2011年バレンタインリレー企画
〜獅子の系譜〜
「チョコレート・フォーユー」









 卵色の光が差し込む午後の教室内は、全てのものをふわふわとした質感に見せる。外気は一年の中で最も冷たい時期なのだが、午後に入って陽光がたっぷりと差し込んできたことと、なにより、生徒達の気分的な盛り上がりが輻射熱にも繋がっているのか、結構暖かい。

 この日は2月14日で、ただ今の時刻は3時25分。帰りのホームルームが終わって、担任教師が出て行った直後である。
 生徒達の中には《関係ないし》という顔をしている者もいるが、大半はドキドキわくわくとしている。既に首尾良く行った生徒達は互いに甘い視線を交わしているから、早速デートの約束を取り付けているに違いない。

 そんな様子を廊下から見やりながら、少年は別の意味でドキドキと胸を弾ませていた。

 少年の友人達は一年前と殆ど変わらない様子で、女性徒の一部が髪型を変えていたり、綺麗になったなという程度の違いしかない。彼らの中では、さほど時間が経過していないのだろう。
だが、少年の中では既に数倍の時間が経過しており、きっと、内容についても他の追随を許さない濃度であると思う。

 高まる懐かしさは脚を前に出させようとするけれど、微かな躊躇が踏みとどまらせる。後者については、自分だけが《異物》なのではないかという引け目であった。けれど、励ますように背中へと添えられた手に、とくんと元気が湧いてくる。

『妙なこと気にしてないで、行こう!』

 思い切ってガラリと扉を開けば、少年に…渋谷有利に気付いた友人達が、一様に目を見開いた。中には、口元を両手で覆って歓声を上げている者もいる。視線が背後の方に強く向けられ、ウェラー卿コンラートの美貌を注視している女生徒もいたけれど…。
 
「みんな、久しぶり!」

 母国語である日本語を口にすれば、《懐かしい》という感情がどうっと湧いてくる。歓声を上げて駆け寄ってきてくれる友人達はみんな双黒で、日本語を喋っている。有利にとって日常であったはずの世界は、今でも暖かく有利を迎えてくれた。

「渋谷…っ!」
「うっわ…懐かしいっ!どうしてたんだよ、お前!!」

 肩を抱き、頭髪をくしゃくしゃと掻き回されて乱暴な歓迎を受けるなんて、現在の眞魔国では考えられないくらい《普通の高校生らしい》扱いだ。それを新鮮に感じる有利は、既に数年を魔王として過ごしている。

 治世が安定してきた現在、《自分へのご褒美》として提案したヴァカンス先が日本だったのである。

「みんな、ただいま!」

 にこぉ…っと笑えば、生徒達は一様に声を呑んでしまった。
 髪は少し伸びたけれど、要素の祝福を受けた有利の容姿は昔とちっとも変わっていないから、あまり外見的な違和感はないと思うのだが、やはり、精神的なところで少し老けて見えるのだろうか?

「どうしたの?」
「どう…って、渋谷君ったら…また一段と凄みを増したわね…!?凄い、綺麗になった」

 雑誌モデルをしている女生徒、高梨瑞穂が感嘆したように叫べば、周囲の生徒達も《うんうん》と頷いて同意を示す。2年生になってクラス替えをしたせいで、半数以上が繋がりのない生徒である筈なのだが、1年生の文化祭に失踪して、帰ってきたと思ったら退学してしまった有利はちょっとした有名人であるらしく、知らない生徒までが興味深げに注視していた。

 ただ、思いのほか視線に厳しさや蔑みの色はない。色々と覚悟していた有利としては、ちょっと意外な反応だ。

「高梨さん、それ女の子にいう言葉だよ!高梨さんの方が綺麗になったよー」

 高梨も更に髪を伸ばしていて、くりくりと緩いウェーブを描く栗色の髪を一部細いリボンで結った様子は手放しに賞賛したくなるくらいに可愛い。今時のありふれたタレントみたいに一様な感じではなく、どこか凛とした気品があるのも彼女らしかった。モデルの世界でも相変わらず己を貫いているのだろうか?

「そりゃまあ、私だって磨いているもの」

 自己肯定感の強い高梨は、その点については否定しなかった。こういう態度が嫌みにならないのは、キャラクターの問題だろう。実に有利好みの良い性格をしている。

「だけど渋谷君のは規格が違うわよ!そうね、綺麗なのもあるけど、前は可愛い方が勝ってたのが、今は凛々しくなったって言うか…。あ、コンラートさんも相変わらず綺麗ですね」
「どうもありがとう」

 こちらは賞賛の言葉に慣れているのか、爽やかな笑顔で応えている。

『うん、コンラッドが綺麗ってのはマジでそうだよな』

 数々の苦難を乗り越えたコンラートは、今は魔王の婿殿下であると共に、眞魔国主力軍の大将位に就いている。シマロン三国も落ち着きを見せ、友好国以外の諸外国とも通商では関係を持つなどしているので、すっかりあちらの世界は平和を謳歌している。プライベートもオフィシャルも共に充実しているコンラートは、初めて会った頃に比べると、随分穏やかな表情になったのではないだろうか?

 剥き身の刃のようだったあの頃も、ぞっとするくらいに怜悧な美しさだったけれど、今は一輪の白百合がすっくと立っているような華麗さと、仄かに光るような明るさが感じられる。

 ついでに言わせていただけば、ふとした瞬間にしみじみと囁かれる《幸せだ…》という言葉も、最高に有利を幸せにした。
 彼が幸福であることが、有利にとっても幸せなのだから。



*  *  * 




『ほんっと…綺麗』

 高梨はここ一年の間にモデルとしてかなり注目を集め始めて、学校を何度か休まなくてはならなくなるくらい仕事も入っている。当然、一線級のモデルや俳優と出会う機会も増えたのだが、彼らと比べても、有利やコンラートの持つ華やぎや存在感は格段に上であった。

『きっと、あっちの世界でのことは全部上手く行っているんだわ』

 そうでなければ、彼らがこんなにも晴れやかな表情をしている筈がない。もしかすると、《そうであって欲しい》という願望もあるのかも知れないけれど。

『うん、幸せになってない筈ない。こんなに穏やかな顔をしてるんだし、大体、世界を滅ぼす呪われた存在として追われる身でありながら、わざわざ向こうの世界に渡ってまで《禁忌の箱》なんて恐ろしげなものを滅ぼそうとしてたんだもん。絶対幸せになってる!』

 そして、全てが上手く行っているのであれば、間違いなく彼らは眞魔国という国の要衝に就いているはずだ。疑いを晴らしたコンラートは、とっくの昔にそうなっていた筈だった《十一貴族》というものになっているだろうし、《禁忌の箱》を滅ぼした有利もまた歓待されているだろう。もしかすると、有利も何らかの役職についているのかもしれない。

 今の彼らを見ていると、唯綺麗なだけの人物とは思えない。やはり何か大きな力を持った存在であることがひしひしと感じられる。それは、高梨が有利の身の上について教えられているからだけではないと思う。
 高梨の横から顔を覗かせた生徒達は有利の背景は何も知らない筈だけれど、皆一様にある種の敬意を持って対峙しているように見えるのだ。

『普通、失踪した挙げ句に退学した高校生なんていったら、《負け組》って感じるのが普通だろうけど、みんな、やっぱり渋谷君がそうじゃないって感じてる』

 一年前の終業式で、高梨は敢えて有利たちが眞魔国でどういう暮らしをしているのか聞かなかった。その代わり、何時になっても良いから必ず帰ってきてくれと頼んだのだった。

『約束、守ってくれたんだよね?』

 《忘れられてはいなかった》…その事が、噛みしめるたびにジィンと深く染みていくようだった。 
 高梨が感動に浸っていると、その間に後ろから身を乗り出してきた複数の女生徒が、瞳を輝かせてコンラートに詰め寄っていった。

「あの…あの!もしかして、渋谷君と一緒にカメラのCMに出てた人ですか!?」
「ええ、タカナシさんのご紹介で、一度だけ出させて頂きました。見て下さったんですね」

 琥珀色の瞳の中できらきらと光る銀色の光彩に、女生徒達は我を忘れて《きゃーっ!》と叫ぶ。それも無理からぬことだろう。
 あのCMはそれでなくとも昨年度の《印象に残ったCM、美麗編》bPに輝いているし、モデルについての情報があまりにも乏しかったことが、なおいっそうミステリアスに感じさせていた。

 そう、有利の同級生は流石にあれが《渋谷君とその彼氏(?)》と知ってはいたのだが、それらの情報がマスコミやネットに流出した形跡はない。一つには地球の魔族が騒ぎにならないよう情報操作を行ったせいもあるのだろうが、少なくとも、有利と時を共にした生徒の中には、興味本位で彼の情報を流したくないという意識が働いていたのではないだろうか?

『渋谷君って…なんか、大切に護ってあげたいって思っちゃうのよね』

 とはいえ、有利は今時の《草食系男子》とは全く違う。いざというときには驚くほど人の心を支えてくれる力強さを持っているし、強靱な肉体を誇るコンラートさえも、精神面では有利にまるっと包み込まれているのではないかと思う。
 それを分かった上で有利を大切にしたいと、こちらが勝手に思ってしまうのだ。
 きっと、誰もが自分の心の中の聖域を荒らしたくないのだと思う。

 そんな高梨の感慨をよそに、女生徒達はますます盛り上がっていく。
 
「超嬉しいんですけど〜っ!」
「あ、握手して貰っても良いですか!?」
「ええ、結構ですよ」

 気前よくコンラートが握手を始めると、今度は有利の方にも人が集まってしまう。ただ、こちらは性比でみると男性陣が多い。

「なあ渋谷、あのCMで変わった振り袖着てたのって、やっぱお前なの?」
「あ…あれは…そのぅ。だ、騙されたんだよ!あんなの、俺の趣味じゃないんだからな?」

 恥ずかしそうに上目遣いで睨むと、成長して凛々しさを帯びていたはずの顔が、小さな姫林檎みたいに可愛らしく見えてしまう。その様子に、男子生徒達の目尻は良いだけ下がってしまった。

「あはは、分かってるよ。ほっぺ真っ赤にして怒んなよ〜」
「なー、マジで違うんだからな?」
「そっか、そーだよな。じゃあ、この外人さんと結婚したしかいうのも唯の噂だよな?」

 念押しのように問われれば、既に淡く上気していた有利の頬は今度こそ林檎めいた赤みを帯びて、《ぽんっ!》という音が聞こえそうなほどに紅く染まってしまう。

「ななな…な、な…っ!」
「………なんでそんな狼狽えてんだよ、渋谷…」

 心なしか男子生徒の声が低いものに変わるが、何と言っていいのか分からない様子の有利の肩をコンラートが抱くと、にっこりと微笑んで左手を掴み、一同の前に自分の左手と並べて見せた。

 そこには、小振りだが極めて美しい蒼い石が埋め込まれ、細かなルーン文字のようなものが刻まれた、お揃いの指輪が填められていた。

「それ…って……」
「ご想像にお任せします」

 にっこりと微笑む幸せそうな表情に、男子生徒達は絶句し、女子生徒達はやはり絶句したり、逆に興奮して《きゃあきゃあ》と嬌声を上げたりしている。

「そ…そんなことよりもーっ!!」

 《そんなこと》よりショッキングなことなどなかなか無さそうだが、無理矢理話題を切り替えた有利は、手にしていた大きな紙袋から可愛らしくラッピングした小袋を取り出すと、きゅむっと元同級生の手に押しつけた。

「なにこれ?」
「あのさ、去年1年7組で俺の卒業式してくれたろ?あれが凄く嬉しくて…そんで、丁度バレンタインの時期に帰って来れたもんだから、お袋にも手伝ってもらって、ちょっとずつなんだけど手作りチョコ持ってきたんだ。去年参列してくれたみんなに渡して行きたいんだけど、他の奴らがどのクラスに行ったかって分かるかな?」
「律儀だな〜渋谷!」
「だってさ、すっごい…嬉しかったんだもん」
 
 あの日のことを思い出すのか、有利の漆黒の瞳がうるりと潤むと、釣られたように元クラスメイト達の瞳にも涙が滲んだ。彼らにとっても、あの日のことは一生涯忘れられないような思い出になっているに違いない。

「ありがとうな…凄い、嬉しい」
「えへへ、こちらこそ!あん時、快く送り出してくれたから、ずっと頑張れたような気がする」

 澄んだ漆黒の瞳に映るのは、旧友の姿なのか、はたまた眞魔国のことなのか。知らず見惚れてしまうほどに、その表は美しかった。

 そんな有利が手渡してくれるチョコレートが嬉しくないはずがない。みんなはしゃいだような声を上げて、小さな包みを受け取っていった。



*  *  * 




 他のクラスや職員室も巡って大きな紙袋がすっからかんになると、有利はそっと高梨に囁きかけた。
 
「高梨さん、この後で時間あるかな?あ…誰か本命さんにチョコあげたりする?」
「渋谷君とコンラートさんのせいで彼氏閾値が上がっちゃったから、今年もいないわ」
「なんで俺達のせい?」

 きょとんとしている有利にくすくすと笑いかけると、高梨はぽふんと軽いタッチで肩を叩いた。

「何でもないわ。それより、たっぷり聞かせてね?どんな事があったのか…」
「うん、色々あったんだ〜」

 校舎を出ると既にハイヤーが回されていて、ベテラン運転手が恭しい動作で促してくれる。

 高梨にはチョコレートをくれないと思ったら、どうやら素敵なお店でご馳走してくれるらしい。しかし、ご馳走よりもなによりも気になるのは、有利たちの異世界での生活のことだ。もう沈黙を守ることは出来なくなって、あれやこれやと問うてみると、驚くべき事実が次々と明らかになる。

 コンラートと結婚したのは勿論のこと、なんと…有利は異世界で魔王陛下なんてものになってしまったらしい。高梨はゲームやらライトノベルにはさほど興味がないのでよく知らないが、それでも、魔王と言えば漆黒のマントを着て勇者と戦う《悪者》という印象しかないのだが…。

「でも、渋谷ったら勇者をお茶でもてなすような業務してるんでしょう?」
「あー、近い近い!」

 案の定、屈託のない笑みを浮かべた有利が口にするのは、概ねそのようなことであった。
 《禁忌の箱》という呪われた存在すら滅ぼすのではなく、本来あるべき姿に昇華するわ、敵対する人間の国を滅ぼすのではなく、その独立を助けて友好国を増やしていくなんて、一般的な魔王とは懸け離れた姿である。

「渋谷君らしいなぁ…」

 何処に行っても、やっぱり彼は彼だ。それが嬉しくて堪らない。その気持ちをきゅうっと抱くように、高梨は両腕で上体を抱きしめる。
 本当は有利を抱きしめたいのだが、流石に人妻(?)に抱きつくのは拙いかも知れないので自重した。

「あ…渋谷君、コンラートさん、あれ見て?」
「え?ぅわ…!」

 車中から身を乗り出して見た先には、丁度街の交差点に掲げられた大型液晶画面に、CMが流されている。何ともタイムリーなことに、それは例の《samuraiZ》のCMであった。しかも驚くべき事に、商品の方は新機能を盛り込んでバージョンアップしているというのに、映像の方は少し編集を変えているとはいえ、基本的には同じ映像を使っている。この手のCMとしては異例のことなのだろうが、それがコンラート達の人気を裏付けてもいる。

 こうして大画面で映し出されると、必ず何人かが振り返って見惚れているのもその証拠だ。

『だってさ、やっぱり物凄く印象に残るのよね』

 怜悧な表情で見事な太刀捌きを見せるコンラートは勿論のこと、目元がちらりと映るだけの有利だって素敵だから、《頼むから連絡先を教えてくれ!》と様々な業界人から問い合わせを受けている。
 高梨もモデルの端くれだから、ちょっぴり忸怩たるものも感じるのだけれど、それでも素直に嬉しいという気持ちがあった。

『渋谷君達が、あのCMに出てくれて本当に良かった…』

 何かに躓いて挫けそうになった時、高梨は印象に残った美しいものや印象深かったものを思い出して、意気を上げようとする。そんな時、決まって思い出すのが彼らの姿だった。記憶の中の彼らは何時だって凛々しくて綺麗なのだが、それでも、ふとした瞬間に《あれは全部幻だったんじゃないか》と思ってしまうことがある。

 鮮烈な記憶を残しながらも、彼らとの接触はあまりにも短い時間でしかなかったから、都合の良い夢であったのではないかと思うのだろう。

 そんな時、残されたあの映像が彼らの存在を確かなものにしてくれる。《あの人達は、ちゃんと私の傍にいたんだ》そう再確認すると、不思議と力が沸いてくるのを感じた。

「綺麗…やっぱり、凄く…凄く、綺麗…」 
「映像マジックだねー」
「それだけじゃないわよ」

 くすくすと笑いながら、高梨は有利やコンラートの姿をもう一度しっかりと見つめた。もしかすると、彼らと直接顔を合わせるのはこれが最後になるかも知れないからだ。魔王陛下がどのくらい忙しい業務なのか知らないが、世界平和を目指すとなればきっととんでもなく忙しいに違いない。

 その後、素敵なレストランで食事をして(ドレスアップまでさせてくれたのは、絶対にコンラートの案だろう)、夢のような一時を過ごした。コンラートは勿論のこと、有利も自然な動作でナイフやフォークを使いこなしていて、彼が今どんな暮らしをしているのかを垣間見せる。それが美麗さに拍車を掛けているせいか、始終誰かの視線を感じる羽目になった。
 十分に間隔をとった座席配置なのだが、見惚れた客達はちらちらとこちらに視線を送り、躾が行き届いているはずの従業員達でさえ、自然と眼差しが向かうのを止められないようだ。

 とはいえ、多少の居心地の悪さなどすぐに忘れてしまう。それほどの視線を集める美人さん達が高梨と同席している事実は何だかんだ言って鼻が高いし、第一、彼らとの楽しいお喋りはあっという間に意識を浚ってしまう。

 食事の間中、彼らが眞魔国でどんな暮らしをしているのかを聞かせて貰った。高梨の生活についても聞いてはくれたのだけど、時間が勿体なくて、《勉強してモデルやって眠って、楽しくやってるわ》の一言で済ませた。だって、疾風怒濤の勢いで展開される有利とコンラートの冒険は、時間を忘れて聞き惚れてしまうほどに面白かったのだ。

 けれど、楽しい時間ほど過ぎ去るのは早いものだ。
 
 チョコレートをあしらったデザートを食べて、食後の珈琲を啜りながら、高梨は急に泣きたいような心地になってきた。こうして時間をとって、色んな秘密の話をしてくれたことだけでも凄いことだと分かっているのだけれど、そうだからこそ別れは辛かった。

 それでも高梨はきりりと顔を上げて、モデルとして鍛えた自然な笑顔を浮かべた。

「今日はおもてなし、本当にありがとうね!色んなお話が聞けて楽しかったわ」
「俺の方こそ、高梨さんに話せて良かった。それに、こっちでの事も聞けて楽しかったよ」
「眞魔国のことに比べたら、呆れるくらい平凡でしょ?」

 《そんなことないって!》との言葉は、意想外に強い語調だった。

「眞魔国での生活が今では俺の主体なんだけど、でも…何て言ったら良いのかな?」
「うん…聞かせて?」

 相変わらず語彙の少ない有利はどう表現して良いのか分からないようで、可愛らしく眉を寄せて考え込むようだったけれど、結論を急かせはしなかった。きっと、高梨にとっても嬉しい事柄だと思うからだ。

「うん…あのさ?俺にとってはやっぱり、地球の…日本の高校生として暮らしてたってことが、大事な思い出なんだ」
「ん…ソレ、嬉しいな…」

 泣きたい。
 鼻の奥がきゅうんと痛むような、目の奥が熱く突っ張るような感覚に身を委ねて泣きたい。きっと、気持ちの良い涙が流れていくだろう。

 でも、今は止めておこう。
 よりにもよってバレンタインデーなんて日に時間を取ってくれた有利の為…と、いうよりはコンラートの為に、彼を《返して》あげなくては。

「渋谷君が私達といてくれたこと、みんなず〜っと胸に抱いているよ。忘れない…。忘れられない。だから渋谷君は安心して、眞魔国で魔王様やってていいのよ。絶対、あなたがここにいたことは消えて無くなったりしないんだから」

 立ち上がった高梨は優雅に一礼すると、今度はコンラートに視線を向けた。

「今日はありがとうございました。どうか…渋谷君と、お幸せに。言うまでもない事って分かってますけど、それでも…クラスメイトを勝手に代表して、お願いします」

 悪戯っぽく微笑む高梨の、冗談めかした言葉回しの背後に、コンラートはちゃんと想いを汲み取ってくれているのだと思う。琥珀色の瞳は様々な感情を滲ませて、優しく微笑みかけてくれた。

「ああ」

 短い一言に、全てが凝縮されている。
 そんな声だった。



*  *  * 




「ん〜…楽しかった!」

 高梨を自宅に送り届けると、有利はハイヤー内で伸びを打って目を細めた。高梨にせがまれて殆どは眞魔国での話ばかりしていたのだが、幾つか地球での話も聞かせて貰ったし、何より、日本語で会話をすること自体がとても懐かしかった。

「楽しめたみたいで良かったよ。ところで、これからの時間はどうする?」
「えと…」

 改めて聞かれると、ちょっと困ってしまう。
 実のところ、今日の計画を家族に話したら勝利は強い語調で《夜には帰ってこい》と言っていた。久しぶりに里帰りをしたのだから当然と言えば当然の発言なのだが…。

 でもでも、普通の日ならともかくとして、今日はバレンタインデーなのだ。やはりアイし合う二人としては、何もなしに終わらせてしまうのは勿体ない。眞魔国では2月14日なんて日付自体に反応しなかったのに、日本の街並みがハートとリボンに埋め尽くされているのを見ていると、どうしてもそんな気分になってしまうらしい。

『コンラッドは甘いの苦手だって知ってるんだけど…』

 実は、本日配りまくった友チョコ以外に、ちゃんと大きめの《本命です!》と言いたげなチョコレートを用意はしている。コンラートの目を盗んでこっそり買ったそれに、彼は気付いているだろうか?

『つか、もう結婚してるのにわざわざチョコとかどうなの?って感じだよな』

 何だか気恥ずかしいのもあって返事が出来ずにいると、何故かハイヤーは渋谷家とは別の方角に進む。あちらには確か…瀟洒な造りのホテルがあったはずだ。

「これからの計画が決まってないのなら、3時間だけ俺にくれるかい?」 

 2月14日が15日に変わるまでは、あと3時間。
 悪戯っぽい眼差しで誘いかけてくる《夫》に、有利は恥ずかしそうに問いかけた。

「もしかして…コンラッドも日本のバレンタイン攻勢に乗せられちゃったクチ?」
「どうだろうね?ただ、俺は機会さえあればいつだって君を独占したい男なんだよ?」

 普段は凛とした佇まいの男に真顔でそんなことを言われると、驚くのと同時に何だか照れてしまう。結婚して、《この人は俺のモノ》という確証が得られても尚、事あるごとに求められるというのは凄く…嬉しい。

「そそそ…そーなんだ!?」

 それでは、女の子を誘って一緒にお食事なんてしてしまったのは申し訳ない事だったろうか?

「ご…ゴメンな?コンラッド。俺…てっきり、コンラッドはこういう《如何にも〜》なイベントごとで張り切ったりしないって思ってて…」

 がさごそと紙袋の底からチョコレートの詰まった箱を取り出すと、申し訳なさそうに差し出してみる。

「甘いのも、嫌いかなって思ってたんだけど…貰ってくれる?」
「君の心が入っているものを、俺が拒んだりすると思う?」

 拗ねたように上目遣いで睨まれると、頬が真っ赤になってしまうから不思議だ。いつまで経っても、この人の色香にはクラクラきてしまって馴れるということがない。
 それにしても、こういう時は眞魔国語が使えるのが有り難い。運転手さんはピンク色のムードにあてられたのか、先程から微妙な表情で前方を凝視しているが、会話の内容までは分かるまい。

 コンラートは運転手の思いなどどうでも良いのか、包み紙を開いて箱を開けると、早速その中の一つを取りだして光に当ててみた。

「ありがとう。とっても綺麗だね…宝石みたいだ」

 嬉しそうに笑う彼の表情の方が、希少な宝石みたいにきらきらしているなんて思うのは、《妻》の欲目だろうか?

 ふわりとカカオの香りを漂わせながら、コンラートの長い指の間で、ちいさな薔薇の形をしたチョコレートが艶々と光る。その精緻な造りは、確かに眞魔国の御菓子にはあまり見られない形状だ。ただ、薫り高い粒をぱくんと口に含むと、やっぱりコンラートの表情が微妙なものになる。

「甘い…ね」
「だろ?全部食べたりしたら胸灼けしちゃうかも」
「でも、ユーリに貰ったものだもの。有り難く全部食べるよ?」
「えー?無理しなくて良いって」
「ゆっくり、一日一粒つづとか」
「健康食品みたいだな〜」
「ユーリの愛を毎日補給して、元気になるよ」

 《健康家族のニン○ク卵黄》辺りと一緒にされては、ショコラティエが泣き出しそうだ。いや、ニンニク○黄だって誇りを持って作っているのだろうし、コンラートの嗜好から考えたら、ひょっとしてあちらの方が有り難いのかも知れないが。

「ああ…そうだ、ホワイトデーのお返しは眞魔国に帰ってからになるね。マシュマロと飴とクッキー、どれが良い?」
「そっちもちゃんとやってくれるんだ!」

 眞魔国では英雄だ獅子だと呼ばれる軍人さんが、大真面目な顔をしてチョコレートを食べ切るための算段や、ホワイトデーのお返しについて話してくれるなんて、何だかえらく不思議な感じがする。
 と、同時に、くすぐったくなるような嬉しさも感じるのだった。

『何年一緒にいても、いつだって新鮮な気持ちをくれる人だよな』

 この幸せが《当たり前》のものだなんて思わずに、大切に掌の中に包み込んでくれる愛しい人。今も、有利からの愛情を詰め込んだチョコレートに四苦八苦しながらも、何とか飲み込もうとしている。

 ちら…と視線を送った先では、極力バックミラーを覗かないようにしているらしき運転手さんが、前方を凝視している。

『あとちょっとだけ、こっちを見ないでね?』

 そう祈りながらコンラートの傍に身を寄せていった有利は、そっと彼の唇に自分のそれを重ねると、とゅるりと舌を差し入れて、ねっとりとしたチョコレート液を拭い取っていく。

「ん…」

 コンラートの腕が背に回されて、彼の舌もまたこちらに攻めてくると、キスは《あとちょっと》では済まない長さと濃度になってしまう。

『運転手さんゴメンなさい〜!』

 ホテルに到着するまでのあと十数分は、後ろを振り向かないでね…と、有利は祈った。   


おしまい





あとがき

 獅子の系譜のその後については、「そう言えば一度帰った時に、クラスメイトに状況を説明してなかったな〜」と気になっていたのですが、リクエスト頂いてバレンタイン話に盛り込んでみました。

 どうも纏まりがないお話にはなりましたが、思い入れがあるキャラや、変に生真面目というか、ちゃんとイベントごとをクリアしたい次男が書けて楽しかったです。この辺は、最初同じツンデレで始まった「青空とナイフ」の次男とは全く違う生き物になってますね。

 うちは有利については殆どブレがないのですが、次男は見事に話ごとに違っちゃってます。以前、闇黒次男、灰色次男、白次男のどれが好きかアンケートした時には灰色、闇黒、白の順でしたけど、具体的なお話でやると、どの次男が一番支持率が高いのでしょうね?「螺旋円舞曲」の時にはレオ次男派の方とスタンダード次男派の方に別れてましたが、レオ次男と獅子の系譜次男だとどうなのでしょう?

 とりあえず、「幸せにしてあげなくてはならない」という切迫感を与える点では、レオ次男がぶっちぎりかも(笑)

 ご意見など聞かせて頂けますと嬉しいです♪