「ユーリ陛下のユーガな生誕祭」 すったもんだあって平和が訪れた。 禁忌の箱を巡ってそれはもうしっちゃかめっちゃか、世界規模というか異世界規模の動乱が起きて危うく原初の混沌たる世界に戻ってしまうのでは? と心配になる勢いで色んなことが起きたけれど、見事にピースを埋めて《奇跡的な未来》という名のパズルを完成させた。 眞魔国と人間世界の友好国は、平和的な条約を結んで往来自由となった。 最初は私兵に周辺を厳重警備させた商人たちの行き来しかなかったのだが、眞魔国の文物が多く輸出されたり、人間とそう変わるわけでもない暮らしぶりのことが書籍や吟遊詩人により伝えられると、5年が経つ頃にはすっかり一般客が軽装で旅をするようになった。 特に季節の祭りが催される時期になると、それぞれの国が大いに賑わう。 暑い最中の7月下旬、魔王ユーリ陛下の誕生日を祝う生誕祭は29日まで一週間続き、その間は色んな街に出店が出て、大道芸人たちの特別な興行が各地の大広場で行われるということもあって、一年で最も眞魔国の人口が増える時期とされている。 「5年。もう5年、たかが5年、されど5年」 「感慨深いですか? 陛下」 「いやもう、突っ込むのも面倒くさいけど一応突っ込んどくね? あんたおれの名付け親にして旦那様だぜ?」 漆黒の魔王服に身を包み、血盟城のバルコニーから国民や旅行者たちの大歓声を受ける有利は、傍らに控える王婿ウェラー卿コンラートの鼻頭を指先で弾いた。 途端に《わっ!》と観衆の声が色めき立つ。特に女性陣の声色はすっかりピンクがかったものになっており、宰相たるグウェンダルの眉間にも深い皴が寄る。 結婚している身だから少々人前でイチャコラしても許されるのだけど、公的な場でそれをやるのは、彼の価値観からするとやはり見苦しいらしい。まあ、拳が降って来ないだけマシだけど。(公的な場で宰相が王を殴る方が外聞も悪いと、やっと気づいてくれただけかも知れないが) 「呼び捨てにしてって何万回言ったら分かるの? って、言って欲しさ強すぎじゃない? 分かっててやってるだろ」 「分かってて付き合ってくださるユーリの優しさが愛おしくて」 にこっ! と擬音が聞こえてきそうな笑顔を浮かべる旦那さんの厚い胸板を、少し強めにぶん殴る。照れ隠しが少々強くなっても屁でもない胸筋は、羨ましい位の弾力で拳を跳ね返した。 「ばか」 「ふふ」 有利も5年ですっかり背が伸び、手足も長くなったのだけど、種族の壁というか、そもそもの資質の壁は高く、未だこの男に対しては見上げる形になる。 一方、成長が緩やかな筈の純血魔族にしては驚異的な速度で成長を遂げたヴォルフラムは、異教の神ソーもかくやというような、雷光を放ちかねない眼差しで上から睨みつけてくる。 「王たる者が何だその新婚ほやほやのバカ夫婦みたいな遣り取りは。少しは落ち着け」 次兄が自分の元婚約者と添い遂げるという事態になった時、驚くほど潔い態度で身を引いたものの、他に恋愛対象者が出現しなかったせいもってすっかり小姑化している。 この場合、グウェンダルが姑か。 「グウェン、ヴォルフ、そんな睨まないでよ。あんたらの身長で睨まれると圧迫感あるんだから」 「だったらいい加減、王に相応しい態度を身に付けることだな」 「ハイハーイ」 「ハイは一回」 「はぁい」 悠久の時を生きる魔族というのは、こういう古典的遣り取りに飽きないものなのか。長男三男との掛け合いも大概バリエーションに幅がない。 ただ、以前に比べて違うなと思うのは、向こうもこんな遣り取りを意識して愉しんでいるという辺りか。どこか柔らかい空気が流れていて、見守るギュンターも滅多なことでは鼻血を噴出させない。有利とコンラッドが仲睦まじく過ごしている様子を見守る時には、慈母らしい優しさと、微妙な嫉妬心が綯交ぜになった表情をしているが。 最も著しい成長を遂げたのはやはり人間であるグレタで、今では友好国の全てを回るのだと宣言して、頼もしい友人たちと共に諸国漫遊の旅に出ている。 正直、有利も同行したい。しかし、お忍びで自分が動くと大抵事件が起きることを自覚してもいるので、まあ国外に出るのは難しいかなとは思っている。 そんなわけで、自分としてはかなり譲歩する気持ちを込めてちらりと上目づかいで尋ねてはみるのだが…。 「誕生日プレゼントとして、ちょっと城下町に行くのを許してくれるとかどうだろうか」 「却下」 一休さんの頓智合戦でみられる《什麼生(そもさん)》《説破》の呼応以上に迅速な返事を寄越したのはグウェンダルだ。 「早っ! 一秒考える位しようよ」 「一瞬も一秒も変わらん」 「うへェ」 「表情筋」 「はぁい」 顰め面になりそうになるのを何とか宥めて、自分の表情筋を笑顔型に戻した。 5年間で我ながら成長したものである。 「いやァ。ホント君たちの遣り取りって伝統芸能の風情があるよねェ」 にっこりと花のように微笑む村田はかなり相変わらずで、あまり背丈が伸びていないし筋肉もついていないから、辛辣な口調のわりに少女めいた雰囲気がある。袖口と裾がゆったりした黒衣もサイズ替えの必要が無いので、財政的はありがたい。(いや、眞魔国の国庫にはちゃんと余裕あるのだけど) 「きゃー。猊下の嫌味だか称賛だか分からないコメント素敵〜」 相変わらず逞しい上腕を剥き出しにして身を捩るグリエ・ヨザックは、かつて有利を庇って大岩に潰されてから下半身が変わった。とはいえ、外見的にはあまり分からないのだが、いざとなると義足から吃驚するようなギミックが飛び出してくるので、眞魔国版アイア○マンと化している。言わずもがな、超弩級鬼才アニシナの魔改造を受けたせいだ。《ナノ魔シン》とやらがヨザックの思考と同期して展開される辺り、魔力を持たないはずの混血、または人間を限りなく純血種の魔族に近づける発明と言える。 「勿論、称賛だよな?」 「渋谷のそういうとこ好きだなァ」 「えへへェ」 「ほんと…好きだなァ」 屈託なく笑う有利に、村田の微笑みが色合いを変える。 黒々とした目の奥に優しい色が滲むのを、《愛されているなァ》と実感するのだった。勿論恋愛感情ではないのだけど、この男とはコンラッドとはまた違う意味で深く結びついているのを感じる。 それは生を終える最後までそうなのだろう。所謂、運命共同体なのだ。 * * * 血盟城に詰めかけた賓客の皆さんもそろそろ眠気を催す頃合いに、ユーリはやっと大広間からの離脱に成功した。あと十数分で日付変更という時間帯だ。 大理石が敷き詰められた廊下を滑るように移動し、ダンスでも踊るみたいにユーリの手を取ってコンラートも走る。見つめ合う二人の瞳には、いつもどおり共犯者(というか、共悪戯坊主)めいた笑みが浮かぶ。 「さあ、誕生日はまだ終わってないよ。魔王としてではなく、ユーリとしての時間を過ごそうか」 「勿論っ!」 後ろ手に自室の扉を閉めれば、あとは既に準備していた平服に数秒で着替え、慣れた動作で茶髪のウィッグとコンタクトレンズを嵌める。窓からロープを投げて隣の塔の屋根に降りる動作だって熟練の特殊部隊もかくやという風情だ。(自画自賛) 「行こうぜ、コンラッド!」 「ええ」 城下町はまだまだ賑やかで、出店の品揃えが子ども向けから大人対象の酒やつまみ系に変わってはいるけれど、殆どの店のランプが光を放ち続け、魔王陛下の誕生日を明日の朝まで祝い続ける。 コンラートが事前に森の中へと連れ出しておいた愛馬たちの背中に跨り、小さく歓声をあげて疾走する。夏の夜特有の草と露の混じった匂いを嗅ぎながら、コンラートはユーリの笑顔を見つめた。 『きっとユーリも気づいてはいるんだろう』 愛馬を厩から連れ出した段階で、グウェンダル達に報告が行かない筈は無い。分かっていて見逃してくれているのだ。 それなら最初から赦してくれれば良いようなものだが、もしかすると、《反対を押し切って抜け出す》という背徳感自体が彼らなりのプレゼントなのかもしれない。 『力をコントロールできるようになったユーリは地上最強の存在だし、守護者としての俺の力量も認めた上での自由なんだろうな』 かつてはヒステリックで不安定だった魔力を、今のユーリは完全に掌握している。 そのせいで少々調子に乗り過ぎることもあるのだけど。 市街地に入って通りのあちこちに民が自発的に描いたと思しき似顔絵や人形、誕生を祝う横断幕や祝福の詩を目にする度に一々新鮮な驚きを示すユーリは、今年も喜びの限界に到達した。 「あ〜…もうっ! みんなみんな、大好き過ぎるよっ!」 ユーリの全身から鮮やかな光が天に向かって迸ったかと思うと、火花の一つ一つが街中に広がって行き、地上に降り立ったり民の手に触れたりすると同時にぽうんと弾んで可愛らしい花になる。毎年恒例となった《花撒き》に、 人々は嬉しそうに花を掌に包み込み、酔いどれたオッサンまでもが子どもみたいな笑顔を浮かべてスキップをする。 一斉に窓が開いて寝間着姿の子どもたちが身を乗り出してくるのは、大人たちの噂話を聞き付けて、今年こそは自分達も《花撒き》を目の当たりにしようと、眠い目をこすりながら待ち受けていたのか。用意の良い者はドヤ顔で虫取り網を振り回して花を捕まえようとしている。 誰も彼もが笑顔になって、淡い光を放つ花を眺めた。 「今年も誰かが魔王陛下を祝う花を撒いてくれたんだねェ」 「こんなに大規模な魔力が使えるなんてきっと、名の知れた大貴族じゃないかね?」 「嬉しいじゃないか。富める者、貧しい者、純血、混血の差別なく花を降り注いでくれるなんてねェ」 かつては破壊しか成すことの出来なかった力は、優しいユーリの心と結びつくことでいつしか邪悪を封じる力へと変化し、平和が訪れた今では、こうして人々の心に驚きと喜びをもたらす存在へと昇華された。 闇の中に佇むユーリ自身の頭上にも、ひらひらと光る花が落ち掛って来る。 視線をコンラートに送り、微笑むその表情に未だ甘酸っぱい感情が込み上げてくることを、彼は知っているだろうか? 大切な、大切な、おれのユーリ。 「コンラッド!」 満面の笑みを浮かべて抱き着いてきた愛おしい人を、両腕で包み込み、全身でくるむようにしてコンラートも微笑む。 「あなたの誕生日だというのに、おれをこんなに幸せにしてどうするんですか」 「はは、安上がりな幸せだなー」 「どこが安いもんですか」 世界一崇高な存在を胸に抱きよせ、《あんたが大好きだよ》と瞳で訴えられるなんて、こんな幸福な男は他にいない。 おしまい |