エピローグ










 ざわわ…
 ざわわ……

 茶褐色の草がゆっさ…ゆさと群れなし揺れる中、コンラートは馬を制止させて動きを止めていた。
 肩口より長いダークブラウンの髪は秋草よりも深い色合いだったけれど、共に風を帯びて流れていく様は草原と同化してしまったかのように見えた。

 ユーリは馬を寄せてコンラートの髪へと細い指を絡めてると、悪戯っぽくツンと引っ張る。
 
「髪…伸びたね」
「ちょっと邪魔かな?」
「ううん…初めて会った頃に戻ったみたい。なんか、懐かしいな」

 にこ…っと微笑む双黒の少年こそ、ちっとも変わらない面差しで微笑む。やはり後ろ髪が伸びたけれど、それ以外は初めて出会ってから5年が経過した今も、瑞々しい魅力をそのまま湛えている。ただ、その言葉はすっかり滑らかになり、昔からこの世界の住人であったかの如く自然に見える。

 コンラートは満足そうに微笑むと、額に落ちかかる前髪を後ろに撫でつけた。光に透けるダークブラウンの髪が獅子の鬣(たてがみ)の如く煌めく様は、ユーリが最も愛する姿だった。

「あの方向が、眞魔国だよ」

 コンラートが迷い無く指さした方向には、他の草原と変わることなく丈の高い秋草が揺れているだけで、ユーリには差異を見いだすことは困難だった。

「草っぱら以外には何にもないのに、よく分かるよねぇ」
「地理は得意なんだよ」

 そう、幼い頃から父に連れられて世界中を旅したコンラートは、僅かな目印から正確に道を見いだす能力に優れていた。だから、いま立っている位置が、丁度幼い頃に父と見た光景の真逆に当たることも理解している。

『コンラート…あれが、父祖の眠る地だ』
 
 かつて、父はベルトラン平原を見つめながらそう呟いていた。

 相変わらず父が何を想っていたのかを知ることは出来ないが、きっと…今のコンラートを父が見る機会があれば、安心したように笑ってくれるのではないだろうか?

 《上手くやったもんだ、やっぱり、俺の子だな!》と、父らしい豪放な笑みを湛えて。

「ほら…地響きが聞こえないかい?」
「まだ聞こえないけど…。あ、土の要素が震えてる!」

 声を弾ませるユーリは、身体に備わった五感よりも要素を使った知覚の方が正確な時がある。以前の大陸では要素の力が不十分で、《眞魔国より分かりにくい》と言っていたが、最近では随分と明瞭になってきたという。着実に、大地は蘇っているのだ。

「来た…来た来たぁ…っ!」

 興奮したようにユーリが叫ぶと、馬も同調して嬉しそうに《ブルンっ!》と嘶き、ユーリの肩に乗った小動物チィも、番(つがい)の雌キトラと共に啼く。《自然界の使い》とされるキトラも大地の力が活性していくのに従って数を増やしており、大シマロン領土内の森で繁殖した一頭が、今年チィの花嫁となったのだ。

 ドッドド…
 ドッドドドッドドドッドド…っ!!

 次第に蹄の音が大きくなっていき、視界にも彼らの姿が映し出されていく。眞魔国から、交流団がやってくるのだ。

「グウェン、ヴォルフ…っ!」

 コンラートとユーリが伸びやかな声を上げて右腕を振れば、待ちきれないように先頭を疾駆してきた二騎が旗印を振るう。鮮やかな真紅のビーレフェルト主家旗、そして、重厚な色彩のヴォルテール主家旗だ。

「コンラート、ユーリ…っ!!」

 呼ばわる兄弟の嬉しげな声に続いて、怒濤のように押し寄せてくるのは歓喜の波動だった。

「コンラート閣下…!お久しぶりです…っ!!」
「ユーリ殿下、相変わらずお美しい…っ!!」
「歓迎ご苦労…!」

 これに対して、コンラート達の背後からも《わぁ…!》と歓声が上がった。
 友邦国の民を歓迎する、大シマロン北朝…いや、今は《シマロン三国》内の独立国家である、《アルティマート》の歓迎隊だ。

 アルティマートはかつて、ウェラー家がベラール一派によって虐殺され、その存在を歴史の闇に葬られることとなった呪わしき地ではあるが、《その愚挙を忘れないためにも》と、アルティマート初代国主ライオネル・ドスは、この地に首都を置くと共に、国名にもした。
 なお、これに伴って小シマロンは《サーティガル》、大シマロン南朝は《バンドッグ》と国名を変更した。

「ようこそ、眞魔国の皆さん…!」

 歓迎の空砲がパンパンと天空高く上がり、それよりも大きな歓声がベルトラン平原に広がっていく。
 そう、今やベルトラン平原は眞魔国とシマロンを隔てる冷たい国境地帯等ではなく、友邦を迎える、門戸とも言える場所に変じているのだ。
 
 アルティマートの人間達が、自然な笑顔を浮かべて魔族を歓迎する…。それは、ほんの数年前までは、口に出せば《砂糖菓子で出来た夢》と失笑されたものであった。それが現実のものになったことに、当事者であるコンラートが一番驚いているかも知れない。傍らにいるユーリとてそうだろう。

 コンラートが指揮するルッテンベルク軍が大シマロン北朝の国境警備を始めた頃、やはり兵士の中には魔族に対する無理解や、反感を覚える者もいた。ルッテンベルク軍の戦力に無用な警戒をする者がいると思えば、逆に、《これだけの武力があれば、南朝の土地をもっと切り取った状態で国境を主張することも出来るだろうに》と、敵陣に切り込むべきだと訴える者もいた。

 コンラートはその度に粘り強く説得を行った。また、徹底的な警備態勢を敷いていく中で、まず落ち着いたのが農耕地や牧畜を糧として生きる民だった。これまでは丹誠込めて育てた農作物や家畜を何時奪われ、焼かれるかと戦々恐々としており、自棄になって田畑を放棄する者も多かったが、ルッテンベルク軍が完璧な防御陣を敷いているという安心感が、数ヶ月に渡って平和が続く中で民の間に染み渡っていった。

 やがて、確実な復興を遂げていく北朝では名義の上だけでなく、国力の上でも一己の国として十分な体裁を整えるようになった。次第に《魔族は北朝を足がかりに大陸全土を支配しようとしている》との誤解もとけていき、それが南朝にも波及すると、劇的な事態が起こった。
 
 南朝内部で無血革命が起こり、ベラールが失脚したのである。一定の財産と安全を約束されたベラールは地方貴族として逼塞することになり、代わって、革命軍の主軸となった青年が大シマロン南朝あらため、バンドック共和国を率いることになった。

 このような変化が予想よりも早く発生したのには、やはり背景があるだろう。噂によると、革命軍に潤沢な支援物資と精緻な計画を与えた人物がいるという。また、その人物は南朝が革命の中で混乱している間、火事場泥棒のように領土を分捕ろうとしていた小シマロンの動きも掣肘していたと聞く。
 それがどう言った組織に所属する人物であったのかは未だ明らかにはなっていないが、コンラートには大体察しが付いている。
 
『おそらく、猊下だろうな』

 双黒の大賢者は眞魔国に残って、眞王廟から世界を操つ…いや、見守っているという。それがどういう見守り方であるのかは想像の範疇にしかないのだが、《ユーリの夢を叶える》という点で、彼がコンラートと等しい程の熱意を持っているのは確かだった。

 おかげで、コンラートとユーリを含むルッテンベルク警備軍は、眞魔国からの交流団と共に帰国する運びとなっている。

 《ウェラー》としての故郷から、《コンラート》としての故郷に帰るのだ。

 ほう…っと漏らす息は、様々な思い出を含んで秋風に吹かれていく。何かを感じたように寄り添うユーリは、すりすりと漆黒の頭髪をコンラートの胸板に擦りつけてくれた。

「えへへ…とうとう、この日が来たねぇ!」
「ああ…」

 《この日》…本当に、様々な意味を含む日だと思う。
 コンラート達が帰還を果たすと言うだけではなく、この日までに営々と築いてきた信頼の証が、今ここに在った。

 人間と魔族が笑顔で挨拶を交わし、愛馬の手綱を委ね…預かる。

『世界が…変わった』

 なんという驚きだろう。
 何という幸福だろう…。

 ひたひたと満ちていく暖かな潮の中で、コンラートはその幸福の中核を為す存在を抱きしめた。
 
 共に疾駆する、獅子の番(つがい)。
 運命の人…渋谷有利。

 
 《獅子の系譜》を継ぐ男達は今、安らかな大気の中で満足そうに微笑んでいた。







あとがき


 お…終わった…。終わりましたですよ…っ!とにもかくにも、1年と2週間で完結しました。長さ的には実は「螺旋円舞曲」とほぼ一緒だし、あちらも一ヶ月程度間に休載もあったのですが、履歴を振り返るとあっちは馬車馬の如き異常な更新ペースでしたので、まだしも「獅子の系譜」は人間らしいペースと言えます。

 「螺旋円舞曲」同様、プロローグを書いた段階でエピローグはこうしようという構想はあったのですが、最後のギリギリまでコンラートをシマロンの王にするかどうかで悩んでおりました。その方が華々しいし、「ベラールなんぞ武力で蹴散らしちゃえ〜」と、私の中の好戦的な部分がGOサインを出していたのですが、やはりユーリの主義から考えるとムリだよねぇと、考え直しました。

 なので、オチとしては「定められた王の座に座らなくたって、コンラッドはちゃんと獅子王と呼ぶべき存在なのよ★」という所だったのですが、皆さんのハートの中にはそれでオチましたでしょうか!?多少苦しくても、そのようにオチて下さい。(←無茶)

 どのみち、やっぱりシマロンのことは、最終的には人間の間でどうにかして欲しいなという気持ちがありましたので、何とか自分の中では納得しました。

 これで、「螺旋円舞曲」と同時に思いついた三つの「もしも話」を全てコンプリートしました。「魂を運ばなかった」「魂は運んだけど、15歳のユーリを眞魔国に連れてこられなかった」(←これは同人誌「黒たぬ」収録)「魂を運ぶ機会を与えられなかった」…しんどかったけど、完結した今は、やっぱり書いて良かったと思います。読み返してみると粗い部分もありますが、やっぱり愛おしい。

 特に、片言ユーリとツンデレ次男を書けた第一部の最初は、もっとしつこく書けば良かった…!と思うくらい大好きな部分です。物語バランスが悪くなるので駄目でしたが…。

 長々と読んで下さった皆様にとっても、幾らかでも楽しい箇所があれば良いなと願っております。

 見守って下さった皆様、本当にありがとうございました。