平行世界のユーリ×3 (3)
コンラートと有利行きつけの塔は眞魔国の城下町を見渡せる高台であり、当然当直の兵が詰めている。だが、二人が挨拶をすると、決まって笑顔で少し離れていてくれるのだ。
仲の良いこの二人が、誰にも聞かれずに内緒話をしたいときがあるのだと彼らは知っているのである。
この日は二人ほどおまけがついていたのだが、やはり愛想良く挨拶をすると程よい距離をとってくれた。
「ふわー…やっぱここだと風が強いね」
「少し、寒いくらい…」
薄着で来てしまった二人の有利にとっては、少し肌寒いのだろう。胸の前でぷにぷにした両腕を組んで、肩を竦めていた。
「これを…」
コンラートはすかさず、バスケットの中から薄い肌掛けを取り出すと、それぞれの肩に掛けてやった。
「うーん…憎らしいほどの気配り…」
「恐れ入ります」
感心しきりのヒトの有利に、コンラートはすまして答えた。
「…と、あっ…」
不意に、二人の有利に気をとられていたヒトの有利が、階段が少し濡れていたせいか足を滑らせてしまった。
「危ない!」
勿論、コンラートがそのまま見送るはずもない。
素早く回り込むと、側方からがっしりと抱え上げた。
体勢を立て直し、一人で立てるようになったはずの有利なのだが…なぜだか離れがたくて、そのままコンラートの胸に顔を埋めてしまう。
『…コンラッド……っ!』
逞しい胸板に押しつけられ、彼独特のかおりを吸い込むと…胸が切なくなるような感覚に襲われる。
「ありがと…俺がぶつかったせいで、どこか痛くなかった?さっき…肘、ぶつかっちゃったろ?」
「いいえ…平気です」
そうは言いながらも…コンラートもまた、有利を離そうとはしなかった。
情感を乗せた琥珀色の眼差しが降り注ぎ、感に堪えかねると言いたげな…押し殺した吐息を漏らしながら、コンラートの腕がヒトの有利の背へと回される。
暫し体温を分け合った二人だったが、眉間に皺を寄せたコンラートが苦笑しながら微かに身を離した。
「そろそろ…行きましょうか?」
「…あ」
離れていく胸に縋り付くようにして指が伸ばされるが、一瞬躊躇い…結局、ゆっくりと自分の胸元に戻されていく。
『じ…焦れったい…っ!』
二人の有利はもどかしさに歯噛みした。
端(はた)から見れば双方向性のハートつき矢印がショッキングピンクの彩りを見せて掲示されそうな雰囲気なのに、二人とも、何か踏み出せずに足踏みをしているようだ。
このままでは、相思相愛であるにもかかわらず、共白髪になっても一定の距離を保ったまま平行に生きていきそうだ。
* * *
吹き付ける風を感じながら、みんなはむはむとサンドイッチを平らげていった。
最初はどこかぎこちなかったヒトの有利も、うさぎや子鬼の話を聞いているうちにそちらに夢中になってしまった。
「へぇ…コンラッドはどこでも見てくれとか年頃は一緒なのに、なんかやっぱり少しずつ違うんだな?」
「うん、俺んとこのコンラッドに比べたら、なんかこっちのコンラッドは大人ーって感じだよね」
子鬼の有利はかしかしと小さな林檎を囓りながら、コンラートを見やった。
「子鬼のユーリのトコのコンラッドはどんな感じ」
「んっとね。やさしいのは一緒だけど、最近は俺が護ってあげないと!って気が凄くするの」
伯父のシュトッフェルとの対決を通して、そのように思うようになったらしい。
「……随分と乙女チックなコンラッドなんだね」
「うん。いまは俺、こんなナリで頼りないけど…成鬼したら、絶対コンラッドをぎゅーってだっこして、護ってあげるの!」
ふわふわパフリーズ姿の愛らしい子どもにそう決意させてしまうコンラートとは、一体どういう男なのだろうか?
こちらのコンラートはちょっと遠い目になった。
「そっかー。偉いなぁ!俺はコンラッドに護られてばっかりだよ」
ヒトの有利が残念そうに言うが、コンラートは《そんなことはない》と首を振った。
「俺の方こそ、あなたに護られてばかりですよ…。あなたの存在がなければ、俺は生きていく意味を失いましたからね」
「孫を生き甲斐にして生きる爺さんみたいなこと言うなよー」
「爺さんとは酷いな」
「だって、そーだろ?いつも俺のこと…子ども扱いするじゃんか…」
拗ねたような口ぶりになり、上唇を尖らせてしまったのが余計に子どもじみた様子に思えて、ヒトの有利は眉根を寄せた。
「子ども扱いなんて…」
「してるよ」
ますます子どもっぽくなっていく自分に、有利は泣きたいような心地になった。
幼い二人の方が、余程しっかりしているように思える。
少なくとも…勇気を持って愛を告げられる分だけ、二人の方が大人だ。
『そうだ、俺…怖いんだ』
コンラートの迷惑になる…とは言いながら、その実…一番恐れているのはコンラートに失笑されることなのだ。
こんなに子どもで、幼稚な自分が愛を告げることで…ちいさな子どもが幼稚園の先生に告白するような喜劇を演じるのを恐れているのだ。
『恥ずかしい…』
抱えた膝に顔を埋めて、ヒトの有利は声を殺した。
大人で余裕があって優しくて気の利く上に腕の立つ…
コンラートが、大好きだ。
でも、その想いを真っ直ぐにぶつけることの出来ない自分は大嫌いだ。
「ヒトのユーリ…大丈夫?」
うさぎがさすさすと背中を撫でてやると、ヒトの有利は漸く顔を上げた。
「ごめんね…ちょっと、気持ちが悪くなっただけだよ」
その答えに、うさぎは暫く何かを考えるように口をもにもにとさせていたが…やがて、意を決したように顔を寄せてきた。
「あのね…気持ちが悪いのは、言いたいことを我慢してるからだと思う」
「うさ…」
「あんたは、まっすぐなうさ…ううん、ヒトだと思う。だって、俺だからね。だから、ずーっと心の中にあるものを出さずにしまいこんでいたら、きっと病気になっちゃうよ?」
「そうそう。大好きって気持ちは、やっぱ伝えてなんぼだよね」
自分の時にはなかなか言い出せなかったくせに、先輩面をして子鬼が言った。
三人の有利のひそひそ話を聞いているのか居ないのか…表情を消したコンラートが少し距離を置いて座っている。
「ねえ、言ってごらんよ」
「でも…」
「でももへったくれもないよ。今すぐってわけじゃなくても、なんか自分できっかけを作ってみたら?」
「うん、5回連続お箸が同じ方向に転んだら告白するとかね」
そんなことで決めちゃって良いのか…。
子鬼はちょっぴりうさぎよりも子どもっぽいようだ。
「俺は…」
戸惑うヒトの有利の前で、突然…二人の有利の身体が輝きだした。
「え…?」
「わぁ…っ!」
こちらの世界に来たときと同じように、金色の光に包まれた二人の輪郭はだんだんと不鮮明になっていく。
交わっていた平行世界の一部がアニシナの手を借りることなく、再び従来の位置関係を取り戻そうと動き出したのだ。
「うさぎのユーリ、子鬼のユーリ…っ!」
「お別れみたい…っ!」
「俺達、もとの世界に…コンラッドのトコに戻るね…っ!」
ふんわりと浮かびながら…光の粒に変わっていく有利に向けて、伸ばした手は空をかいてしまう。
「もう…触れないのか……」
ふっくらとした肌合いの記憶が、切ないくらいにヒトの有利の心を刺激した。
「うん…寂しいけど、でも…ゴメンね。やっぱり俺は嬉しい。だって…こっちのコンラッドはやっぱり俺のコンラッドじゃないもの」
「うん、そうだよね。やっぱり…ヨザックとかに《ヘタレ》とか言われても、俺は俺んとこのコンラッドがいっとう好きだよ?」
だから、子鬼の所のコンラッドは一体どういう男なのかと…。
「それぞれの世界のコンラッドに、よろしくね」
「うん、やさしくして貰ったって教えてあげる」
「そんで、こっちでも二人は仲良しだったって教えてあげたいから、頑張ってね?」
子鬼が不慣れなウィンクをしてみせると、ヒトの有利は微苦笑の形に唇を歪めた。
「そうだね…お前さんを、嘘つきにしちゃいけないね…」
その言葉を聞いて二人がにっこりと笑ったとき、彼らの姿は散り散りな光の粒に変わって…弾けてしまった。
「ああ…」
「行ってしまいましたね。可愛らしい来訪者さん達は…」
寂しそうなヒトの有利…いや、もうこの世界には彼一人きりとなった渋谷有利を支えるように、コンラートが背後から腕を回し、抱きしめてきた。
「寂しいですか?」
「そりゃ…寂しいに決まってる」
「俺もです…」
暫くのあいだ、二人の間に言葉はなかった。
切ない思いが潮のように満ちてきて、塩辛くぬるいそれに漬(ひた)されていたかったのだ。
幾らか時間がたった後、最初に口を開いたのはコンラートだった。
「ユーリ…ね、聞いて欲しいことがあるんです」
「なに?」
「俺は、ずっとずっと待っていることがあるんです」
「…なにを?」
「ある人が…俺にとってとても大切なある人の思いが、その人の中でゆっくりと…育っていくのを待っていたんです」
「…………」
鈍さを常に指摘される有利とはいえ、この体勢と…囁かれる声の甘さから、意味を取り違えることは流石に困難であった。
ドキドキと…急に鼓動が早くなっていく。
「とても大切な人だから、性急に暴き立てるようなことは決してしたくなかった。もしかしたら、成長と共にその人の思いが変わってしまって、俺への想いは少年時代の蒼い思い出となって何時しか薄れていくのなら、それを見守らなくてはならないのだと思っていました。けれど…」
はぁ…っと、熱い思いを込めた嘆息が、コンラートの唇から漏れだしてくる。
「やはり、俺には駄目でした。その人の中でその思いが固まっていないとしても、もうこの思いを秘め続けることが困難になってしまったのです」
「コンラッド…」
「こんな俺を、軽蔑しないでいてくれますか?我が儘だと…詰(なじ)らないでいてくれますか?」
「なじんないけど…その代わり、言って良い?」
「どうぞ」
「あんた、狡い!」
振り返った有利の頬は、見事なまでにぷくっと膨らんでいた。
「……狡い、ですか?」
「あ…あんた、いつから知ってたんだよ?」
「何をです?」
「この期に及んでまだしらを切るのかよ!?お…俺の方は全っ然気づかなかったんだからな!うー〜っ!狡い狡い!知っててなんの反応もしないなんて、あんた絶対腹黒いぞ!」
「腹黒いとは心外ですね…。あなたが俺の前で無造作に更衣をされたり、一緒に入浴しようと誘ってくるたびに、襲いかかりたいような欲望を必死で押さえていたというのに…」
「だから何時からだよぉぉぉっ!?」
有利は真っ赤になってぽかぽかとコンラートの胸板を叩きまくった。
自分でも子どもっぽい行為をしているとの自覚はあるのだが、何しろ相手の《大人》もかなりの曲者であったようなのだから、このくらいは許して欲しい。
「ええと…それでは率直に申し上げても良いですかね?」
「あ…!だ、駄目っ、約束したからっ!せめてそれは俺からさせて!」
両手を翳してコンラートを制すると、有利は唇を尖らせて呟いた。
「あ…あんたが、す……すき…です…………」
語尾がどんどん小さくなっていくその言葉を最後まで聞き取った上で、コンラートは実に優美な表情でこう言った。
「聞こえません」
「嘘だーっ!」
有利の絶叫は、先ほどの告白の100倍の音量であった。
「おや、俺を嘘つき呼ばわりですか?自分から言うと言ったくせに、普段の元気をどこかに追いやって、モモロンペプチド蚊が鳴くような声であなたが言うからですよ。やはり、俺の方から言わせて頂きますね?」
「やーっ!だ、駄目っ!大きな声で言うから、待って…っ!」
哀願するように涙目となった有利には、幾ら腹黒さを呈し始めたコンラートでも抵抗しがたいものがあった。
それに、実際問題…ずっと熟すのを待ち続けてきた蕾が綻ぶ瞬間を見逃したい者など居るわけがない。
「好き…好き、ですっ!」
最後の《です》が一番大きいような気がしないではないが…それでも、先ほどに比べれば遙かに大きな声が、コンラートに愛を告げてくれた。
「俺も、好きです」
肚の黒さを感じさせない爽やかな笑顔で、満足そうにコンラートが返してくれた。
* * *
一方…少し離れた場所から状況を見守っている衛兵は、口を閉じて耳も閉じていた。
何故なら…時折興味を持って視線を向けようとするたびに、一瞬…殺気に満ちた眼光が閃くからだ。
まだ、ヴォルフラムを傷つけないように根回しするまでは、コンラートはこのことを誰にも知られたくないのである。
『俺は何も見てません』
『俺は何も聞いていません…っ!』
衛兵は、貝になりたいと思った。
* * *
ぽぅん…と弾むようにして空中から飛び出してきた仔うさぎに、茶うさぎは勢いよく飛びつきました。
「ユーリ…ユーリっ!」
「コンラッドーっ!」
ひしと抱き合う二羽は、しばらくのあいだ、言葉もなく互いの感触を確かめ合いました。
「ユーリ…ああ、良かった…。絵本に吸い込まれていったときには、一体どうなってしまうのかと恐ろしくてしょうがなかった!」
「俺…どのくらい居なくなってたの?」
「ええと…」
茶うさぎは時計を確かめて吃驚しました。
「おや、1分くらいのことだったようですね。俺にはまるで1時間のように感じられましたが…。ああ!そんなことより、この素敵なワンピースはどうされたんですか?」
「あう…」
黒うさぎは、眞魔国で着せられたワンピースのままだったのです。
「あのね…いろんな事があったんだよ。俺、大きな人間の俺と、あんたと同じくらいの年頃の、人間のコンラッドに会ったんだ。とてもよくしてもらったんだよ?」
黒うさぎが眞魔国にいた時間はとても短かったので、彼らが《魔族》という種族なのだということは分からずじまいでした。
「それはまた…本当に絵本の中に入ってしまったんですね?」
「そうだ!絵本の最後がどうなったのか確かめてみようよ!」
「……また、吸い込まれたりしませんかね?」
「じゃあ、手を繋いでいようよ」
「そうですね。吸い込まれても、二羽一緒なら良いですね」
茶うさぎと黒うさぎは、硬く手を握り合ったまま絵本の最後を開きました。
* * *
「わぁっ!」
「ユーリっ!」
空中に放り出された子鬼を、紙のように蒼白な顔色のコンラートが抱きしめた。
「ユーリ…ああ…一体どこに行っていたんだい?俺は心配で心配で……」
言葉通り、コンラートは泣きそうな顔をしていた。
「えへへ…あのね?十八歳の俺と、あんたよりちょっと大人っぽいコンラッドに会ったんだよ?」
「そうなんだ。ふぅー…アニシナの道具はやはり恐ろしいね。あんな紙の物体で世界を繋げてしまうなんて…」
ドイツでの仕事を成功に導き、祝福と感謝に包まれながら日本に帰ることになったコンラートであったが、家族に引き留められてまだ一週間はドイツに滞在することになっている。
その間に、ツェツィーリエのパーティーでの騒ぎを聞きつけたアニシナの来訪を受けたのである。
『あなたの所に面白い子がいるようですね?コンラート』
グウェンダルの幼馴染みである女性は才媛として…また、異能の奇才としても知られる女性であった。
大学の研究室で何故か巨額の予算を確保し、研究に没頭する毎日を送っているのだが、時折グウェンダルを巻き込んで奇妙な実験を行っているらしい。
その彼女が今日再び現れて、この絵本を有利に渡したのだった。
『あなたの波長とハーモニーを奏でる存在が、私の実験槽に反応してこの絵本を生み出したのです!』
液体の中から出現したという説明を半信半疑で聞いていた二人だったが、平行世界での自分たちの様子が分かると聞いて、少しばかり興味を持ったのが運の尽きだった。
『それでは、しっかりと熟読して感想を聞かせるように!』
半ば押しつけるようにして絵本を置いていったアニシナは、何故か高笑いのドップラー効果を残しながらこの家を後にした。
恐怖半分、好奇心半分で絵本を開いた二人であったが、恐怖要素は単なる心理的なものに留まらず、具現化して有利を飲み込んでしまったのだ。
「ああ…君がいない間、本当に恐ろしかったよ。君を…失うかと思った」
「ごめんね、心配かけて。でも、あっちでは凄く良くしてもらったんだよ。コンラッドと一緒に行けるなら、またあそこで暫く過ごしても楽しいと思うな。ちょっとずつ違うあんたとか、グウェンとかいるんだよ?あ、なんか凄く綺麗なんだけど鼻血を吹く人とかもいたなぁ…」
「鼻血を吹く?俺の周りにはそんな奴いないと思うんだが…」
「あのね?ギュンターっていう人なの」
「ああ!それなら、会社で俺に良くしてくれる開発部の先輩がいるよ。確かに凄い美形だけど、鼻血を吹くところは見たことないなぁ…。なんなら、今度会ってみるかい?」
「うん、楽しみー。噴水みたいに鼻血を吹くんだよ?こっちの人も吹くのかなー」
「どうだろうね?なにしろパラレル世界だから、こちらでは起こらない事もあるかも知れないよ?」
有利に出会ったギュンターがどのような反応を見せるかは、今はまだ神のみぞ知ることである。
「そうだ!別れ際にね、あっちの俺がコンラッドに告白するって約束してくれたんだよ?ちゃんと出来たか確認しなくちゃ!」
「どうやって?」
「絵本の最後を見たら良いんじゃないのかな?」
「……また引きずり込まれやしないかな?」
異世界の茶うさぎと同じ心配をしたコンラートは、やはり同じように有利の説得を受け、手を繋いで絵本の最後を開いた。
* * *
「おや…」
「わぁ…っ!」
二つの世界で、同時にコンラートと有利が歓声を上げた。
絵本の最後には、頬を染めてキスをする二人の姿が描かれていたのである。
おしまい
あとがき
本来、2008年の夏コミ発行のコピー本に掲載する予定で書き始めた話だったのですが、やはりネット掲載に切り替えて良かったです。
特に鬼っ子の方は連載を途中で止めているせいもあって、まだ出ていないキャラクターが大勢居ましたからね…。
色々と帳尻が合わない部分も出てきそうですし…。
ちょっと中途半端な上に自己満足的な話ではありますが、多少なりと楽しんで頂ければ幸いです。
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