〜青空とナイフシリーズで、誕生日祝いで名誉挽回〜
「リベンジ」









 コンラート・ウェラーは何についてもそつなく、ソフィスケートされた男である。
 その彼が何故か主人である渋谷有利の、16歳の誕生日を忘れるという失態をしでかしたのだから、それは当人にだけ大きなトラウマとなって残ることとなった。

 実際には誕生日と関係なく、河川敷の野球場で練習できるよう防衛計画を整え、練習を再開できた日が丁度7月29日だったから良かったようなものの、そうでなければ何も贈れないところだった。
 それでもバカ正直に《別にこれは知ってて用意したものではありません》と明かしてしまったのだけど、《他にもいっぱい貰ってるよ》と有利は笑ってくれた。

 それでも気にし続けているコンラートの様子を気に掛けた有利は、《じゃあ》とコンラートの髪に指を差し入れ、しゃくしゃくと掻き混ぜることで満足してしまった。

 安上がりすぎる恋人はとても可愛いと思うが、コンラートとしては納得のいかない誕生日であったのは間違いない。

 そうなると、17歳の誕生日になにかしないではいられない。
 半年前くらいから意識を持ち続けていたのだが…。

「コンラッド、秋津さんが誕生日のお祝いしてくれるって言うんだけど…。一緒に行ってくれる?」
「ほう」

 ぴくりとこめかみに血管が浮く。
 秋津玲治といえば、ゲイであることを隠しもしない某社の社長だ。タイ焼きを奢って貰った縁で有利を気に入った彼は、それからも何かとちょっかいを出してくる。

『しまった。もっと早めに計画を伝えておくべきだったか』

 内心《チッ》と舌打ちする。
 有利の舌に特に合う料理人と食材を用意して二人きりで過ごせるよう計画していたのだが、変なところで義理堅いコンラートは、先にアポイントメントを取った秋津にキャンセルを出させてまで有利を行かせないという選択肢を取らなかった。

「分かりました。お招きに預かりましょう」

 こうなったらプレゼントで加点を目指そう。
 有利と言えば野球。それも、白いライオンをキャラクターとするチームがご贔屓で、引退しているが、かつて27番を背負っていた選手が大好きだという話だ。独自のネットワークを駆使して入手した、サイン入りユニフォームとグローブを渡せば狂喜乱舞するはずだろう。

 …と、思っていたのだが…。

『やられた…っ!』

 秋津の情報網を侮っていた。
 一体どこで聞きつけたものやら、秋津は天然芝の野球場を貸し切って立食パーティーにし、そこに有利が尊敬してやまない元野球選手を招いたのである。呼んでいた料理人のレベルも高かったが、既にこのシチュエーションだけで有利は有頂天になっており、目をハートにして殆どの時間をキャッチボールに費やしてしまった。
 
『本人を出されたらどうにもならないな』

 《ふぅっ》と小さく溜息をついて、肩を竦める。このタイミングでユニフォームとグローブなんて、恥ずかしくてとても渡せやしない。
 誕生日でもなんでも無いときに、偶然手に入ったという顔をしてさり気なく渡すか?いや、それではまるで秋津のパフォーマンスで初めて有利の趣味を知ったみたいで口惜しい。

『どうしてこう、後手後手に回ってしまうのか』

 コンラートともあろうものが、少年の関心を買いたいなんて柄にもないことを考えたせいだろうか。

『あの子を前にすると、必ずといっていいほどペースを乱されてしまう』

 さて、誕生日プレゼントはどうしたものだろうか?
 この時間から気の利いた贈り物を探すのは至難の業だろう。だが、去年に引き続き《髪をくしゃくしゃする》とか、《好きなだけハグをする》なんて子供だましな贈り物でお茶濁すのはコンラートのプライドが赦さない。

『考えろ、コンラート・ウェラー…っ!全身全霊を込めて、気の利いたプレゼントを…っ!』

 かつて《氷の刃》と呼ばれ、言い寄る雇い主を冷淡な眼差し一閃で斬り捨ててきた男は今、17歳になったばかりの少年を喜ばせるために、卓越した頭脳の全てを使って思考していた。 



*  *  * 




「ユーリ、受け取って頂けますか?」

 


「え?なになに?」

 《わふっ!》と駆け寄るようにして両手を差し出してきたのは、コンラッドがプレゼントをくれるかどうかが気になってしょうがなかったからだ。去年はお馴染みの河川敷グラウンドで野球が出来るように手配してくれたことと、髪を好きなだけくしゃくしゃすることで十分に満足したのだけど、実はちょっとだけ寂しかった点がある。それは、コンラッドが有利の誕生日を忘れていたということだ。

『恋人って言ってくれることもあるけど、そういう時っていつも軽く自嘲するみたいな顔するもんな〜』

 こんな子どもの相手をしていることはコンラッドにとって、やはり不本意なことではあるのだろう。そのせいなのかなんなのか、有利の誕生日を失念していたという事実がやはり寂しかった。

『でも、今年は用意しててくれたんだ!』

 嬉しくて嬉しくて、渡された小さな箱を試すがめす角度を変えて覗き込む。包み紙は綺麗なペールブルーだけど、ロゴらしきものは書かれていないからどういう贈り物なのか察することは出来ない。

 まあ、有利に分かるようなロゴ自体あまりないのだけど…。(←ナ○キとかピ○ーマならなんとか)

「開けても良い?」
「ええ、どうぞ」

 紙をビリビリに破くのも躊躇われて、珍しくセロテープを丁寧に剥がして箱を開けてみる。すると、中から出てきたのは鎖を繋いだ指輪だった。プラチナの地に蒼い流水紋様が刻まれた指輪はしかし、少し有利の指には大きいようだ。
 しかしよく見るとこの指輪、新品ではない。使い込まれた痕跡とどこか記憶に残る形状に、有利は目を見張った。

「これって…」
「俺が産まれた時に贈られた、護り指輪です」
「大事なもんじゃないの!?」
「大事だから、差し上げたいのです」

 声の響きと眼差しに、キューンと胸が高鳴ってしまう。

「永久にあなたの傍に俺という存在がいられるように、敢えてサイズは変えませんでした」

 コンラートの首筋がしなやかに傾けられ、優美な微笑と共に有利の心を止めどなくキュンキュンさせる。
 危ない。このまま30分程度刺激を受け続けたら心筋梗塞になる。

「身につけていて…頂けますか?」
「わ…う、うんうんっ!」

 こくこくと頷いて首に掛けようとすると、スッと伸ばされた形良い指が留め具を外して掛けてくれる。鏡を覗き込みながら、ドキドキして指輪の輝きを見つめた。

「なんか、照れちゃう。俺がアクセサリーなんてさ」
「とてもお似合いだ。大人になったらきっと、指に填めることもできますよ。その時は、左の薬指に填めて頂けますか?」
「…っ!」

 その指の持つ意味は、幾ら世情に疎い有利だって知っている。

「それって…っ!」
「覚悟しておいて下さいね。填めたら最後、あなたは俺から離れられなくなりますよ?金ではなく、魂の契約になりますからね」
「そんなの、今だってもう離れられないしっ!」

 鎖を外して、ブカブカでも良いから指輪に填めてみようと思うのだけど、コンラッドはくすくす笑いながら指を添えて止める。

「成長なさい、ユーリ。いずれあなたに跪き、俺が本当の意味で指輪を捧げるその日まで。今は、そう…婚約みたいなものかな?」
「あ〜ん。今はまだ捧げてくれないの?コンラッドのいけずっ!」
「まだあなたは子どもですからね」
「子どもにセックスはするくせに!」
「セックスで大人になったつもりなのが子どもの証拠です」

 かぷっと鼻面を噛まれて微笑まれると、やっぱりコンラッドのペースに乗せられてしまう。

「早く大人になりたい。あんたの全部が欲しいなんて我が儘言わないけど、ちゃんと相手にして欲しい」
「ふふ。ここまで心を持っていって何を仰るやら」
「そんなこと言って、指輪も填めてくれないのにっ!」
「それはそれ、これはこれです。ほんの少しだけ俺にも余裕を下さいよ」

 そう言って有利を寝台に沈めると、後はいつものペースで溺れさせられてしまうのだった。



*  *  * 




『苦し紛れにしてはまずまずだったが…』

 有利が喜んでくれて重畳ではあるが、そのせいではっきり形にして示す気など無かった執着を明かしてしまった。
 くったりと力尽きたような少年の身体を抱き寄せながら、その首にかかる指輪を眺めた。

 これがコンラートが生まれた日に、亡き父から譲られた指輪であるのは本当のことだ。
 やはりコンラートも《いつかこの指輪を填められる日が来たら、お前も一人前だ》と言われて首に掛けていた。

 少年だったコンラートの目の前で父が凄絶な死を遂げたため、結局その判定を出されることはなかったけれど、成長したコンラートは自らの判断で指輪を填めた。それに足る男になったと信じてのことだったけれど、やはり一瞬胸が痛むのを感じた。
 父が男臭い顔をくしゃくしゃにして笑いながら、《お前がこの指輪を填める日が来たか!》と笑って欲しかった。そんな思いは弱さの証拠だとすぐ振り払っていたけれど、今になって強く思い出す。

『ユーリ。いつかあなたにこの指輪を填めるのが、俺であるかどうか…自信がないと言ったらあなたは泣くだろうか?』

 いや、寧ろ怒るか。
 大粒の瞳を涙で濡らしながらも、強い眼差しで《そんなのは赦さない》と叫ぶだろうか。

 長く刹那的な生き方をしていたコンラートには、どうにも《それから二人は、いつまでも幸せに暮らしましたとさ》というお伽噺のような人生の終わりを想像出来ない。ほんの一瞬の隙を突いて、命が奪われる現実を身に染みて知っているからだ。

『なのに、追いつめられた結果とはいえ…あなたと未来を共にするなんてことを、形にして約束してしまった』

 恋人として、秋津よりももっと喜ばせたいというプライドもあったろうが、奥底にはコンラート自身の秘めたる願いも反映されている気がする。
 しかも指輪を填めてしまうのではなくて、先延ばしにしてしまう辺りが我ながら姑息だ。いつか有利の指に填めてやる日を、コンラートは心の何処かで待っているのだろう。

『俺は君と、《いつまでも幸せに》なんて未来を過ごしたいと、どこか本気で思っているらしいよ。本来、こんな暢気な考え方をする男じゃなかったんだけどね』

 有利が深く眠っていて良かった。
 こんな顔、とても見せられやしない。

 そう思って顔の下半分を撫でていたのだけれど、ふと鼻先を気まぐれな妖精にでも擽られたみたいに、有利は《ふくぅん》と喉奥から声を出して瞼を開いた。
 ぽんやりとした寝ぼけ顔ながら、照れと羞恥が入り交じるコンラートの表情を目にしたらしい有利は、嬉しそうににっこりと微笑んだ。

「コンラッド…かわいい顔してる」
「…君に言われる日が来るとはね」
「だって、かわいい。嬉しそうで…でも、ちょっと寂しそう。ふふ…抱きしめてあげたくなっちゃう。」
「そうして下さい」
「ありゃ。今日は意地悪言わないの?」
「誕生日くらいはね」

 カチリと時計が音を立てて日付が変わったことを知らせるけれど、甘いキスは誕生日が終わっても続いていた。


おしまい


あとがき



 元々がリクエストから発生しているせいか、うちの次男にしては珍しい、有利に対してもツンデレな次男。あまりにも変わっているので、どういう性格設定だったか続編を書く度に読み返すハメになってます。

 大きな事件が起こりそうで起こらないこのシリーズ。
 起こらない理由はハードボイルドな展開をとんと思いつかないせいだったりしますが、日常話が結構楽しいので今後もやっぱり大きな事件は起きそうにありません。

 コンラッドが一人で悲壮感を醸し出してますけどね(笑)
 このまま何の緊迫感もなく共白髪までいったら、それはそれでコンラッドが「こんなに筈では」とか言い出しそう。