虹越え4−4−1








 春休みに入り、正式な学校職員ではないヨザックは暢気な毎日を過ごしていたが、意外とマメで仕事熱心な彼は今日もキッチンで新作スィーツの試作に取り組んでいた。

『んー…我ながら良い焼き上がり…』

 オーブンから取り出したばかりの《ナッツとドライフルーツ入りベイクドチーズケーキ》に惚れ惚れしていると、インターホンのベルが鳴った。

「はいはーいっと…。ありゃ坊ちゃん、隊長はご一緒じゃないんで?」

 押し込み強盗などに後れをとる気など毛頭ないヨザックは、カメラ付きインターホンで応対するまでもなく扉を開けると、何処か挙動不審な少年の姿を目に留めた。

 辺りを伺うような…落ち着かない様子で、微かに頬が上気して眉根を困ったように寄せているのが妙に色っぽい。

「うん…コンラッドには家で待っててくれって頼んであるんだ…ちょっと、ヨザックと二人で話したいことがあるからって…」
「俺と…ですか?」

 と、いうことは…またコンラートと何かあったのだろうか?

「さあさあ、入って下さいよ坊ちゃん!俺が焼いたケーキがあるんですよ。ちょっと冷えてからの方が美味しいですが、焼きたてだっていつもとは違う旨さがありますよ?」
「ありがと!お言葉に甘えますっ!」

 ケーキに釣られたわけではないだろうが、ヨザックに快く受け容れられてほっとしたように部屋の中に入っていく。《下心のない頼れる兄貴兼姉貴》という立場を自分から希望してこちらの世界にやってきたものの、此処まで信用されると何やら面映ゆいような心地がする。

『ベジタリアンになりたての狼のところに、旨そうな子羊が遊びに来てるような感じ…』

 下手をするとうっかり食べてしまいそうで怖い…。

『頑張れ俺の良心!』

 ヨザックの苦悩を余所に、ケーキを平らげたあと有利が放った相談事は…かなり阿呆な内容であった。

「……ぴらぴらふわふわの新妻エプロン、ですか?」
「うん、ヨザックなら持ってないかなって…」

 有利は頬を真っ赤に染めて、皿に残ったケーキの屑をフォークの先でつついている。

 そのエプロンで何をするつもりだなどと言うことは口にしていないのに、その表情が全てを物語っているものだから、つい揶揄いたくなってしまう。

「坊ちゃんのサイズでよろしいんですよね?」
「う……………っ」

 ケーキが喉につかえたみたいに息を詰めるが、ケーキなど5分も前に平らげているのだからそんなはずはない。たっぷり1分掛けて有利は頷くと、上目遣いにうるうるとした瞳でヨザックを見上げた。

「俺の…サイズで、お願いシマス……」

『ヤメテ下さい坊ちゃん…俺のなけなしの良心が吹っ飛びそうです…』

 本来は実に享楽的な性向のヨザックにとって、このお子ちゃまでありながらやたらと色っぽい少年は目の毒であった。彼を敬愛していて、しかも深い思い入れのある幼馴染がその恋人と知っていなければ、散々言葉で苛めてからベットに押し倒してやりたくなる。

「ちょーっと待ってて下さいよ?あるのはありますが、俺のサイズですからね。ちょっと手直ししたげましょう。折角だから、隊長の好みに合わせて色んなトコロが見えそうで見えないくらいが良いですよね?」

 湯気を噴き出さんばかりにして耳まで赤くなってしまった有利は、そのまま机に突っ伏してしまった。

「………そーデス。そんな感じでお願いシマス……」
「…………ねぇ坊ちゃん、これって…隊長のお願い事なんですか?」 

 だとしたら、胡散臭いくらい爽やかな笑顔を浮かべて手土産を提げつつ一緒に来訪しそうなものだが…。

「こ…コンラッドの希望は希望なんだけど…前にお願いされたときは断っちゃって…しかもさ、考えてもみたら、それって俺が《どういうのが好きなの?》って聞いたのに……コンラッドが出す希望があんまりアレなんで全部却下しちゃったんだ。あれからコンラッドは一度も着てくれとは言わないんだけど…あいつ、自分が本当にしたいことってすぐに隠しちゃうだろ?折角正直に言ってくれたのに…それに、俺の友達に名前呼ばせるのも最初嫌がってたのに、結局許してくれて…その上そいつに謝ってまでくれたんだ…!俺…俺、コンラッドが優しいのに甘えすぎてたかなって……」

 つっかえつっかえ…恥ずかしそうに、俯きがちに説明する有利を、ヨザックは無意識の内に蕩けそうな笑顔で見つめていた。

 これ在るかな、渋谷有利。

 ヨザックが懸念するまでもなく、有利はちゃんと…コンラートの痛みや我慢に気付いていたのだ。
 ただ…叶えてやりたいコンラートの夢が、有利にとっては羞恥プレイものの嗜好なのが気の毒ではあるが…。

「うーん…グリ江感動!じゃあ、坊ちゃんの健闘を祈って、腕によりをかけて隊長好みのプレイが出来るようにレクチャーして差し上げるわ!」

 その後1時間掛けてレクチャーされた台詞とエプロンの着こなしは、有利を羞恥の泉に沈めたのだった。

 

*  *  *




『帰ってこない………』

 ヨザックの所に行くと言ったままなかなか帰ってこない有利に業を煮やしてコンラートは、先程から携帯を手にしたまま、電話をかけようとして止めるという動作を何十回と繰り返している。電話をかければ如何にも狭量な感じがしそうだし、かといってヨザックの家から帰る途中に何者かに浚われているとか…考えたくはないが、ヨザックが理性を失って美味しく味わっている最中だったらどうしようかなどと…延々悶々と悩み続けていたら、やっとドアの開く音がした。

「ただいまー。遅くなって御免な!」
「ユーリ!」

 駆け出して、ご主人を迎える大型犬よろしく胸に抱き込むと、思わず息が上がるほどの唇付けを与えてしまう。

「…寂しかった……」

 熱い吐息と共に耳朶に囁かれる声は、腰が蕩けてしまいそうなほど艶やかなのに…何故か《くぅん…》と鼻を鳴らす音が聞こえそうな要素も含んでいる。この辺りの野性味と飼い犬気味が絶妙な均衡を保って有利の心を撫擦するのだった。

「御免ね…でも、ヨザックに相談に乗って貰ったお陰でコンラッドを喜ばせてあげられそうだからさ…ちょっと、10分だけ風呂に籠もって良い?準備するから」
「準備…ですか?」

 予想もつかないが、《コンラッドを喜ばす》と言われては止めだてすることなどできない。コンラートは再び忠犬の様相を呈しながら、じっと我慢の子で居間に待機していた。


 コンコン… 


 約束通り10分が経過したあと、居間の扉がノックされた。

 予告無しで勢い良く開かれるのが日常風景なのだが、小首を傾げつつもこれも何かの仕込みなのかと応答してみる。

「どうぞお入り下さい」
「…し、失礼します」

 これまた常からは考えつかないような言葉と共にそうっと扉が開かれて…そこに佇む有利の服装に、コンラートは呆然と目を瞠った。

「……ユー…リ?」

 滑らかな肌が上気して淡い桜色に染まっているのだが、その面積が…いつもよりも格段に広く露出している。鎖骨から胸元…肩口からすんなりと伸びる上肢は思いっきり素肌で、前胸部、腹部、鼠径部といった体幹中心部だけがエプロンに覆われているのだが…このエプロンの形状がまた激しい。

 ピンク色のハート型の生地には上手くギャザー寄せがしてあってふっくらと胸元を包み、その縁を囲むレースは素肌を艶かしく透過して、純白の模様を際だたせる。幅広の腰ひもは長く伸び、腰で大きなリボン状に結ばれている。その腰ひもの下から伸びるふわふわとしたシフォン生地はやはり純白のレースに縁取られ、申し訳程度に大腿部を覆い隠す大きさである。勿論、その大腿部の肌は素肌なのだが、膝上少しの所までが白いニーハイに覆われている。

 そしてピンポイントで華を添えているのが、白い襟布・メイドハット・カフスボタンの付いた袖布である。その辺りの要素が、素肌よりも微妙なエロくささで《裸エプロンメイド》という、風俗店でしか見られないような恰好を彩っている。

 恥ずかしそうに唇を噛みしめて俯いた有利は、微かに震える指で大腿の前に両手を揃えて、大きく息を吸ってから次の言葉を発した。

「……ご、ご主人様……ご奉仕……させて下さい………………」

 消え入りそうな声でようよう言い終わると、有利はぎゅ…っと強く目を瞑って動きを止めてしまった。

『う……うううううぅぅぅ……グリ江ちゃん御免なさい……っ!俺にはこれが限界っ!』

 他にも、コンラートに近寄って膝立ちになり、エプロンから胸元の突起が覗ける角度で上目づかいに攻めろだの、エプロンの裾をギリギリの所までたくし上げて《ね…下に何着てると思う?》って聞いてみろだとか…種々のネタの教授をしてくれたのだが、有利に実行できたのはここまでであった。

「ユーリ…」

 一体何時の間に近づいてきたのだろうか?コンラートは有利の身体を両腕でふわりと包み込むように優しく抱き寄せると、緊張でぎくしゃくと強ばっている背を撫でつけた。

 その手つきは穏やかで…慈しみに満ちていて、明らかに欲情しているときの《変な電波》入りのそれではなく、肉親のような慕わしさにみちたものであり、セクシャルな意味での警戒心をとろりと融かしてしまう。

「ユーリ…頑張ってくれて、ありがとう…。その恰好をするの、勇気がいったろう?」
「う…ひ、引いた?」

 あまりにもコンラートに性的な興奮が見られないものだから、やはりこんな恰好は女体でなくてはとても見られたものではないのかと落ち込んでしまう。

「とんでもない!俺は今、持てる限りの理性を総動員して自律機能を鎮圧中だよ。そうでないと、いきなりユーリにむしゃぶりついて傷つけてしまいそうだからね」

 苦笑混じりの口元がゆっくりと近づくと、有利の頬や額、鼻面に啄むようなキスを落としていく。

「そんなの…俺だってそういうコトになるって想定した上で着たんだから、気にしなくて良いのに…」
「でも、その恰好をしてくれたのは…俺のために恥ずかしいのを我慢してやってくれたんだろう?ユーリは男の子としてのプライドが強いからね。そのままメイドさんプレイに雪崩れ込むと気持ちを傷つけてしまいそうだから…前置きをしておこうと思って」
「前置き?」
「ああ、まず一点…俺はユーリが男前だってコトをちゃんと知っていることを覚えておいてね?次いでもう一点…スイッチが入った後は俺がどんなことをしても、どんなことを言っても、ユーリを弄んでいるわけでも嬲っているわけでもない…言葉遊びをして性感を高めようとしているだけだから、深く考えないで欲しいんだ」
「…………………………ど……どんなプレイが展開されるんですかコンラッドさん!?」

 優しい琥珀色の瞳で見つめながら、小さな子どもに噛んで含めるみたいに前置きされると、怪談話を聞かされる前のような…恐怖とも期待ともつかないゾクゾク感が襲ってくる。

 この時点で有利はコンラートの術中に填っているとも言えよう。

 《安全性が確保されている恐怖への期待感》というものは、人間の脳を最も亢奮させると言われている。脳内でドーパミンなどの神経伝達物質が大量に放出され、予測される恐怖への期待感によって、脳の《快楽系》が強く作動するのである。この状態から予想を少し上回る恐怖が襲ってくると、その衝撃は唯それだけを単品で味わうよりも、より複合的で深い感覚になる。

「それはね…秘密だよ。でも、これだけは教えてあげる…」

 唇の前で人差し指を立て、琥珀色の双眸を悪戯っぽく細めるコンラート。

「…な、何?」

 ドキドキワクワクと瞳を輝かせて見上げるつぶらな瞳は、まるで小さな子犬のように純粋で愛らしい。…そんな子どもにどんな事をしようとしているのか考えるだけで、コンラートの脳内にもドーパミンがふつふつと放出されていく。

「今からすることはユーリをとても気持ち良くさせる為のものだから…俺を信じていてね?」
「……………う、うんっ!」

 一瞬から二、三瞬躊躇したものの、コンラートに蕩ける様な笑みを浮かべて《俺を信じていてね》と言われては、有利には断る術などない。最近しみじみと実感しているところだが、コンラートが《お願い》の形で要望を口にした場合、有利には何らかの形で答えずにはいられないのだ。

『うーん…どっぷり填ってるなぁ……』

 コンラートという中毒性のある蜜に、有利はすっかり侵されてしまっているらしい。

「ありがとう…じゃあ、始めようか?」

 コンラートはにっこりと微笑んで有利から身を離すと、寝室で何かを物色してから戻って来て、落ち着いた綺麗な所作で椅子に腰掛けた。

「ユーリ、アイスコーヒーを入れて貰えるかな?」
「…は、はいっ!」

 どうやらプレイが始まったらしい。有利は敬礼せんばかりの勢いで背筋をぴんと伸ばすと、ややぎくしゃくとした動きでキッチンに向かった。

「お…お持ちしましたっ!」

 てきぱき…とまでは行かないが、なんとかトールタイプの硝子杯に氷と珈琲を入れ、小さめのトレイに乗せてテーブルに運ぶ。

「ああ…ありがとう。じゃあ、膝に乗って飲ませてくれるかな?」

『なんですと?』

 思わず耳に掌を当てて問いただしたい気分だったが、普段の生活の中でならともかく、今は何しろ《メイドプレイ》中なのだ。この程度のことは確かに初歩中の初歩であろう。





※ご注意※

 ここまでの展開で大体の予測は付かれたかと思いますが、案の定…次はメイドプレイです。

 
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 それにしても…話のオチ部分がエロ描写で終わる回が続いていますね…。エロ回避の方には申し訳ないです。