〜ヴォルフと結婚しかけたユーリを浚っていく次男〜
「ぷーからの卒業」






 《ちっちゃいあにうえ。ぽるふ、そのリンゴしゅき。ちょうらい?》
 《ちっちゃいあにうえ。ぼるふ、そのペンしゅき。ちょうらい?》
 
 蜂蜜みたいな金色の髪、ミルクみたいに白い肌、宝石のように蒼く透きとおった瞳。正しくフォンビーレフェルト卿ヴォルフラムは天使だった。それも、成人を迎える前の10代前半の時期など、天から雲に乗って遊びに来た尊い存在にしか見えなかった。

 たとえ純粋さゆえの強欲を示しても、大概のことならコンラートは応じた。たとえそれが最後の愉しみに残しておいたウサたん林檎であっても、父から譲り受けた大切なペンであっても渡したし、その林檎が無惨にガジガジされたあとで、《しゅっぱい。ぺっ》と吐き出されようが、ペンで剣戟ごっこをされた挙げ句、先を修復不能なまでに破損されても少ししょんぼりするくらいだった。

 おまけに、ヴォルフラムが《ちっちゃいあにうえ、ごめんなさい》と大粒の瞳いっぱいに涙を湛えて謝ったりすれば、にっこりと微笑んで頭を撫でてやった。
 《いいんだよ、ヴォルフ》《悪気は無かったんだよね?》

 そう、弟に悪気はない。
 基本的に真っ直ぐな気質だからだ。

 本当に羨ましいほどに真っ直ぐで己を偽ることがなく、好きなものは誰の前であっても好きと言えたし、嫌いなものも同様だった。

 《貴様を二度と兄上だなどと呼ぶことはないっ!》

 伯父に何やら言い含められた弟が真正面からそう叩きつけてきたときも、言葉の痛みにただ耐えて、《あれほど愛してやったのに》と詰るようなことはしなかった。

 だから、今もコンラートは耐えるべきなのだろう。

「ユーリ。貴様もとうとう寝具の納め時だぞっ!」

 《猊下に教わった》という慣用句が明らかに間違っていることより、主たる発言内容にガツンと側頭部を殴打されたような気がした。前々から主君に言い寄っていたのは知っていたはずなのに、心の何処かで《いつまでもこのまま》という幻想を抱いていたのはコンラートだけだったらしい。ヴォルフラムはいつの間にか焦れ、そして大人になっていき、欲しいものを得るために政治力を使うことを覚えた。

 十貴族…ことに、実家のビーレフェルト家の力を最大限に使って、よりにもよって十貴族会議の議題に、いつまでも身を固めないユーリに、妻帯なり夫帯させよという案件を持ち出してきたらしい。
 そして当然、その相手には元婚約者足るヴォルフラムが相応しいという話に向かうよう、他家にも根回しをしていた。

 一時自ら婚約を解消したとはいえ、あれは一時の気の迷いだから仕方ないというのだが、そもそも最初の婚約とやらだとて、ユーリが眞魔国の風習を知らずに平手打ちをしただけだ。しかもその時の切っ掛けというのが、ユーリの母ミコを最低の言葉で罵倒するという、紳士として恥ずべき行為であったことを、弟はおそらくまるっと忘れているのだろう。
 良くも悪くも、ポジティブシンキングだから。

 十貴族ではないが、ユーリの護衛としてその場にいることを赦されているという立場のコンラートには、発言権などあろうはずもない。なにしろ席すら与えられていないのだから、《同席している》と言うことも出来ないのだ。

 固唾を呑んで見守る人々の中で、ユーリは最初の内きょとんとしていたが、どうやら今回こそはヴォルフラムが本気であることを察すると、困ったようにぼりぼりと頭を掻いた。魔王になってから20年ほどが経過しているが、容姿も容儀もあまり昔と変わっていない。少し顎のラインがシャープになって、背中まで伸びた髪を一本に括ってる程度しか違いはない。
 グウェンダルはそのことを嘆くが、コンラートにとってはそれが支えだった。

「えー、ヤダよ。ヴォルフのことは好きだけどさ?野郎同士で結婚とかしょっぱいじゃん」
「では陛下、女性の方が良いと仰るので?」
「フツーそうだろうよ。前々から思ってたんだけど、なんで真っ先に男出してくるかな」「人間世界と異なり、必ずしも子種を残す必要がないからです」
「だったら余計にほっとけって話だ」
「しかし、いつまでも魔王が独り身というのは…」
「宰相だって独り身じゃん。つか、前魔王陛下の息子全員独身貴族だぜ?」
「独身貴族という肩書きは無い」
「そういう意味じゃなくてェ〜」

 地球的用語を説明するのも面倒くさいのか、ユーリはぐったりした様子で椅子に凭れる。言語のことがなくとも、価値観の違う者と意思疎通をはかる面倒さに辟易しているだろう。
 国政に関してはここ20年で随分とユーリの意志が通じるようになったが、私的な部分では逆に寛容さが感じられないのか。

『貴族…か。《卿》はついても、《フォン》の称号がつかないだけで大きな違いだな』

 久し振りに突きつけられた現実に、苦笑しか浮かばない。目尻には微かな皺の存在さえ感じられた。魔力を持たないコンラートは、人間に比べれば緩やかなものの、魔力の強いユーリに比べれば着実に加齢の速度が速い。そして、吹けば飛ぶよな地位のこの身では、魔王陛下との婚姻など最初から話にならないレベルとして扱われる。

 混血であるということは、それだけで大きな差別に直面することになる。
 たとえ前魔王の嫡男であっても、それは何ら変わらないのだ。

「コンラッド、顔色悪いよ?」

 軍服の裾をちょいちょいと引っ張って、心配そうにユーリが覗き込む。そんな優しい目をしないで欲しい。《結婚なんかしないで下さい》と縋りたくなってしまう。
 
『いっそ、ユーリを連れて逃げられたら…』

 逃げるとしたら地球か。
 泣いて縋って、自殺をほのめかすようにして脅せば可能かもしれない。

 だが、猊下がそれを赦すとは思えないし、ユーリだってやっと落ち着いてきたとはいえ、未だ根強い国内の混血差別、国外の人間社会との繋がりを放棄してまで、ずっとコンラートと逃げてくれるとは思えない。きっと一度は逃げ出しても、眞魔国が危機に陥っていると聞けば戻ってしまうだろう。いや、それが人間世界のことであってもそうか。

『あなたは…王だ』

 眞魔国の魔王と言うだけではない。罪なき者が足蹴にされ、不条理な苦しみの顎(あぎと)に捕らえられているとき、真っ直ぐな義侠心によってそれを正そうとする。一朝一夕にできるようなことではなくとも、つまずき、転んで壁にぶつかっても、投げ出すことなく進んでいく人だ。

 だからこそ愛しているのだ。
 誕生の瞬間から今日まで。

『そうだ。誰と結婚しようが、ユーリはユーリだ』

 肉体的に弟と結びついたところで、ユーリが名付け親として慕うコンラートを護衛の任から解くとは思えない。ヴォルフラムだって解任の要求など出さないだろう。そうできないだけの実績を、コンラートは積み重ねてきた。

 そうだ。どんな淫らな夜を二人で過ごすのだとしても…。

「……っ…」

 ギリ…っと噛みしめた咥内に、鉄の味が滲む。
 理性でどれほど言い聞かせようとしても、込みあげる怒りと絶望感を逸らすことは困難だった。

『何故…』

 どうして指先がみっともなく震えてしまうのだろうか?
 ヴォルフラムに何を奪われても、いつだって《しょうがない》と済ませてきたのに。
 ユーリの全てを完全に奪われて、二度と会えなくされるわけではないのに。
 ただ、二人かわす眼差しが誰よりも甘くなるというだけで、あの澄んだ瞳を抉りだして踏みにじりたくなる。

『ゴメンよ、ヴォルフ。俺はお前を憎んでしまいそうだ』

 いけない。こんな感情は潰してしまわなくてはならない。そうでなければ、コンラートは自分自身を殺すしかなくなってしまう。

 けれど…。

 《死ぬことは赦さない…っ!》泣きながらしがみついてきたユーリの叫びが蘇る。シマロンでの離反を責めることなく、ただ傍にいてくれと泣いたユーリの願いを、コンラートは二度と踏みにじってはならないのだ。

『死ぬこともできないのか、俺は』

 離れることも同様だろう。きっとユーリは地の果てまで逃げても追いかけてきて、取り戻そうとするだろう。あくまで名付け親として、親友としての執着ではあろうけれども。

「ええいっ!ユーリっ!うだうだ言ってないで腹を括れっ!どうせ愛している奴なんていないのなら、僕と連れ合ってくれたって良いだろう!?見合い結婚で結ばれた夫婦などは、相手のことが良く分からなくて結婚しても、添えば愛着が湧くと言っているぞ?」
「そんなテキトーな結婚なんかできるかよ」
「こんなに長年にわたって愛を告げ続けているののどこが適当だっ!」
「あー、もう良いよ。分かったよ!」

 心臓が砕けてしまえば良いのに。
 脳が一瞬にして蒸発してしまえば良いのに。
 
 面倒くささが高じて、流されようとしているユーリに、憎悪を抱くようなウェラー卿コンラートなどこの世に存在してはいけないのだから。

 不意に腕を強く掴まれた。
 席の近いフォンヴォルテール卿グウェンダルが眼差しを送っている。
 《落ち着け》《信じろ》微かに動いた唇はそれだけを伝えて、また視線を魔王陛下に戻す。

「ようやく決断したか!」
「結婚するよ。だけど、ヴォルフとじゃないかもね。もうじき俺の誕生日が来る。その日までに俺を惚れさせてくれる人が現れたら、どんな身分の奴で、性別がどうでもそいつと結婚するよ。血盟城に呼んで、みんなが見てる前で思いっ切り平手打ちして派手に求婚してやる」
「なっ!?」
「自信ないの?」
「な…無いわけないっ!」

 ニヤリと笑う顔は魔王になりたての頃には見られなかった、どこか余裕のある表情だった。

「その代わり、今年の誕生日まで誰も俺を惚れさせてくれなかったら、少なくともヴォルフは二度と俺に結婚だのなんだの言ってくるなよ?誓約書もここで取る。証人は十貴族だから、信頼性もばっちりだ」
「誓約書くらい何枚でも書いてやるっ!」

 売り言葉に買い言葉で、熱くなりやすい弟は勢いのまま誓約書を書き殴った。本人の拇印と、十貴族当主全てのサインが入った本格的なものだ。

「さぁ、楽しみだな〜。誰が俺を惚れさせてくれるのかな?」

 にんまりと微笑む魔王陛下は、恐ろしいほどに美しかった。
 魅入られたような心地のコンラートは、護衛という役割も忘れて、どこか浮ついた足取りで部屋まで送ってしまったほどだ。
 何とか口をきけたのは、香気豊かな紅茶をユーリの為に注いでいる最中だった。

「本気ですか?」
「結婚のこと?そりゃもう、至って本気だよ。俺も誓約書かいたろ?」
「はは、陛下もお人が悪い。《惚れた》なんて主観的な条件であのような約束をかわすなんて。ヴォルフも可哀想に」
「ナニ言ってんだよ。ヴォルフがホントに俺を惚れさせてくれたらちゃんと結婚するぜ?」
「…っ!」

 《カチャンっ!》と鋭い音を立てて、茶器をぶつけてしまう。貴重な年代物の陶器が悲鳴を上げているようだった。

「ヴォルフ以外にも、俺って一応モテてるらしいし?別に相手は男とも言ってないじゃん。もしかして、凄い可愛い女の子が颯爽と現れて俺を浚っていくかもよ?」
「そう…でしょうか。アニシナとか?」
「ああ、アニシナさんに本気で迫られたら逃げ切れる自信ないな〜」

 おかしそうにケラケラと笑うユーリが、急に知らない男のように思えて背筋を冷たいものが伝っていく。
 上手い切り返しをすることもできず、ただ静かにカップを差し出すコンラートをどう思っているのか、ユーリは不思議なほど優しい眼差しを浮かべていた。

「…ホント、素敵な人が現れると良いな」
「そうですね。あなたを惚れさせるほどなら、きっと素晴らしい者なのでしょうね」

 喉がカラカラに乾いて、響きが売りの筈の声が掠れているように感じる。コンラートも紅茶を飲んだ方が良いのかも知れない。

「現れるって、信じてる」

 何故そんな瞳でコンラートを見つめるのだろうか。
 優しいような切ないような…笑っているような泣いているような。
 昔は見ることの無かった複雑な感情が、漆黒の瞳に陰影をもたらしていた。



*  *  * 




 《魔王陛下が聖誕祭にて婚姻相手を決定!》
 《相手の性別、身分、純血・混血も問わずっ!》
 《条件はただ一つ、誕生日までに魔王陛下に惚れていただくことっ!!》

 シンニチの一面は翌日からこの噂で持ちきりだった。連日何処の誰兵衛が陛下に百万本の薔薇を送って《百万本の〜薔薇の〜はーなーを♪》と歌を賜ったとか、剣の腕前を披露しようと城下で百人斬りをやろうとして、《己の利益のために罪なき者を傷つけるとは何事か!》と上様化した陛下にボコボコにされたとか、様々な噂が飛び交った。

 今のところ飛び入りの求婚者でめぼしい者は現れておらず、やはり相手として最有力なのはフォンビーレフェルト卿ヴォルフラムと目されている。肩書きとしてはフォンヴォルテール卿グウェンダルとて引けは取らないし、ある意味では陛下の信頼も篤いのだが、本人が早々に《そのような気はない》とすげなくシンニチの取材を蹴散らしている。

 実のところ、一部では護衛として傍にいるウェラー卿コンラートを押す声もあるのだか、それはやはり混血の間で囁かれている噂に過ぎない。ウェラー卿が弟を溺愛しているというのは有名な話だから、彼を押しのけてまで無理な恋を叶えようなどと願うまいとの談話が、どの評論家の口からも出ている。

 そんな噂を聞き、記事を目にする度に、グリエ・ヨザックとしては《バカどもめ》と罵りたくなるのだった。

『一番のバカはなんつっても、この期に及んで求愛行動を採らない隊長だけどね〜』

 口惜しいったらありゃしない。
 あの男ときたら何でも出来るくせして、幸せになることだけは下手なのだ。至近距離からあの美声で掻き口説き、銀の光彩が散る瞳でじっと見つめれば誰だって必ず心を動かすだろうに。

『第一、相手坊ちゃんじゃんよ』

 世間の連中はよほど目が節穴なのだろうか?どこからどの角度で見たって、魔王陛下がコンラートを愛しているのは丸分かりだと思うのだが。

『隊長さえ前向きに検討してくれりゃあ、眞魔国に戻った段階でゴールインしてたっておかしくないっての』

 向こう見ずな陛下が珍しくもコンラートのことだけは遠慮がちなのは、やはり弟が自分を切望していることを知っているからだろう。もし二人が両思いで、うっかり情を通じたりした日には、《ヴォルフに申し訳ない》と苦悩したコンラートが再び出奔しかねないからだ。
 だからぬるま湯に浸ったような、あの関係を続けていた。
 誰も傷つかず、その代わり誰も真に幸福にはなれない、痛みを帯びた微睡みの日々だ。
 
  導火線に火を付けたのはヴォルフラムだが、乗っていった陛下もまた限界だったのかも知れない。万に一つの可能性にかけて、大博打に出たのだ。

『応えてやれよ、隊長』

 いつにない緊張感に包まれた血盟城での聖誕祭を、天井の隙間から覗きながらヨザックは願う。
 彼にとって一番を争う者同士が、二人して本当の幸福を手に入れることを。



*  *  * 




『コンラッドが動いてくれなかったら、俺が勝負に出よう』

 満座の人々の前ではっきりと宣言しよう。
 コンラッドの頬を思いっ切り叩き、《第27代魔王渋谷有利が愛するのは、ウェラー卿コンラート唯一人》と宣言しよう。
 
『コンラートコンラートコンラート…うん、大丈夫。噛まない噛まない』

 魔法の呪文のように唱えて深呼吸を繰り返す。
 覚悟は決めた。あとは決行するだけだ。

『コンラッドは俺とヴォルフ、どっちを取るのかな』

 これまでも、何度だって試みようとはした。けれどその度に暖かな鎖に繋ぎ止められて、決定的な一歩を踏み出すことが出来なかった。

 けれどヴォルフラムが十貴族を動かして勝負を決めようとしてきたとき、やっと有利にも決意ができた。
 たとえこれから先、あの兄弟達とぎこちない関係になったり、コンラッドが離れていくかも知れないのだとしても、決定的な楔を打とうと。

 一番の幸せか一番の不幸か、どちらが訪れるのか分からないのだとしても。

「人生ってそういうもんだ」

 《バサっ》と真紅のマントを勢いよく羽織ると、靴音を高らかに響かせて駆け出す。
 場面は9回裏、1点差で勝っている試合。組む相手は優秀なピッチャーだが、いざという局面で意外と《蚤の心臓》ぶりを発揮するコンラッド。敵は豪華なラインナップの打者陣だ。

「しまっていこう…っ!」 

 扉を開けてそう叫ぶ有利だったが、護衛たるコンラッドの姿が見えない。代わりにいたのは、ひらりと手を振るグリエ・ヨザックだった。珍しくきっちりと襟元までとめて、ヴォルテール軍服を着ている。

 それが何を暗示しているのか…。有利は期待と不安に胸を震わせた。

「坊ちゃん、行きましょうか」
「う…うん」

 ヨザックと共に大広間に向かった有利は、観音開きの扉を開放されて入っていくなり、怒号にも似た歓声に包まれた。

「魔王陛下のおなーり〜っ!」

 《時代劇かい》と突っ込みたくなるようなふれ込みが掛かると、人々は一斉に瞳を輝かせ…というか、ギラつかせた。

『おお…気合い入ってんなぁ…』

 見るからに服装が2割り増し派手だし、中にはドーランを塗って肌を綺麗に見せようとしている者もいる。何しろ《有利を惚れさせる》ことで王婿になれるのだから、元々想いを持っていた者もそうでないものも、一か八かで勝負に出るつもりらしい。しかも、誰もが軽く素振りをしている。どうやら派手に求婚しようとしているらしい。

『え…ちょっ!待って…っ!あの人拙いって!!あの手で叩かれたら即死だよ!?』

 《ひっ》と息を呑んで見守ったのは、かなり屈強な肉体をした…女性だった。北○の拳かジョジョの奇○な冒険辺りに登場する男キャラを無理矢理にょた化したような風情で、おっぱいというより胸筋としか表現しようとのない胸板が、薄いピンク色のドレスからはち切れそうだ。ふわりとしたスズランのような袖口から覗く腕は、まるでしめ縄のように筋溝が隆々としており、手など有利の頭を片手で掴んでプランとぶら下げることも可能に思われる。

 《ブゥンッ!ブゥンッ!》と素振りの度に凄まじい音がして、まるで場外ホームランも打てちゃう外国人バッターの素振りのようだ。

「グリ江ちゃん…あ、あのピンクの人って…」
「あー……凄いですね。良い筋肉。羨ましいですねぇ」
「いやいやいや突っ込むのソコじゃないよっ!」
「あの方はアドヴァント皇国の皇女グラディウス姫、じゃないですか?直前まで王が来られることになってたんですけど、坊ちゃんの結婚話を聞きつけて急遽姫様が来られることになったみたいですね」
「お姫様がなんであんな逞しいんだよ!?」
「あらヤダ。姫差別ぅ〜。アニシナちゃんに怒られちゃうんだから!」
「グリ江ちゃんの方がよっぽど乙女に見え…ひっ!」

 言っている間にも、予想外の俊敏さを誇るグラディウス姫はいつのまにか至近距離に近づいており、脇を絞って抉り込むように打つべし!とばかりに強烈な平手をぶちかまそうとしてくる。
 直撃したら頭部中のあらゆる孔から脳漿が飛び散りそうだ。

 それって求婚というより、公然たる暗殺では?

「魔王陛下…お覚悟っ!」
「ひっ」
「陛下…っ!」

 ふわりと身体が浮く。
 かなり情けない悲鳴を上げた有利を寸前で救ったのは、初めて血盟城にやってきた時と同じ、白い軍服に身を固めたコンラッドだった。
 彼は唸るような声を上げると、ギリギリと切れそうな眼光をヨザックに叩きつける。

「何をやってるヨザ!」
「だって今日は坊ちゃんに求婚する気満々の人達が襲いかかって良い日でしょ?俺の力で逃がしたりしたら恨まれるじゃん」
「限度があるだろう!グラディウス姫は正拳突きでコッコアポ牛を一撃で倒したという伝説の持ち主だぞ!?」

 グラディウス姫は《やだ、お恥ずかしい》と重低音で恥じらう。
 いや、そこは普通恥じらうトコじゃない。コッコアポ牛といえば凶暴な野生種の牛で、肉は最高級だが巨大な体躯と鋭い角を持ち、《狩人殺し》と呼ばれる牛ではないか。刀を使っても3人がかりで追い込むという牛を一撃で屠る姫に叩かれたら、やっぱり無事じゃないだろう。

「コンラッド〜っ!」
「えいっ!」

 ぺちっ。

「あーーーーっっ!!」

 完全に出遅れたヴォルフラムが3m先で叫んでいる。
 有利も何が起こったのか分からずに、きょとんと目を見開いてコンラッドを見詰めた。

「コンラッド…」
「愛していると…言って良いですか?陛下…いえ、ユーリ」

 軽い力ではあったけれど、有利の頬は確かにコンラッドの手で叩かれた。



*  *  *




 直前までコンラッドは葛藤している様子だった。
 護衛を主に無断で幼馴染みに変える手続きをしていたのも、迷いの現れだろう。

 きっちり一級正装に身を包みながらも、やる気満々なヴォルフラムの姿を遠目に見るにつけ、《やっぱりダメだ》という顔をしていた。弟が落胆し、絶縁状を叩きつける様子を思い描くだけで心が萎えていたのだろう。

 それが弟に先立って告白するに至ったのは、ひとえにグラディウス姫のおかげと言って良い。

 彼女は最初、コンラッドを熱く見詰めていた。おそらく、元々ユーリ狙いではなくコンラッドに恋情を持っていたのだろう。
 《ウェラー卿ったら。恋に奥手な男は可愛いけれど、待っている身としては辛いものですわよ》…極めてダンディーな低音で囁いたのを。ヨザックは読唇術で読み取っていた。

 そしてユーリ襲撃に失敗したはずの彼女は、告白を成し遂げたコンラッドを満足げに見守っている。せり出した眉の下にある鋭い形状の瞳にも、どこか優しい光りが宿っているようだった。

『あなたこそ、乙女であり真の漢(をとこ)だぜ』

 ビッと親指を立ててウインクしてみせれば、扇子で口元を覆いながらグラディウス姫は《くっくっくっ》と笑った。
 


*  *  *





「クソ…っ!ユーリを不幸にしたら、赦さないからなっ!」
「ヴォルフ…」

 どうやらコンラートは弟の男気を過小評価していたらしい。
 全てがコンラートの為のお膳立てだとは思わないし、彼自身あわよくばユーリの心をと言う想いもあったには違いない。だが、こうしてコンラートが先んじて告白に成功したのを確認すると、驚くほど潔く退いたのだった。 

「コンラッド…愛してるよっ!」

 《べしっ!》若干強めに叩かれたのは、いつまでも弟の背中を見送っていた為だろうか。

「求婚成立!」
「ユーリ陛下とウェラー卿コンラート閣下の相互求婚成立ーっっ!!」

 あまりにも早い幕切れに、一縷の望みを掛けて参加してきた連中は一斉に自棄酒を飲み出し、宴はやや節度を欠いた乱痴気騒ぎへと移行していった。普段は眠りの早いヴォルフラムさえ、頭にネクタイならぬレースを巻いて、ワイン瓶片手に大暴れしていた。
 その姿は貴公子然とした普段の姿からは懸け離れているが、どこか雄々しくもあった。

「コンラートぉおおお……っ!取りあえず殴らせろぉーっっ!!」

 雄々しすぎるのと酒で理性がぶち切れた結果か、怒りのあまり拳と共に炎の虎をけしかけてきたのはやりすぎだが。

「ユーリ、そろそろ逃げましょうか?」
「おうっ!」

 足並み揃えてすたこらさっさ。
 満開の笑顔で出来たてのカップルは逃走するのだった。



おしまい



あとがき


 どうも今回のお誕生日企画は次男がヘタレで、ユーリがグイグイ押してくる傾向に偏ってます。
 大勢集まる企画モノパーティーにごつい姫が現れるのは相変わらずのたぬき缶クオリティですが。