〜お忍び誕生日、民に正体バレ〜 街角には黒い髪と瞳をして、黒い衣装に身を包み、肩から緋色のマントを羽織った少年のお人形が並んでいる。 木に彫りつけてペンキを塗ったものが多かったが、陶器や、青銅で彫像したものもちらほらと見える。頭にはちょこんと王冠が載っているが、これは思い思いの想像でつくっているのか、お誕生日会の紙飾りレベルから、見事な細工物までさまざまだった。 最初にこれが並んだ年には、《誕生日が終わったら纏めて燃やされるのかな…》と不安になったものだが、そんな畏れ多いことは誰もしなかったらしい。ひな人形のようにちゃんとしまっておいて、毎年この日が近づくと家の前に出して丁寧に清め、飾り付けてくれる。 第27代魔王ユーリ陛下のお誕生月7月に入るとぽつぽつ出してくる家庭が増え、やがて街中にお祝いの文章を書き付けたカリグラフィーや、お祝いの旗が増えていく。 元々誕生日という習慣は魔族の中ではあまり流布していなかったのだが、フォンクライスト卿ギュンターが毎年派手にお祝いするようになってから、市民の中にも浸透していった。 決して国の側から飾るよう指示をしたことなど無いのだけれど、まるでクリスマスを待ち侘びるように子ども達までが嬉しそうにしている。 こんなにわくわくしながら待たれたら、ユーリの方だって何かしら返したくなるものではないか。 当日の夜には国内外の貴賓を集めて宴を開かなくてはならないが、日中には街一番の大広場に自腹で屋台を組んでもらい、《大感謝祭》と称して女性と子ども達にお菓子を配るようになった。 特にアニシナの作った魔導装置は大好評で、機械から飛びだしてくる氷菓子をみんな歓声をあげて追いかけた。暑い夏の陽射しを浴びながらキラキラと光る氷菓子はまるで宝石みたいで、女の子達は手にしたそれをしげしげと眺めてしまい、熔けそうになって慌てて口の中に入れるのが常だった。 夜になると屋台には酒が並び、大人の男達が寄ってくる。こちらは際限なく飲まれては困るので一人一杯と決まっているが、《魔王陛下の振る舞われたワインを飲むと元気で長生きできる》と専らの評判で、まるで神社の霊水を飲みに来たように、みんな恭しい表情で乾杯する。 「今年も賑やかになってるね〜」 《ふくく》と笑い声をあげる少年は濃く入れた紅茶色の髪の持ち主で、よく似た色合いの瞳もくりくりと丸い。随分と可愛らしい少年に驚いて、ミィルはやっと手に入れた氷菓子を差し出してしまった。 「食べる?」 「ん、良いよ。ありがとね。俺はさっきキャッチ出来たんだ」 「そう?」 なんて綺麗な子だろう。笑うときらきらした光が辺りに舞うようだ。鼻や口がちんまりしているのがとても品良く見えて、ミィルは無意識のうちに自分の鼻を隠した。 「鼻、どうかした?」 「ううん…なんでも」 ミィルの鼻は鷲鼻だ。母と恋に落ちた男…人間がそうだったのだ。ミィルが成長するのを待たずに父が病気で死んでしまった後は、苦労しながら母が女手一つで育ててくれたのだが、端正な純血魔族と明らかに違う鼻がいつだってミィルの劣等感を刺激した。 けれど隠そうとして手で覆っていたせいか、余計少年の目に付いてしまったらしい。紅茶色の瞳で鼻に注目した少年は、何故か羨ましそうに息を吐いた。 「いいな〜。君の鼻、男らしいね」 「そんな…とても醜いだろ?」 「どこが!?鼻の大きい人は出世するっていうよ。何かそれ以外にもイロイロ良いらしい」 「ほんと?」 「うん。俺の産まれた国ではそうだったよ」 「え…?」 吃驚した。こんなに綺麗なのだから生粋の純血魔族と信じて疑わなかったのだけど、どうやら人間の国で生まれた子らしい。開けっぴろげにこんなことを口にするところからみて、ひょっとすると最近になって眞魔国にやってきたのかも知れない。 最近少しずつ増えているのだ。この国で長く続いた差別の歴史を知らず、ユーリ陛下の御代になってから眞魔国にやってくる子が。 「僕は君の鼻の方が好きだな。小さくて形が良くて、見ているとうっとりしてしまう」 「あはは。この国の人って、こういう顔立ち好きみたいだね〜。照れちゃう。俺の生まれた国ではすっごい平凡で通ってたのにさ!」 「えぇっ!?」 信じられない!こんなに美しい子を平凡と見なすなんて、どれほど美しい人ばかり居る国だったのだろうか。 いや、待てよ?もしこの子が言っていることが本当なら、こんな大きな鼻だって素敵だと言ってくれる人たちがいるのかもしれない。 この国の人の中でも、少なくとも母はこういう鼻をした父を愛したのだし。 「世界には…そんなところがあるんだね」 「そうだね。いつか君も行ってみたら良いよ」 ほんの十年前まで、こんなことを口にするものなどいなかった。けれど今はユーリ陛下の政策によって国と国の距離は急速に縮まり、かつては固定化されて決して動くことはないと思われていた純血と混血の溝も埋まりつつある。 完全に差別が失われることはないのだろうけれど、大きな風穴が開いて、新鮮な空気が入り込んでいるのは間違いない。 急に視界が開けてきたように思えて、ミィルと軽い目が眩むようだった。 眩しい青空の下に、また新たな氷菓子が飛ぶ。真紅の髪を靡かせたフォンカーベルニコフ卿アニシナが、高笑いしながら巨大な機械を操作しているだ。 動力源はあろうことか、国の枢要であるはずの宰相や王佐なのだから、物心ついた子どもは流石に申し訳ない気持ちになるのだった。 同時に、そんな格式ある位の人物が自分たちの為に力を使ってくれることが嬉しくもある。 《子どもは国の宝だ!》 そう主張する魔王陛下は、数年前から《学校》なるものも整備しつつある。 純血・混血、性別も年齢も問わず、かなり難しい試験に合格した少数の者しか入れないが、入学出来れば奨学金がつき、数年間高度な学問を学ぶことが出来る。 今年度末には最初の卒業生が世に羽ばたいていくはずだ。その内の大半はそのまま国から給料を貰いながら、廃屋を改造した《寺子屋》という施設に散っていく。そこではかなり基礎的な読み書きから初めて、学校受験出来る程度の知識を身につけていく。しかも学費は国費で賄うというのだから、きっと十貴族会議の中では苛烈な議論が交わされたことだろう。 『魔王陛下は、世界の形を変えようとしておられる』 こうして目に見える形で氷菓子を撒くだけではなく、知識という宝物を授けてくれる。直ぐに結果が出ることではないだろうけれど、学校や寺子屋で学んだ子ども達がいつか次代を担うとき、この国の形は大きく様相を変えているだろう。 「僕はいつか、学校に入りたいんだ」 唐突な切り出しかなと思ったけれど、少年は嬉しそうに笑ってくれた。 「来年には寺子屋もできるしね!まだちょっと数の制限はあるけど、実績ができていけばきっと数ももっと増やせるよ」 「そうだね」 亡くなった父は土木設計の優れた技師であったらしい。大量の手書きのノートが残されているが、それを母もミィルも理解することは出来なかった。異国の言葉で書かれている上、そもそも眞魔国の言葉だってミィル達は十分に読み書きできないからだ。 けれどいつか父のノートを完全に理解して、眞魔国に貢献したいと思っていた。 もしかするとその貢献は眞魔国に留まらず、父が生まれ育った国に向けて良いのかも知れない。 3年前、敵対関係にあったその国と眞魔国との友好条約が締結された。あの日ほど笑った日もなければ、あの日ほど泣いた日もないだろう。ミィルと母はありったけの御馳走を作って近所にふるまい、抱き合って泣いたのだ。 『優れた技師として、眞魔国と父の故国を繋ぐような男になったら、魔王陛下は喜んで下さるだろうか?』 きっとそうだ。 不思議と、目の前の少年を眺めていると強く信じることが出来た。 「ミツエモン坊ちゃん、そろそろお戻りになられないと」 「あ、もうそんな時間?早いな〜」 おや。この子は混血でありながらこんな美しい従者のいる身なのか。勝手に親しみを覚えて馴れ馴れしくし過ぎたろうか? 不安に思いながら従者を見やるが、琥珀色の瞳に銀の光彩を散らしながらにっこりと微笑んでくれた。 「うちの坊ちゃんと遊んで下さってありがとうございます」 「いえ!こちらこそ、とても楽しかったですっ!!」 ギクシャクと直立不動の姿勢をとって敬礼をすれば、《硬くならなくて良いよ》というように肩を叩かれる。 「君の上に幸運の星が輝きますように」 なんて優しい響きを持つ良い声だろうか。ミィルはうっとりと聞き惚れてしまった。 「詩的で、美しい言葉ですね」 「学校の式典で、魔王陛下が使われた言葉です」 何故かミツエモンが照れたような顔になっている。どうかしたのだろうか? 従者の言う、《何かの映画で気に入ったフレーズだそうです》という意味は良く分からなかったが、きっと素晴らしい書籍か何かのことだろう。 「魔王陛下は博識でらっしゃるのですね!素晴らしいなぁ…っ!僕もいつか猛勉強をして、寺子屋に行き、学校に行き、いつか魔王陛下のお役に立ちたい!その為には、夜に出来る仕事をたくさん見つけなくちゃ!」 「奨学金だけじゃやっぱダメ?」 ミツエモンは心配そうに小首を傾げている。 「必ず貰えるとは限りません。無くても学ぶためには、生きるための金を稼ぐ気概も必要です」 「偉いなぁっ!」 《俺なんて、甘っちょろだったよなー、ホント》とミツエモンは反省しきりだ。混血ながら、両親が商売でもして成功している家の子なのかも知れない。おそらくは何の苦労もなく学べる身でありながら、逃げて遊んだりしていたことを恥じていたのだろう。 『可愛いなぁ!』 そりゃあ学べる身の上だからと言って、全員が全員勉強好きとは限らない。非難するような気にはならなかった。 「あ〜、俺もちょっとは勉強頑張るよ!」 「誕生日に良い決意をされましたね」 「やあ、魔王陛下と同じ誕生日なのかい?羨ましいなぁっ!」 「はは」 ぽりぽりと照れたように頭を掻くミツエモンだったが、ちらりと耳の付け根に掛かった後れ毛に、ミィルは目をぱちくりと開いた。 『…黒?』 あまりのことに、爪の尖端から髪の毛の先までピィンとしゃちほこばって、声が出せなくなってしまう。 あうあうと陸に揚げられた魚みたいに喘いでいたら、また従者がぽんと肩を叩き、苦笑しながら片眼を瞑って見せた。 知っている。 《ウインク》というチキューの習慣だ。 魔王陛下の生まれ故郷の…。 《ひみつ》という形に従者の唇が動く。 コクコクと何度も頷きながら、ミィルは食い入るようにミツエモンの所作や容貌、声を五感に焼き付けた。 『魔王陛下…この方が……っ!!』 いますぐ平伏して頭を大地に擦りつけたいけれど、そんなことをしたらこの場は大混乱に陥ってしまう。《ふんぎぎぎ》と衝動を堪えて、華奢な後ろ姿を見送った。 黙っておくことが出来なくなったのは、いよいよその姿が群衆の中に消えてしまうと言うときだった。 「ミツエモン様…っ!」 ミツエモンと従者が振り返る。 「いつか…必ず僕は立派な技師になります…っ!そして、沢山の立派な橋や建物を造って、眞魔国だけでなく、外のたくさんの国に出て行きます…っ!!」 辺りの人々が突然の大声に《でかいことを言う奴だ》と笑ったり嫌みを口にしたりするけれど、ミツエモンと従者が両手で大きな丸を作ってくれたから、もう恥じたりはしなかった。 この誓いはただ、自己の立身出世を願うようなものではないからだ。 この大きな鼻だって、二度と隠したりしない。 いつか《あの立派なミィルみたいだ》と、大きな鼻を持つ混血の子が誇れるような男になっていこう。 必ず。 必ず…っ! 少年の熱い思いを一つのせて、今年も魔王陛下の誕生日が過ぎていく。
正体バレというと派手にドドン!というのも良いのですが、「え?これってもしかして魔王陛下!?」と、第三者がはらはらわくわくしている話も好きです。 ユーリと出会った子ども達が、こうやって使命感を胸に成長していくと良いな〜と思います。 ユーリがちゃんと勉強していくかは甚だ不分明ですが…。 |