「夜明け‏」









 漆黒の闇に一条の光が差し、山間を抜けて泉を照らす。
 曙光がゆっくりと放射線状に峰々を照らし、空を…世界の色を変えていく。

 毎年7月28日の夜半から29日の明朝までを、主従はこの土地で過ごす。初めて連れて来た時には単に息抜き程度の意味合いだったのが、いつしか儀式のような意味合いを持つようになった。

「キレーだなァ…なァ、コンラッド」
「ええ、ユーリ。とても綺麗だ」

 うっとりと眺める主の頬も、淡い光を帯び始めた。艶やかな漆黒の髪も、色味は夜を示すものなのに、不思議と彼に付随すれば《陽》の気をもつ。

『なんて綺麗なんだろう』

 コンラートの視線は主と同じ方向には向かない。大概、主自身を眺めてしまう。彼が生まれて300年経った今でも、それは変わらない。

 もうじき血盟城に戻らねばならない。眞魔国に冠たる魔王ユーリの生誕は、国民のみならず、全ての同盟国で寿ぐべき日だ。

 コンラートとてそれが分かっているから、兄弟にも諭されて毎年《今年こそは》と思うのだけど、また意思の弱さを発揮して、《抜け出そう?》と上目遣いにおねだりする主に逆らえない。

 ユーリが微笑んで、《名付け親は特別ってことを、ちゃんとこの日くらいは自覚して貰わなきゃ!》と宣うから、毎回ちょっとしたミッション・イン・ポッシブルを演じつつ血盟城を脱出する。

 年々王佐の防御網も派手になるから、部下たちはこっそりこの攻防戦を楽しみにしている節がある。

「そろそろ戻りましょうか」

 いつまでもこうしていたいのはコンラートも同じ。だが、臣下としての分というものを、コンラートは強く心に留めておかねばならぬ。
 自分のためというより、主の為に。

 それでなくともユーリのコンラートに対する寵愛は問題視されている。

「キスしたら帰る」

 ユーリが決まって口にするこの言葉の意味を、コンラートは初めてキスをしてから数十年くらい、理解していなかった。

 理解した時には、全身の血の気が引き、また我が身を主人から引き離すべきなのではないかと思い悩んだ。

 だが、ユーリは子供のように縋って叫んだのだった。

《独りぼっちで、不老不死に近い年月を生きるおれが道を違えた時、お前が正してくれなくて誰が正すんだっ!》
《おれと生きろ、コンラッド。これは命令だ!》

 ユーリは誕生日を迎えた日のキスで、コンラートに寿命を分けている。だからこそ300年が経過した今も、混血であるコンラートが驚異的な魔力を持つユーリと遜色ない若さを保っているのだ。

 更に百年が経つ頃、純血魔族である兄と弟に比べても歳をとらぬことを疑問視されたコンラートが、何故若さを保っていられるのかについて議会でも問題視された。

 禁忌の箱に封じられた創主を滅ぼし、人間の国々と強い友好関係を結ぶことで数百年に渡るユーリの治世が、忠臣とはいえ混血魔族たるコンラートの為に短くなることを、臣下たちは懸念したのである。

 だが、ユーリは彼らの主張を前述の論法で跳ね返すと、《この事に関してだけは、おれは我儘を通すっ!》と開き直ったような主張をした。

 民のため、国のために尽くす明君が、コンラートにだけは理性を失うと嘆かれはしたが、ユーリ自身が今だ若さを保っているからこそ、微妙なバランスで許容されている関係だ。

 もしユーリの魔力が尽きてきたら…とコンラートが頭を悩ませるのを、ユーリは軽く笑い飛ばす。

《そん時はそん時だよ、コンラッド。つか、おれがいまこうして曲がりなりにも魔王なんてやってんのが、コンラッドがいるおかげだってこと、あんたも周りもなかなか理解しないよねェ?》

 ユーリがいうには、これは二つの意味において《魔王なんてやっている》ことになるらしい。

 一つは任に就いたその時からずっと彼が言い続けている、統治能力の問題。これは正直、コンラッドがどれほどの援助が出来ているだろうかと疑わしい。

 だが、黒々と澄んだ瞳がじっとコンラートを見つめながら、謳うように告げられる言葉は、こんな特権が自分に与えられる意味として、畏まりつつも受け取らざるを得ないだろうとおもう。

《コンラッドが側に居てくれるから、俺は魔王でいられるんだよ。コンラッドを奪われて、孤独の中でどうしておれがおれでいられると、みんな思うんだろうな。昔善政を敷いた王様が、ある日、心が壊れてしまったせいでどうしようもない暗君になっちゃうこととか、よくあることなのにね》

 信頼する人は大勢いる。
 けれど、心を支えてくれる人はただ一人なんだよと、ユーリは繰り返す。

《壊れたおれが、理由によっては世界を滅ぼしかねないと、どうして分からないのかな?》

 コンラートに対する大小様々な暗殺計画が試される度、ユーリは哀しそうに呟く。

 心優しいこの魔王陛下の手をどす黒い血で染めないためにも、コンラートは生きるべきなのだと、時々底冷えするほどの目をしてユーリは言う。

「キス、ほらほら」
「はい。陛下」
「お約束お約束。ちゃんと呼んで?名付け親」
「ええ。ユーリ」

 唇を重ねると、昔はこっそりとバレないように注がれていた魔力が遠慮なく流れ込み、若さを保たせるだけでなく、先月の討伐戦で負った矢傷まで治してしまう。

「傷はダメだって言ったのに」
「イッてるからもう突いちゃダメっておれが言っても聞かないくせに」
「…」
「さあ、帰ろう」

 すっかり登った太陽が眩しく愛し子を照らし、淡い産毛を金色に輝かせて頬の輪郭を縁取る。

 目を細めながら、コンラートも頷いた。

「ええ」

 また一年、この方のもとで生きよう。
 特別扱いに多少後ろめたさを感じつつも、それを上回る至福を与える誕生日の逢瀬まで、またあと一年。


おしまい


あとがき



 少年時代の裏切には懸命に耐えたユーリですが、老年期に入ってからやられたら堪らないので、毎年釘を刺してます。
 そして一年に一回誕生日ネタだけ書くというのはやはり難しいので、来年は誕生日ネタじゃないやつでも良いかな。