「隣のコンラッド」








 曙光が差し始めた夏の日の早朝。
 朝靄の中、明かりのつき始めた隣家の様子を窺いながら、コンラート・ウェラーはにっこり微笑んだ。
 
「お誕生日おめでとう。ユーリ」

 渋谷家を中心とした世界が白々と明け染めた曙光に照らされて、清く輝かしく見える。
 毎年誕生日になると思うことであるが、今年は特に強く感じる。何しろ、大切な名付け子である渋谷有利は今年16歳になるのだ。

 26歳のコンラートは、10歳年下の少年が16歳を迎えるこの日を10年間待っていた。それはそれは本当にもう、比喩ではなく一日千秋の想いで待ち侘びていた。
 現在、彼が世界の輝きを讃えている時刻は朝5時。しかし今目覚めたわけではない。当たり前だ。眠っていられるはずがない。
 
 昨日から一睡もせず一分一秒が過ぎゆくのを酷く長く感じ、0時丁度にLINEでユーリへのおたおめメッセージとスタンプを送る以外の時間は、《何で29日にならないんだ。時間の経過がおかしいんじゃないのか》と時計を睨みつけていたものだから、凝視されていた時計に人格があったならとっくに発狂していたかもしれない。
 
 普段のコンラートは琥珀色の瞳に銀色の光が散る大変美しい瞳をしているので、人々はとても綺麗だと褒めてくれるのだけど、今は流石に軽く血走っている。
 
 鏡を覗き込んでみれば正直、自分でもちょっと怖い。
 
 若干人相まで悪くなった気がしたので慌てて洗顔をして目薬を差したところ、いつもの爽やかな笑顔が戻ってきて安堵した。
 
『ショーリには胡散臭く見えるようだけど、ユーリが《コンラッドの顔って、いっつも爽やかだよなー》と、感嘆・親愛・軽度の嫉妬が混在した瞳で見つめてくれれば全く問題はない』

 10年前からコンラートの世界は有利一色に染め上げられている。正確に言えば、能力の99%を有利に注ぎ、残り1%で生活をしているような有様だったが、元々の能力値がバカ高いおかげで、世間平均の2倍にあたる月給を有する職に就けたし、《落ち着いた人格者》としてどこに行っても称賛を浴びる日々である。

 有利に出会わなくても、おそらく似たような人生は送ったと思う。だが、この人生に鮮やかな色彩を齎し、意味を与えたのは有利だ。彼がいなければきっと今でも気づくことはできず、世間的には恵まれた環境も灰色の混沌としか感じなかったろう。

 腹違いの兄弟達が実は、コンラートのことを深く愛していたこと。
 自制心が弱く奔放な母が、コンラートの苦悩を知って泣いてくれたこと。
 亡くなった親友がコンラートに託した想い。
 
 コンラートの人生にとって意味のあることは全て、6歳の名づけ子が教えてくれた。だから10年前、コンラートは決めたのだ。有利を自分の嫁にしようと。だって、彼が自分以外の誰かのものになるなんて考えるだけで恐ろしい。コンラートを幸せにするのも、有利を幸せにするのも、お互いだけでなくてはならないのだ。
 
 ただ、6歳の男の子と16歳の少年では何かと困難が多いので、この国で成人とみなされる16歳の誕生日まで雌伏しつづけ、世間から非の打ち所の無い好青年と認識されるよう振る舞ってきたのだ。今のコンラートなら、《彼がそこまで思い詰める位なんだから、余程の愛情なんでしょう》と誰からも(勝利を除く)認められるはずだ。
 
『俺にとって興味のない相手から何と言われても別に構わないんだけど、ユーリの伴侶に相応しくないなんて評価は困るからね』

 薄い唇を吊りあげて、ふふと笑う笑顔は艶やかな男の色香に満ちている。多分、造作が残念な人物にコンラートの心理を置き換えてみたら《でゅふふ》と嗤うかなり危険な男に見えたろうけれど、コンラートだからこれで良いのだ。

 イケメン最高。
 イケメンであれば大抵のことが許される。

『そう。許される…筈』

 鏡に向かって微笑んでいた顔が、一抹の不安を過らせて微かに曇る。普段はアホほど巨大な自信を持っているこの男でも、不安になることもある。世界中から後ろ指差されても平気だが、有利に軽蔑されたらそのまま膝から崩れ落ちて、《生まれ変わったら蚕になりたい》と丸まったまま動けなくなるのは間違いない。

『ユーリ…君を想う俺を、許してくれるかい?』

 16年前、道端で産気づいた有利の母をタクシーに乗せ、産婦人科に搬送する際に偶然口にした《ユーリ》という言葉を、名前として冠せられた子どもが有利だった。そのことを知ったのは10年前、コンラート達三兄弟とたまに帰ってくる母、そして大勢の使用人達と共に暮らす屋敷の隣に小さな一軒家が建って、渋谷家の面々が引っ越し蕎麦と豆絞りの手拭いを提げて挨拶に来てくれた時のことだった。コンラートの面差しを覚えていた美子が興奮気味に再会を喜び、名付け親、名付け子の名乗りを交わした。

 正直、《あなたが名付け親なのよ!》と言われても実感はなかったが、有利のつぶらな瞳に見上げられ、はにかみながらキュッと手を握られた時には心が震えた。今思えば、目が合った時すでに心惹かれていたのかもしれない。

 有利はあまり勉強のできる子ではなかったが、その代わり、どんな賢人でも届かない真理にストンと達し、その凄さに気付いていないところがあって、コンラートがすっかり諦めきっていた《人生を楽しむ》ということを幾つも体験させてくれた。

 しかし本人には全くその辺の意識がなく、時折悔しそうに《コンラートには世話にばっかりなってるよなァ。たまにはおれだってコンラートの為に何かしたいよ》なんて可愛いことを言うのだ。

 そんなこと全くない。有利にしてもらったことの重みからいえばこちらが超過債務に陥っており、どうやって恩義を返せばいいのか分からないくらいだ。ただ、《何かしたいよ》という申し出自体は大変ありがたいので、《そんなことないよ。でも、一つだけお願いしてもいいかな?》と、デート約束を取り付けたりはしている。

 ピロンっ♪

 LINEの着信音に素早く反応してスマホの画面を開けば、《お祝いあんがとね! 今年も誕生日のお祝いはコンラッドが一番乗りだなー》というメッセージが入っており、笑みがこぼれる。良かった。万一にも他のメッセージが届かないよう、障害電波送る装置開発しておいて。
 ニヤリと浮かんだ悪い笑顔を反映することなく、爽やかな声音で電話を掛けた。

「ユーリ。改めてお誕生日おめでとう。今日で大人の仲間入りだね」
「つっても、酒とか煙草はまだ先だけどね」
「やってみたいの?」
「ううん。身体に悪そうなモン全般興味はないよ〜。なんか言ってみただけ」
「それは良かった」

 ほろ酔い状態の有利は是非見てみたいけれど、それが彼の肝臓だの膵臓に僅かでも悪影響があるなんて耐えられないから、変わらぬ志に安堵の息を吐く。

「ねえ、ユーリ。約束覚えてる?」
「勿論! 今日はいっぱい楽しもうな」
「夜にはご家族のもとに返すから、それまではユーリの16歳初めての日を俺に頂戴」
「ひぃい。コンラッド、前から言ってるけどそういう台詞を妙に気合入れて囁くのやめて。おれが女の子なら耳から妊娠しそうだ」
「ははは。大袈裟だなァ」

 この程度で女の子を妊娠させる力があるなら、悟空が元気玉飛ばすくらいのエネルギーを集め、有利目がけて全力の囁きを仕掛けたいところだ。

『本当は夜も一緒にいたいんだけどね』

 16歳で選挙権が得られ、定職に就いていれば結婚もできる御時世とは言え、有利はまだ学生の身だ。それに、16歳の記念は有利をこの世に生み出してくれた渋谷家の御両親にとっても大切な日だろうから、流石に終日独占するのは気が引けた。有利以外の全てが唯のモブである中、一応自分と有利の両親については大事な人カテゴリーに配当しているのである。

「本当に夕方まで独占して良いんだね? 猊下は何か言って来なかった?」

 猊下とは有利の友人の村田健のことである。6月6日に一足早く16歳となった彼は、異常なまでの精度で風水害等の災厄を予知、警告する能力を持っているため、成年前からこの国の災害対予知省に配属された上、数か月で《猊下》と呼ばれる最高位に坐するようになったという曰くつきの人物である。

 昔から練れ過ぎて人格が四回転半くらいしている少年だったが、何の気負いもなく自分と付き合ってくれる有利のことだけは幼少期から大切に思っているようで、コンラートでさえ先手を打たれることがしばしばあった。
 
「うん。村田からも遊ぼうって誘われてたけど、先にコンラッドと約束してたった言ったら、前日に遊ぼうって誘われたんで、昨日遊園地行ったよ。男二人で鼠の国とかどうなのって思ったけど、意外と楽しかったかなー」
「そう」

 聞いておいて良かった。その遊園地のチケットはコンラートも取っていたが、こんなこともあろうかと二段構えで用意しているので、買い物の後はアスレチックランドに誘うとしよう。

 コンラートと村田の関係はやや微妙で、お互い《ユーリの一番》の座を狙っているが、最近の彼は親友ポジションを押さえる代わりに、コンラートが目指しているポジションは《譲ってやってもいい》というステイタスなのかもしれない。
 彼が本気を出して邪魔をしてくるとかなり苦しい戦いを強いられることになるので、今後とも良い距離感を保ちたいものである。

「今日はユーリを俺のお姫さ…いや、王子様として扱わせてね。名付け子を思いっきり甘やかしたくて、財布を分厚くさせているんだから。洋服の値札を確認して逃げ出すなんて無粋なことはしちゃダメだよ」
「えっ怖い。何なのその気合」

 実際やらかしたことがある身で言わないで欲しい。店舗に取り残されてこちらは大変寂しい思いをしたのだ。しかし、昔のことを責める狭量な男だと思われては困るので、口に出すのは熱い情熱だけだ。

「愛だよ、愛。それだけユーリのことが愛おしいんだ」
「あ、ハイ」

 息をする如く自然に愛を囁くが、有利の方はやや塩対応だ。先ほどは妊娠しそうだと言っていたくせに、ドストレートな告白はさらりと受け流される。
 しくった。これまでに多用し過ぎたせいかもしれない。
 
「あーもう。コンラッドってば若いのに、すっかり金の使い道が孫の為に使いたくてしょうがないお爺ちゃん化してるよ」
「その例えやめ」

 気持ちも分からないではないが、そのように例えられるとツェツィーリエが社長を務める企業体の顧問弁護士であるギュンターとキャラが被るのでやめて欲しい。彼もまた有利の稀有な才能に感化され、高く評価するあまりに若干人格崩壊を起こしている人物だ。あまり同類として認識されたくない。

「名付け親とかさァ、そこまで重く考えなくていいんだよ?」
「俺がそんな縛りの為に過度のサービスをしているなんて思うの? ユーリ」

 少し責めるような強い口調にしてみたら、流石に有利も態度が変わった。

「ゴメン。えと…お、俺のこと、一人の人間として大事にしてくれてるからだよね?」
「よくできました。ご褒美に、たくさんユーリの好きなもの買ってあげる」
「ご褒美なんだか罰なんだか…」
「何か言った?」
「ナンデモナイデスヨ−」

 完全に棒読みだ。

 それにしても、有利の容姿に関する自己評価の低さは一体どこからきているのだろう。以前暮らしていたニホンという国では十把一絡げで売られているジャガイモ級の顔なのだと事あるごとに主張するが、かの国のアイドルや俳優の写真と比べても有利の方が遥かに可愛く、更に美しくなるであろう資質を秘めているというのに、本人には全く自覚がない。あの絢爛豪華な顔面の持ち主である兄や弟ですら《ユーリはまァ、アホだが顔だけは極上だな》と称賛するくらいなのに。

 普段着のラフな服装も素朴で可愛いが、たまには上質な衣服を身に着けて御洒落した姿も見せてほしい。何も着ていない姿が実は一番見たいが、いきなりそこを求めるのは性急に過ぎるだろう。

『今日は名付け親としてではなく、一人の男としてユーリを愛しているのだということを理解してもらうのが最大の目標だ』

 そこで一番心配なのが、先ほどの遣り取りでも感じられた《本気にされてない感》だ。渾身の告白を《またまたァ》の一言で受け流される可能性がある。
 さりとて、過度に雄を感じさせるような荒々しい詰め寄り方をして嫌われるのは恐ろしい。《おれのこと、いつからそんな目で見てたんだよ》と傷ついた顔などされたら、そのまま衝動的にアクションスターよろしく建物の硝子を突き破って往来に飛び降りかねない。かなり事件性を帯びてしまう。
 
『いつからそんな目で、という質問も返答に窮するしな』
 
 正直、未就学児童であった有利のシャツや短パンから伸びる細い手足を舐めてみたいとか、柔らかそうな唇にキスしてみたいという衝動を感じた時にはコンラートだって悩んだ。自分の中にそんな嗜好が存在することを恐ろしいと感じて、有利から距離を取ろうとしたこともあったが、《ゆーちゃんのこと、きらいになったの?》と涙目で見上げられては諸手を挙げて降参するしかなかった。

 年と共に落ち着いてくるだろう。そう楽観的に考えていた時期もコンラートにはあった。

 が、衝動は落ち着くどころかいよいよ猛り狂い、伸びやかに成長してきた有利に《誰にも内緒だよ》と念押しされた上で、精通したことを教えられた日には10回くらい有利で抜いた。金色のふわふわしたものが視界を過るくらいコキまくった。

 それからというもの、妄想力の限りを尽くして有利の痴態を想像しては抜く日々が続いている。撮りためた写真を加工してあられもない姿に…という衝動を感じたこともあるが、万一流出したら自分で自分を細胞レベルにまで爆殺したくなるので、最も安全な脳内に留めている。

『俺は別に、身体だけが目当てなわけじゃないんだと、重々念押ししておかないとな』

 ただ、生涯プラトニックを貫けと言われたら約束はできない。有利に嘘はつきたくないが、欲望を生涯押さえ込むことも難しいからだ。

 しかし、もしも…もし、どうしても二人の関係を決裂させないためにプラトニックな付き合いをしてくれと頼まれ、あまつさえ、実は好きな女の子がいるから、コンラートとは一生友達のままでいてくれ等と言われた場合も、コンラートは自分から離れていくことはできないだろう。
 
 《そんな目で見る奴とは友達としても無理》と蔑まれた場合は、死に物狂いで誤魔化して、何とか元の関係に戻ろうとするだろう。
 
 今となっては、有利を失うことは《不幸》という範疇を大きく逸脱し、生存の可否に関わる重大事になっている。

「じゃあ、いっぺん切るね。顔洗ったらすぐ出るよ」
「ああ」

 通話を終え、ふぅっと漏らした息はコンラートらしくもない不安に満ちていたが、渋谷家の前に車を回し、有利を迎えるころにはすっかりいつもの笑顔に戻っていた。己のポーカーフェイス力がありがたいのはこんな時だ。

「さあ、お姫さ…いえ、王子様。まずはモーニングといきますか」
「一々言い直さなくても良いよ。お姫様もどうかと思うけど、王子様も大概だから」
「じゃあ、我が王」
「ひィ。発音良すぎてビビるわ。つか、普通にユーリって呼べよ、名付け親」
「名付け親としての関係に重きを置くなって言ったくせに」
「ああ言えばこう言う」
「ユーリこそ! でも、そういうツッコミの速さも好きな部分だよ」
 
 ウインクしながら笑いかければ、有利は顔を両手で押さえて身もだえた。

「語尾が甘いよ〜。ハート飛ばすなよ〜」
「や。でも意外と効いてる? ほっぺた赤いや」
「もぉおおお〜っ!」

 運転中にドライバーを叩いてはいけないよ、と、軽く窘めながら車を朝食メニューの潤沢さで有名なホテルに連れて行く。普段は宿泊者限定なのだけど、あまりに美味しかったから特別に予約を取らせてもらった甲斐あって、夏場の朝でも食欲満点な有利は健啖ぶりを示した。頬を膨らませ、瞳を輝かせてぱくぱく食べる姿を見ているだけでこちらも丼飯が参拝は食べられそうだし、10回は抜ける。
 
 その後は開業時間を少し早めて貰ったブティックで、コンラートが事前に目星をつけておいた服を試着させて着心地が良いと言っていたものを選び、買い込んだ。ただ、その場でそれを着せるというのは下心が伝わりそうなので、トランクに積み込むだけにした。焦ることはないから、後日、着た姿を見せて貰おう。それを口実にデートのお誘いができるかもしれないし。

 その後、ドライブを楽しんでから夏場でも涼しい風の吹く高原でアスレチックに興じたのだけど、誰かの忘れものらしい軟球をユーリが拾ってからは、延々キャッチボールをすることになった。まあ、折角だから普段できない体験を、と思っただけなので、有利が楽しいならそれでいい。

 問題があるとすれば、何故か悉くタイミングを外してしまい、告白に至れていないことだ。

『何をしている、コンラート・ウェラーっ!』

 自分で自分にツッコミを入れて奮起するも、気持ちは空回りするばかりでいっかな成果に結びつかない。二人きりでドライブしているのだから一分一秒が貴重な告白タイムの筈なのに、気が付くと有利のコロコロ変わる豊かな表情に見入り、時には妄想の翼を羽ばたかせている間に時間が経過してしまうのである。

 そしてついには、お誕生日会の準備ができているだろう渋谷家の玄関まで送るという、最早到底告白など出来そうにもないシーンへと突入したのである。

「今日は楽しかったよ。服に幾ら掛かったのかとかちょっと考えるの怖いけど、着ないともっと勿体ないから活用させてもらうね」
「今度来たところを見せてくれたら嬉しいな」
「うん。ちゃんとしたスーツまで買って貰っちゃったから、今度はおれがバイトでお金貯めて、レストランでの食事とか誘うね」
「いや、そんな…」
「コンラッドがおれにしてくれるのに、おれがしないとかおかしいじゃん。おれだってコンラッドに金注ぎたいっ!」

 仁王立ちなって宣言する有利は男前で、到底反論などできそうにない。

「分かったよ。是非奢って? きっと一口一口にユーリの労働の汗を感じ取って、泣いちゃうかもしれないけど」
「ますますお爺ちゃん化が…」
「やめ」

 ああ、ケラケラ笑う顔のなんて無邪気で可愛らしいことだろう。

『このままで、いい』

 何度気負い込んでも、直前で回避させた気持ちがまた色濃く込み上げる。
 結局のところ、コンラートにとって有利に拒否されることはあまりにも残酷な恐怖であったので、告白することは勇気というより暴挙なのではないかと感じられるのだ。

『君が笑っていてくれるなら。それが…たとえ俺の横ではないのだとしても…』

 自分の想像に胸を引き裂かれそうになりながら、コンラートはそっと腿に爪を立てる。涼やかな表情は何一つ変えることなく、迸りそうな想いを捻じ伏せた。

「さよなら、ユーリ。みんなで楽しい夜を過ごしてね」
「うん」

 頷いたものの、有利は立ち去りかねているようでモジモジし、何度も左右の拳を握り直している。

「ああ、クソ。手汗酷ェ」
「夜になってもこの時期は暑いね。部屋に入ったらエアコン効いているから、汗も引くんじゃない?」
「う、うん…」

 有利は珍しく、何か悩むように睫毛を伏せている。もしかすると、気恥ずかしさを押し殺して、コンラートにちょっと良いことを言おうとしているのかもしれない。あんなに名付け親としての立ち位置に難癖をつけていたくせに、彼はその関係もまたちゃんと大切にしていてくれるから、決意表明でもするのではないか。

 感動して泣きそうな予感を覚えながら、コンラートは粘りづく待った。
 待つことには慣れているから、いつまでだって、有利の方から背を向けるまで良い子にして待っていられる。

 しかし、コンラートの瞳を濡らしたのは別の涙だった。

「好きだ」

 決然として告げられたその言葉に、《俺もだよ》といつもの調子でさらりと返したりしていたら、コンラートは首を括りたくなったろう。
 だが、この日は違った。コンラートもまた、ちゃんと有利に伝えるにはどのように言えばいいのかと頭を悩ませていたから、彼がどれ程の想いでこの言葉を口にしたかが伝わって来た。
 
 武骨で…けれど、誰よりも真理に近いこの少年は、やはり今回も勝手にグルグルしていたコンラートを追い抜き、スコンと大切な部分を射抜いてくれたのだ。

「俺と結婚してください。あんたの嫁さんでも婿さんでも、どっちでも良いから…つか、あああぁぁ…結婚たくなかったらどっちだろうとあんま関係ないかもしんないけど、お願い。おれと一緒に生涯をすごしてください。長生きするために、酒もたばこもやらず、ずっとあんたに相応しい男になれるよう、努力することを誓いますっ!」

 林檎飴みたいにほっぺたを真っ赤して、片腕を掲げて高校球児みたいな宣誓を決められ、コンラートは泣いた。ぶわっ! と目の幅の涙が自分でも吃驚するような勢いで噴出し、その後も体内の水分量を心配されるほど泣き続けた。

「大好きだよ、ユーリ。一生大事にするから、俺のお嫁さんになってくれ…っ!」
「アッアー。やっぱそっちポジかー。まァイイや、コンラッドが相手してくれんなら、一生童貞でケツ開発されても構わないよ」
「ううううう。嬉しいけど名付け子の性知識が予想外に潤沢そうで、名付け親ショック」
「しょうがないじゃん。こちとらあんたで精通しちゃった筋金入りの変態なんだもん。もうずっと前からあんたとセックスしたかったって言ったら…流石に引く?」
「いや、前のめりに押す」

 言葉通り前に前にと突き進んだ結果、一般民家の玄関先で濃厚なディープスロートキスを始めた二人の姿に、様子を見に来た勝利が絶叫したのは言うまでもない。



おしまい




あとがき

 今年はちょっとお話らしいお話になったぞ―(当社比)
 やっぱ馴れ初め話は楽しいな〜。