たぬき缶サイト設立4周年記念話−2
〜黒うさシリーズ〜
「恋ってどういうものかしら?」








 《恋をする》ってどういう気持ちなのでしょう?
 どんな気持ちになったら、《恋をしてる》って言えるのでしょう?
 それは、家族みたいに大好きっていうのとどのくらい違うものなのでしょう?
 
 ちいさな黒うさぎにはその辺りがまだよく分かりません。

「ねえねえコンラッド」
「なんです?ユーリ」
「コンラッドは、恋をした事ある?」
「ええと…」

 ちいさな黒うさぎが、真っ黒なお目々をきらきらさせながら聞いてきますと、大きな茶うさぎは全身全霊を上げてなんでも答えてあげたくなります。ですから、《ええと》と言ったのは誤魔化したいからではなくて、なるべく正確に答えるべきだと思ったからです。

 茶うさぎは晩ご飯になるクラムチャウダーをくつくつと煮込みながら、時折、焦げ付かないよう丁寧に鍋の底を浚います。そして次にかき混ぜる間にパリパリといい音を立てて千切れるレタスを冷水に浸しながら、一生懸命考えました。

「そうですねぇ。何度かあったと思います」
「それって、どんな気持ちだったの?」
「そうですねえ。その人のことを考えるだけでドキドキして、逆上せたみたいに頭がフワフワして、ずっと傍に居たいなって思う反面、お尻の据わりが悪くて、今すぐ逃げ出したいような気持ちにもなりましたね」
「ずっといたいのに、逃げちゃいたいの?不思議だねぇ」
「そうですねぇ」

 きょとんと小首を傾げる黒うさぎに、優しい眼差しと共に頷くと、茶うさぎはくすくすと微笑みました。

「でも、恋にはきっと色んな形がありますから、ユーリが恋に落ちた時にはまた違ったふうかも知れませんよ?」
「ふぅん。そういうものかなぁ」

 黒うさぎは考えます。
 そして、やっぱり不思議そうにぷくんと唇を尖らせました。



*  *  * 




『うーん…。逃げたくなったりはしないけど、ドキドキしてふわふわして、ずっと一緒にいたいなって思うのは、おれだってすごくすごく思うよ?でも、《逃げたい》って思わないと、まだ恋じゃないのかな?』

 茶うさぎは《色んな形があります》と言っていましたので、もしかするともうこれで恋って言っても良いのかも知れませんし、まるっきり違うのかも知れません。恋には答えというのがないのでしょうか?

 少なくとも、《一緒にいたいな》って思うのは、家族や友達だったら当たり前に持っている気持ちかも知れません。

『でも、恋ってやっぱり特別なかんじがする』

 特別という意味で言えば、茶うさぎはやっぱり一番に特別です。だって、他のお友達とお別れすることになったら、淋しくても何回か泣けば済みますが、茶うさぎと別れるってコトになったら目が熔けるほど泣いても済みませんし、心が砕けて死んでしまいそうになるのです。実際、茶うさぎが黒うさぎを他の家に遣ってしまおうとした時、黒うさぎの心は一度ぐしゃぐしゃに砕かれそうになりました。

 こんなに大好きなのに、まだ恋ではないのでしょうか?

『はやく、《逃げたい》っていうのも感じてみたいな』

 そうしたら、少しはこの気持ちが恋っぽくなるかもしれません。
 黒うさぎは何だって茶うさぎを一番に据えていたいので、《大好きな気持ちの一等賞》みたいに思える《恋》というやつも、茶うさぎに対して感じたいのです。

 ふわりと湿った風が窓から流れ込んできたかと思うと、すぐに外が暗くなってきました。どうやら夕立が来そうです。

「あ、せんたくもの取り込んでくるね?」
「気を付けてくださいね。雷が鳴ったらすぐに家に戻るんですよ?」
「でも、せんたくもの濡れちゃうよ?」
「ユーリが雷に撃たれる方がもっとずっといけないことです」

 こんな時だけは強い語調で、戒めるように茶うさぎは言います。
 今も煮込みの途中でしたのに、火を止めると一緒にお庭へと向かいました。この辺がご近所のうさぎたちから《過保護》と言われる所以でしょう。
 嬉しい反面、なんだかくすぐったいような恥ずかしいような気がします。

「ああ、降ってきた!いそげいそげ〜」

 背丈のちいさな黒うさぎが慌てると、返って洗濯物を取り落としそうになります。下から引っ張るようにしてハンガーに掛かっていたシャツを取り込みますと、ビィンと跳ねた物干し竿が、木枠の中で踊るように振動します。

 その時、強い光が空を劈きました。

「ひゃあっ!」

 身も世もなく悲鳴を上げた黒うさぎでしたが、そのちいさな身体はあっという間に茶うさぎの逞しい体躯に包まれ、家の中に浚われました。公約通り、取り込み途中の洗濯物などほったらかしです。

 ドオン…っ!
 ゴロゴロゴロ…っ!!

 黒うさぎはあまり臆病な方ではないと思うのですが、さつきの光があんまり強かったのと、雷鳴が轟く様があんまり激しかったものですから、茶うさぎの腕の中でビクビクと震えながら耳を寝かせてしまいます。



*  *  * 




 ぷるぷるぷるぷる…

 ぴたりと頭に形に添わせるようにして震えている黒耳の、なんと可愛らしいことでしょう?茶うさぎはそっと柔らかな頭髪の中へと顔を埋めると、じぃっとして黒うさぎが落ち着くのを待ちました。

 しばらくすると、黒うさぎの身体は震えなくなりました。雨音も静かになって、空も明るみ、紅い夕焼けが部屋の中にも光を差し込ませます。ですが、黒うさぎは身体を離すのが勿体ないみたいに、甘えてすりすりと頬を擦り寄せました。

 何て可愛いのでしょう。
 ドキドキしてふわふわして…ずっと傍でこうしていたい反面、茶うさぎは全速力で逃げ出したいような気持ちもしました。

 その表現が、先程の説明にすっぽりピッタリ填り込んでいることに、茶うさぎは気づかない振りをします。気付いてしまったら、色々と大変なことになりそうだったからです。

 きゅむきゅむきゅむ

 ちいさなお手々を精一杯伸ばして抱きつく、あどけない仔うさぎ。
 彼が頬を真っ赤に染めて、《このままでいたいけど、逃げ出したい》気持ちになるには、あと数年待つことになります。



おしまい





あとがき



 絵本調の文体で一見微笑ましく見せかけたこのシリーズ。ある意味、コンラッドが最強のロリコンド変態シリーズでもあります。
 幼妻にもほどがあるよ…っ!

 「見ているとニヤニヤしてしまう」「砂を通り越して、砂糖の滝を吐いてしまう」ことで定評のあるこのシリーズ、久方ぶりにニヤニヤしながら何か吐いて頂けましたでしょうか?