〜ユーリの誕生を見守った若獅子が、タイムスリップで大きくなったユーリも見守る〜
「言祝ぐ」








 ザザ
 ザザザ…

 初夏の爽やかな風に吹かれながら、セントラルパークに植えられた背の高い木々が梢を揺らす。そんな中、この季節には珍しいほどきっちりとスーツを着こんだ青年が乳母車に近寄っていった。

「無事のご生誕を祝福します」
「あゃあ…ゅふっ?」

 
 あどけない赤ん坊は漆黒の髪を持っていた。
 眞魔国では貴色とされるその色彩に、ウェラー卿コンラートは目を細める。

 何故魔族はこの色が好きなのだろうか?かつて立国の立役者となった軍師がこのような色を纏っていたからだとも聞くが、まるで血潮に刻まれたように穏やかな気持ちになる。

『いや、これはユーリが特別なのか?』

 7月の呼び名と、この季節に産まれたことを言祝ぐ言葉は何故かそのまま子どもの名前となった。予期せずして、コンラートは未来の魔王陛下の名付け親となったのだ。

 そのような縁を持ったからなのか、迷いながらも魂を運んだせいなのか、不思議な感情がコンラートの中に込みあげてくる。

『不思議だ…』

 何故こんなに穏やかな心地でいられるのだろうか?
 ウィンコット卿スザナ・ジュリアの魂によって再生された命など目にしたら、きっと複雑な気持ちがするだろうと思ったのに。

『ああ、これは全く別の命なんだ』

 誰かに口を酸っぱくして説明されても到底納得し得なかったろう事柄が、自然と心に沁みてくる。ジュリアは命がけで精一杯闘い、そして散った。新たな命は確かに彼女のものでもあったけれど、今、完全に新しい存在として生き始めている。

『君はどんな風に育つんだろうね』

 コンラートがいま感じている、何とも言えない親愛の気持ちを、この子が大きくなったときにも持ち続けていられるだろうか?《そうであれば良い》と自然に想える自分が不思議でならなかった。

「ぁゆっ!」

 嬉しそうにコンラートを見つめるユーリは、コンラートに黄色いアヒルのゴム人形を押しつけてきた。

「可愛いですね。見せてくれてありがとうございます」

 丁寧に礼を言って返したのだけど、ユーリは断固としてコンラートに渡したいのか、根負けして預かるまで手渡しを止めなかった。

「ありがとうございます。下さるのですか?」
「ぁうっ!」

 嬉しそうに笑う口のは可愛らしいピンク色で、小さな舌がちゃんと動いていた。

 愛おしい。
 強くそう思ったとき、風が吹いた。

 ザザ
 ザザザ…

 また風が吹く。

 ザ…………っ

 一際強いそこには風が吹き抜けていったとき、コンラートの姿はもうそこには無かった。

『ここは…?』

 眞魔国から地球にやってきたときよりも短かったのか長かったのか…闇の中に星々が散り、それが高速で飛んでいくような景色が流れたかと思うと、また硬い地面に足底が触れてちいさく息をつく。眞王のされることとはいえ、自分の意志によらずどこかに移動させられるという行為には馴れそうにない。

 辺りを見回せば、どうやらアメリカとは違う国のようだ。茶髪の連中もいるが総じて顔立ちはモンゴロイド系で、ちんまりとした目鼻立ちを、若い女の子達は化粧で華やかに見せている。ちらりと見やれば、《きゃー》と黄色い歓声が湧くのは眞魔国の町娘と何ら変わりない。

「もしかして、ニホンだろうか?」

 話には聞いている。ショーマやミコの故郷だ。彼らがアメリカにいるのは一時的なことだと言っていたから、もしかしてかれらが帰国した時系列にいるのか?試しに本屋に入ってカレンダーを確かめると、やはり7年ほど経過しているようだ。しかも偶然か必然か、日付はユーリの誕生日と同じ7月29日だ。

『7年か…』

 眞魔国でも同じ時間が流れていたらどうしようかと少し不安にはなるが、ここまできたら流れに任せるしかない。眞王の気まぐれなのだとしても、どのみち従わなければ故国に戻れないのだから。

『何処に行けば良いんだろうか?』

 何しろ辺りを見回しても殆どが双黒だから、それを頼りに探すのは難しい。ぽてぽてと散歩のノリで歩きながら、ふわんとミルクの香りがするアヒル人形を眺める。腹を押すと《きゅきゅっ!》と楽しげに鳴いた。

 少し腹が減ったなと思うものの、そういえばドル紙幣しか持っていない。換金するにはどこにいけば良いのだろうか?一夜漬けで擦り込んだ情報では《金券ショップ》という単語があったが、街中でそれを上手く探し出せない間に腹が減ってきた。脳内の情報はアメリカ主体なので、日本語で表記された看板だと分からないのだ。英語表記もいくつかあるから根気よく探せばあると思うのだが…。

 《きゅ〜》と情けなく腹を鳴らしていると、足元から声が掛かった。

「○○、○○○○?」
「え?」

 あどけない男の子の声。もしやと思って目を向けると、間違えようもない…まさにあの日セントラルパークで見た子どもがそのまま大きくなって、きょとんとコンラートを見上げている。

 白い半袖シャツと黒い短パン。足元は短い水色の靴下とシューズ、背中には随分と大きく見える革製の鞄をしょっている。日本の小学生が用いる通学鞄《ランドセル》かもしれない。

 ランドセルを《んしょ》と降ろしたユーリは、ビニール袋に包まれたパンを差し出してきた。半分囓っているのを、ランドセルにいれたから随分と潰れてしまっている。

 ぐいぐいと押しつけてくるのは赤ん坊の時と同じだが、7歳といえばかなり物心もついている筈だ。こんなに無防備に初対面の男にパンなど恵んでいては心配になる。

「ダメですよ、陛下。あなたは全てを掴むべき方なのに、俺のような者に恵んだりしていては。おかしな犯罪に巻き込まれないとも限らない」

 変な汗をかきながら切々と語りかけるのだけど、残念ながら擦り込まれた記憶の中に日本語の情報はない。  

パンを受け取って貰えないことが分かるとしょんぼりして、今度はポケットの中から飴玉を一つ取りだして差し出す。
 
 ニコッと笑った顔が可愛すぎて思わず跪いてしまったら、流石に周囲から不審げな眼差しを貰った。いかん。どう考えても職務質問されてしょっ引かれるコースだ。

 大人しく飴玉を受け取ると、ユーリは《バイバイ》と言って手を振る。

 ああ…どうして今、コンラートは何も持っていないのだろうか?今日はあの子の誕生日だというのに!
 自分に持ちうるものは全て捧げたいけれど、せいぜいドル紙幣しか持っていないから、渡したりしたらそれこそユーリが家族の追求を受けるだろう。

 せめて想いを伝えたくて、大切な宝物のように名前を舌の上で転がす。

「ユーリ」
「?」

 どうして名前を知っているのだろうという顔をして、ユーリはくるんと振り返った。
 けれどその顔をはっきりと確かめる前に、コンラートは再び強い風を感じた。



*  *  * 




 草原の向こうから駆けつけてくれた葦毛馬の(元)王子様は、どこか懐かしいような雰囲気を持っていた。
 ただならぬ懐かしさが胸に込みあげてきて、右も左も分からない世界だというのに、何故か有利は落ち着いた気持ちでいた。

 懐かしく思い出しながら、有利はコンラッドの胸板に顔を寄せる。疵だらけの逞しい肉体からは、《とくんとくん》と命の鼓動が聞こえてくる。

 自分の誕生日にかこつけて、つけ込んだみたいで悪いと思ったのだけど、眞魔国で迎える10回目の誕生日に、有利は思いきって《ウェラー卿コンラートを頂戴?》とおねだりして、宰相や王佐、親友の見ている前で平手打ちをした。

 藍色の髪をした宰相は溜息をつきながらも柔らかい眼差しを送り、銀髪の王佐は泡を吹いて昏倒し、金髪の親友は…痛みに堪えるように唇を噛んだけれど、一発兄の腹を殴ってから、《すぐに求婚返しをするのが礼儀だ!》と怒鳴りつけてから執務室を出て行った。

「どうかしましたか?」
「なんでもない」

 触れ合う素肌の温もりに《ほう》っと息をつきながら、有利は瞼を閉じる。優しく触れてくる節くれ立った指は、産まれたときから傍にある毛布みたいに気持ち良くて、落ち着く。

「大好き」
「俺もです」

 優しい眼差しを交わしながら、まだぎこちなさの残るキスをする。
 もっと凄いことだってやったのに、相変わらず心臓が破裂しそうにドキドキする。

「《右に同じ》じゃダメだぜ?ちゃんと言ってくれないと」
「じゃあ、愛してます」
「言葉って大事なんだぞ〜?《じゃあ》もなし!誘導したみたいじゃん」

 我が儘を言う有利に、コンラッドはくすくす笑いながら微笑みかける。
 そしてしっとりと想いを乗せた声を聞かせてくれるのだった。

「ユーリ」
「それは大好きとか愛してるよりおっきい言葉?」
「ええ、俺の宝物です」

 次にしたキスは、さっきよりはちょっぴり恋人らしかった。


おしまい


あとがき



 ぼのぼのとした年の差コンユは楽しいですね〜。
 ちゃっかり最後は恋人風味でしたが、初々しい感じで楽しかったです。