浮かべたのであった。



*  *  * 




『嗚呼…天を舞っているようですわ…っ!!』

 久方ぶりにコンラートに手を取られ、舞踏に興じるマリアナはふわふわとした夢心地を味わいながらくるくるとフロアに舞った。
 血盟城の大広間は急場ながら迅速な対応を見せ、叩き起こされた非番の楽団達も、事情を聞いたせいか常以上に心を込めて楽の音を響かせている。

 愛おしいコンラートとの踊りはマリアナや他の貴婦人方を熱狂させ、カノッサ老の祝宴は結果的に大いなる成功を収めたのである。
 誰もが笑顔を浮かべ、疲れも見せずに見事な舞踏を続けるコンラートに感嘆の吐息を漏らした。

「コンラート様…私、誓いますわ…っ!」
「何をです?」
「永遠に、真っ直ぐに…自分に素直に、コンラート様を愛し続けることですわ…っ!」
「マリアナ殿、それは…」

 長い睫を伏せて何か言おうとするコンラートを、マリアナは視線で封じた。

「分かっておりますわ、コンラート様のお心がどなたのものであるかなんて…とっくの昔に、重々理解しております。でも、私は陛下に認めて頂ける《恋敵》で在り続けたいのです。胸を張って、常にコンラート様の幸せを追求できる私であることが、ラダガスト卿マリアナの本懐なのですわ…!」
「そうですか」
「ええ、こればかりはコンラート様ご自身のお言葉であっても、懸念を受けて従うわけには参りません。私…もう、《普通》だの《常識》だのには惑わされませんわ…!」

 高らかに宣言すると、コンラートは実に美しい笑みを浮かべてマリアナを見やった。

「それでは、俺もあなたに愛を向けられるに相応しい男であり続けましょう」
「宜しくお願い致しますわ…!」

 二人の間に流れる大気は爽やかであった。
 爽やかすぎて、明らかに通常の恋愛感情とは遠い物になっている感はあるが…それこそ、愛に《普通》や《常識》など当てはめられないのであるから、本人達が良ければそれで良いのである。

「さあ、最後のフレーズですわ…っ!」
「ええ…」

 コンラートとマリアナは華麗なステップを決めると、見事なフィニッシュを飾ったのであった。



 嗚呼、コンラート様よ永遠に…っ!

 何だか最終回のようなフレーズだが、別にそういうわけでもない。
 
 たぬき缶がコンユを続ける限り、ずるずると続くぞ「愛しのコンラート様」シリーズ…!


 目指せ「男は○いよ」、「水戸○門」……っ! 



おしまい





あとがき

 いい加減マンネリ気味かな〜…と思ったのですが、結局書いてしまいました。
 今回は珍しくマリアナ嬢に自信喪失させたせいか、話数は伸びなかったわけですが…。

 このシリーズは「妙な大会」と抱き合わせなので、それを噛ませなかったのが大きかったのもあるかも。

 一発芸に近いネタなのにずるずる来ているので爆笑して貰えることはまずないでしょうが、やはり楽しいのでやはりずるずると続けていこうと思います。

 ところで、「こもれびの宮 ひだまりの君」の胡城様の御意見で、「サイクロどんが可哀想」と伺ったところ、確かに気の毒…と感じましたので、ちょっぴりおまけを付けました。



おまけ

 しょぼぼん…。

 肩を落とした大男が、一人黄昏れて見つめる先には小さな池があった。
 そこに映された異形に、大男は一層しょんぼりと肩を落としてしまう。

 全体的に武骨な顔立ちの中、一つきりの大きな目がぎょろりと剥き出しになっているのが特に異様に感じる。
 昨日、とても美しい青年魔族を見たので特にそう思うのかも知れない。

 サイクロどん…彼はそう呼ばれる種族であった。

 風体こそ荒々しいものの基本的には大人しく、地域住民にも親切な彼らは荒れ地の開拓では特に力を発揮する。だが、大きな切り株や岩を退けたときには感謝されても、長く人里にいることは出来なかった。

 次第に人々の視線が疎ましげな色を含んでくるのが分かったからだ。

『なんて醜いんだろう』

 誰かがそう言っているような気がして、彼らは結局山の奥深くに身を潜めてしまうのだった。

『俺はずぅっとこうしているんだろうな』
 
 サイクロどんの寿命は長い。天地黎明の時に岩の間だから生まれ出でたとされる彼らは、永遠とも言える時間を孤独の中で過ごしているのだった。
 ならば仲間同士で身を寄せ合っていればいいようなものだが、それも憚られる。大きな力を持つ彼らが複数でいると、《何かを企んでいるのではないか》と疑われて、酷いときには英雄気取りの貴族に《征伐》されてしまうことがあるからだ。
 土塊で出来た彼らが他の生物のように《死ぬ》ことはないのだが…。普通なら《死ぬ》だろう扱いを受けて平気でいられるほど、サイクロどんは無神経な生き物ではなかった。

 サイクロどんはふぅ…っと溜息をつくと、傍らにあった小石を池に投げ入れた。水面に広がる波紋は益々サイクロどんの姿を歪めてしまうから、何だか泣きたくなってしまう。

『酒なんか、呑まなければ良かった…』

 後悔してももう遅い。
 寂しさを紛らわすために口にした酒のせいでカノッサ家の邸宅をメチャメチャにしてしまったから、きっとこの辺りの地方では酷くサイクロどんを警戒しているに違いない。今までは顔を合わせれば挨拶くらいはしてくれた狩人も、今度からは鏃を向けるのではないかと思うと酷く不安だった。

 それに…あの人を傷つけてしまった。

『なんて綺麗な人だったんだろう…』

 澄んだ眼差しと白皙の美貌を思い出せば胸がときめくけれど、すぐに落ち込んでしまう。

『ああ…あの人も、きっと俺を憎んでいるに違いない』

 ぼろぼろと溢れる涙が池に落ちると、また波紋が広がって水面が揺れる。
 ぐらり…ぐらぐら。

 ああ、もうどうにもならないくらいに像は歪む。
 このまま涙を止めることなど出来ないような気がしてきた。

 ところが…不意に、サイクロどんは目元に布地が押し当てられるのを感じた。
 吃驚して相手を伺ったサイクロどんは、我が目を疑った。

 何と言うことだろう…!そこにいたのは、あの美しい青年ではないか。
 清潔なハンカチで涙を拭ってくれる彼の瞳は澄んだ琥珀色をしており、驚くべきことに…どこにもサイクロどんを蔑む色はなかった。

「泣かないで?」
「は…はぅうう…ははははぅ…っ!?」

 狼狽えきって脂汗を流していると、すかさず垂れてきた鼻水をちり紙で止めてくれる人がいる。なんとそれは、漆黒の髪をしたとても愛くるしい少年だった。やはり漆黒をしたつぶらな瞳にも、幾らかの好奇心の他には何の害意も敵意もない。それどころか、醜いとさえ思っていないようだった。

「はい、ちり紙いっぱいあるから使って?きっとあんたが泣いてるだろうからって、コンラッドが持たせてくれたんだ」
「お…俺のために……どうして?」
「昔のことだけど…君の仲間に、旅の途上で世話になったんだ。美味しいお茶菓子や飲み物を出してくれて、それはそれは素敵なお茶会をしてくれた。その時に、君達がとても穏やかな性質の種族なのだと知ったんだよ」

 青年の逞しい手は、優しくサイクロどんの頭髪を撫でつけてくれた。ごわごわとしてまとまりのつかない鬣のような髪が、彼の手で櫛解かれたところだけとても心地よく感じる。

「君達が…とても、傷つきやすい繊細な心を持っていることもね」

 どこか痛ましげに睫を伏せる青年に、サイクロどんはまた、どぅ…っと熱い涙を迸らせるのだった。

 この青年は、知っているのだ。
 サイクロどんが昨日の失敗をどれほど悔い、哀しんでいるかを。
 
 ああ…誰かにこうして想いを汲み取られ、寄り添われる事など初めてのことでどうして良いのか分からない。
 痛みと心地よさが綯い交ぜになった波紋が、心の水面を激しく揺らすのだ。

「ごめんなさい…ごめんなさい……。俺は、あんたに酷いことをしてしまった…っ!なのに…こんな……っ」
「まあ、確かにエライ目に遭いそうにはなったね」

 そこはサックリと認められてしまう。
 だが、変に《何でもない》等と言われるよりはいい気がした。

「だから、泣きやんだら俺達を君の家に招待してくれないかい?君も料理上手なサイクロどんの端くれなら、美味しいお茶菓子の作り置きがあるだろう?」
「ドライフルーツを入れたケーキが絶品なんだろ?」

 悪戯めかしてそんなことを言ってくれるのが信じられない。

 サイクロどんは両手で顔を覆ってわんわん泣いた。
 こんな気持ちで泣いたのは生まれて初めてのことだった。

 同種族以外の誰かに、こんなに優しく撫でられたのも…。

 二人は粘り強くサイクロどんが泣きやむのを待つと、笑いながら自己紹介してくれた。

「そういえば、俺達名前を言っていなかったね。そうだ、君の名前も教えてくれる?」
「ああ…」

 口にした名前を、二人が復唱してくれる。
 暖かみのある優しい声音に、また泣きそうになるのをぐっと堪えてサイクロどんは彼らの名を呼んだ。
 噛みしめるように…大切な宝物を抱くように。


 ウェラー卿コンラート。
 シブヤ・ユーリ。


 《とっても素敵な名前だね》と言ったら、《あんたこそ》と返された。

 その日、彼らと呑んだお茶とお菓子の味をサイクロどんが忘れることはないだろう。


 未来永劫、永遠に…。



おしまい

 
 おまけ話が絵本調みたいに感じられて、途中で「だったのです」とか自然にですます調使ってました…。
 部分的に残っていても見逃して下さい。